第31話 おにいちゃんと私だけ世界に残ればいい 上
すでに客席には数人の感染者が縛られて転がっていた。
長い黒髪の柔術少女はさらに押し寄せる大群を見渡し、拘束をあきらめてバリケード内へ避難する。
ステージ上の巨大液晶パネルにアニメ映像が流れると同時に主題曲のイントロもはじまり、演出用のステージライトも一斉に点けられると、舞台上には五人だけが立っていた。
中央の姫苺やぷりはともかく、紫州田高校の四人はいまひとつ浮いている。
「栗也くん、もしかして腕も痛めていますか?」
剣間春梅は拳と腕にタオルを巻いた戦闘スタイルで表情も硬いが、凛とした顔だちと居ずまいは少しの工夫だけで舞台の主役を食いそうだった。
ステージ両脇には階段があり、その一端へ向かう。
「ん。でも脚のほうがまずい感じで、あまり動かしたくない……丁田と夕田が頼りだ」
勝本栗也は片脚を引きずり、もう一端へ向かった。
いつもの部活練習のように、なにくわぬ顔で両腕に巻いたタオルをたしかめ、客席を埋めつつあるニセ妹の大群を複雑な表情で見渡す。
すでに百人は軽く超え、さらに続々と集まり続けていた。
夕田と丁田は中央の前面にいたが、妹ゾンビたちはあからさまに左右の端へ分かれてしまう。
春梅は特に人気が高く、階段まわりの鉄かご台車には熱狂的な悲鳴がたかってきた。
カゴ台車にはシートをかけて登りにくくしてあったが、ゾンビはゾンビを踏み台に……ではなく、腕や肩を貸し合って協力をはじめてしまう。
「そ、そういえば意識が混乱しているだけで、知性はそれほど……」
春梅も妹ゾンビの特徴には慣れてきたつもりだったが、やたら要領のよい連携には不安を感じる。
「薬が抜けてきた前兆なら、良い状況のはず……失礼します!」
カゴ台車をゆさぶり、登りきる前に振り落とす。
カゴの高さは成人男性ほどで、舞台の上にテーブルほどの高さまで飛び出ており、手でも足でも押しやすい。
周囲には商品入りのダンボールが敷きつめられ、クッションがわりになっていた。
ステージ反対端の栗也も予想外に人気を集中され、不調の片腕片脚への負担が大きい。
「なんでこんなに……わるい、こっちの応援を頼む! ……オレたち友だちだよな?」
栗也は級友たちの険悪な表情に気がつき、妹ゾンビより先に処理すべき案件かと不安になった。
「なあ丁田。同級生がハーレム主人公を気どったドヤ顔の時って、正当防衛が成り立つと思わねえか?」
「微妙なところだが、司法判断の先例として意義は見出せる」
夕田と丁田はそんなことを真顔で言いながらも加勢してくれたが、栗也は背中を見せないように気をつけながらウソをつく。
「友情っていいもんだな?」
「ふざけんなっ!? やぷりちゃんや春梅さまが見ていなけりゃ、誰が助けるか!?」
「そしてオレは、疑似体験でも女子にたかられたいだけだ!」
栗也はできれば『素直じゃねえな?』などと言って感謝したかったが、おそらくは素直すぎるだけの友人たちに潔さも感じる。
「しかしこのペースだと、どれくらいもつんだ?」
カゴ台車の足元はカップラーメンや箱もの菓子など、つぶれても形がもどりやすいダンボールが置かれていた。
しかし熱狂的すぎる観客が押しかけ続けると、箱の配置がずれてしまう。
それでなくても人の上へ人を押し倒すだけでもケガはしやすい。
姫苺やぷりの熱唱が会場の狂気に拍車をかけていた。
『おにいちゃん 逃げたら追いかける よつんばいでも全力疾走 自宅でハンティング~』
巨大液晶パネルの裏では部良座高校の男子たちがあわただしく作業していた。
「あの数の感染者をここへ引きつけておけば、少なくともホテルや村の人たちは立てなおす余裕もできるはず……応援までは期待できるかわからないけど」
小部屋のように囲ませたカゴ台車を金具で固定し、中には肝心な機材や勝本栗沙などが閉じこめられていた。
「このへんの操作とか、あまり自信ないのだけど?」
