雨水に 解くと誓うは 竜の呪い
エーテル歴884年4月23日。
昨日は何とか眠りにつくことができた。
今日は朝から、また雨だ。
「さて……スカイフォールで何があったのか聞かせてもらおうかい」
まじない師の老婆が、ベッドの横にある椅子に腰掛け、私にそう尋ねた。
私は、あの日の出来事……特に霧の濃くなった辺りからの事を覚えている限りで詳しく、老婆に伝えた。
「__ということなんです。」
私が話し終えると、老婆は体の正面で杖を持っている両手の甲に額をつき、ため息をついた。
「なるほどのう……」
何かお察しの様子だ。
「いや、でもまさかそんな事が……ヨヨの出身でもない、よそ者の観光客なのに……」
深く考え込んでいる。私には何について考えているのか、話が見えてこない。
「わ、私は大丈夫なんでしょうか。この痣は……」
声をかけると、老婆は顔を上げて答えた。
「残念だが、今のワシには治す術はない。前例もない奇病だしのう」
そう言いながら、ゆっくり首を振る。老婆の話は続く。
「お前さんが最初に迷い込んだスカイフォール……そこは恐らく神聖域じゃ」
「神聖域……?」
「人間界とは別の、いわゆる平行世界……神々の住む領域といった感じかの。
そこには普通、人間が立ち入ることは出来ん。
スカイフォールの神聖域は村の伝承でさえ、英雄ヨヨの伝説以外で出て来たことのない場所じゃ。」
老婆は一度口を止め、テーブルに置いてある紅茶を一口飲む。
「そうなんですか……」
「伝説は伝説だとばかり思うとったが、あまりにもお前さんの話した特徴と一致しとる。
あくまで推察の域を出んが、神聖域に立ち入ってしまったと見て間違いなかろう」
「なぜ私は、その神聖域に入ってしまったのでしょう」
「さあのう。本来なら神聖域を目指すとか、スカイフォールの秘密を探ろうとする輩は皆、人間界と神聖域の間にある魔境界に入ってしまうんじゃ」
「魔境界なんてのもあるんですね」
「なんじゃ、最近の若いのは無知じゃのう。
魔境界があるからこそ、人間界と神聖域は断絶され、簡単には神聖域に入ることはおろか、存在を認識することさえ困難なのじゃ」
「へ、へえ……」
「魔境界はとんでもないエーテルのエネルギーに満ちとってのう。
人間が踏み込むと膨大なエーテルの圧力に耐えきれず、全身黒焦げになって人間界に跳ね返される。
これが、多くの学者が解明に取り組んでもスカイフォールの謎が謎のままである理由じゃ……」
また老婆が紅茶を飲む。
「お前さんだってエーテルエネルギーから魔法を使うじゃろ?
そのエーテルも元を辿れば全て魔境界から流れてきとるものなんじゃよ……ゴホッゴホッ」
紅茶を飲みながら話していたからか、突然老婆がむせる。
それとほぼ同時に部屋の扉が開き、少年が一人入ってくる。ロロだ。
「で、結局キノのこの痣は何なんだよお婆ちゃん。全然話が見えてこねえよ!」
ロロが問い掛ける。
「前例が無いから分からんと言うとるじゃろ! それに盗み聞きとは行儀が悪い!」
老婆がまた杖でロロをはたく。
「まあ……もし訪れた場所が伝承にある神聖域と同じなら、英雄ヨヨが患ったのと同じ竜の呪いかも知れん可能性はあるな」
「何だよ……心当たりあんじゃん……あいたっ!」
ロロが先程よりも強い力ではたかれる。
「ただの伝承で、実際見たこと無いんじゃ! 分からんじゃろ」
竜の呪い……?
「『呪い』……ですか……」
私はポツリと呟いた。
「もしかしたら……あの人なら何とか出来るかも……!」
「なんじゃ? 呪いに精通した知り合いでも思い出したか?」
「はい! 首都セントランドに行ってその人に会えば、何とかなるかもしれません」
老婆はなるほど、と唸る。
「だが、身動き一つ取れんのにどうやって会いにいく?」
「婆ちゃんの魔法でセントランドまで送ってやれば?」
ロロがあっけらかんと提案する。
きっと昨日に見た、雲に包まれて空間を移動する魔法のことだろう。
「無茶言うな。広いセントランドのどこに其奴がおるのかも分からんのじゃ。
セントランドに送り届けたとて、会えるまい」
老婆がやれやれ、といった様子で答える。
しかし、ロロはにかっと笑って反論する。
「それなら、俺の作ったこの薬の出番だな!」
後ろの棚から何やら一つの瓶を取り出した。
「痛みも疲れも何のその! 少しの間なら、無理矢理にでも体を動かすことのできる特製秘薬さ!」
自信満々に瓶を掲げるロロ。
老婆は何やら怒っている様子で震えている。
「バカもん! 体が動かんのは、無理に動かすと危険だというサインじゃ! そんなもの使って下手に動いて、呪いがより深刻な状態になったらどうする!」
老婆が勢いよく怒鳴る。
ロロもムッとした表情を浮かべる。
「でも、このままここで寝てても何も良くならないじゃん! それなら少しくらいリスクを侵してでも____」
「いいや、ダメじゃ!___」
「___!」
「__」
二人の口論は平行線のまま、しばらく続いた。
そして最後は……
「「で、キノはどうしたい!?」」
決断は私自身の判断に委ねられた。
だが、自分で決められるのなら、答えはもう決まっていた。
「お婆さん、心配してくれてありがとうございます。でも、ごめんなさい。私は、セントランドに戻ってこの呪いを解いてもらえるかもしれない可能性の方に賭けたい! だからロロ君、薬を渡してもらえるかな」
私の答えた言葉で口論は止み、外に降る雨の音だけがやけに大きく聞こえた。
決断の時を振り返って一句
雨水に 解くと誓うは 竜の呪い