邪竜側に寝返った勇者
「……まさか、ろくに傷も負わせられないなんて……。どうしたら良いんだ!」
俺は満身創痍になりながら叫んだ。周りを見ると仲間達が俺と同じようにボロボロになりながら戦っている。そして目の前には──戦っている相手である──漆黒の鱗を持つ竜がいる。竜は戦い始めてからほとんど動いていない。こちらが攻撃した際に反撃やカウンターをするだけだ。それにもかかわらず竜はほぼ無傷であり、俺達はこの様である。
圧倒的な力の差があるのに自分から動かない竜に遊ばれているように感じて腹立たしく感じる。降参して逃げてしまいたいが、こちらにも引くに引けない事情がある。
※ ※ ※ ※
俺は今でこそ勇者として邪竜──漆黒の竜──と対峙しているが、元々はごく普通の人だった。……別の世界の出身であることを除けば。
向こうの世界、地球にいた頃は俺は学生だった。ある日突然こちらの世界に呼び出され、勇者として邪竜を討伐してほしい、成功すれば元の世界に帰す、と頼まれた。空想の世界ではよくある展開なので舞い上がってしまい安請け合いしたのが間違いだった。確かに向こうにいた頃より俺は強くなってはいたが、こちらの鍛えた人と同程度であり、いわゆるチートと呼ばれるものはなかった。ここまで来られたのは必死に努力した結果と、心強い仲間達がいてくれたからである。
俺は勇者らしく剣を使う前衛となり、もう一人剣使いがいて、後衛に弓使い、回復もできる魔術師、攻撃特化の魔術師、の五人でパーティを組んだ。バランスのとれた編成ということもあり、苦戦はしても負けることはなかった。街の人々から負けなし勇者だと称えられ敬われ、調子に乗ってしまったのかもしれない。
今、勇者として一番負けてはならない場面で負けようとしているのだから。
※ ※ ※ ※
こうなってしまった以上、邪竜はのこのこと逃がしてはくれないだろうし、逃げたところで人々からの非難は免れない。不本意だが、俺が囮になって皆を逃がすしかないだろう。邪竜に玉砕した、とすれば勇者としての面子は保たれる。まだ死にたくはないがどうしようもない。俺は覚悟を決めて叫んだ。
「これ以上は持たない、俺が責任を取って戦うから皆は逃げてくれ!」
仲間達は一瞬戸惑ったようだが、お互いに顔を見合わせると、渋々頷いた。そして各々が最大限の攻撃を邪竜に当てるとゆっくりと後退し始めた。
その様子を視界の端で確認すると、俺は邪竜に向かって突っ込んだ。仲間達が完全に離脱するまでは気が抜けない。邪竜は仲間達に攻撃することなく、俺だけを見ているようだ。相変わらず邪竜から攻撃はしないが、少しでも注意を引くべく俺は動き回った。
やがて仲間達が充分離れてこちらに背を向けたのを確認する。後は俺がこの状況をどうにかするだけだ。覚悟を決めて突撃しようとすると、仲間の──聞き取りにくいが恐らく魔術師の──呟きが聞こえた。
「……チッ、今回の勇者なら倒せそうだと思ったけどやっぱりダメか。まあ、どの勇者も私達を逃がしてくれるし、勇者なんてまた召喚すれば良いんだけど」
その言葉が聞こえた瞬間俺は固まった。邪竜はその一瞬を待っていたかのように動いた。次の瞬間、俺は邪竜の前脚の爪に脇腹を貫かれていた。
……あまりの痛みに視界が霞む。動こうにも体に力が入らない。ここまでだと思い、俺は次の一撃を待った。
ところがいつまで経っても攻撃する気配がない、生殺しのままにする気か、と邪竜を睨み付けると、頭の中に声が響いた。
『流石に攻撃する気が失せたか。……貴様も聞いたであろう、もはや貴様に味方はいない』
邪竜が発しているであろう声に反論することもできず、俺は静かにうなだれた。邪竜はさらに話を続ける。
『だが安心するが良い。我は貴様の味方だ。貴様を害するつもりはない。……先程の攻撃は貴様を止めるために、仕方なくだ』
「これから俺を、どうするつもりだ……」
『好きにするが良い。内容によっては貴様を回復してやろう』
「今までの勇者にも、そうやってきたのか……?」
『ああ。死を望む者、新天地への移動を望む者、色々いたがな』
「俺を騙そうとしたって……」
