第20話 「夕焼けの世界」
四方山は「中間考査が終わったら、すぐに動く」などと言っていたが、四方山以外の部員は文芸部以外にもいろいろと付き合いがあるのである。
西村はヲタな友人と『テスト勉強を頑張ったごほうび』などと称して、いわゆるそういった店を物色しにまわるのである。また、四方山と同じくプライベートでぼっち疑惑のある北峰ではあるが、北峰は白河部長から運動の大切さを説かれており、週二回、ボクシングジムに通っている。そしてテスト期間が終われば、そのあいだ休んでいた分を取り戻すため、さっそくジムに出かけていくのだ。東堂、南泉、夏樹、冬原に至っては言うまでもない。「テストおつかれさまでした~」などという何の変哲もないセリフを言うために、クラスメイトたちとわざわざカラオケ店などに繰り出していくのである。
というわけで、ヒマなのは四方山くらいのものであり、文芸部は実質、開店休業状態となったのだ。そして春川先生に何のアプローチもできないまま、ある日の放課後を迎えたのである。
四方山が部室に着いたとき、どことなく唐揚げのにおいがしたのだ。西村しかいない。そう思って見てみれば、西村がまさに唐揚げ弁当を喰っていたのだ。
「西村君、何をしてる?」
「いやあ、購買部行ったらさァ、賞味期限が切れそうな唐揚げ弁当が僕に語りかけてきたんだよ。おれァ何のために死んだんだー、ってね。不憫でねェ。だから買った。そして喰ってる。後悔はしてない」
「ああ、そうかい……」
要するに己のデブも省みず、飲食する理由をこじつけているのだ。それだけのことである。
「いつか、さ。このニワトリたちの魂が、僕たちにインスピレイションをくれるかもしれないね」
寝惚けたことを言う西村を放置して、四方山は部室を見回した。冬原はテーブルで宿題をしている。まるで家に宿題を持ち帰らないと決めているかのごとくだ。東堂はそんな冬原の宿題を見ながら、自分も勉強している。受験勉強というやつである。南泉と夏樹はやはりテーブルに並んで座って、仲良く読書だ。北峰も窓際の席で読書をしている。うむ、少しずつ秩序というものが出来上がりつつある。四方山はそう思ったのだ。
四方山は、どっかりと自席に腰掛けた。
冬原は問題を考えているらしい。つまんだペンを異様にテンポの速いメトロノームのように振っている。
「あっ」
それが、ポウン! 冬原の指を離れ、放物線を描いて北峰の足元に落ちたのだ。北峰が冬原のペンを拾う。
「ん」
冬原のところまで歩いて行ってペンを渡すと、北峰は何事もなかったかのように、ふたたび窓際の席に戻って読書をはじめたのだ。北峰はそういう不器用な男である。
「あ、ありがとうございます」
時間差で冬原が礼を言った。四方山や西村相手には強く出れる冬原であるのに、なぜか北峰のことはどうにも怖がっているようなのだ。
「緋奈、北峰センパイは怖くないんだよ」
にこにこしながら小声で言う夏樹である。気を使って言ったつもりなのかもしれない。しかし、部室がこうも静かであれば、丸聞こえなのだ。まさに天然の夏樹蒼太である。
すなわち、今日も今日とて、部室にはまったりした空気が流れるのだ。まあ、仕方がない。六月になれば忙しくなるのだ。それまでのんびりするのも悪くなかろう。それにしても、今日は春川先生はおいでにならないのか? 四方山がそんなことを考えていたとき、部室の扉がガラガラと開いた。四方山がその方を見ると、そこに立っていたのは春川先生ではなかった。そこに立っていたのは前顧問のアゴヒゲ先生だったのだ。
「おう、お前たち。久しぶりだな」
その声を聞いた瞬間、北峰の瞳は暗く沈み、ただでさえ乏しい表情が完全に掻き消えた。つまり顔が死んだのだ。
「お前らは気楽でいいなぁ」
弁当を食べている西村を見ながらアゴヒゲ先生は感想を漏らしたのだ。西村はニヤリとし、箸を上げ挨拶してみせる。
「おっ」
そしてアゴヒゲ先生は気付いたのだ。夏樹と冬原の存在に。
「なに? 新入生?」
