第32話 おにいちゃんと私だけ世界に残ればいい 中
勝本栗也たちがステージ裏の騒ぎへ気をとられたわずかな間に、妹ゾンビたちの戦略変化が重なってしまう。
単に『おにいちゃん』への直進をやめて、広がっただけ……それでもモグラたたきの範囲が何倍にもなってしまうと、数の差は一気に厳しくなった。
「そりゃまあ、そうくるよな? もう少しゾンビらしく、気がつかないでほしかったけど」
栗也は片脚を引きずっていたし、ただでさえ数の差は警備役のスタミナを急速に削っている。
間奏に入り、姫苺やぷりはステージ裏へ声をかけた。
「少しくらい、こっちに兵隊まわせないの!?」
「すいません! こっちもぎりぎりです!」
部良座高校の男子が即答する。
「機材だけは死んでも守ってよ!?」
姫苺も即答で応じ、ステージ脇へ駆けるとマイクを口にくわえ、照明設置用のハシゴを兼ねた鉄パイプ足場をガシガシと登りだす。
途中で間奏が終わると歌いながら、残り三段を片手で登りきった。
そんな姿を見届けた剣間春梅は出番へしがみつく芸能人の執念に畏怖をおぼえつつ、見習うべき気迫のような気もした。
丁田と夕田は中央から栗也の近くまで守っていたが、不意に身をすくめる。
「う……なんてことだ!?」
「これは……まずい!?」
善意で敷いていた商品入りダンボールを妹ゾンビたちが重ねて踏み台に使いはじめていたが、そこまでは予想範囲内だった。
「おにいちゃ~ん、逃げないで~」
「探してたの~。怒らないで~」
しかしふたりの前へよじ登ってきた感染者が教員の竹見千鶴と研究員の久間井茶季であり、汗や海水に透けたブラウスをまとう美人ということが大問題だった。
「オレは逃げたくないぞ!? というか捕まっていいか!?」
「バカ野郎!? オレだっていろいろなでまわしてえよ!?」
疲れきった丁田と夕田の血迷いが明暗を分ける。
ふたりがうっかり両手を広げた瞬間、竹見は春梅へ目標を変え、久間井は栗也へ目標を変え、第二陣の地元中年女性たちが目の前にいた男子たちへ襲いかかる。
「ぬあああああ!?」
「おぼえてろ栗也あああ!?」
「なんでオレ!? でも今度、肉まんおごるから許せ!?」
栗也は友人たちを惜しみつつ、春梅に足場上への撤退をうながした。
春梅もうなずきつつ、竹見の剣道経験がありそうな足はこびには警戒する。
拘束したいが、中央から続々と侵入がはじまっており、とっさには強引に投げ飛ばすしかなかった。
久間井はおっとりした笑顔で栗也にせまっていたが、運動経験の差か、派手に転んで鼻を打つ。
「ぐすっ……いたい……おにいちゃ~ん……」
栗也は罪悪感で動きを止めそうになる。一瞬だけ。
片腕片脚の調子が悪く、ハシゴを登る動作もぎこちない。
それでも鍛えた筋力は妹ゾンビたちを引き離して登りきった。
「栗沙! ステージ前はもうだめだ! カゴ台車に避難しておけよ!?」
返事は聞こえなかったが、様子を確かめる余裕もない。
春梅は登りきって見下ろすと、二階相当の高さが気になった。
意識していれば飛び降りることもできそうだが、突き飛ばされたり踏みはずしたりで落ちれば大事故になりやすい。
ステージ上にもペットボトル飲料などのダンボール箱は積まれていたが、人の上へ人が落ちれば危険は大きい。
姫苺は照明用の通路を伝ってステージ中央ライトの裏へまわり、丁田と夕田がつぶやくだけで動かなくなった姿を確認する。
「あいつら思ったより無駄に長生きしたけど、やっぱ最期はあんなもんか」
無慈悲な感想に春梅はまゆをひそめたが、現役アイドル(自称)もすでに何ループ目かもわからない子守唄を歌い続けており、身を削って戦っていることは知っていた。
成果も大きい。
まだ感染者のほとんどは起きているが、全体に動きがにぶり、眠そうに立ち止まる者や、客席に座りこむ者も増えている。
