第2話 師匠
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このようにして、物語が始まり、主人公は新たな舞台に立っていた。
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「結局のところ何がやりたいんだよ」
師匠が手遊びをしながらこちらに目線を向けることもなく何気ない質問をしてきた。小鳥のような形をしている炎が師匠の手の中で煌めき、また同時に複雑すぎて使い道のなさそうな起動式らしい文字列を炎とともに机の上の空間に出力し続けている。また妙な鳥を造ったな。
「うーん。そう言われるとなあ……」
この世界に来てから7000日に差し掛かろうとしているが、僕が打ち解けられた人は師匠しかいない。戦争は終わったけど、これからの進路をどうするかいまいちはっきり決められないので、人生相談は師匠に持ってくるしかなかった。
「色々複雑なんですよね。大体前世でどんな感じだったかもまだ把握できてないんで。戦争の間はゆっくり説明する暇もありませんでしたが」
師匠と僕は戦時中に前線で知り合った。一年前のことだ。師匠も僕もどこかの勢力に属することはなく流れ者として戦場に首を突っ込む生活を送っていた。紆余曲折を経て師弟関係に落ち着き、僕はテクニックを学んでいる。
「結局記憶戻ってないのか。この間の衝撃で思い出したのかと」
戦争の末期に僕は長年連れ添った相棒の魔術書に裏切られた。それも敵の頭をこれから潰すってタイミングで。元々意思を持った魔術書をコントロールすることの難しさは知っていたし、持ち始めた頃はそれなりに苦戦もしていたのだが、自分の人格を魔術書に吸い取られていく過程、「こいつとなら僕はどこまでもいけるだろう」と何の根拠もなく思い込み、それなりに成果も上げたことですっかり依存してしまった。運悪く敵の実力者が魔術書奪取について知悉していたため、不意打ちで制御を奪われてしまった。嘘か本当かよくわからないが、魔術書がモデルとした人格が異世界嫌いだったらしく、そのせいで魔術書自身から異世界出身の僕に対しては、「常に憎悪の感情しかなかった」と聞かされた時には「魔術書も本心を隠して表面的な人付き合いトカするんだナー」と妙なことを意識してしまい、完全に茫然自失となった。結局修羅場を制するために相棒も打ち倒すしかなく、封印して再起不能にしたので、本当の事情はよくわからない。裏切りのショックで一時的に僕の精神が不安定になり、若干壊れた反動で何故か今まで使えなかった前世の能力がいくつか覚醒し、その勢いで戦争の終盤戦を乗り越えてしまった。が、まだつらい。
「あーまあ前世でなんか信頼してたっぽい人に裏切られた時の感情は完全に戻ってきたんですけど、どういう状況だったかとかは…」
「そうか」
二言三言つぶやく間に新しい起動式を一気に書き上げる。この速度で師匠は火の小鳥の起動式を改良している。先ほどの顕現で火の小鳥魔法の問題点をすべて理解したらしく、新しい起動式は共通点を見つけるのが難しいほど変貌した。使い終わった術式用紙を小鳥に食わせながら、新しい術式用紙に魔力を流している。
「それで思い出しましたけど、師匠、あの時期僕のこと暗殺しようとしてましたよね」
「まあそうだな」
はっきり肯定する。この人は僕に対して嘘をつくことがほとんどない。信頼関係の問題ではなく、真偽をはっきり表明することが他人への支配力の増大につながるという信念に基づくらしい。魔術学的には都合良く嘘をつくことで力を得るという立場もあるらしいが、師匠は独自のポリシーを築いている。一年間では師匠の考え方を理解することはできなかったが、100年経っても難しい気はする。
「いやお前まじで危なかったからな、なんか前世のトラウマも蘇ったとか聞くとなるほどだけど、そこらにいた味方兵とか巻き添えにしながら自爆しそうだったし。お前の実力で情緒不安定だと戦場じゃフォローしきれんから殺した方が早かったし」
「あー……それは、まあ」
「そうは言っても暗殺用の術を展開する暇もなかったな。戦争」
「あーそれはまあそうでしょうね」
正直師匠が僕の暗殺を図ろうとしていたのは、既にどうでもよくなりつつある。一時はお互いに理解し合えたと思っていた魔術書とは違い、師匠の考え方を聞いて、人間であることが疑わしいと感じることは日常的にあった。魔法能力、戦闘能力、そして生活能力における凄まじい才能と異常としか言いようのない人格が同居しているのは、なにかこう善良ならざる超常存在でも関係しているんじゃないだろうか本当は。
「戦争は終わった。私も弟子殺しの汚名を着ずに済んでよかったよかった」
「うわあ全然本心に聞こえませんね……前に『汚名だろうと名前が多いのは魔術師にとっていいことだ』っつってましたよね?」
