第38話 「ポエム対決」
その日、空には梅雨の晴れ間が広がっていた。夏はもうすぐそこまで来ていた。そしてまさにその日、決戦の舞台は用意されたのだ。
何事も早め早めに準備していく、それが白河派の流儀である。それゆえ、その六月のある日には十月の文化祭に合わせて発行する部誌の第一回企画会議が行われたのだ。俺は部員達と春川先生とを前に、堂々と演説をぶった。
「今日は諸君に重大な話がある!」
俺はそう言ってから、ぐるりと部員達を見回した。
「何の話か? それはこいつの話だ! こいつを今年も出すのだ!」
此ノ川高校文芸部の部誌。その白い表紙には行書体で『此ノ川の流れが如く』と書かれている。それは初代部長と伝えられる最上一光なる人物による揮毫である。硬派なのだ。文芸部とはそもそも硬派なのだ。この硬派な伝統を白河部長は賢明にもお受け継ぎになり、さらに大いに発展させられたのだ。そして今やこの俺がこの伝統を伝えていかなければならない立場にあるのである。
「今年もついにこの時が来た。新入部員諸氏にとっては、まさにこれがデビューとなる。ブチかましてやれ! いいな?」
このときまでに白河派への勧誘が完了しなかったことは、俺にとって痛恨事だ。しかし、まだなんとかなる。そう信じたのだ。
「俺たちは文芸部だ。だから文章で魅せるのだ。やってやろう! 俺たちの存在意義を示そう! 諸君、気合を入れろ!!」
決まった。完璧だ。ここにおいて、ついに文芸部は本格的な活動を開始するのである。
「というわけで諸君。九月の中旬までに完成原稿を俺に届けてくれ。新入部員諸氏、何か相談があるならいつでも乗るぞ。何か質問は?」
俺は夏樹と冬原の顔を交互に見たのだ。
「あ……はい! いいですか!?」
夏樹が手を挙げた。そしてその提案をしたのだ。
「今年は文章だけじゃなくて、写真とかも入れてみませんか?」
「写真? 写真って、何のだ?」
「ボクたちの写真ですよ。みんなの写真です!」
「ど、どうしてそんなものが必要なのだ?」
「えっとですね、読む人にどんな人が書いたのかわかったら、もっと楽しんでもらえるんじゃないかなあって思ったんです。ボク、本のあとがきとか読むの好きですから。それにこの部誌はボクたちにとっても大切な思い出になるものだと思います。だから、ボクたちにとっても『あ~、こんなことあったな~』って写真を載せたら楽しいかなって思ったんです。どうですか?」
どうですか?ではない。全く論外だ。俺はそう思ったのだ。
「いいか、夏樹君。この文芸部には伝統というものがある。俺たちは文章だけで勝負するべきなのだ。そして部誌とはそういう決意の結晶でなければならないのだ」
「いいえ、ボクはそれだけじゃないと思うんです。せっかく部誌を作るんですから、ボクたちだって楽しんでもいいと思います」
「夏樹君。伝統とは重いものだ。楽しいかどうかではなく、どれだけ文章に何かを込められたか、だ。それが大事なのだ」
「でも、みんなで楽しめたら、ボク、うれしいなって思うんです」
「白河派の伝統はそれを許さぬ。全て内容で勝負するべきなのだ。作者が前に出てくるというのは無作法なのだ。邪道なのだ」
俺は一息吐いて、皆を見回した。
「皆はどうなのだ? どっちの提案に賛成する?」
「そーだね。たまには変わったことしてみたいかも!」
まず東堂が夏樹の案に賛意を示した。となりに座る冬原は何も言わない。冬原が何も言わないというのは、つまり同意ということなのである。
「そうね。やってみたらどうかしら! 楽しそう!」
春川先生も夏樹に賛成なのだ。
「オレもいいと思います」
南泉も賛成に回った。ちょっと待て南泉君。君だけは俺の味方をするべきじゃないか? 俺はそう思ったのだ。
「北峰君。君はどうなのだ」
一縷の望みを託して、俺は北峰に聞いてみた。
「え、ええ。まあ、いいと思いますけど……」
何がいいのだ。あきらかに春川先生を意識したコメントだ。失恋しても絶望しても、春川先生の飼い犬であることはやめられないというのだ。