無駄だぞ、と続けようとしたが、口が動かない。急速に意識が遠のいていく。思っていた以上に血を失っていたようだ。こんな世界に呼ばれないで平和に暮らしたかったな、と思いつつ、俺は二度と戻らないであろう意識を手放した。
……気がつくと、俺は洞窟の中にいた。もしかして助かったのだろうか。自分の体を見回すと、傷だらけどころか風穴を開けられたはずなのにすべて治っていた。夢かと思ったが、身に付けているままのボロボロの鎧が現実だと示している。
命の恩人にお礼を言いたいが、今この場には俺しかいないようなので、恩人が誰なのか、どこにいるのか分からない。辺りを探してみるが、今いる周辺に光が差している以外真っ暗なので何も手がかりがない。
一度は助かったもののまた命の危機にさらされているのか、と落ち込むと奥の方から物音が聞こえた。だんだんこちらに近づいてくる。やがて大きな影が現れる。それが邪竜であると分かった瞬間、情けないことに再び意識を手放した。
目覚めると、目の前に邪竜がいた。俺は慌てて攻撃しようとするが、剣が腰にないことに気付き余計に焦って頭が真っ白になった。するとまた邪竜の声が聞こえてきた。
『暴れるでない。我は味方だと言ったであろう。貴様を回復させたのも我だ。勝手に死なれては困る』
確かに瀕死状態から完全回復させるのは人間にはほぼ不可能だが、それだけで邪竜を信用する訳にはいかない。しかし、話は通じるようなので一つの疑問を口にした。
「何故俺だけに話しかけるんだ?」
『貴様のような勇者以外は皆我を害そうとするからな。勇者はただの巻き込まれた被害者だ。そもそも我は邪竜などではない』
「じゃあ街が滅ぼされているのは何故なんだ! 邪竜が暴れているからじゃないのか!」
『街が滅ぼされるのを実際に見たのか? 我がその場にいたか? 貴様を召喚した奴等の言葉を鵜呑みにしているだけではないのか?』
滅んだ後の街の残骸なら見たことはあるが、その原因を直接見たことはない。邪竜の言葉が正しいように思えるが、俺を騙そうとしているかもしれない。色々な思惑があって訳が分からない。……しばらく考えた後、決心したことを邪竜に伝えた。
「時間が欲しい。俺は何を信じれば良いか分からなくなった。一旦周りから離れて様子を見たい。それでも邪竜だと思ったらお前を倒しに来る。邪竜ではないと思ったら……、どうするかは分からない。俺は好きにして良いんだったな?」
『それが答えか。良いだろう。好きにすると良い。洞窟の外までは案内する。ついて来い』
邪竜は俺に背を向けて移動し始めた。俺は罠かもしれないと思ったが、この場にいても出口は分からないので、おとなしく邪竜についていった。
しばらく歩いた後、無事に外に出ることができた。そこは俺達が邪竜と戦っていた場所だった。どうやら巣の目の前で俺が倒れ、邪竜が巣に運んだようだ。俺がお礼を言うと、邪竜は礼など要らぬ、と言って洞窟に戻っていった。
※ ※ ※ ※
それから俺は半年ほどかけて、俺のいた国に隣接する四つの国を回った。それぞれ、街の見た目から人々の暮らし、物の考えまで全てが異なっていた。竜に対する考えも様々で、竜は全て邪竜と見なす国、逆に神の遣いと崇める国、そもそも実在しないとしている国などがあった。あの竜が邪竜であるかは結局分からず終いだった。一つだけ、四つ全ての国で確認できたことは、俺のいた国で行っている、異世界から勇者を召喚する術は禁術とされていることだった。
半年ぶりに黒竜──邪竜である確証がなくなったので鱗の色からそう呼ぶことにした──のいる洞窟に向かうと、かつて戦った場所に黒竜は佇んでいた。
『我の元に来たということは、我が邪竜であるという考えを曲げなかったのだな?』
「いや、余計に分からなくなった。だが一つだけ分かったことがある。これ以上俺のような勇者が生まれないように俺のいた国を止めたい。だがそれには力が必要だ。力を付けるために俺の対戦相手になってほしい」
『良かろう。だが衣食住は保証せぬぞ?』
「その洞窟を少し間借りしても良いか? それ以外は自分でなんとかする」
黒竜は好きにせよ、と言うと洞窟に入っていく。俺も洞窟に入り、少し奥まった場所に許可を得てテントを張った。これからしばらくはここが俺の家であり、居場所になる。
※ ※ ※ ※