その足元には主犯こと植坂有葉人も手足と口を拘束されて転がっている。
皆桐杏理華も鉄カゴのひとつに閉じこめられ、目隠しをされて縛られたまま眠っていた。
しかし栗沙は猛獣と隣接している身の危険を感じる。
「完全に閉じる前に柄楠田さんにも入ってもらうから。ここの壁はどれくらいもつかわからないし」
ステージの側面と背面は壁でふさがっているように見えるが、金属パイプの足場に薄い板を貼りつけているだけだった。
栗沙は金具と工具箱を渡され、内側からも天井がわりの足場鉄板を固定していく。
「そこまで考える妹ゾンビは少なそーだけど、動きはどんどんよくなっているし、個体によってはとんでもねー素質あったりするからね~?」
栗沙はふと、やたら急所と不意をついてくる感染女子が頭をよぎる。
直後、壁から二枚の金属板が突き出て、木片をまき散らしながら壁板を半分近くもめくり上げてしまった。
倉庫で荷物の積み下ろしに使われていたフォークリフトが突っこんでくる。
「兄貴~!? 兄貴を出せよ~!?」
荒っぽく操縦していた鬼島小桃は火花を噴く筒を何本もばらまきながら飛び降りてきた。
「ダイナマイト!? ……いや発煙筒!?」
白い煙がたちこめ、部良座高校の六人と柄楠田は対処がばらばらになる。
「ただの信号灯だから! 車についてるやつ!」
栗沙が叫んだとおり、爆発や目くらまし用途の装備ではなかった。
正確には『発炎筒』で、何分かまぶしい燃焼が持続するものの、火力や煙の量は束ねた手持ち花火とあまり変わらない。
引火しやすいものは周囲にそれほど多くないので、あわてて消す必要は低かった。
しかし小桃による悪用は撹乱効果が大きく、気がつくと四人の男子が殴り倒されている。
すぐにふさげなかった侵入路からは新手の妹ゾンビまで補給され、とどめのかみつきを刻んでしまう。
「兄貴はどこだ~!?」
「小桃ちゃんの兄貴さんはあっち!」
「おう、ありがと~!」
小桃は栗沙の指示どおりにステージへ向かうが、ほかの感染者たちはまだ無事な部良座高校の男子ふたりと柄楠田へ襲いかかっていた。
「おにいが目当てのゾンビだと、双子の顔が少しは役に立つのかな? 杏理華ちゃんも瞬殺しないでくれたし」
栗沙は加勢のために鉄カゴからはい上がろうとする。
「たいじょうぶたから、しょのままで」
柄楠田の言うとおり、小桃がいなくなってみると、残った男性三人でも侵入した感染者を制圧しつつあった。
「ステージ側の順番争いでは勝てない弱小ゾンビがこっちへまわっているのかな?」
部良座高校の男子が言うとおり、心身ともにどこか弱そうな女子が多そうに見える。
「ひどい~。おにいちゃ~ん。あうう~」
それでも倍近い数を相手に拘束していける三人の手際も慣れたものだった。
会場に流れる曲が、劇中では未使用のテンポが遅い曲に変わる。
そのわずかな静まりへ、舞台裏から栗沙の警告が聞こえた。
「小桃ちゃんが行ったよ~!?」
小桃の襲撃に気がついた栗也は最優先でタックルをしかけて押さえこみ、姫苺は逃げまわりながらも歌い続ける。
『おにいちゃんの夢を見る おにいちゃんの腕の中 わたしを包む雲がおにいちゃん 星空がおにいちゃん 宇宙がおにいちゃん』
丁田と夕田は歌詞にツッコミをいれたい気持ちをこらえ、栗也の抜けた前線で妹ゾンビをひたすら押し返した。
「こんな曲を聞かせるだけで、本当に効果などあるのか?」
「液晶画面とか照明の演出も植坂が変更しているらしい……っておい栗也、女子へ抱きついてるとこ見せつけて興奮させてんじゃねえ!? っていうかマジで、てめえだけ何様だ!?」
その心の狭さが人気を下げているとは気がつけない夕田だった。
栗也は確保している感染女子がどれほど危険で凶暴か、夕田へけしかけて教えてやりたかったが、小桃は意外にも動きがにぶく、すでに息がきれている。
「あ……兄貴……アタシ……」
ワイシャツを脱いでからも山道を長く歩いていたらしく、肌着もだいぶ汚れて汗にまみれていた。
