第8話 「二つの追憶」
その日の夜である。東堂は自室の窓を開け、夜空を眺めていた。そして白河部長のことを考えていたのだ。
東堂にとって白河光太郎は、一つ上の先輩であった。しかし、ときとして十も年上に感じられることもあれば、同い年の友達のように感じられることもあった。白河光太郎の瞳にある優しい光は東堂をとらえて離さなかった。東堂はこの一つ上の先輩を尊敬していたのだ。
そして当時、まだ同好会扱いだった文芸部で、二人は読書したり、本の感想を述べ合ったり、おすすめの本を紹介しあったりした。それはそれは平穏な日々であった。
しかし、その平穏な日々も長くは続かなかった。白河光太郎が、四方山信国と西村民男を拾ってきたからである。
東堂がはじめて四方山と西村に会ったとき、東堂には二人がよく理解できなかった。言動はどこかバランス感覚を欠いており、そして盲目的なまでに白河光太郎に従順であった。彼らは白河光太郎によって少しずつ人間らしくなってはいったが、それでも、人並みの学校生活を送るのに、相当気を張り詰めているようにも見えた。
(四方山くんも西村くんも、白河部長を神様のようにあがめていたけれど……それはどうしてだったんだろう?)
東堂には今もって分からないのである。なぜなら、東堂にとって白河光太郎とは尊敬する先輩ではあるが、同時に気の合う友達でもあったからだ。
その翌年には、南泉千紘と北峰了一が入部してきた。白河光太郎は彼らを軽々と文芸の道へと導いた。そして東堂は、そんな白河光太郎のとなりにいて、自分には何も出来なかったような気がしていたのだ。
(南泉くんも北峰くんも、私に良くしてくれたけど……二人はいつも白河部長のことを見てた。仕方のないことだけど、でも……さみしかった、かも……)
ここで東堂はクスリと笑った。今日も冬原に『オバサン』連呼されたことを思い出したのだ。どんなにオバサン呼ばわりされても、不思議と腹は立たない。冬原が自分に甘えているのが分かるからだ。
(こういうのも、いいかな……)
再び夜空を見上げれば、東堂のびん底眼鏡は星空を映すのであった。
一方、四方山もまた夜空を眺めていたのである。
自室にあるベランダの手すりに手を掛けて、そして自分が一年生だったころのことを思い出していたのだ。
その年、文化祭が近づいてきて文芸部はいわゆる修羅場となったのだ。なぜなら部誌に載せる話の原稿を書かねばならないからである。部員達は、部室に菓子パンやコーヒーを入れた水筒を持ち寄って、缶詰になって徹夜した。夜のしじまをペンが紙の上を走る音が埋めてゆき、四方山が顔を上げると東堂が、西村が、そして白河部長がいたのだ。四方山はひたすら書くことに没頭した。そして朝が来る。赤と紫の光が差し込む部室で、四方山は原稿を推敲したのだ。なんという達成感であったことだろう。
文化祭を無事に終えた後は、部室で打ち上げパーティーである。浮かれて調子に乗りまくった四方山と西村は、そこで全裸な踊り(ムーヴ)を披露したのだ。白河部長は、それはそれは気持ちよく笑いまくっていた。白河光太郎、けっこう下ネタもいけるのだ。それにしても、その笑い声の心地よさといったらどうだったろう。四方山も西村もますます調子に乗って踊り狂ったのだ。
一方、白河部長のとなりで、東堂はうつむいて静かに座っていた。表情からは分かりづらいが、はっきり言って怒っていたのだ。四方山と西村の体たらくに恥じ入っていたのだ。四方山はその青白い炎を感じてぎょっとなったが、しかし結局、最後まで踊りきったのだ。その後しばらく、四方山には東堂の極厚メガネが氷の彫刻のように感じられたものだ。
四方山はそういったことを思い出していたのだ。四方山に人並みの青春の思い出があるのも、全ては白河部長のおかげなのである。白河部長が卒業し、新入部員を迎えて、ほっと人心地ついてみると、四方山には白河部長が抜けたことによる穴の大きさ、深さが身に染みて分かったのだ。そしてしみじみと、自分が白河光太郎ではないことを思い知らされたのだ。新入部員たちをどのように導くべきなのか、頭を抱えたのだ。しかし四方山はすぐに気を取り直したのである。なぜなら、今の四方山には白河四天王がいるからだ。
「うむ」
彼らにかかれば、夏樹と冬原が白河派の文士となり、春川先生が白河派のファンとなるのも時間の問題だろう。白河派の伝統は、これからも続いていくのだ……!! 四方山は腕を組んで、堂々たる姿勢で夜空を見上げたのであった。




