第24話 おにいちゃんのためならなんでもしちゃう 下
井網島の西側には海水浴場が広がり、南側は砂浜が狭くなってボート置き場になり、その先は小さな漁船がつらなる漁港へつながり、さらに向こうは田畑とまばらな集落が広がっていた。
「人口三桁の島でご当地アイドルとか無茶すんな~!? 内地アイドルどもは、ど田舎ってくらいで不幸ぶってんじゃね~!? スマホも通販も使えるくせに! なんっで事務所契約したのに地元送還されて島限定イベントばかり!? 客席の半分は知った顔! わたしの本名をフルネームで知ってる顔!『鮫市鏃』を『姫苺やぷり』に変えた理由を誰も聞いてこないのは本当に優しさなの!?」
主演声優がその声量をいかんなく発揮していたが、数十体の『妹ゾンビ』は「おにいちゃ~ん」コールの合唱を続けるばかり。
砂浜のボートに隠れていた勝本栗沙は土産グッズ店の安っぽいオペラグラスを真桑進に渡す。
「斬新なアイドル路線を打ち出しているけど、暗示を解く効果はないみたい……んー、でもやっぱいちおう、つれていこうか」
「なんで置き去りが選択肢にあるの?」
夕田と丁田もいたが、松小路は戦力に数えにくく、強行突破には心もとないメンバーだった。
姫苺は桟橋に近い甲板でワンマンショーを続けているが、その周囲をよく見るとスーツ姿の男性が走りまわり、飛び移ろうとする感染者をオールで押し返している。
「あの船にはやぷりちゃんのほかにマネージャーさんと、他校の男子も三人いたはずだけど……ん? 船の後ろ……?」
夕田が指をさした船尾側は感染女子たちの視線からはずれていて、制服の男子たちが小型ボートをおろし、ロープの取り外しや乗り移りに苦戦していた。
「やつらまさか、自分たちだけ逃げ出す気か!? あの漁船のエンジンがかからないからって、やぷりちゃんをおとりに……」
丁田が義憤にかられて立ち上がりかけた時、甲板上の姫苺が男子生徒たちを押しのけて飛び降り、最初に小型ボートへ着地する。
「……脱出の準備をさせていただけみたいだね……でもあのまま砂浜へまわる気かな?」
真桑がまゆをひそめると、夕田も腕組みして首をひねる。
「丁田やマネージャーさんも止めたんだよ。海に出ちまうと、妹ちゃんたちが無理に追ってきたら一斉に溺れそうだろ?」
漁船には男子生徒がまだひとり残っていたが、姫苺は船体を蹴って引き離す。
「おっそい! 声がかれちゃうでしょ!? はい出発! ……おにいちゃん、わたしのために残って戦ってくれるなんて!」
機械的なすばやさで地声からヒロイン声になり、怒り顔から泣き顔へ切りかえ、捨てごま要員を惜しむように手をのばしつつ、足ではオールの漕ぎ手を蹴って急かす多芸な怪演だった。
「うっわ、十秒もたねえでやんのおにいちゃん」
メガホンのスイッチを切り忘れたまま無慈悲なつぶやきまで届けてしまう。
甲板上では丸ぽちゃ男子が中年の妹ゾンビに頭へかじりつかれていた。
「すまん舵振田! ゆるせ!」
ボートを漕ぐメガネ男子が叫ぶ間にも、丸ぽちゃ男子にはまたひとり、小学生らしき女児も食いつく。
「舵振田くん、腕を見て! それなら君としてはプラマイゼロだろ!?」
ボートを漕ぐもうひとりの男子が叫ぶと、甲板上の男子は親指を立てて見せながらゆっくり倒れる。
メガホンがなくても浜で隠れている夕田に会話が聞こえてしまう距離だった。
「あの丸ぽちゃ野郎、やぷりちゃんの胸に見向きもしないと思ったら、ロリコンなだけじゃねえか……オレらを見下した目で見やがって!」
「落ち着け夕田。大事なのは住み分けだ。我らには豊満なる谷間、やつには刑務所。それでいいじゃないか」
