第3話 「夏樹蒼太と冬原緋奈」
さて、部活紹介の日がやってきた。部活紹介とは新入部員及び在校生を講堂に集め、そこで部活を紹介しようという企てである。それぞれの部活の代表者が講壇に立ち、自らが所属する部活の紹介をし、もって新入生の入部をうながそうというのだ。文芸部からは四方山信国が登壇した。
そのときの様子をありていに言うなら、まさに無残の一言に尽きる。
四方山はスピーチの原稿を完璧に暗記していたのだ。四方山は確信していた。自分の言葉は必ず新入生に届くと。しかし、他の部活が工夫をこらした派手なパフォーマンスを繰り広げ、それがどっかんどっかん受けているのを見て、急に不安になってそわそわした。そしてついに登壇し、聴衆を前にしたとき、四方山は冷や汗を流した。要するにアガってしまったのである。
他の部活のパフォーマンスに負けじと気負いこんで顔は真っ赤となり、暗記していたはずの原稿の内容は頭から消し飛んでいた。ついに四方山は尻ポケットから折りたたんだ原稿を取り出し、ガサガサと開く音をマイクに拾われながら、つっかえつっかえ、それを読み始める。冷や汗は原稿にしたたり、言いよどんでは失笑を買い、ごくりとつばをのむ音すらマイクに拾われ、最後の言葉をもしゃもしゃとつぶやいて、一礼して壇を下りたのだ。笑い声は拍手の音に勝り、まさに無残という他ない。
その反省会が放課後の部室で行われていた。いや、正確には体験入部の新入生たちを待っていたのであるが、誰も来ないのである。四方山はただ一人、お通夜の状態にあった。
「げほっ、げほっ」
西村はまだ笑いの残る顔で咳き込んでいる。会場でも散々笑っていたが、部室に入って四方山の顔を見たとたん、笑いがぶり返したのだ。笑いはエスカレートし、結局、部室の床を転げまくって大爆笑したのだ。四方山の不幸は蜜の味。西村とはそういった男である。
「ねえ! 新入部員が来るかどうか、賭けしない?」
西村は言動もエスカレートさせていく。
「四方山先輩、部員募集のポスター貼って地道に集めていくことだってできますから。そんなに落ち込まないでください」
すかさずフォローに入る南泉は、本当に良くできた後輩である。
「やっぱさ、スピーチは南泉くんにやってもらうべきだったよねェ。いや、せめて、ノブくんのとなりに立ってるだけでもよかったよね?」
西村は、太った意地の悪い猫のような笑顔を浮かべて言ったのだ。つまり、つまり驚くべき美青年である南泉が壇上にあれば、男だろうと女だろうと新入部員を獲得するのに極めて有利に働いただろうと言っているのだ。
「下らぬ」
四方山は独語した。そんなので入部されても困るのだ。白河派とはそんなものではないのだ。
窓際では、北峰がポケットに手を突っ込んで外の景色を眺めている。その姿は「おれには関係ないし、どうでもいい」とでも言っているかのようだ。
「はい」
東堂がコップに注いだジュースを四方山に勧めた。四方山はありがたく受け取って、ひとくち飲んだのだ。テーブルの上では、ところせましと並んだお菓子の山が哀愁を誘っている。このままでは歓待すべき人など一人も来ないかもしれないのだ。四方山はもうひとくちジュースを飲んだ。
そのときだ。そのときである。開け放した扉から、ひょっこり、こちらを覗き込んだ者がいる。
「こんにちはっ!」
その者は物怖じしたふうもなく、部室の中へと入ってきた。
「あの……入部希望なんですが!」
その容姿に、四方山は完全に度肝を抜かれていた。男子の制服を着ていなければ女子だと思ったろう。南泉を中性的というなら、こっちは完全に見た目女である。その真っ直ぐでキラキラした瞳はどうだろう。その笑みを形作ったぷるるんリップはどうだろう。それはとんでもない美少年だったのだ。しかし四方山も白河派の一人である。いつまでも度肝を抜かれたままでいるわけにもいかない。抜かれた度肝を再びセットアップしたのだ。
「そ、そうかね。まあ、こっちに来てかけたまえ」
「はいっ!」
美少年はすたすた歩いてきて、空いた席にすとんと腰掛けた。
「リンゴジュースとオレンジジュース、どっちがいいかね?」
「あ、はい! じゃあ、オレンジジュースを!」
にっこり。美少年は屈託なく笑うのだ。東堂が紙コップにオレンジジュースを注いで彼の前に置いた。
「ありがとうございます!」
美少年がジュースを飲んでいる間、四方山は気持ちを落ち着けていた。はっきり言って、四方山にそっち方面の趣味は無い。しかし、どうしても気を落ち着ける時間が必要だったのだ。
「……まずは自己紹介しておこう。俺が今、この文芸部で部長の肩書を名乗っている四方山信国という者だ」
「ボク、夏樹蒼太っていいます!」
なつきそうた。まるで「夏が来そうだ」と言っているかのような名前だ。しかしそれにしても驚きである。顔立ちは完全に女子なのだ。髪の毛がちょっと短めの女子に見えるのだ。髪にすっと手を当てる仕草など、本当に女子のようなのだ。かてて加えて、可愛らしく発音する「ボク」という一人称が全くすべっていないのだ。
