第27話 妹としてのプロ意識が足りない 下
剣間春梅は北側にある小山の研究棟を目指し、銘鳴高校の三人といっしょに早足で歩いていた。
ホテルからのびる自動車道路は大きな迂回になるため、坂の小道を登り、月夜の森に入る。
「春梅さんはなんだか正直すぎるけど、犯罪者の相手とかだいじょうぶ?」
剣道女子の栃里熊猫はモップを突き出してスーツ姿の感染女性を転ばせ、春梅が手早くガムテープで縛る。
「自信はありません。相手の人数や装備もわからないので……でも電話回線の次は、なにを狙ってくるかもわかりません。放火などの準備をしていないか、様子を探っておくだけでも」
「そういや上の階とも話したんだけど、感染者の脱走が不自然に多いらしくて……誰かがわざとやっているかも」
「生徒の中に共犯者が? でもなんのために?」
「そりゃ、この騒ぎを長引かせたいバカもいるでしょ? 誰かの人身事故よりも自分のスケベ心を優先するクズなら、感染を広げるほど『ゾンビみたいに甘えてくる女子』が増えるし、じゃまする男子も減らせる」
「災害に便乗した犯罪なんて……自分の人間性を二度と信じられなくなる損害のほうが、ずっと重いはずですよね?」
「うちの亜留田や恵洲田なんかはふだんから犯罪自慢しているクズだったけど、思っていた以上で萎えたねー。でもほかのみんなは……うちら、地元じゃバカばっかりで有名な学校で、そのとおりだと思っていたのに、普通に年下の子たちを守るの手伝ってくれるやつがほとんどだったから、そっちのうれしさが大きいかな?」
栃里の晴々とした顔で、春梅の心に積もっていたよどみも軽くなる。
「まあ、明日の昼前にはフェリーが来るし、無線とかで連絡していれば警察も動いているかもしれないし……ん~。でも、でかい会社の研究員なら、それくらいは予想できそうだよねえ?」
「それでもあえて、これほどの無理をするなら、なにか深い意図があるのか、よほど錯乱しているのか……?」
「映画の内容からすると後者だね。それはそれでやっかいだけど……置いてきたふたりが心配?」
春梅は周囲を細かく警戒していたが、背後を確認する回数がやや多い。
「はい……杏理華さんが追って来たら、わたしではどこまで対抗できるか……」
「なんだそっちか。むしろあのまま『がっちりふたりきり』もまずそうな……いや、あの男子もかなりのカタブツみたいだけど」
春梅がわかりやすく顔をこわばらせたので、栃里はさりげなく発言を曲げる。
「でも、そこまで腕の差ある? わたしらはともかく、春梅さんなら武器や不意打ちで埋められそうな差に見えたけど?」
「組手練習であれば勝敗に大きな差はつかないのですが……本番の試合では一段上、実戦では何段も上のプレッシャーを感じます」
春梅は組手練習で栗也が倒れると、立ちあがってかまえ直すまで待つ。
杏理華は起き上がるまで待たないで蹴りこむ。
それが杏理華なりの期待だとわかっていたし、栗也もそれに感謝していた。
実戦では、自分が倒れても相手は止まってくれない。
追撃のとどめを避ける少ない可能性に賭けて、一瞬でも早く立ちあがるしかない。
実戦重視の流派としては本来、当然の方針だった。
栗也は立ってかまえるまで待つ春梅の姿勢も『優しさ』と評している。
しかし春梅は、栗也の真剣さから逃げていた自分に気がつく。
恥ずべき不覚だが、それでもなお、倒れた相手を蹴ることは怖かった。
栗也との組手では立ち合いでも一方的な攻撃になりがちだが、抵抗の意志を確かめられない状態への攻撃では、意味が異なる。
自分に対しても、栗也に対しても、深い信用が必要であり、それが足りない。杏理華に追いついていない。
杏理華は多くの場所で人間関係の中心となり、率先して上に立ち、全体を引っぱりまわして生きている。
