第4話 「白河派の四ヶ条」
人間について知るというのは、極めて難しいことだ。一個の人間を何に例えようか。深淵か、密林か。とにかく人は極めて複雑な存在なのだ。長い時間をともに過ごした。そんな人のことですら、実は何も知らなかったことを思い知らされる。そういうことは、この世界では決して珍しいことではないのだ。なぜなら人は、嘘を吐く、演技をする、そして自分の本当の気持ちを心の奥底に隠して自分自身にさえ見せようとしない、そういうことがあるからだ。
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「ユイ先生って妹なんですか~!? ぜったい長女やと思ってましたぁ~!」
春川先生に姉が一人いると聞いて、西村が適当な感想を述べている。
「そうかな? 自分ではよくわからないけれど……」
その下らない感想は春川先生を困らせるのだ。
「夏樹は?」
笑顔の南泉に話を振られて、夏樹はビクンと背筋を伸ばした。
「あっ、ボクは一人っ子なんですけど……でも、緋奈がお姉ちゃんみたいな……ねっ!?」
「はぁ!?」
冬原に同意を求めて、じろりとにらまれる夏樹である。
「だってほら、『あたしの方が七ヶ月先に生まれたんだからお姉ちゃんなのよ』って、よく言ってたから……」
「む、昔の話でしょ!?」
「それでボクのこと、たくさんかばってくれたし……」
「そ、それも昔の話じゃない!!」
なぜかほおを染めて反論する冬原のとなりで、東堂は紅茶をずずいとやった。
「……」
たるんでおる。四方山は心中独語した。部室にやってきた四方山がそこで見たのは、テーブルを囲んで雑談に興じている部員たちと春川先生の姿である。かつては、こんなことはなかった。ひとたびこの場所に集うや、各自がそれぞれの問題意識を持って自分の課題に取り組んでいたのだ。お互いに口数は少なく、しかしその空間はたしかに居心地が良かったのだ、充実していたのだ。そして、その中心には白河光太郎がいたのである。しかるに、今はどうしたことだろう。いったい何をおしゃべりしているのだ。ある有名な心理学者によれば、人間社会における他愛の無いおしゃべりは野生動物の世界における毛づくろいのようなものであるという。しかし文芸部の部室は求道の場である。おともだちクラブではないのだ。そんな中、ただ一人、北峰だけは窓際の椅子に陣取り、読書をしていた。うむ。四方山はそんな北峰の姿に頼もしいものを感じたのだ。そして部室に充満した弛緩した空気を振り払うべく、ひとり教壇に立ったのだ。
「諸君、注目だ!!」
一同の注目を受けて、四方山は一つ咳払いをした。
「えへん。もうすでにご存知だろう。我が此ノ川高校文芸部が別名『白河派』と呼ばれていることを。これは偉大なる前部長、白河光太郎がその名前の由来になっているのだ。新入部員諸君が今だあの御方に出会えていないというのは本当に残念だ。ひとたび会えば、その徳の高さに打たれること間違いなしだ」
四方山は大いに熱弁を振るい始めた。新入部員に白河派の心構えを叩き込むためである。加えて、春川先生に少しでも白河派への理解を示してほしいとの狙いもあった。新入部員の二人、すなわち夏樹蒼太と冬原緋奈は、突然語り始めた四方山に驚きつつも、大人しく耳を傾けているようである。春川先生も興味深そうに四方山の一挙手一投足を見守っているようだ。前顧問とは大違いだ。四方山はうれしくなった。
「さて、白河派の四ヶ条というものがある。これこそ白河派を白河派たらしめるものなのだ。それはどういうものだ? それはこういったものなのだ。すなわち――」
白河派の四ヶ条とは、偉大なる白河部長が部員に対して示した作文をする際の指針である。この四ヶ条を胸に刻み込み精進することこそ、立派な白河派の文士となるための唯一の道なのである。
「一つ、心にあるものを描写すること!」
上っ面のものはだめなのだ。心がこもっていないとだめなのだ。物語とは虚構である。嘘である。しかし、ただの嘘であってはならないのだ。虚構のまま終わらせてはいけないのだ。だからこそ作者は自分の心にあるものを描写するべきなのである。それが読者に対する誠実というものなのだ。