「運動部でもないのに、ずっと探し続けてくれていたんだな? にいちゃんのこと……」
栗也は抱きかかえたままタオルを一枚ひきぬくと、まずメガネをはずして顔と首筋をぬぐってやる。
「ありがとな。でも少し休んで。心配になるから」
髪をなでつけると小桃は安心したように顔をゆるませ、涙をにじませながらまぶたを少しずつ下げる。
栗也は目隠しのタオルを巻きつけ、なにげなく手足もてきぱきと緊縛し、その不穏な手際を見て姫苺は思わず少し距離をとるが、歌声だけは止めない。
「姫苺さんの歌を使った『眠りへの誘導』が、少しずつだけど効いてきたのかな?」
大音響のステージ上で眠りにつくなど、疲れきっているにしても不自然だった。
今の歌唱力はそのまま姫苺自身の防衛力にもなっている。
『わたしは抱きしめて 雨になる 海になる おにいちゃんと寄りそって 深く深く堕ちる』
液晶パネルの歌詞表示を見てしまった春梅が「『堕ちる』必要はありませんよね!?」とつぶやき、やつあたりとツッコミがわりの裏拳で鉄カゴをのけぞらせた。
勢いあまって「ふつうに『眠りへ落ちて』ください!」と連結させた三台を蹴り跳ねさせる。
しかし姫苺の芸人根性には感心していた。
あちこち逃げまわりながらも、子守唄風の歌唱だけは維持している。
栗也が小桃を寝かしつけてステージの前線へもどると、奇妙な人気が増していた。
「おにいちゃ~ん、そい寝はわたしとだけ~」
「わたしもおねんねする~。おにいちゃんに縛られておねんねする~」
「わかってる。眠ってくれたら縛っておくから……」
栗也も自身の問題発言に気がつけないほど、異常事態の長期化で疲れていた。
「……というか、なんでボロボロのオレなんかに、こんなに寄ってくるんだ?」
丁田と夕田の疲労も濃い。
「汗でフェロモンが出ているなら、我らも脱水症状をめざすしかあるまい!?」
「こっち端は年上が多めか? 春梅さまを『おにいちゃん』認定しにくい年齢だと、母性本能をくすぐる系の兄に走るとか……どちらにせよ納得いかねえよチクショウ!? オレのかわいさもわかれよ!?」
彼らの知性も平常時より二割ほど下がっていた。
春梅は栗也がボロボロでも戦い続け、それなのに感染女子をふり落とすたびに着地を確かめる心配そうな顔なども『おにいちゃん』人気を集めて当然だと思う。
今はそれを言ってもしかたない状況だが、少しは気づいてほしい気もした。
そして男子三人が束になったよりも人気を集めてしまう自身の『おにいちゃん性能』にも思い悩むが、やはりそれどころではない。
肉体を酷使するステージ警備だったが、カゴ台車に群がるペースは少しずつ遅くなっていた。
順番待ちの感染者でも意欲が薄そうな、傍観に近い姿が増えてきている。
わずかに安心しかけたとき、ステージ裏から騒ぎが聞こえた。
「柄楠田さんが……!?」
部良座高校の代表男子に続いて、栗沙の不穏な叫びが続く。
「だいじょうぶだから! ステージはそのまま! 真桑くんのクオリティがちょっと高かっただけ!」
液晶パネルの裏ではスーツ姿のマネージャーが倒れ、かみ跡の残る手で小柄な男子を抱きとめていた。
「しゅまない。油断しゅた。姫苺くんにうんじゃりしていて、ちゅい好みのどストライクがこにょあたりに……」
「おにいちゃ~ん。おつかれさま~」
帰宅部の細身な少年も疲れきった顔で、けだるそうに甘えてすり寄るだけになっている。
栗沙はついガッツポーズをとり、うっかりスマホで撮影していた。
「もしや真桑くんは、感染しているほうが需要あるのでは?」
まだ無事だった部良座高校のふたりは、栗沙の失言が聞こえなかったふりをする。
代表男子はフォークリフトが突入した侵入路の前へカゴ台車を移動させ、ガムテープで何重にも固定させて封鎖していた。
もうひとりの男子は感染女子たちを縛っていたが、ひそかにカッターを床にすべらせ、檻の中で機材といっしょに転がる植坂の縛られた手へ届けていた。