「あ、はいっ! ボク、夏樹蒼太っていいます!」
夏樹が手を上げて、元気よく答えた。
「へえ、よく入ろうと思ったなぁ。もう白河は卒業したのに」
イラッ。四方山はイラッとした。たしかに四方山は白河部長にはるか劣る存在である。しかし、アゴヒゲ先生に言われるのは我慢ならないのだ。
「なんで入ろうと思った?」
「え? ええっと、四方山センパイの、あの、部活説明会のときのお話が、すごくいいなって思って……」
「まあ、たしかに、すごくスベってはいたな」
ムカッ。四方山はムカッとした。たしかにスベってはいた。しかし、あえてそんなこと指摘する必要はないはずなのだ。
「いいえ、とっても一生懸命で、ステキでした!」
そう言って夏樹はにっこりと笑った。夏樹の純粋な心には皮肉が通用しないのだ。四方山は感動した。おお、夏樹君、なんという……ええ子や、ホンマええ子や……。標準語から関西弁に移行しつつ感動したのだ。鼻がツーンとしたが、どうにか感涙をこらえたのだ。
夏樹をイジるのをあきらめたアゴヒゲ先生は、冬原の方を見た。冬原はビクリとする。
「あ、あたしは無理やり……」
冬原の語尾がフェイドアウトする。四方山や西村には強く出れる冬原であるが、人見知りで臆病なところもあるのだ。
「私がムリヤリ引きずりこんじゃいました~」
東堂がガッツリと冬原を抱きしめながら言った。まさに百合営業である。そしてアゴヒゲ先生は東堂のあまりの変わりように絶句したのだ。
「伊藤先生、今日はどうされたのですか?」
南泉がにこやかに問いかけた。
「あ、ああ。前顧問として、ちょっと様子を見に来た。ま、元気そうでなによりだ」
衝撃から立ち直りつつ言うのである。
「はい、おかげさまで」
「春川先生とはうまくやってるか」
「もちろんです」
南泉はアゴヒゲ先生と仲良さげに話している。にこやかな社交辞令の応酬。その価値を若人は低く見がちである。しかし、これはいわゆる一つの社会における潤滑油なのだ。そして南泉はすでにその価値を知っているのだ。
「南泉、お前が部長なんだっけ?」
「あ、いいえ、あの……」
南泉が四方山を見た。
「俺です」
四方山は憤然と言った。部活説明会のときスピーチをしたのは四方山である。だれが部長なのか、それで分かりそうなものだ。要するにアゴヒゲは四方山をイジったのだ。
「お前か、ずいぶん格落ちしたな」
「……」
たしかに、四方山は白河部長より数段落ちる。南泉と比べても見劣りする。しかし、このヒゲ野郎にだけは言われたくないのだ。このままだと血の雨が降る。四方山がそれを覚悟したとき、春川先生がやってきた。
「あら、伊藤先生」
「お、春川先生。ちょっと古巣の様子を見に来てみました」
「そうだったんですか~」
今日の春川先生も大変優雅だ。一方のアゴヒゲ先生はどうだろう。ヘコヘコして頭の後ろをガリガリと掻かんばかりなのだ。四方山は既婚の中年男性が独身の女性に対しこういう態度を取ることを好まなかった。どうして紳士でいられないのだ。四方山はそう思ったのだ。
結局、何をしに来たのか分からないうちに、アゴヒゲ先生はマンガ研究部へと帰っていった。
「春川先生は、アゴ……伊藤先生との絡みがあるのですか?」
四方山はげんなりしつつ聞いた。
「ええ、いろいろ教えてもらってるの。とっても良い先生よ」
「なるほど……」
春川先生の邪気のない笑顔を見て、四方山は思ったのだ。だまされてやしないか、と。
そのとき、ずっと静かにしていた北峰が本を閉じて席を立った。そして、誰の方も見ようとせずに、ふいっと部室から出て行ったのだ。見送る文芸部一同である。
「どうしたのかな? わたし、なにか変なこと言っちゃった?」
春川先生が心配そうに言う。四方山は北峰の心中を察し、説明しようと試みた。
「いや、春川先生は全く悪くありません。実は……」
重々しく四方山は切り出したのだ。
「北峰と伊藤先生との間には、浅からぬ因縁というものがありまして……」
「大した理由なんてないですよ」