「一つ、文章の中に生きた人間を住まわせること!」
実話の登場人物はみな、人間としての重量感を持っている。それは生き生きと描き出す作家の技量もあるが、現実とつながっているというのも大きな理由であろう。虚構も負けてはいられない。現実とつながっていなくとも、登場人物たちに人間としての重さを持たせるのだ。有限の文字列の中に生きた人間を住まわせるのは愉快である。
「一つ、善とは何かを追究すること!」
かつて、偉大な学者アラムハラドは自分の教え子たちに聞いたのだ。
『人間にとって、しないではいられないことは何か』
その際、セララバアド少年はこう答えた。
『ほんとうのいいことが何だかを考えないではいられないと思います』
その通りだ。人間にとって善いこととは何かを追究することこそ、すべからく物語の骨子となるべきものである。
「一つ、人と人とを結び合わせること!」
これすなわち大団円、つまりハッピーエンドである。読んだ人の心をパーッと軽くさせたら、読者は他者との結びつきを意識するものなのだ。人と人とを結び付けるとは、作中においてさりげなく人間への信頼を説くこと、そしてそのような信頼が必ず明るい結末を迎えることを示すことに他ならないのである。
以上のようなことを四方山は熱弁した。大いに弁じたてた。そしてこの大演説で、夏樹も冬原も春川先生も、白河派に加わってくれるだろうと、大いに期待したのである。
「……ということなのである!」
しかし、四方山が熱弁を終えて聴衆を見回したとき、その反応はやや薄かったと言わざるを得ない。
「とってもステキな考え方だと思うわ!」
春川先生は言った。とってもやさしい笑顔を浮かべて言ったのだ。しかし、四方山は不満であった。もっと盛り上がって欲しかったのである。
「急にそんなこと言われても、わかんないし!」
冬原は言った。四方山は出来る限り、わかりやすく語ったつもりだったのだ。しかし、説得的な話術というものにおいて白河部長と四方山は比べるべくもない。四方山は自分の至らなさを大いに恥じたのだ。
夏樹君はどうだろう。四方山は一縷の望みを抱いて、夏樹の方を見た。夏樹は難しい顔をしていた。
「夏樹君はどう思ったかね?」
夏樹は顔を上げていった。
「んんと……いいお話だと思ったんですけど……」
言葉尻を濁す夏樹である。
「ボクもそうしたいって思ったんですけど……」
そうであれば何を迷うというのだ。何だか煮え切らないのである。
「でも絶対に、そうしないといけないんですか?」
「その通りだ」
四方山は即答した。
「大切なのはメッセージ性だ。ポジチブなメッセージ性なのだよ。そういったものが作品の根幹になければならないのだ。またそうすることで、文芸作品はこの世界によい影響を与えることができるのだ」
文芸評論家に言わせれば、これは典型的な芸術功利主義の考え方である。しかし、ひとたび実践を始めるや、そんな一語のレッテルを貼って済ませられるような、そんな簡単な問題ではないということに気付かされるのだ。
「はっきり言って、ただ人の心に残りさえすればいいというのであれば簡単だ。明るく純粋な者が悪意と無関心に囲まれてみじめに破滅する様を書けばよい。しかしこれは心に残るとしても傷としてである。例えばチェーホフの『かもめ』のような作品は白河派では無作法と考えられるのだ」
鬱展開は無作法。このことについては、白河部長がそう明言したわけではない。しかし、四方山はそう解釈したのだ。
「ボクだって、そんな話は書きたくないですけど……」
夏樹は言った。
「でも、ボクは自分でいろいろ考えてみたいです。それで最後に、自分でそうゆう考え方を選び取りたいなって思ったんです。……ダメですか?」
「むぅ……」
四方山は唸った。
「駄目ではないが……」
このとき四方山は、夏樹の心の中にある芯の部分にぶち当たった感じを覚えたのだ。簡単には白河派には引き込めない、その現実を理解したのだ。しかし作家性という観点から言えば、それは頼もしいことでもあった。