第7話 おにいちゃんなら抱きしめて 上
女性教員の竹見千鶴はエレベーターに乗っていた。
目指す九階には『紫州田高校』の女子生徒と女性教員の部屋が集まっており、ひとつ下が男子階になっている。
「うちの子たちは、あんなことしない……」
一階のロビーホールが不審な女子生徒に囲まれた時、ほかの教師たちは生徒が悪ノリした暴力行為だと思いこんでいた。
ふらふらした動きも飲酒などを疑う声が多かった。
しかし竹見は薬物混入を疑っていた上、自校の生徒が多かったために、異常をより早く察する。
エレベーターへ逃げこんでから、開扉ボタンを押されてはただの行き止まりだと気がついてあわてたが、意外にも奇行生徒たちは追ってこなかった。
閉まるドア越しに見た限り、騒ぎを囲んでいる野次馬の多くも狙われていない。
積極的に止めようとした男性教員や男子生徒から襲われていた。
それもいきなりかみつくことは少なく、最初はまとわりつく。
そして「おにいちゃ~ん」の大合唱。
竹見は九階に着くと、近くにいた三人の女子生徒を呼びとめる。
「緊急事態です。生徒は全員、部屋で待機して……各クラスの学級委員だけ、エレベーターホールへ来るように伝えてください」
生徒は手分けをして走りだす。
竹見は教員の部屋を開ける。ちょうど中年の女性教員と顔が合った。
「気分の悪くなった生徒がいるんだけど、インターホンがつながらなくて……」
続いて男性教員がふたり、ぐったりした男子生徒をかついで出てくる。
「やっぱりまずそうです。早く医者に……」
生徒は目を開けているが、なにか苦しげにつぶやいている。
「こいつキモいな? うわごとにしたって『おにいちゃん待って』はないだろ」
竹見は一階の襲撃者が女子生徒ばかりだったことを思い出すが、関連はつかみきれない。
窓からは外の様子が部分的に見えて、広場の人影がばらばらに逃げていた。
その光景をほかの教員にも見せて、これまでの状況を伝える。
「もし映画のまねをしているなら、やはり薬物混入か、幻覚症状を起こす食材を誤って使ったのかもしれません。まだ発症していないだけの生徒が多くいるかもしれませんし、すぐに部屋へもどして安静にさせないと」
「他校の教員にも状況を伝え、代表を九階へ集めましょう」
男性教員が手分けをして上下の階へ急ぐ。
竹見は九階のエレベーターホールに残り、意識の怪しい男子生徒を見張った。
なぜか中年の女性教員だけ、ふらふらと歩きまわっている。
「女の子のほうはだいじょうぶ? いきなりかみつかれて、驚いたけど……」
そうつぶやく表情が、気のせいかうつろに見える。
「もうひとり、この中にいるんですね?」
竹見は先輩教員の不審な様子を気にしながら、教員の部屋へ入った。
中にはふらふらと歩く女子生徒がひとりと、しゃがみこんでぶつぶつ言っている若い女性教員がひとり。
竹見は背後から先輩教員に腕をつかまれ、とっさにふりほどく。
「ま……待って~。お、おにいさ……ん?」
同じ症状だった。
若い女性教員も起き上がり、三人が同時にうめいて追ってくる。
竹見に押しのけられた先輩教員は倒れて弱々しくはいずり、若い教員も壁にすがって足を引きずり、まだしも女子生徒のふらふら歩きのほうがマシだった。
「年上ほど動きがにぶい……?」
その違いで、竹見の頭につかえていた疑問が解けてくる。
教員部屋から脱出して、ドアを押さえこんだ。
エレベーターホールのソファーにもたれている男子は、いまだにぶつぶつ言いながら、わずかにうごめくだけだった。
思い返すと、フロントで最初に倒れた男性教員もほとんど動いていない。
