第9話 「校外活動(本屋編)」
しかしながら、四方山の見通しは少々甘かったと言わざるをえない。部室の中に昨年まではなかった『カジュアルな雰囲気』がどうにも充満してきたからである。テーブルの上には色とりどりな筆記用具やノートがぶちまけられていたり、『誰でもお取り下さい』とばかりに開けられたチョコレートスナックの袋があったり、ストローを突っ込んだ紙パックのジュースが置かれたりして、『ファストフード店で勉強する高校生たち』な雰囲気が、部室の中に侵入してきたかのようなのだ。しかも時々やってくる春川先生が、部員達をちやほやして甘やかすのだ。
ゆるんでおる。四方山は思った。しかし誰かを責めるわけにもいかない。全ては自分の不徳の致すところなのだ。それはそれとしつつ、新入部員や新任顧問がこの部室に居心地の良さ、居場所を感じているということに関しては大いに結構なことだとも考えたのだ。
このような状況を確認した上で、四方山は例の川原での会合において提案をしたのである。
「そろそろ彼らも馴染んできたようだ。どうかね? ここいらで企画第二弾というのは?」
こうして白河派取り込み計画第二弾、『本屋さんに行こう』が敢行されることになったのである。
それはある金曜日の放課後であった。このような日程になったのは、西村が「次の日が休みだとテンション上がらない?」という意見を述べたからであった。文芸部一同のテンションが高くなっていたかどうかは俄かには判別しがたいが、何はともかく、高校近くの本屋に繰り出すことになったのである。
川沿いの道を上流の方へとさかのぼりながら、目指すは『ブックス此ノ川』である。
「あの……本屋さんで何をするんですか?」
夏樹が南泉に初々しい質問をするのだ。
「一人一冊ずつ本を買うんだよ。部費でね。今の文芸部にある蔵書も、そうやって増えてきたんだ」
そう、部室の本棚の品揃えはまさに文芸部の歴史ともいえるのである。そして今日という日、また新しい歴史が刻まれることになるのだ。
四方山は本棚を前にするとテンションの上がる男である。
古典的名作を読んで時代の精華を堪能し、現代の作を読んで同じ時代に生きる者たちの感性を楽しむ。読書とは全く喜ばしい体験である。この道を行けば孤独ではない。常に他者の思念と対峙する。文芸とはこの世界の理に近づく道の一つなのだ。
四方山は書架を前にそんなことを考えた。そして腕を組んで満足そうにニッコリするのだ。そして部員たちはそんな四方山のわきをすり抜けて、思い思いに自分の本を探しに行くのだ。
東堂と冬原は文庫本のコーナーにいた。冬原は東堂に着かず離れず、気になったタイトルの本を抜き出して、裏表紙のあらすじを読んでいる。
北峰は哲学書のコーナーにいた。かっこつけて難解そうな本を手にとって見ている。そして南泉と夏樹は、北峰の開いた本を後ろから興味深げにのぞき込むのだ。
そんな様子を眺めながら、四方山は微笑ましい気持ちになった。文芸部は順調に文芸部らしくなっていっているのだ。
さて、西村である。西村は案の定、マンガの本棚の前にいた。それもただのマンガではない。胸の大きい女子や、おしりをこちらに向けて上半身だけで振り返っている女子が表紙に描かれたマンガなのだ。しかも、その女子たちの服はみな、物理法則に反して胸を強調するように体に密着しているのである。そういうマンガが大量に並んだ本棚の前で、西村は真面目くさった顔つきで立っていたのだ。
「西村君」
「……」
「西村君」
「……後にしてくれない?」
本当にどうしようもない。これでは後輩たちに対して示しがつかない。四方山はそう思ったのだ。しかし西村という男はずっとこうだったのだ。今さらどうしようもないのである。
さて、会計をする段になった。各人が会計担当の四方山に自分の選んだ本を渡していく。
「夏樹の分はこれです」
「これ、冬原さんから預かってたから」
