第21話 おにいちゃんに近づく人は許さない 下
皆桐杏理華の勢いに引きずられるまま、勝本栗沙たちはホテル南端の一階まで到着した。
そこからの内部通路はスーパー裏側の搬入口に通じ、外は町役場や海岸へいたる道になっている。
「すでに主犯の計画は崩壊しているはずですが、理性の欠落がひどいようですから、目標をどう変えてくるか、さらにどのような妨害をしかけてくるか、予測しがたい危険があります」
栗沙がふたたび小さく挙手した。
「ホテルだけの不自然な停電とかも……島の人たちはどこまで信用できるんだろ?」
「協力者はごく一部のようですが、それも現在の惨状を知れば、ほとんどいなくなったはず」
杏理華はスマホ画像で社員たちの集合写真を見せる。
コケむした石窟のほこらで、十数人の白衣姿が缶ビールを片手に特撮ヒーローの変身ポーズをとっていた。
その中にいる薄いサングラスをかけたオールバックの男を指す。
「植坂有葉人をのぞくパラソル社のかたは、多くが協力してくださり、上の階で看護にあたっています」
「杏理華ちゃんさま。治療方法とかってあるのですか?」
「特効薬などは考えにくいようです。今のところ、自然回復まで保護するしかありません。しかし植坂を捕えれば、ほかにも被害を減らす方法がわかるかもしれません」
スマホ画像をきりかえ、ホテルのパンフレットを撮影した周辺地図を出す。
「北の研究棟へ向かった植坂らしき男が目撃されています。そちらは私たちで向かいますので、春梅さんたちは南の役場などを探し、村長がいれば捕縛をお願いします。では!」
杏理華が勝本栗也を連れ去り、置き去りにされた栗沙たちは遠ざかる姿を呆然と見送って「え?」と口をそろえる。
真桑進は残された栗沙、松小路、剣間春梅を見てまじめに頭を抱えた。
「このメンバー配置、おかしくない? 主力ひとりと足手まとい三人て……」
春梅は人間相手の、格闘以外の対応になると自信の持ち合わせが少ない。
「あの、村長さんを捕まえても、どうすれば……なにか聞き出す……のですか?」
栗沙はもったりとなだめるしぐさを見せた。
「まあ植坂さんをしめあげるほうこそ、会社の人たちから情報を引き出せていた杏理華さまでないと難しそうだし。村長の拷問はわたしたちで善処するんで」
「教職員であるオレは犯行の見張り役だけでいいんだよな?」
栗沙たちは外へ出るために階段の近くにある非常口を試したが、開かない。
窓を割る前に、内部通路をはさんでスーパーの向かい側にある搬入倉庫をのぞいてみる。
暗く広大な空間は大量のカゴ台車やダンボールに囲まれ、いくつかのトラックが並んでいた。人の気配はない。
シャッターの一部が中途半端に開いたままで、外へ出られた。
街灯がまぶしく、あちこちから聞こえる鈴虫と妹ゾンビの鳴き声が真夏の風情を過剰に盛り立てている。
栗沙たちは渡り廊下を足早にたどり、村役場へ向かった。
巨大ホテルは月明かりをはばむ暗闇の城壁となり、上層の一部だけ、はかなげな照明が点々と散っている。
「状況はなかなかのひどさだけど、救助待ちの籠城体制ができたのは大きいかもね? なんだかんだで杏理華ちゃんさまは頼りがいでも女王様か……でもどつき合いは春梅さまも互角に見えたけど、あれで実力差なんてあるの?」
春梅は今も頼られて先頭に立ち、栗沙と真桑は補助して背後と不良教師を見張っていた。
「今朝の組手は途中で終わりましたが、杏理華さんは心身の持久力が飛びぬけているので、長引くほど差がつきます」
「そういえば異様なほど元気だったね」
「それと自信と集中力の深さ……試合などの肝心な時ほど、ふだん以上の力を発揮できます」
「敵にまわしたくない典型だね」
