第32話 「レクリエーションの本質」
四方山一行はついに、去年、白河部長とともに泊まった旅館へとたどり着いた。
しかし、そこに西村一行の姿は見当たらなかった。探そうにも、一部屋一部屋、首を突っ込んでまわるわけにもいかない。確実に変質者扱いされるであろう。それに加えて、個人情報の保護が叫ばれるこの時代、旅館の人に聞くわけにもいかないのだ。途方もなく綺麗な先生と、つんでれなツインテ女子高生と、かつて文学少女だったビッチが、ペットのデブったネコを連れて来ていませんか?などと聞けるはずもないのだ。
「よし、今日はここに泊まって、西村からの連絡を待とうじゃないか」
四方山は提案した。うれしいことに去年泊まった部屋が空いていたので、四方山は迷わずその部屋を申し込んだのだ。受付のおっちゃんは軽くキョドっている。およそ女一人と男四人の団体に見えているのであろう。しかし、実際には男が五人なのだ。決して怪しからん事態は起こり得ないのだ。
さて、四方山一行は客室へと通った。部屋は和室である。畳である。一同、どっかと腰を下ろして、くつろいだのだ。
「懐かしいな」
四方山はポツリとつぶやいた。去年、この部屋で人生について語り合ったときのことを思い出していたのだ。
北峰は窓際にあった椅子に腰掛けて、窓の外を見ている。南泉と夏樹は部屋に備え付けの簡易ポットでお茶を入れているのだ。
「なあ、聞いてもいいか?」
夏樹からお茶を受け取った広瀬氏が四方山に向かって言った。
「なんです?」
「レクリエーションってさ、何やるの?」
「そのう……」
四方山は考えた。あまりにも文芸部の内輪な感じを出すと引かれるかもしれないのだ。そこで四方山はわりと無難な説明をすることにした。
「実はレクリエーションはもう始まってまして。今、西村という部員が、春川先生と女子部員二名を誘拐したという設定でですね、やってるんです。後学のためといいますか……後の創作の糧にするために、ですね」
「西村くんって、あの、河原で会った……」
「そうです。あの『デブ』です」
四方山はあえて『デブ』という表現を採用した。まさに伝わりやすさ重視の選択である。
「そろそろヤツから身代金を要求する電話でもかかってくるでしょう。我々はヤツをとっちめるつもりです。まあ、見ててください」
四方山はポケットから携帯電話と取り出した。トゥルルルル。と、まさにそれを見計らったかのように、あの男から電話がかかってきたのだ。
「もしもし」
「夏樹くんに代わって」
四方山は軽く頷いて、夏樹に自分の携帯を手渡した。夏樹は何か操作して、それをテーブルの真ん中に置いた。
「西村センパイ?」
「夏樹くん」
西村の声が部屋に響いた。いわゆるスピーカーモードである。四方山は度肝を抜かれていた。自分のガラパゴスな携帯にこんな機能が付いているということを今の今まで知らなかったのだ。いや、『スピーカー』という文字を見たことはあったかもしれないが、気に留めたことはなかったのだ。
「夏樹くんは『闇の声』を聞いたことがあるかい?」
「闇の声?」
「そう。闇は声を持っている。人を闇へと誘うときに、その声は僕らを呼ぶ。呼び声に応えたらどうなる? 破滅だよ。自分自身も周りも不幸にしながら転落していく。『終わり』だ」
意味不明である。しかし、これは紛れも無い、四方山らにとっては去年も聞いたこの男の持論、信念なのだ。
「夏樹くん、この世界には残酷で理不尽な面もある。君はそれをちゃんと知っているのか? 君はちゃんと……それを知っているのか?」
男の声は次第に、狂気と紙一重の静かで熱狂的なものへと変わっていく。