「それはそう。多くの名前を持つほど他人に影響力を与えられるという存在感も大事だし、うまい名前を持つと実力が伸びるからな」
妙な信念を多く持つこの人は孤高の一流魔術師だ。色々なこだわりを持つ魔術関係者が多い中、師匠は一段とめんどくさいので基本的に同業者から避けられている。僕と話している分にはとっきやすいし、勉強になることも多いが、心身ともにボロボロにされ
「戦争が終わったとはいえ、この世界は混沌としている。丁稚だろうと殿様だろうと、私の仕事を邪魔する胡乱はどんどん処刑していくぞ。私たちはくだらない倫理よりも速い速度でこの世界を渡っているんだからな」
「師匠の仕事って結局なんなんですか」
「魔術師の仕事は世界を知ることだよ。不明の坊や」
今や火の小鳥は手元で不安定に揺らめくだけでなく、均整の取れた炎の体を維持して、机の上でくるりと回転した後、部屋中を飛び回りながら無数の文字列を体から迸らせている。体の構造や飛び方のモデルになったのは以前師匠と一緒にごく僅かな時間観察した神鳥だろう。険しい山の合間に数瞬だけ見えた鳥はどこまでも美しい炎を地上に落としていたが、後日その場所を通った際には辺り一面すべてが焼き払われていた。師匠の見立てでは「機嫌が悪かったんだろう」と。
ようやく新魔法に満足したのか、最高に良い笑顔をこちらに向けてきた。弟子殺しの話をするすると続けた後で、これだけ柔らかく美しい顔を見せることができる奇人。離れなければならないなと僕は気づいた。もっと早く気づくべきだった。
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考えてみましたがとりあえず仲間を探そうと思います。
何の仲間だ?
新大陸に渡るためのですかね。ここだと名前も顔も広まってしまって、色々めんどくさい話も増えてきましたし、魔術的にも師匠を超える目標がいないので、いまいち面白くないんですよね。
新大陸か。まあ私はしばらく戦争の残骸を眺めてから、これからの地域社会に貢献するための未来構想を練っておくよ。
それ本当に嘘じゃないんですよね?嘘をつかない制約守ってますよね?
嘘はつかないさ嘘は。なんにせよ──
「信じ合える仲間と巡り合えるといいな。そうなったお前を見せてくれ」
──それまでのお別れだな。
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これから仲間を見つけるまでは一人になるが、師匠も同じく孤独な生活に戻る。師匠はこれからも仲間を必要としないんですかと聞いておけばよかったのかもしれないが、聞いたところで結局僕の運命は大して変わらなかっただろう。師匠は僕の生命はゴミのように扱っていたが、僕の運命に対しては何かしらの敬意を向けてくれていたように思う。
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「餞別にこれをやろう」
と言って押し付けられたのは先ほどまで師匠が改良をしていた火の小鳥魔法の起動式だった。なんと起動中の小鳥の体からは半永久的に新しい魔法の起動式を示す文字列が生成、出力され続けるらしい。驚くべきことにその文字列は魔法として意味を成さないスカではなく、すべてが何らかの意味を持つものとして解釈されうるらしい。有史以来何人もの賢人によって検討され、また可能性が潰えてきた魔法自動生成術がここに完成してしまったらしい。人生相談の片手間に。
文字列の解釈は魔法開発のエキスパートである師匠でないと困難だが、一応僕も時間をかければ、どういった魔法なのか考えることはできるだろう。
「無限生成ってどういう対価を払えば成り立つんですか。さすがに意味不明ですよ」
「対価というか、お前が私の仕事の邪魔をしたら骨まで燃やし尽くすよう設定したからな。覚えとけよ」
「あの、ちゃんと、渡す前に、説明を、しましょうよ」
全身が震える。
「まあ大したことないリスクだ。私が死ねばそれまでだからな」
「…これは師匠の魔導人生における最高傑作でしょう。僕に渡して大丈夫なんですか?」
「できてしまったものに価値をつけるのは他人に任せればいいからな。お前がやれ。後はまあこれは象徴なんだよ。お前の未来に広がる無限の可能性の」
妙な信念をいくつも持つ師匠だからこそこんな恥ずかしい台詞も平気で言える。餞にして最高傑作よりもこの言葉の方が嬉しかった。
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新たな舞台の名は、新大陸。人間と魔物、そして神々の住まう土地。
「新大陸かーー……あいつ多分即死ぬな……」
師匠の嬉しくない一言は多分僕の運命を変えていない。多分。