さらに半年ほどの月日が過ぎた。俺は黒竜と戦って技を磨き力を付け、黒竜と互角にやり合えるまでに成長した。長い間共に過ごしたせいか、黒竜に情が移ったようで、もはや邪竜だとは考えられなくなっていた。
黒竜と過ごす中で黒竜のことも色々と分かった。時々他の竜が訪ねて来ることから予想はついたが、他の竜を束ねる竜王であること、全く分からなかったがメスであること、などだ。性別が分かってから何故か黒竜のことが気になることが増えたが、特に問題はないと思っている。
そろそろ頃合いだと思い、あの国へ向かう準備をしようと考えていた時、黒竜から話しかけられた。
『新しい勇者一行が来た。貴様はどうするつもりだ?』
「……初めは俺が相手をする。話が通じなさそうだったら後は頼む」
黒竜は頷くと、俺と勇者一行がたどり着くのを待った。
やがて一行が到着した。勇者以外は俺が勇者だった頃と同じメンバーだ。やはり勇者だけ使い捨てられているのだろう。勇者は顔立ち、髪や肌の色などから俺と同じく日本から来たのだろうと推測した。
勇者を除く人達は俺を見て驚きを隠せないようだった。それはそうだろう。向こう側からしてみれば、死んだと思った勇者が生きていて、さらに邪竜の味方になっているのだから。
「な、何故お前がここに!?」
「お前達が逃げた後もここに残ったからだが?」
「……邪竜に操られているに違いない! 元勇者だろうと関係ない、攻撃だ!」
……話し合うどころか一言ずつ交わしただけで決裂するとは思わなかった。応戦しようとする黒竜を片手で制し、俺は元仲間達と対峙した。元々あのパーティの中では俺が一番強く、さらに今は力を付けている。またあいつらの弱点も把握済みだ。いくら向こうが力を付けたとしても、竜王と鍛えた俺なら油断しない限り負けることはないだろう。勇者の強さは分からないため、その点は注意が必要だ。
手始めとばかりに魔術師が大量の火球を放ってくる。俺は魔力で障壁を作り火球を防ぐ。今まで魔術は魔術師に頼りきりだったが、半年の間に最低限のものは身に付けた。直後に勇者と剣使いが同時に斬り込んでくる。流石に両方は避けられず、勇者の剣だけ受け流し剣使いの剣は体で受ける。強い衝撃が走るが、身に付けている鎧にはわずかに傷がついただけだ。この鎧は黒竜が自らの鱗を用いて作ったものだ。前回の戦いで鱗の丈夫さは嫌というほど知っている。それを身に付ければ安心感も段違いであり、思い切って体で斬撃を受けることができたのだ。今ので二人にできた隙を逃がさず、俺は剣使いに体当たりし、勇者を剣の柄で叩いた。二人はその場に倒れ込む。残りは後衛の三人だけだ。すると黒竜が俺の後ろから飛び上がり、着地と同時に尻尾で三人を一薙ぎした。……あっという間に終わってしまった。
「……手を出してほしくなかったんだが」
『二人を倒したのだから充分だろうと思ってな』
黒竜と話しながら勇者以外の四人を縄で縛る。さらに黒竜が何かの魔術を四人にかけた。四人の傷はすぐに消え、穏やかな寝息を立てるようになった。恐らく治療して眠らせたのだろう。黒竜は続けて勇者も治療する。勇者はすぐに目を覚ました。俺は勇者に話しかける。
「さっきはすまないな、体は大丈夫か? ……ああ、攻撃する気はもうないぞ。剣も置いたし」
「あなたは一体何者……?」「俺はお前の一つ前の勇者だ。今はこの竜と暮らしている」
「何故邪竜と……」
『我は邪竜ではない』
「なっ……?」
突然黒竜が割り込んだので勇者は混乱したようだった。俺は黒竜について説明する。勇者は半信半疑な様子だ。
「何かしてくれるのか? 元の世界に帰ることはできるのか?」
『我にその力はない。あれば皆帰してやっている』
「そうか……」
困っている様子の勇者には悪いが俺はいくつか質問をした。勇者はやはり日本出身のようだ。俺は一緒に召喚を止めないかと誘ったが、勇者はそんな力はないと断り、元の世界に帰る方法を探しに旅に出ようと思う、と言い去っていった。
……残った四人は黒竜が魔術で遠くに飛ばした。