それを周囲に支持されるだけの責任感も持っていた。
相手の人生にどのような影響を与えようと、その結果を受けとめ、後悔なく自己を貫く信念がある。
実戦においても技に迷いがなく、むしろ鋭さを増していた。
春梅は自他の命がかかっている今なお、迷いのある自身に危うさを感じる。
「武威田はだいじょうぶ?」
背が高いほうの男子は杏理華に折られた人差し指がつらそうで、生徒手帳を添え木がわりにタオルで巻いていたが、しきりに気にしていた。
「少し腫れてきたが、盾ぐらいにはなれるだろ?」
「今の状況だと、感染したやつは置き去りにするしかないけど。ま、かまれても死ぬわけじゃないし……とはいえ、男子はともかく女子はねえ? 今のところ転落事故とかは聞いてないけど、自分が知らない男に抱きついて甘えるのだって、かなり死にたくなりそう」
栃里はそんな風にぼやくが、春梅にはどこかしらじらしい表情に見えた。
「かまれたらすぐ縛ればいいだろ? それになにかあった時は、オレらが先に体をはるから」
「でも実際になにが起きるか、わかるような状況でもないし……ねえ、この間のアレ、実はわりと本気だったりするんだけど?」
「おまっ……なにを……こんな時に……」
純朴そうな武威田のうろたえかたで、春梅の苦手な空気が流れ出す。
「嫌じゃなかったら、ちょっとだけ頼めない? 武威田のほうがマシっていうのはウソで、どうせなら武威田がいいから」
長身男子が無言で真っ赤なまま近づくと、栃里も背のびして目を閉じ、たどたどしい口づけを受けとめる。
「よっし!」
栃里がうれしそうに抱きつくと、武威田はこまったように引き離す。
「バカ。そういうのはもっと、騒ぎが落ち着いてから……」
春梅は自分が平静を装うべきか、祝辞を送るべきか、冗談めかした皮肉で戒めるべきか、判断のつかない経験不足を呪う。
もうひとりのがっしり体型の男子が浮かべている涙にも気がついてしまうと、もはや周囲からせまる感染者に急いでほしいと願う。
しかし頼むまでもなく、妹ゾンビたちはできたばかりのカップルを目撃し、嫉妬で活発になりはじめていた。
「おにいちゃ~ん、わたしがいるのに~!?」
「おにいちゃんのバカ~!」
研究棟が近いせいか会社員らしき感染者が多く、武威田より年上に見える妹ばかりだった。
「武威田。オレなんかに遠慮すんなよ? よかったな」
「すまん」
銘鳴高校の三人は春梅の集中を乱す人間模様を展開するが、少なくとも仲たがいの修羅場へ向かう様子はない。
「ごめん。実はわたしも知っていて……ずっと武威田のこと好きだったんでしょ?」
栃里のひとことが落ち着きかけた春梅を混乱させる。
「だからいいって。オレが勝手に武威田のこと、妹みたいに思っていただけだ」
三人は勝手に打ちとけた様子で、武威田などはもうひとりの男子に頭をなでられていたが、春梅の頭は処理能力を超えた光景に機能停止を起こしていた。
そのため先に進む三人が倒れた時にも、なにをはじめてしまうつもりなのかとあせり、異変に気がつくのが遅れる。
傾斜のゆるい曲がり角だったが、よく見ればロープのようなものが横ぎっている。
「ねじったガムテープ……?」
栃里が引くと、その片端は木の幹に巻かれていた。
春梅は罠の意味を頭で整理しかねたまま、背後から距離をつめていた白衣ゾンビたちを警戒する。
気配を感じてふりかえると、栃里たちへ三人の感染女子が襲いかかっていた。
「ゾンビが待ち伏せて……罠と武器まで準備!?」
男子ふたりが感染者をひとりずつ押さえた瞬間、三人目の感染女子がヌンチャクのような武器をふたりへたたきこむ。
「どけこら~!?」
特別に凶暴な妹ゾンビはブラウスを脱いで肌着になっていたが、春梅は髪型やメガネに見おぼえがあった。
「小桃さん!?」