「僕はまあ、文章だけで勝負すべきっていうノブくんの言い分にも一理あると思うけどね」
西村はそう言った。ここへきて西村は俺の味方なのだ。当たり前である。俺たちは白河部長の忠実なしもべなのだ。
「ようし、わかった」
俺は覚悟を決めた。
「夏樹君。ポエム対決をしよう」
「ポエム対決?」
「そうだ。創作の基本はポエムにある。古来、人は心が動いた瞬間をとらえて、それを言葉にした。その一瞬を永遠のものにするためだ。これこそ創作の原点と言えよう」
しゃべる俺をじっと見つめる夏樹は相変わらず見た目女子である。しかし、今の夏樹からはハツラツとした精悍さも感じるのだ。少しずつだがボーイッシュな女子という方向へとシフトしつつあったのだ。
「その原点において対決する。どうだ?」
「……はいっ! やります!」
「ようし!」
こうして俺と夏樹は、一週間後、全校生徒の前に自作のポエムをさらして、どちらがより多く票を得るかという対決をすることになったのだ。
ズンズン! 俺は血がたぎるのを感じた。これが俺の勝負だ。俺はこれで持っていかれつつあった流れをこちら側へと引き戻すのだ。夏樹を、冬原を、春川先生を、白河派に引きずりこむのだ。
その夜、俺は自室にて瞑想していた。ポエムとは一瞬のきらめきをとらえることなのだ。俺は精神を研ぎ澄ませて、その瞬間が訪れるのを待っていた。
なぜ俺は夏樹君にポエム対決を仕掛けたのか。それは俺の本質がポエムだからだ。では、なぜ俺の本質はポエムなのか。それはポエムこそ、白河部長が俺に与えてくだすった生き方だからだ。
あれはもう二年前になる。俺が白河部長の家に泊めていただいたときのことだ。テレビでたまたま海外のサスペンス映画をやっていた。俺は、白河部長とそれを見ていたのだ。やがて映画の中で一人の男が殺されることになる。なぜかそのシーンが俺の頭に引っかかった。見終わった後、白河部長は言った。
「四方山くんは、どんな感想を持ったかな?」
それは何気ない雑談のつもりだったのかもしれない。しかし、その瞬間、俺の頭の中にひらめく言葉たちがあった。俺は白河部長の問いに答えを返すために、近くにあった紙と鉛筆を手に取った。そして頭の中に浮かんだ言葉を一気に吐き出したのだ。そして出来たのが、こんなポエムであった。
「雨の降る街」
雨が降っていた、それは憶えている
走り抜けようとして、呼び止められた
光がこぼれるのを待っていた、雲は途切れる様子もない
光を求めて走った、雨の降る街
吐き気はまぎれた、肌打つ雨の感触の中
白っぽく薄暗い昼、呼び止められて立ち止まる
知ってた気がする、こんなことが前にもあって
俺によく似た男が、やっぱり呼び止められて
ここで死んだ、ここで死んだ
ここで死んだ、ちょうど、この場所で
雨が降っていた、雨水に血が紛れた
頼りない視線の先、排水溝に消えていった
空いちめんの雨雲、雲の切れ間を探した
光を求めて走った、雨の降る街
そして俺は知る、そう遠くない未来
俺によく似た男が、ここで名を呼ばれ立ち止まる
雨が降っている、雨が降っている
雨が降っている、雨が――
俺は書き上げた紙を白河部長に手渡した。白河部長であれば、俺がどんな程度の低いものを書こうとも、きっと受け止めてくれるという確信があったのだ。そしてなにより、白河部長がこれを読んで何と言うのか、知りたくなったのだ。果たして、白河部長は言った。
「四方山くん、見つけたねえ」
そう、このとき俺は見つけたのだ。自分自身を表現する方法を。
そうなのだ、まさにポエムとは俺の領域である。俺はすでに途方もなく有利な立ち位置を得ているのだ。もしかしたら卑怯と思われるかもしれない。しかし、俺には確信があった。白河派の文士となることで、夏樹は、冬原は、そして春川先生は、よりすばらしい創作ができるようになると。だからこそ俺は最後の賭けに打って出たのだ。まさにこれこそ分水嶺である。彼らが白河派の文士となるか、それとも彼らの時代がやってくるのか。俺は信じていた。彼らは必ず白河派の考え方を受け入れてくれると。