昼から歩き続けていた疲労を今までは『おにいちゃん捕獲』の妄執で忘れていたが、子守唄によって『おにいちゃんと休憩』の願望へ誘導され、肉体が限界を思い出しつつあった。
そして感染者は集めておくだけでも、混乱した意識のまま夜中の島へ散っているより、事故などの危険を減らせる。
ホテルや村落の負担も減らせた。
このまま戦闘をなるべく避け、薬が抜けきる時間をかせげれば最良だった。
しかしそのころステージ裏では、部良座高校の代表男子が、もうひとりの男子に縛られていた。
同じように縛られた勝本栗沙といっしょにカゴ台車に囲まれた部屋へ閉じこめられ、天井板を金具で固定されてしまう。
「まさか君が、そんないかがわしい人に協力するなんて……なぜなんだ猥田くん!?」
非難された男子のとなりには植坂有葉人がニヤニヤと立ち、かまえたボウガンを向けて首をふった。
「大声を出すなと言っている。私だって君が声を出せなくなるほど矢を撃ちこみたくないし、このライブを中止させる気もない」
そう言いながらも一発は肩に当て、その威力を見せつける。
「うっぐ……!?」
代表男子は矢が突き立ってなお、栗沙を背にかばい続けた。
猥田は動揺していたが、だんだんとゆがんだ笑いを浮かべる。
「なんでオレが植坂さんと組んだのか、あんたにはわからないだろうな? そんな風に自然とかっこつけて、妹ゾンビのほとんどを引き寄せてしまうあんたには……!」
栗沙は猥田の顔も別に悪いほうではないと思ったが、表情と口調に救いのなさを感じた。植坂ほどではなかったが。
「ククク。私の協力者はまだまだいるぞ? 同志ならばどこにでもいる。妹さえ創造できるならば、人類男性の願いはひとつだ! すべての女性が妹になれば、すべての男女問題は解決する!」
栗沙ですらどこからツッコミを入れていいのかわからなくて息を飲むが、植坂は得意顔で近づいてくる。
その手は栗沙を囲む鉄カゴのひとつ、身を起こした皆桐杏理華へのばされた。
「おめざめのようだな杏理華……いやアンジェリカ? 心配いらない。君の『お兄様』はここだ。私なら君の能力を完全に使いきれる。すべて任せて……」
髪に触れる直前で逃げられる。
「どうした? この『人類女性のお兄様』たる私に従属する資格を与えてやろうというのだ。ほら、まずはその目隠しをとってやろう。それでお兄様の顔も思い出す……」
杏理華はゆっくりと頭をかたむけ、目隠しのタオルがほどかれると周囲へ目を配った。
「よーしよし、頭をなでてやるからこっちへ……」
しかし植坂の手はふたたび空ぶりして、杏理華は縛られた手足で檻の中を逃げる。
「ちっ、改良の時間がなかったばかりに……なぜ私はもっと早く、この研究に着手しなかったのか!? 会社のくだらん研究の予算をすべて流用していれば、できの悪い妹を調教しなおす必要もなかったというのに……ほら来い! なぜこれほど優れた私こそが兄にふさわしいと理解できない!?」
杏理華は返事をしない。
害虫の死骸を観察するように植坂を見つめ、隠している手にはいつの間にか、血のついた改造ボウガンの矢が握られていた。
同じ血は矢を引き抜いていた栗沙の胸元、こっそり矢を渡していた指先にも残っている。
杏理華は矢の先端でビニールひもを削って手の拘束を断ち切ると、もはやノコギリを得たような勢いで足首の拘束も切断する。
「な!?」
植坂はあわてて離れるが、ボウガンをかまえなおすと醜い笑顔を浮かべた。
「だめじゃないかアンジェリカ~!? お兄様の言いつけを守らねば、檻からは出られな……い……?」
杏理華は鉄柵へ手足をつっぱらせて、真横に浮いていた。
次の瞬間、栗沙は鉄カゴ台車を素手で破壊する女子高生の実在を目撃する。
鉄棒が大きく曲げられ、つっぱる場所を何度か変えてブキバキと金具が引きはがされ、紫州田高校柔術部の主将が解放されてしまう。




