第35話 「もう一泊」
さて、こうして夏樹パーティーは闇の化身・西村を倒したのであった。そして、春川先生たちの待つ温泉宿へと向かったのである。
えらく腰の低い、笑顔の老婆に迎えられた一行は、ついに春川先生たちの泊まる部屋の前まで来た。コンコン。一同を代表してノックする四方山である。
「はいはい~」
ガチャ。戸を開けて出てきたのは……東堂であった。
浴衣の前が派手にはだけている。は? そんな思いとともに四方山は思いっきり胸もとを凝視してしまったのだ。気付いたときには時すでに遅し。東堂は、ニヤア……という嫌な笑いをしたのだ。四方山は大いに苦々しく思った。そして東堂は四方山の後ろにいる面々にニッコリ笑いかけたのだ。
「来てくれてありがと~。でも、ちょっと待ってね~。女の子には支度があるから~」
そう言って奥へと引っ込んだ。何が女の子だ……。四方山はすっかりゲッソリとしたのだ。扉の向こうが急にドタドタとあわただしくなる。そのまま四方山一行は十五分ほど待たされたのだ。
「もういいよ~」
「ユイ~」
東堂の声に反応し、真っ先に飛び込んだのは広瀬氏だ。なんと天然な男である。
「タイガくん」
春川先生は浴衣姿ながら髪を整えて薄化粧をしている。広瀬氏はすっぴんを見て引くような男でもあるまいに。四方山はそう思った。わかっちゃいないのだ。四方山は何もわかっちゃいないのだ。
「ごめんね、連絡できなくて」
「いいよ。楽しかったし」
頭ポンポン。あれは伝説の頭ポンポンではないか。すごい、こんなにナチュラルにやらかして全く嫌がられてない。これこそ『婚約』という関係性なのだ。ところで、北峰の目は小石でも詰めたほうがマシなくらいに生気を失っている。
「緋奈」
「蒼太」
「……えへへ」
「な、なによ。なに笑ってんの……」
こっちはこっちでカップルな雰囲気を漂わせている。そして南泉がそんな二人を優しく見守るのだ。
そんな中、四方山は東堂に歩み寄った。
「東堂君。見れば分かるが一応聞いておく。大丈夫だったのか?」
「ん。だいじょおぶ、だったけど?」
なにやら楽しそうな東堂である。
「西村くんはどうしたの?」
「本人の希望でな。置いてきた」
「そ」
再会の喜びもひと段落ついたところで、四方山は一同を前に言った。
「さて。目的も達成したことだし、撤収するか」
その瞬間、四方山は『そうじゃないだろう』という空気をぶわっと感じたのだ。
「はいはい!」
夏樹が手を挙げる。
「せっかく来たんですから、遊んで帰りましょう!」
「しかし、あんまり帰りが遅くなるのもどうなんだ」
「もう一泊すればいいじゃない」
東堂がサラリと言ってのける。
「ど、どこにだ?」
「ここ。露天風呂あるし、料理美味しいし、宿代の請求は西村くんに行くらしいし」
「そ、そうなのか……。でも、いいのか?」
「……? いいけど? なんで?」
ついさっきまで西村に監禁(?)されていたとは思えない発言だ。東堂はいずれ、清楚系ビッチから肝っ玉母ちゃんに進化するに違いない。
「四方山センパイ! いろいろ行ってみましょうよ!」
部屋にあった観光ガイドをひらひらさせる夏樹である。思い出作りに貪欲なその姿勢。四方山は大いに頼もしく思ったのだ。
結局、西村オススメのお宿にもう一泊することにした四方山一行。
まずはショッピングである。制服しかない女性陣のために服を買いに行ったのだ。これは文芸部の活動に関係する出費ということで部費(という名の四方山資金)から賄われた。
次は、たまたま目に付いた公衆浴場である。ふらりと入って温泉につかったのだ。
そして、この温泉街の外れにひっそりとあるこぢんまりとした遊園地である。そこでは射的や輪投げや、ロウ人形重視のお化け屋敷や、迫力に欠けるジェットコースターなどを楽しんだのだ。中でも圧巻はガチョウのレースである。四方山が見事に予想を的中させ、キノコ状のチョコレート菓子を手に入れたのだ。しかし、その次の瞬間には、それは四方山の手から消え、部員たちの口に入っていったのだ。
帰りには、行きとは別の温泉につかって、それからオシャレの上にもオシャレを重ねたカフェーで一休みして、ついでにみやげ物屋にも寄ったのだ。
まさにこの温泉街を堪能したと言ってもよい一日だったのである。
さて、西村オススメの宿に戻ってきた四方山一行は、夕食が用意されているという食堂へとやってきたのだ。ずいぶん広い和室に、客は四方山一行だけなのか、八人分の膳が用意されている。やがてメインの料理も運ばれてきた。それはそれは豪華な海鮮の盛り合わせだったのだ。
「……」
四方山はやや気後れを感じつつ、一口食べてみた。美味い……。四方山は心中嘆息した。そしてかたわらの東堂に聞いたのである。
「……東堂君、もしかして君たちは昨日もこういうのを食べたのか?」
「ん~? もぐもぐ。そうだけど~?」
人質にも関わらず、たいそう良い待遇だったようなのだ。
「あ」
冬原が何かに気付いたかのように、箸を止めた。
「そういえば、黒フードの男の人たちってどこいったの? あたしたちをさらうとき、たくさんいたんだけど」
四方山は断言した。
「それは西村の下らん手品だ」
「車を運転してたりもしたんですけど……?」
「うむ……それも手品だ」