「夏樹くん、この世界は無垢なままじゃ、生きていけないんだ。けがれを知らずには生きていけないんだ。いつも真っ直ぐに進んで行けるとは限らないんだ。この世界には悪意というものがある。誰かの不幸を見て笑える奴がいる。誰かを不幸にして笑ってる奴がいる。自分の自尊心を満足させるために他人をなぶってる奴がいる。どうするんだ? もし君の人生にこういう奴らが現れたら? 君はどうするんだ? 今のままでどうするんだ? 他人の悪意に引き摺り回されたら駄目なんだよ。自分の心を憎悪に喰わせちゃ駄目なんだ。けがれにまみれても、悪意に囲まれても、それでも真っ直ぐでありたいって願えなきゃ駄目なんだ。自分の心の闇と立ち向かえなきゃ駄目なんだよ。いつも自分自身でいるためには……そして大切なものを守るためには……そう、戦わなくちゃいけない」
男はここで言葉を切った。夏樹は真剣な表情で、四方山の携帯を見つめている。
「夏樹君、明日、決闘をしよう」
「決闘……?」
「助っ人は何人連れてきても構わない。僕は一人だ。僕と戦えるか? 僕は『君の憎悪』だ。戦わなければ大切なものは守れない。明日、明け六つ、宮入海岸で待つ」
ブツン。電話が切れた。室内に静寂が訪れた。相変わらずの支離滅裂ぶりである。四方山は呆れていた。なお余談であるが、一年を通じて四方山の携帯が鳴ることは稀である。それゆえ、料金プランという点について言えば、全くのノーガード、無防備である。この長電話が四方山のお小遣いにどのような影響を与えるのか、このときの四方山にはまだ知る由も無かったのだ。
「さて、諸君」
四方山が口火を切った。
「この男はこう言うが、何、構うことはない。囲んでブチのめし、春川先生、冬原、東堂を取り戻すのだ!」
四方山としては夏樹がどう思ったのか知りたかったが、広瀬氏の手前、そういうわけにもいかなかったのだ。
「……なんていうか、レクにしては口調が本気だったけど?」
ここで広瀬氏がごもっともな指摘をした。
「ええ。ヤツは演技もうまいんですよ……」
四方山はかろうじて言ったが、その言い訳はやや苦しかったのだ。
さて、露天風呂から上がった三人娘は布団に入っていた。春川先生と東堂で、冬原を挟むという布団の配置だ。これはいわゆる川の字というヤツである。それぞれの布団の裾がぴったりくっついているのはご愛嬌だ。そして暗い部屋の中に、かすかに海の音が聞こえてくるのだ。
「東堂さん」
ふいに春川先生がささやくように呼びかける。
「東堂さん、もう寝ちゃった……?」
「……起きてますよ」
冬原を挟んで反対側から、東堂の声がする。
「東堂さんは知ってるの? どうして西村くんがこういうことをするのか……」
春川先生はお風呂のときから、ずっとそのことを考えていたのだ。
「頭がおかしいから、ですよ」
「……東堂さん」
「……西村くんって、中学のころはいじめられっ子だったんですよ。そのときの経験から、ときどき、自分を憎悪という感情とか世の中の理不尽とかに見立てて、殴らせようとするんです。強くなれ、戦わなきゃ大切なものは守れないぞ、って」
これはあの男の心理を簡潔かつ明瞭に説明したものであるといえるだろう。
「つまり要するに、頭がおかしいんです。前の部長だった光太郎さんがなんとか人並みにしようとしてたんですけどね。外面はなんとかなったんですけど、内面はかえってもっとおかしくなっちゃいました」
「……そう、だったの」
春川先生は、やっとそれだけを言ったのだ。実はこのとき、冬原もまだ起きていた。そして頭越しに飛び交う年上二人の会話を聞いていたのだ。
「でも、ほっといていいと思いますよ」
東堂は明るい声で言い添えた。
「基本的には無害ですから」
東堂の観察力は本物である。あの男を頭の先からつま先まで、完璧に見切っているのだ。