その後俺はすぐにかつていた国に向かった。こうしている間にも召喚が行われている可能性がある。兵士達を蹴散らし、召喚術の魔法陣がある場所にたどり着くと、俺は全力で魔術を放って魔法陣を破壊した。そのままそばにあった召喚術についての書物も焼いておく。これで召喚はできなくなるだろう。書物には召喚の仕方はあったが帰し方は載っていなかった。邪竜を倒したら元の世界に帰すというのは嘘だったのだ。
あの国に戻る気はなく、元の世界に帰ることもできず、完全に居場所のなくなった俺は黒竜のところに戻った。黒竜は渋々といった様子だったが再び一緒に暮らすことを許してくれた。
黒竜と暮らすうちに、今まで以上に黒竜のことが気になるようになっていった。名前すら知らないので、もっと黒竜のことについて知りたいが、ヘタに聞いて機嫌を損ねたくはない。どうするべきかやきもきしていると、黒竜の方から話題を振ってきた。
『その……、互いに名乗るくらいはしても良いのではないか?』
「俺は込巻勇だ。よろしく頼む」
『我はニュトラーレという』
お互いに名前を知ってからはよく話をするようになり一気に距離が縮まった。今までは食事と寝る時以外はほぼ別行動だったが、いつの間にか一緒にいる時間の方が長くなっていた。
やがて、勇者が邪竜の下僕になっただの、勇者が邪竜を使い魔にしただの、神の遣いの竜が情けをかけて勇者を庇護下に置いているだの、色々な噂が流れたが、俺達は気にすることなく過ごした。
※ ※ ※ ※
気付けば一年、ニュトラーレと戦ってからは二年近くの月日が流れていた。
突然俺の次の勇者が俺の元を訪れた。結局帰る方法は見つからなかったようだ。境遇が同じ俺の近場で生活がしたいらしく挨拶に来たという。
「相変わらずあの竜と生活してるんですね」
「変わり者だという自覚はあるけど、ニュトラーレとは相性が良いみたいなんだ。例えば……」
俺がニュトラーレについて語っていると、元勇者は困ったような呆れたような表情になった。
「……どうした?」
「その竜とは付き合ってないんですよね?」
「相棒ではあるけど、そんな恋人みたいなものではないぞ」
元勇者は俺の返答を聞くとため息をついた。軽く首を振りながら話をする。
「……両方とも相当鈍感みたいですね。間違いなく恋ってものですよ。もう告白しちゃいましょう、俺も手伝いますから」
元勇者によっていつの間にか俺はニュトラーレの正面に立たされていた。元勇者を見ると、早く告ってしまえ、と言わんばかりの顔で俺とニュトラーレを交互に見ている。俺はかつて戦った時とは違う類の、しかし同じくらいの覚悟を決めて声をかけた。
「あの……、いつの間にか、あなたのことが気になって仕方がなくなって……。俺と付き合ってくださいっ!」
『……』
「……」
『……我に、対してか?』
「もちろんです」
『……我は他の竜には竜王として敬われ、人間には崇められたり邪竜として戦いを挑まれたりして、気軽に話せる者がいなかった。そなたと気軽に話せるようになってから、妙にそなたのことが気になっていたのだが、そういうことだったのだな。……どうやら、我もそなたを好いているようだ』
俺は嬉しさに思わず飛び上がった。向こうの世界にいた頃は恋愛なんてしたことがなかったので、相手が竜王とはいえ本当に嬉しい。
「それにしても、勇者と竜王のカップルか……、凄いものを見たな」
元勇者が呟いた後、こちらに近づいてくる。
「おめでとうございます。両方とも凄まじく鈍感だったから、思わず関わってしまいました。でも大変なのはこれからですよ。何といっても勇者と竜王が……」
元勇者は突然話をやめると、街の方向に視線を向けた。俺もその理由には気付いた。思わずため息が出る。
「邪竜討伐隊か……、懲りない上にタイミング悪すぎますね。俺が相手してきましょうか?」
『いや、我と勇が行こう。邪魔されて頭に来ているのは我等の方だからな』
「……初めての共同作業ってやつだな」
「それはこういう時に使う言葉じゃないですって!」
────かつて勇者と呼ばれた者は、一部で邪竜と呼ばれる竜と共に、幸せに暮らしている。
(了)
お読みくださりありがとうございました。機会があれば、またどこかでお会いしましょう。
おまけ
込巻勇の名前の由来……「勇」者召喚に「巻」き「込」まれたため。
ニュトラーレの名前の由来……イタリア語で「中立の」という意味の形容詞。