東堂が割り込んできた。
「北峰くんって伊藤先生が苦手で、春川先生が伊藤先生のこと褒めたから、スネちゃったんですよ」
東堂がズバリと言った。なんと単純明快な説明であろう。苦悩も何もあったもんじゃないのだ。
「そうなの?」
「そうなんです」
東堂は断言した。そして一同に提案するのだ。
「そうだ。河原でバドミントンしない? たぶん北峰くんも河原に行ったと思うし!」
東堂秘書室長は何でもお見通しなのだ。
「さんせー!」
そして、その声に応じて皆が動く。もはや四方山以上の発言力を持つ東堂なのだ。それは一つの現実なのである。
初夏の風が吹くころになれば、多くの生徒たちは新しい人間関係の中に居心地のよさを感じ始めるのだ。空がようやく夕暮れの色に染まり始めた時分、放課後の校内にはまだ多くの生徒が残っている。ベンチに座って雑談をしている者もいれば、グラウンドの方から運動部の掛け声が聞こえてきたりする。そんな中を文芸部員たちは大吟醸川の方へと歩いてゆく。四方山はなんだかんだで軌道に乗っかりつつある文芸部にほっと胸をなでおろしたのだ。
北峰は案の定、大吟醸川にいた。土手から河原へと降りる階段に座って、ぼんやりと川の方を見ていたのだ。よく白河部長と一緒に散歩したこの場所は、ある意味、白河派の聖地なのである。
「北峰くん、バドミントンするよ~」
東堂が適当な感じで北峰に声をかけるのである。
「いや……おれはここで見てます」
「そう?」
春川先生が心配そうな視線を北峰に送るが、北峰は気付かないフリをするのだ。
「輪になってラリーでまわそうよ」
てきぱきと指示を出していく東堂はまるで部長のようである。『遊びにも段取りは大切』というのを実践しているのだ。
さっそくバドミントンをはじめた一同を眺めやりつつ、四方山は北峰の隣に腰掛けた。そして、しばし沈黙ののち、四方山は切り出したのだ。
「北峰君。春川先生が気にしていたぞ。自分が何か君の気に触るようなことをしてしまったんじゃないか、とな。こちらでフォローしておいたが、なるべく誤解を受けるような言動は慎むといいだろう」
四方山はさりげなく、北峰に訓戒した。
「それにしても、どうにも伊藤先生にはお変わりなくて、どうしようもないな。俺たちはいつだって『道』を説いてほしいのだ。煽るのではなく」
四方山は苦言を呈した。北峰は何も言わなかったが、四方山はそこに肯定の意志を見てとったのだ。
「なあに、今となっては俺たちの顧問は春川先生だ。今に伊藤先生も春川先生の立場を尊重するようになるだろう」
なんとも楽観的な展望を語るのだ。そんな話をしているところへ、西村がひたいの汗をふきふきやってきた。もうバテたようなのだ。どうしようもないヤツである。
「どうした西村君。もっとやってきてもいいんだぞ?」
「いやあ、ちょっとまぶしすぎるよ。あのキャッキャとした青春の光景はさ」
なんとも言い訳だけはうまいのである。しかし、四方山はそれ以上突っ込まない。自分とて同じ理由で避難していたからだ。
西村は北峰をはさんで四方山の反対側に座った。そしてそのまま三人は、はしゃぐ文芸部の部員達を眺めていたのだ。
「ふう……」
西村がため息を吐いた。その気持ちは四方山にも分かったのだ。
そのとき、彼らから歓声が上がった。冬原が打ち損じた羽根を、春川先生が見事にフォローしたのだ。その弾ける笑顔たちよ。
「実に、春川先生は良い先生だな」
四方山は言った。なんのてらいもなく、素直に自分の心にあるものを口にしたのだ。
「ほんとだね」
西村が同意した。
「いったい今まで、どんな人生を送ってきたんだろ? 僕たちとは全然違う。光に愛されてる」
光に愛されている。たしかに言いえて妙である。この世界にはたしかにそういう人たちがいるのだ。春川先生もまたその一人である。四方山はそう思ったのだ。
一方、北峰は何も言わない。ただ、その銀縁メガネは夕焼けの色に染まり、レンズの部分にはまるで影絵のような部員たちの姿が映っていたのだ。