「それでその……なにかね。やはり君も文芸を志して、この文芸部の門を叩いたわけなんだろう?」
「文芸を志す……? んーとですね……今日の、えと、部長さんの部活紹介のスピーチを聞いて、なんだか面白そうだなーって!」
四方山に対する嫌味であろうか? いや、そうではない。この邪気の無い笑顔を見よ。何がどうだかよく分からないが、あのスピーチを聞いて『なんだか面白そう』と思ったらしいのだ。
「そ、そうなのか……。まあ飲みたまえ、食べたまえ」
目の前のお菓子を勧めつつ、四方山は腕を組んだ。
「夏樹くん、歓迎するよ。オレは副部長の南泉千紘」
「は、はい……ありがとうございます……」
夏樹はどぎまぎした。南泉のイケメンぶりは、初対面の人間を男だろうと女だろうと、たいてい赤面させるのだ。
「僕は西村民男ね。てゆかさ、あのスピーチのどこがよかったの?」
「ええっと、あの……」
ここで夏樹はチラリと四方山を見た。
「一生懸命なところ……?」
「ふぅ~ん? なるほどねえ……」
西村は何をそんなニタニタ笑っているのだ。夏樹もそんなやつ相手にニコニコしてる必要は無いのだ。
北峰はといえば、ほおづえをついて、黙って夏樹を観察していた。しかし、その視線に気付いた夏樹ににっこりとされて、あわてて視線をそらしたのだ。
そんな光景を見ながら、四方山は思ったのである。いろいろとアレな感じではあるが、まぁよかろう。これから白河派の文士にふさわしい書き手に育てていけばよい。そういったことを思ったのだ。そしてその胸の内には、新入部員がやってきたことに対する大いなる安堵があったということも言っておかなければならないだろう。
しかし。しかし、である。話はこれで終わらなかったのだ。さりげなく席を立って廊下の様子を見に行った東堂が、そこで何かを見つけたかのように動かなくなったのだ。そして次の瞬間にはタッタッと走って部室から出て行ったのだ。東堂がこのような性急な動作をすることは極めて珍しいことである。
「ちょっと何!? 離してよ!!」
やがて戻ってきた東堂は一人の女子を連れていた。それは、ツインテールにした髪に、勝気そうな瞳が印象的な女子であったのだ。
「あ、あたし、空手初段なんだけど!!」
その女子生徒はこのように主張したのであるが、それがこの状況とどのように関係しているのであろう。
「ど、どうしたのかね、東堂君……」
四方山は聞いた。しかし東堂がそれに答える前に夏樹が声を上げたのだ。
「緋奈!」
席を立って、少女へと駆け寄る。
「緋奈も文芸部に入るの!?」
「ち、ちがうし! このオバサンに勝手に連れてこられただけ!」
「夏樹君、君の知り合いなのかね?」
「はい! ボクの幼馴染みなんです! 家もとなり同士で!」
その当の幼馴染み女史は文芸部の面々をじろろっとにらみまわしていたのだ。それはちょうど、捕獲された野生動物が猟師どもをにらみまわすのに似ている。しかし細腕の東堂が両肩に軽く手を乗せているだけなのに逃げ出そうとしないのはどういうわけだ。空手初段の話はどこに行ったのだ。
「緋奈ちゃんっていうのかあ」
西村が妙になれなれしい口調で話しかけるわけである。
「名字はなんていうのかな?」
「は? 冬原だけど?」
「冬原緋奈ちゃんか~。ふぅ~ん……ウヒヒ」
西村は有頂天になっている。「カワイイ子が二人も!」などと思っているに違いない。揉み手までしている。しかもこういう状況にあるところへ、春川先生もひょっこり顔を見せたのだ。
「あら!」
春川先生はぱっと嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「新入部員の子? 二人も!」
「だから違うって言ってるでしょ……」
冬原のささやかな抗議はきれいに無視された。
「ねっ! みんなで楽しい思い出、作りましょうね!」
春川先生の笑顔があった。
「はーい!」
元気よく手を上げる夏樹の姿があった。
「……」
夏樹のとなりには冬原がいて、ムスッとしつつも頬を赤く染めている。さらにその冬原の後ろには、冬原の両肩に手を乗せる無表情の東堂がいたのだ。
四方山は正体不明の胸騒ぎを覚えた。
「あの!」
夏樹が四方山たちを振り返った。
「これから、よろしくおねがいしますっ!!」
夏樹はそう言って、かわいらしくペコリとお辞儀をしたのだ。そして顔を上げて、にっこり笑ったのだ。冬原はそんな夏樹のとなりでぷいっと横を向き、春川先生はさわやかな春の日の木漏れ日のような微笑みを浮かべている。そして東堂の表情はどうしたって読めないのだ。
それは奇妙な構図であった。彼らは部室の入り口の辺りにいた。しかし、それにもかかわらず、まるで部室の中心にいるかのようなのだ。そして、そんな彼らの周辺に四方山、西村、南泉、北峰がいるかのようなのだ。そしてさらに言えば、それは対峙の構図のようにも見えるのだ。
そう、このときだ。このときである。このときこの瞬間、白河派の終わりは始まったのだ。