「男性は動きがほとんどない……『妹キャラ』から遠いほど重症になるの? いやまさか……なんなのそれ?」
法則性は発見できたが、そのような法則の存在理由が新たな謎として巨大すぎた。
竹見がドアを押さえていると、女子生徒がふたり、廊下を早足で近づいてくる。
ひとりがあわてて引き返し、ひとりはとまどいながらも手伝ってドアを押さえこむ。
まもなく、その前へ次々とソファーがすべりこんできた。
引き返した生徒が呼んできた柔術女子こと剣間春梅が投げるような勢いで運び、ドアノブへ脚をひっかけて組み合せ、つかえ棒にする。
「外の騒ぎはなんですか? インターホンもつながらなくて……」
春梅の質問へ竹見が答える前に、部屋の中から三人の声が聞こえる。
「出してよ~。おにいちゃ~ん」
「おにいちゃんのばか~!」
ひとりは中年女性の声だった。
おかげというべきか、奇怪な状況説明も正気を疑われずにすんだ。
「ロビーホールの子も言っていたけど、感染しているとしか思えなくなってきた。『感染する妄想』なんて聞いたこともないけど」
竹見は自分でもあきれ半分に伝えたあとで、顔を険しくする。
「ほかの先生たちが遅い……南側クラスの学級委員の子たちも来ないし……?」
廊下はゆるやかに曲がり、突き当たりまでは見通せない。
「わたしが見てきます」
春梅が長い黒髪をひるがえす。
竹見は止めようとしたが、ソファーの男子生徒を置いて場を離れることもできず、長身少女の颯爽とした足どりに頼りたくなる。
「接触しないように、肌をなにかで守って!」
ふり向いた春梅は緊張した表情でうなずくが、なんとか笑顔もつくる。
「無理はしません。実戦はまるで違うとも教えられています」
言葉と裏腹に、余計に頼もしく見えた。
教員たちよりも早く、呼んでもいないホテル従業員たちが階段から昇ってくる。
いつの間にか、エレベーターの表示からは一切の光が消えていた。
竹見は怪訝そうな視線を向ける。
「なんで館内放送で避難を呼びかけないのですか?」
「疲れるまで暴れたら気も済むでしょうから。そんなおおごとにされちゃこまりますよ。ほら、君たち生徒は早く部屋にもどって」
客室支配人の年配男性はこわばった笑顔で、目では脅しつけていた。
「すでに動けない重症者が何人もいるんですよ!?」
竹見は近くのソファにもたれている男子生徒を指すが、支配人は目をそらす。
「玄関にいた人たちですか? 別にみんな意識はあって、話せていますし、疲れて動きたくないだけじゃないですか? あれだけ暴れていましたものねえ?」
無理ないいわけをならべながら、手ぶりで従業員たちへ指図して、部屋をふさぐソファーをかたづけるようにうながす。
「こんなことをされてはこまります。それこそ地震や火災でもあった時に……」
竹見は止めようとしたが阻まれ、支配人をにらみつけた。
「隠したらかえって、手に負えなくなるでしょう?」
部屋に閉じ込めていた三人が出てきて、背の高い従業員男性が両腕にしがみつかれる。
「おにいちゃ~ん」
しかし中年女性だけは年配の支配人へ向かった。
「わわ……ゾンビが!?」
支配人はうっかり叫んだ口をあわててふさぐ。竹見があきれた顔をしていた。
「わ、わたしだって、念のため子供や老人は避難させましたよ!? エレベーターも止めたし……ん? 送信できない?」
支配人はイヤホン式の無線機をいじりながら、別の従業員たちに中年女性を押さえさせる。
両腕にしがみつかれたほうの従業員は顔をこわばらせて笑っていた。
「ほら、怖がってなにかしない限りは安全ですから……」
「おにいちゃ~ん。その子だれ~。なんでくっついているの~?」
