第37話 「四方山信国」
何かが変わっていくとき、誰にもそれを押し留めることなんて、出来やしないのだ。見よ、時間が流れていく。いったい誰にそれを止められるというのだ。なんとか相対性理論は言う。過去に存在した時間も空間も全て『現在』というものの影になる。なんと長く尾を引く影であろう。刻々と通り過ぎていく今を積み重ねて、人はいつだって変わってきたのだ。変化は世界の本質らしいのだ。しかし、それでも。変わらないものだってあると信じたいのだ。人間なのだ。信じたいのだ。人は変化を受け入れるためだけに存在するのではない、最後まで抗うためにだって存在するのだと。
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四方山はたそがれていた。大吟醸川のほとりで、たそがれていたのだ。色んなことがありすぎて、すっかりげっそりしていたのだ。
「ノブくん、生きてる~?」
そこへ西村がやってきた。
「生きておる。見ればわかるだろう……」
「でぇ……何かあった?」
何か? 何を言っているのだ? そう思って四方山は西村を見た。そして西村の目の中に不穏当な光があるのを見て取ったのだ。そのとき、四方山の脳裏にひらめくものがあった。『南泉は二度、失恋している』そう言ったのは西村ではないか。だとしたら……だとしたら……。四方山のひたいに冷や汗がにじんだ。
「……何を知っている?」
西村はニヤリとした。
「別にィ? ただ『大丈夫だったのかな?』って思ってさ」
そうなのだ。西村は南泉が失恋したことを知っていた。当然、誰に失恋したのかも知っていたのだ。つまり全部知っていたのだ。南泉がそうなのだということを知っていたのだ。白河光太郎、夏樹蒼太と片想いをして失恋してきたということを知っていたのだ。
四方山は大いに苦々しく思った。そしてまた思い至ったのだ。そんな南泉が最後にたどり着いたのが四方山信国。ちょっと押しただけでバタンと倒れる、この出来損ないの引き戸のような男だったのだと。
「むぅ……」
四方山はうなった。実のところ、ぜんぜん大丈夫ではなかったのだ。四方山に言えることといえば、南泉の体が温かかったということと、そのくちびるが想像以上に柔らかかったということだけである。
四方山は冷や汗を流したが、しかし西村はそれ以上、追及してこなかった。揺れる川面は静かに残光を受け止め、きらきらと輝いている。
「それで? これからどーすんの? 白河派の方は、さ」
ちょうど風が吹いて、西村の声はどこか遠くから聞こえてくるかのようであった。
「……西村君。俺はもう一押しする必要があると感じている」
四方山は言った。まだあきらめていないのだ。夏樹を、冬原を、春川先生を、白河派へと引き込むのだ。
「いけそうか?」
「いいや」
西村は答えた。
「タイガきゅんと約束しちゃったよ。もうユイ先生を泣かさないって」
西村にしては殊勝な口調なのだ。そして、ひたいに残る傷跡がその約束の証であるかのように指さすのだ。
「そうか……」
四方山には分かった。男と男の約束だというのだ。破らせるわけにもいかないのである。
「ごめんね、一人にして……」
西村がぽつりと言った。白河四天王、最後の一人が脱落した瞬間であった。
「かまわん。よくやってくれた。後は任せておけ」
白河四天王なき今、あの三人を白河派に引き込めるのは自分しかいない。四方山は出撃の覚悟を決めたのだ。一人になってしまった。だからなんだというのか。孤独に耐えられん男になんぞ意味はないのだ。
さあ、聡明な君はもうお気付きだ。この話の語り手が誰であるのか。この俺が誰であるのか。いかにもさよう。俺が四方山信国である。この俺が四方山信国なのだ。嘘だと思うだろうが、この話はまさかの実話なのだ。もっとも、俺が直接見聞きできなかった部分については想像で補ってある。しかし、それとて事実だと請合ってもよい。なぜなら、現にあるこの状況が俺の想像を完璧に裏付けているからだ。想像力とは偉大なのだ。想像力とは思いやりなのだ。
さて、俺がなぜ、あの偉大な白河光太郎の弟子となったか。率直に言って、そのようなことは語るに値しない。道に迷った一匹の愚劣な小動物が大器の御方に出会い、もしかしたら自分も真面目に物事を考えながら生きていかなければならないのではないかと思った、ただそれだけのことである。
では白河光太郎とは、どのような人間か。それは道端のお地蔵さんと戯れる春の日差しのような、地平線で交わる夏の大空と大海原のような、懐かしさと寂しさとを運んでくる秋の風のような、静かな威厳をたもつ夜の冬山のような、そんな御方なのだ。要するに、でかいのだ。とにかくでかい御方なのだ。
この御方に忠実であること。それだけが、俺に出来るたった一つの生き方なのだ。
さて。ついに。ついに、というべきである。今や俺は白河派、最後の一人となった。しかし、だからなんだというのか。周りがどうであれ、俺のやることは変わらない。それは、この偉大なる白河派の伝統を後世に伝えることである。大切なのは心意気だ。例えば、一万の軍勢を前に、腰に一刀をたばさんで立ちはだかる、そんな心意気なのである。決戦のときは来た。俺はやるぞ!! 俺はやるぞ!!