丁田の持論展開を栗沙は完全に無視して腕組みしていた。
「鮫市ちゃんは沈めたくなってきたけど……公式の妹役だけに、狙われる優先目標を指定できやがるのかな?」
「姫苺さんに頼られる人が『おにいちゃん』に認定されやすいなら、誘導に使えそうかな? でも当面の問題は……」
真桑がオペラグラスで見ていた漁船の甲板上は静かになり、感染者の群れは逃げる小型ボートへ向かっていた。
「あきらめてくれるといいけど……さすがに海には飛びこまないかな?」
「びみょーなところだね。あの映画ヒロインのノリだと、やりかねない気も……げ」
真桑と栗沙の予想外に、妹ゾンビのひとりは砂浜のボートをひきずりはじめる。
その様子を見て、ほかの感染者たちも続々とボート置き場へ近づいてくる。
栗沙たちが隠れているボートも囲まれつつあった。
「思った以上に知的でよかったけど、下手にボートを使わせて沖へ流されるのも危ないね……?」
「ぼくが行く。丁田くん、夕田くん、あといちおう松小路先生も……みんなで栗沙ちゃんを守って、いっしょに姫苺さんを救出して」
真桑は荷物や装備をはずして夕田と丁田に渡す。
栗沙はスマホを受け取りながらきょとんと見上げる。
「もしや真桑くんが『おにいちゃん』になる気?」
「栗也くんほどは強くなれないけど、あまりヘタレと思われているのも不本意だし」
立ち上がった真桑は笑顔で周囲を見渡し、栗沙は小声で送り出す。
「でも実は、ちょっとかまれてみたいのもある?」
真桑が親指を立てて駆け出す。
「否定はできないよ!」
夕田がやれやれと首をふる。
「せっかくの男気が台無しだな?」
しかし栗沙は真顔でこぶしをぐっと握った。
「真桑くんもなかなかイカすね?」
「今のでそういう評価かよ?」
教員は生徒の将来を案ずる。
細くて背も低い真桑が声を張り上げた。
「夜の海は危険だろ!? おにいちゃんは、夜にボートへ乗るなんて許さないぞ!?」
まだ照れがある。
それでも妹ゾンビたちは動きに迷いが現れ、海上のボートと見比べる。
姫苺はとっさにボートの男性陣を足蹴に伏せさせ、ゾンビの視界へ入らないようにした。
「おにいちゃんは心配だから言ってるんだ! おにいちゃんを心配させるな!」
真桑の気迫あるしかり声で、隠れている栗沙はふたたびこぶしをぐっと握る。
ゾンビたちがボートを引きずる音は止まり、足音は方向を変える。
「おにいちゃ~ん、ごめんなさ~い」
「乗らないから~。頭なでて~」
「だったらこっちに来るんだ! おにいちゃんはこっちだ! こっち……」
真桑はゆっくりと後ずさったが、逃げようとしてふりむくと、浜ぞいの森からも妹の大群が押し寄せていた。
「うわわ。今のぼく、おにいちゃん度が高すぎた? ほかに候補がいないだけかもしれないけど……」
とっさに海水浴場へ方向を変えて駆ける。
砂浜ぞいの防砂林からも、次々と感染女子が迫ってくる。
ほどなく先をふさがれ、逃げ場は海しかなくなった。
遠く小さく、月夜に真桑の断末魔が響く。
「うわあああああ!? ありがとうございまーす!」
栗沙と松小路は静かに合掌するが、丁田は顔をしかめた。
「やつはなにを言っているのだ……?」
「ずりい、あれって竹見先生だ! 何様だよアイツ!?」
オペラグラスで見ていた夕田にいたっては怒り出す。
「いちおーは尊い犠牲者さまでしょ? いちおーは」
栗沙は波打ち際へ向かった。
すでに感染女子たちは真桑を追い、ボート置き場から遠ざかっている。
姫苺の乗るボートもコソコソと引き返して砂浜へ近づいていた。