ピリリ、ピリリ。俺の瞑想は携帯電話の着信音で破られた。ディスプレイに表示された名前は『西村民男』である。
「もしもし、どうした?」
「例のサイト見てみて」
俺はパソコンを立ち上げて例のサイトを開いた。『此ノ川カワイイ子』板でまたもや動きがあったのだ。
『文芸部が今度の部誌にグラビアをのっけるかどうかでもめてるらしい』
誰かが文芸部の部誌に言及していたのだ。
『なにそれくわしく』
『そのままだよ。部誌に卒アルみたいな写真コーナーを作るかどうかでもめてる。それで一週間後、賛成派と反対派でポエム対決することになった……らしい。ちなみに全校生徒による投票形式』
『文芸部アホだろ』
『いや、これはチャンスじゃね?』
『俺の写真フォルダが潤う可能性』
ここから掲示板は無駄に盛り上がり始めるのだ。
『最近は東堂推しですね』
『わかる。なんかすぐヤらせてくれそう』
『踏んでほしみある』
なんということだ。こいつらは馬鹿だ。
『南泉センパイの水着はありますか!!!!!!???!!』
『南泉くんの水着!!??!!!!???(鼻血どばー)』
新旧南泉ファンの競演である。
『プライヴェートまで踏み込むことが許された者たちによる接写には期待せざるをえない』
接写とは何だ。まるでカメラマンのようなことを言う。
『冬原の隠れファンは俺だけでいい』
『俺もいるぞ』
いてどうする。冬原には夏樹というれっきとした彼氏がいるのだ。
『夏樹くんの写真もありますよね? 私、女子ですけど、夏樹くんのファンなんです』
女子がわざわざ自分で女子と言うか? ただでさえ物騒な掲示板であるのに、そんな場所で女子を自称するのか? コアな夏樹ファンの男子が性別を偽って書き込んでるに違いない。
『この前、大海スパランドで春川先生を見た。もうすごかった』
『何がすごかったのか言え(真顔)』
『歩くたびに揺れてましたか(小声)』
『あのプールがたくさんあるとこ?』
『そう。文芸部の連中と来てた』
『マジうらやましいな文芸部』
『俺も文芸部入りたい。あのめんどくさい奴さえいなけりゃな』
『四方山だろ? あいつ文芸部を私物化してる』
『うざいよな。なのだなのだうるせえよ』
『ほんとそれ』
私物化とは下らぬ。見当はずれもはなはだしい。それに『うざい』とはなんだ。うざくないのだ。匿名なら何を言ってもいいのか? ネットリテラシーというものをキチンと持つべきだ。
『うまくいけば、DVDも付くかもしれない』
『マジ?』
そんな話は出ていない。誰なんだ、話を盛っているのは。こういった匿名掲示板では、便宜的にIDが付与され、それによって同一人物による書き込みを見分けることができる場合もあるが、この学校裏サイトには、それがない。もっとも書き込みの時間間隔や文体から推して一人の人間が自演しているというわけではなさそうである。しかしかえって、それだけに闇が深い。俺はそう感じたのだ。
『それで? どっちを勝たせればいいんだよ?』
これは怖ろしい一言だ。なんてことを言うんだ。とんでもないことである。
『賛成派代表が夏樹蒼太、反対派代表が四方山信国だから、夏樹の方を勝たせればいい』
言いやがった。どういうことだ。ポエム対決なのだ。どちらのポエムが好きかという観点から投票するべきで、こんな扇動は邪道である。俺はそう思った。しかし、このコメントの下には『おっけ』『了解でーす』などというレスポンスがずらずらと並ぶのだ。俺はげっそりした。
「なんだこれは?」
「わからない。どこかから話が漏れたみたいだね。気をつけて」
「下らん。俺はやる。それだけだ」
俺は電話を切った。じっとパソコンの画面を見る。今日の夕方に内輪でやった話が、もうこういう形で話題になっているのだ。おそるべきはネット社会である。しかし、そんなことはどうでもいい。こんな下らんやりとりなんぞ、全くどうでもいいのだ。俺は自分のやるべきことをやる。大切なのはそれだけなのだ。