「おにいちゃ~ん。わたしがいるのに~、そんな子と……ひど~い!」
女子生徒と女性教員が同時にかみつく。
しかし従業員の制服は長袖で、白手袋もしていた。
それでもあわててふたりをはねとばし、手袋の下を確かめる。
「あ、あっぶね~。血は出てないからセーフ、セーフ……」
「おにいちゃんのばか~!」
はねとばされたふたりが飛びかかり、むきだしの首と耳へかみついた。
別の従業員たちはうろたえ、押さえていた中年女性を放してしまう。
竹見は残っていた女子生徒たちに部屋へ逃げるように指示した。
「おい誰だ!? このわけわからん送信を続けているバカは!? これでは指示を送れない……わわ!?」
ふりむいた支配人が鼻にかみつかれた時、イヤホンからも『おにいちゃ~ん、どこ~』という声が聞こえた。
竹見も脱出を考えるが、いまだに帰らないほかの教員や春梅が気になる。
「やばい……『おにいちゃんキャラ』から狙われるぞ!」
男性従業員の妙なおびえかたで竹見はまゆをしかめるが、それらしい法則には心当たりもあった。
しかしフラフラ歩く『妹もどき』たちは次の目標に竹見を選ぶ。
「なんでわたしのほうが『おにいちゃん』扱いなの!? あなたたちがそんなだから……!」
「もうしわけありません! すぐに……」
と言いつつ、従業員たちは使えない無線機をいじるばかりだった。
竹見はふたりに捕まりそうになり、とっさにふたりの肩に近いそでをつかんで、歯は届かないようにする。
「映画のゾンビとちがって、怪力ではないみたいだけど……」
しかし竹見も一対二で抑え続けるほどの腕力はない。
逃げられそうな方向へまわりこもうとしたが、足を誰かにつかまれる。
「おにいちゃ~ん……待って~」
支配人が床をはいずり、小さくうめいていたが、手は簡単にふりはらえた。
「男性にしては動けるほう……男らしくないから?」
支配人の頭を踏みつけ、嫌悪もあらわに見下す。
竹見は両手と片足で歯を遠ざけながら、手空き従業員たちの傍観をうらめしくにらんだ。
廊下からひとり、短髪の女子生徒が近づいてくる。
「すぐに部屋へもどって! 鍵をかけて出てこないで!」
見知った顔で、その表情と動きの異常に気がつくのがわずかに遅れ、片脚にしがみつかれていた。
「柿沢さ……ん?」
「兄さ~ん。なんでわたしを置き去りに、こんな人たちと~!?」
八重歯がストッキングを裂き、ふくらはぎに刺さる。
「ひ……っ!? はなして……!」
痛みにおびえるが、生徒を乱暴に振り払うことはできなかった。
代わりに支配人の顔面を蹴り飛ばし、同僚教師も突き飛ばす。
しかし自分の姿勢も崩してしまい、腕をつかんでいた女子生徒に抱きつかれてしまった。
「おにいちゃ~ん。大好き~。大好きなのに~。なんで~」
押し倒され、首をかまれる。
「いやあ! あ……あああ!?」
ふくらはぎにあった八重歯が、太ももへ移っていた。
竹見は視線で助けを求める。
しかし従業員が金属製のゴミ箱をふり上げる姿に気がつくと、鋭くにらみつけ、生徒たちの頭を腕でかばった。
「生徒を傷つけないで! そんなことより、早く助けを呼んで! 事態をみんなに伝えて! いそい……で……」
かみつかれるままに抱きとめながら、表情が、姿勢が、だんだんとゆらぐ。
従業員たちが駆け逃げる姿を見送り、小さくつぶやく。
「どうしよう……春梅さんが帰ってきたら、教師のわたしが『おにいちゃん』と呼んでしまうの……?」
皮肉のつもりで苦笑したが、あたりを見まわす目がぼんやりと、悲しげにうるんでくる。
「来ちゃだめ……でも……どこにいるの…………おにいちゃん……?」




