第13話 「二つの想い」
その日の夜、夏樹の部屋である。
夏樹は机に向かってマンガを読んでいたのだ。未だに活字よりマンガの方に読みやすさを感じている夏樹なのである。そこへトントンと軽やかに階段を上ってくる音がするわけだ。
「蒼太? 入るわよ?」
「あ、うん」
果たして入ってきたのは冬原である。例の『手をぎゅっと』事件以来、たびたび夏樹の部屋を訪ねるようになったのだ。お互いの部屋を訪ねる習慣は、二人が中学校に上がった際に一度、途絶えていたのである。それが再開したのだ。
「東堂センパイと街に行ってたんでしょ?」
「うん」
言いながら冬原は夏樹に歩み寄る。
「これ、買ってみたんだけど」
それは冬原の首にかけられた銀細工のネックレスであった。『何か言うことがあるでしょ?』と言わんばかりに見せつけてくる冬原である。夏樹はそこらへんをちゃんとわかっているのだ。
「うん。かわいいよ」
にっこり笑って言う夏樹。そこに、ばしっと冬原の手刀が飛んでくるのである。
「いたっ!」
「あっそ」
なぜ冬原は夏樹を叩いたのだ。理不尽である。
「あーあ」
意味もなくため息を吐きながら、冬原は夏樹のベッドにばふんと仰向けに寝転がった。一方、夏樹は我知らず、冬原の小ぶりながら形のよいふくらみに目を奪われるわけである。
「ん?」
冬原に顔を向けられ、あわてて視線をそらす夏樹である。仕方がないのだ。これは男の悲しい性というものなのだ。
「あ、そうだ。宿題見せてよ。向こうでやったんでしょ?」
冬原は夏樹の返事を待たずに、勝手知ったる夏樹のカバンをかき回し始める。そしてなぜかビクリとして固まるのだ。
「……緋奈? どうしたの?」
不思議に思った夏樹が聞くと、冬原は赤くなった顔で夏樹をじろりとにらんだ。そして、ススス……っと夏樹のカバンからエロ本をつまみあげたのである。
「これ、なあに?」
「え、ち、ちがうよ……」
何が何だか分からず、あわてはじめる夏樹である。
「なにが違うの?」
「え、でも、ボク、こんなの知らな……」
夏樹のあわてっぷりを見て、冬原は察したのだ。
数学ができないという理由で冬原をお馬鹿さんと断じるのは誤りである。冬原緋奈は決してお馬鹿さんではないのだ。乙女のカンが冴え渡っているのだ。夏樹の反応からして夏樹ではないと確信し、同時に文芸部でこんなことをやりそうなのは誰なのか推理したのだ。途端に謎は全て解けた。
「あのデブ猫……」
大正解だ。西村があのY談の最中に仕込んだのだ。『これで男になってほしい』などという願いとともに仕込んだのだ。本当にバカな男である。
「蒼太もこういうのに興味あるの?」
「え、いや、ないよ、ボク、そんなの……」
恥じらいながら答える夏樹である。そうだ、そう簡単に女の色香に屈してはならぬ。なぜなら学生の本分とは勉学に励むことだからである。
「ふぅん……」
冬原はとたんに不機嫌になって、また夏樹のベッドにドタンと寝転がったのだ。どうして不機嫌になったのか、夏樹にはその理由がわからなかったのだ。
夏樹の部屋でこのような事態が進行していたころ、南泉は自室の机の前で物思いにふけっていた。学校裏サイトで好奇の視線の対象となっていた夏樹。それはかつての自分を見るようで、心が痛かったのである。
この世界には超絶イケメンに対する誤解が存在する。イケメンは勉強が出来て、スポーツも出来て、そして物事に対していちいち動揺したりせず超然としている。そういう誤解である。これはまったくの、とんだ誤解なのだ。当たり前である。顔面の造作が黄金比に近いという理由でノーベル賞をとったり、オリンピックに出たり、悟りを開いたりした人はいないのだ。
たしかに南泉は勉強ができる。しかし、それは毎日こつこつ勉強しているからである。たしかに南泉はスポーツも一通りこなせる。しかし、それは普段から運動する習慣をつけているからである。たしかに南泉の物腰は落ち着いている。しかし、それは涙の夜をいくつも越えて身につけたものなのだ。
この世界はたしかにイケメンに対して夢を見すぎている。
幼稚園に入るころには、すでに周りをざわつかせずにはいなかった南泉のイケメンっぷりは小学校を経て中学校に入るころには、もはやとんでもないことになっていた。とにかくカッコイイのだ。有無を言わせずカッコイイのだ。それは貴公子のようでもあり、男装の麗人のようでもあったのだ。
しかし強い光は同時に大きな影を作る。ある日、南泉少年は同級生の太郎君(仮名)にさんざん絡まれた挙句、こう言われたのだ。
「お前だって、齢をとったら汚いジジイになるんだぞ。そうなったら、みんなお前から離れていくな……!!」
こう言い放った太郎君(仮名)の心中には、自分の好きな子も南泉に夢中という事実からくる鬱屈があったに違いない。しかし、この言葉は南泉を傷つけたのだ。大いにざっくりいったのだ。南泉がどんなにイケメンであっても、中身はただの中学生なのだ。太郎君(仮名)と同じ中学生なのだ。周囲から過剰な関心を持たれていることに対する戸惑い。そして、加齢によって顔面の造作が変われば、その関心が悪い方向へ変わるという指摘に対する戸惑い。この二つの戸惑いの中で、南泉少年は自分でも知らないうちに自分探しの旅を始めることになったのである。
そして南泉はたどり着いた。川がいつか海へとたどり着くように、南泉は白河光太郎という大器の御方と出会ったのだ。そして今、南泉は思うのである。
(もし夏樹に何かあったら……そのときは夏樹の力になってあげたい。でも、オレに出来ることってなんだろう……?)
南泉千紘とは、まさに心までイケメンな男なのだ。
それはそれとしつつ、部屋の外の廊下からドタドタと足音が近づいてきた。
「アニキィ!!」
どたあん、とドアを開けて入ってきたのは、南泉の生意気な、しかし愛すべき妹、南泉柚葉、小学六年生である。
「よー、そこのイケメン! 宿題やって!!」
後ろで結んだ髪、すなわちポニーテールが、まさに子馬の尻尾のように元気よく揺れているのである。
「今のうちに勉強する癖をつけとかないと、あとで大変だぞ?」
「え~? アタシとしてはアニキの部屋にエロ本ないのが、よっぽど大変なんだけど~」
それは要するに、南泉に他人の情事を鑑賞する趣味がないということなのだ。そして、それは大変よいことなのである。それはそれとして、なんだかんだでユズハ嬢の勉強を見始める南泉である。全く『いいお兄ちゃん』なのだ。
「ねえアニキィ~、彼女作らないの~? もういい加減作ろうよ~。アタシが楽しくないじゃ~ん」
勉強を見てもらいつつも、積極的に雑談を振っていくユズハ嬢である。
「ま、そのうちな」
南泉はあいまいに答えた。なぜ南泉は彼女を作らないのか、それは此ノ川高校七不思議の一つであった。一時期、「片想いをした相手がいて、その人のことが忘れられないからではないか」というウワサが流れたことがあったが、真偽は不明のまま、真相は闇に消えたのだ。