西村は下らない手品が得意なのである。
「お今晩は~」
突如、そんな声とともに食堂に入ってきた者がいる。この旅館の浴衣を着ているものの、どう見たって怪しいのだ。入り口で三つ指をついて、上げた顔はまさに異形と言ってよい。その顔はおしろいを塗りたくって真っ白、くちびるにはどぎついほどに真っ赤な紅を差しているのだ。それは西村であった。これでお座敷の舞妓さんのつもりなのだ。
「一献差し上げましょうか~」
そう言いつつ、いそいそと夏樹に近づく西村であったが、そこを春川先生に呼び止められるわけだ。
「西村くん」
春川先生は自分の前の膳を脇にどけた。
「ここに座りなさい」
畳の上を指さし、教師の威厳を前面に押し出して言ったのだ。スス……。大人しく座る西村。そして……ピッシャァァァァァァァァン!! 西村のプニった頬に春川先生の平手が炸裂したのだ。
「西村くん……」
春川先生は何かを言おうとしたが、言葉が続かない。西村は平身低頭したが、そのうち、額を畳に縫い付けられたが如く頭を上げられなくなったのだ。つまり、春川先生が泣いていたのである。西村は言いたかったであろう。
(間違ったことはしていません。全ては白河派のためです)
しかし言えぬのだ。言い出せるような雰囲気ではないのだ。今となってはウケ狙いのどぎつい化粧が、なんとも物悲しさを感じさせるのだ。嗚呼、西村とは何と哀しい生き物であろう。しかし警察に突き出されないだけマシだと思わなければならない。春川先生こそ、文芸部に舞い降りた守護天使なのである。
それにしても、それはまさしく敗北の構図であったのだ。しかし西村君、よくやってくれた。これで少なくとも夏樹君は大いに白河派に近づいたことだろう。四方山はそう思ったのだ。
文芸部男性陣は、女性陣の泊まる部屋のとなりに部屋をとった。
男六人で和室の一部屋、ふとんを敷くと端から端まである。まさに雑魚寝である。しかし、どこか懐かしい感じもするのだ。
今、その部屋には西村と広瀬氏がいた。他のメンバーは各々、どこかへ出ているのである。豆電球だけがついたぼんやり薄暗い部屋で二人は横になっていたのだ。西村は頭の傷が痛むのか、うつぶせになって枕にひたいを押し当てている。一方、広瀬氏は頭の後ろで手を組んで、天井を見ていた。こんな状況下、さすがの西村もあまりの申し訳なさに気まずい思いをしていたのだ。
「ダンナ……」
西村は言い出した。
「あっしらに構わず、もう一部屋とってくだせえ」
「ん? どういう意味だよ?」
「いや……せっかくの週末なんです。ユイ先生と二人で過ごしたいんじゃねえかと……」
自分のやらかしを棚に上げて、こういうことを言うわけだ。
「ん~……」
広瀬氏は少し考えて言った。
「今ここにいるのは『ユイ先生』だからさ。そういうことはしたくないかな」
つまり『今、となりの部屋にいるのは教師としての春川結衣子であって、自分の恋人であるユイではない。自分の仕事を頑張っている彼女を、自分は応援したいと思っている』という意味なのだ。なんというナイスガイであろう。北峰の絶望はもはや揺ぎ無いものになってしまったと言ってよい。
西村はふとんを頭からかぶった。ひたいも頬もズキズキとうずいたが、西村の基準で言えば、そんなものは痛いというには程遠いのだ。
「あんまり泣かさないであげてくれよな」
広瀬氏のその言葉に、西村は大いに恐縮したのであった。
そのとなりの部屋では、春川先生と東堂が、窓辺の卓をはさんで向かい合っている籐椅子に腰掛けて、お茶を飲んでいた。冬原はいない。東堂から「この非日常な感じを利用しない手はないよ、緋奈。行っておいで。変だなんて思われないから。女の子にお散歩に誘われて来ない男とかいるの?」などとそそのかされてしまったのだ。そして今、当の東堂は涼しい顔で茶をしばいているわけである。その様子はまさに「あとは若い人たちで。オホホ」などと言いつつ庭への散歩をうながす仲人のオバチャンの風格を備えているといえるのだ。
「ねえ、先生」
東堂は言い出すわけである。
「私、今夜だと思うんですけど」
「えと……何が?」
「蒼太くんと緋奈ですよう。文芸部ってずっと二年くらい浮いた話が無かったんですから。こういうの、いいですよね」
年上の、しかも婚約者のいる女性を相手に、堂々とコイバナを振っていくその度胸たるや、おそるべきものである。
「あ~、テンションあがるう~」
ウキウキしている東堂である。ちょっと前まで想像することすら出来なかったその姿なのだ。
「……ねえ、東堂さんって、わたしと初めて会ったときから、だいぶ感じ変わったよね」
「そうですか? メガネやめてコンタクトにしただけなんですけど?」
「うん、そうなんだけど……」
しかし、どう考えてもそれだけではないように見えるのだ。
「東堂さん、聞いてもいい?」
「なんなりと」
「白河くんって……どんな人?」
「ん~……」
東堂は少し考えて、やがて意味深な笑みを浮かべた。
「もしかしたら、いろいろ鈍感なクズ男、かもしれないです☆」
これは遠まわしに、自分の乙女心に気付かなかった白河部長を非難しているのだ。およそ白河部長の無謬性を信じる四方山が聞いていたら、おそらくショックのあまり海に身を投げていたことであろう。