南泉と東堂が、夏樹と冬原の分も四方山に渡したのである。ここで四方山は一年生コンビがいなくなっていることに気付いたのだ。
「夏樹君と冬原君はどこにいったのだ?」
「コンビニにスイーツを買いに行ったけど」
東堂が澄まして答えた。
「みんなの分もあるらしいから」
なんということだ。そういう問題ではないのだ。しかし四方山はぐっとこらえた。若いうちは『花より団子』でも仕方ないとも思えたのだ。
会計を済ませて、本屋を出た。
「ちょっとここで二人を待とうじゃないか」
四方山は言った。そして本屋の前からは、通りの向かいにあるコンビニが良く見えたのだ。
そのころ、コンビニではちょっとした修羅場になっていた。
人は十八歳になるまでに、この世の修羅場を一通り経験するという。だからこそ、読める本の選択肢も増えるわけである。しかし、十八歳未満の人たちにとっては、修羅場はやはり修羅場なのだ。心が痛む経験なのだ。
「やめなさいよ!」
夏樹の前に冬原が立ちはだかった。五人の男子達はニヤニヤ笑った。皆、やはり此ノ川高校の制服を着ている。
「夏樹、お前まだ冬原に……」
そのうちの一人が言った。そして言い終わらないうちに周りの男子はプークスクスとばかりに笑ったのだ。
「どいてっ! 蒼太、いくよっ!」
冬原が夏樹の手を引いてコンビニを出る。その男子達は後ろからついて来た。
「おい夏樹! お前やっぱり女だろ!!」
「ひゃはは!!」
そうして、夏樹をからかって笑うのだ。
この男子達は、夏樹と冬原の小学校時代の同級生たちであった。中学は違っていたが、高校でまた同じ学校になったのである。彼らは小学校時代、こんなふうに夏樹をからかって遊んでいたのだ。そして高校でも同じことをやり始めたというわけである。
冬原は夏樹の手を引いてずんずん歩いていく。
「おいおい、無視ですか~!?」
後ろからは、からかいの声が飛び、続いて笑い声が起こるのだ。
と、彼らがコンビニの駐車場の端まで来たとき、どやどやと四方山たちがやってきた。
「ちょっと待つのだ。君たち」
先頭にいた四方山は、手で『待った』をかけながら言った。四方山信国十八歳。まさに堂々たる声かけである。
「君たち! それでいいと思っているのか? 人生という名の物語、君たちはどんな役を演じるつもりなのだ? 理由は知らないが、今の君たちはまるで小悪党だ。それでいいのか!? 君たちの人生、それでいいのか!?」
そんな四方山に男子達は若干引いたのだ。
「そーだ、そーだ!!」
西村のふざけ半分の声援も飛ぶ。なんともいえない空気が現場に流れた。
「なんだコイツ……」
リーダー格の男子が四方山を見ながら言うわけである。その目にははっきりと『めんどくさそうな先輩が来た』と書いてある。
「行こ……」
男子達は立ち去っていった。四方山はあまりのあっけなさにポカンとした。たしかに彼らにとって四方山はめんどくさそうな先輩だったかもしれない。しかし、その反応はあまりにそっけなさ過ぎやしないか。四方山はそう思ったのだ。それはそれとして。
「ありがとう、緋奈」
彼らが立ち去って、夏樹は冬原に安心したような笑顔を向けた。冬原はそんな夏樹をジロリとにらんだ。
「うっさい!」
そう大声を出して、つないでいた手を振り払ったのだ。
「うじうじしてないで、自分でびしっと言えないの!? 何が『お姉ちゃん』よっ! 意気地なしの弟なんて、いらないんだからっ!!」
「ご、ごめん……」
夏樹の目にじわっと涙が浮かんだ。四方山はじめ文芸部一同は、この展開にびっくりして固まってしまったのである。夏樹は涙を見られまいと顔をそらしたが、どうにもいつまでも隠していられない感じである。
「あ、あの、ボク……先に帰りますッ!!」
結局、夏樹はそう言って駆け出したのだ。袖口で涙をぬぐうような仕草の後ろ姿が遠ざかっていくのだ。
「冬原さん……」
東堂が冬原の肩をそっと抱く。
「いいの?」
「……いいのっ! いっつもこうなんだから!!」