杏理華はスーパーの裏側にある内部通路を突き進み、まだ感染者が多いロビーホールへ敢然と踏みこむ。
「犯人は中途半端な研究で幻覚剤や催眠暗示を扱っており、長続きはしないように思えます。しかしこの人数規模では、どのような大事故につながるか……」
正面からせまってきたひとりにだけ、掌底を打ちこむ。
どしりと重い音が響き、女性従業員は胸をおさえてよろめいた。
勢いよく転倒しないように、骨折もさせないように、早足に通過する数秒だけ稼ぐ。
相手の体調や体質、転びかたによっては、大ケガをしないとは限らない。
体を抑えながら投げ倒すほうが、より安全なはずだった。
しかし杏理華の一撃はあまりに正確で無駄がなく、ためらいもない。
事件解決までの速さと自他の安全性、そのすべてへの責任をこめた一撃……栗也にはそう感じられ、別の心配をする。
「いくら杏理華さんでも、無理しすぎないようにね?」
とりまきの女子部員が五人とも感染したことで、気負っているように思えた。
「それはどうも……あの子たちも私も、まだまだ修行が足りませんね? 感染者の例外には驚かされました。動きが速いだけでなく、待ち伏せをしたり、消火器を使ってくるなど……特に、発症がゆるやかな感染では西番さんも不意をつかれたようです」
「そういえば、オレといっしょにいた小桃さんも小さなひっかき傷からの感染で、ずいぶん時間をかけて発症していた。もし小さな傷でも心当たりがあったら……」
「私でしたらご心配なく。今のところあざひとつなく、靴に入った小石を踏んだ程度です」
「それは助かる。もし杏理華さんが感染したら、オレなんかお手上げだし」
杏理華はさらにふたりを一撃で蹴散らし、ロビーを堂々と横断する。
ガラスごしに見えるレストランの店内ではドリンクバーへ感染者が群がっていた。
動作が不安定で散らかしていたが、水分補給をしてくれる姿だけでも栗也は少し落ち着く。
しかしレストランの裏側と図書室にはさまれた通路へ入ると、混雑した女子トイレも見えてきた。
「生理現象に気をとられているならだいじょうぶかな? ……そうでもないか」
女子生徒たちは足を止めていたが、早足に近づくふたりへ集まる視線が増え、やがて列の向きが変わる。
「おにいちゃ~ん?」
「出るまで待っててよ~?」
「その人だれ~? わたしがいるのに~」
杏理華は先頭のひとりへ足をかけて投げつけ、感染者をまとめて転倒させる。
「あなたがたのお兄様ではありません!」
栗也は技の勢いが少し強すぎる気もしたが、杏理華に限ってはなにか確固たる信念がありそうな気もして、ただ付き従うのみだった。
杏理華は階段やレストラン従業員室の入口は無視して内部通路を直進し、つきあたりの『開業前』の表示があった扉を開ける。
栗也も続いて入り、近くのソファーで扉をふさいでおいた。
先の通路をペンライトで探るが、人影は見えない。
両どなりに保育施設と介護施設があり、ガラス越しに見ると内装だけは終わっていたが、使われている気配はない。
「ついさっき通りすぎた階段の下がちょうど機械室で、有段者らしき女子が多くてやっかいでした。その時にここへ入れることも知ったのですが……ふふ。男性なのに動ける教員のかたもいて、そのかたは精神的なおぞましさでも強敵で、思わず加減なしにあごへ入れてしまいました」
「おいおい、相手は感染の被害者なんだから、そんな楽しそうに言うなよ」
栗也はふと床に、血のついた人間の歯を見つけるが、それだけが転がっている理由はわからない。
「はしたないことを言ってしまいました……嫌わないでくださいね?」
杏理華が急に落ちこんだ声を出し、栗也はぎょっとする。
「いや、オレこそごめん。こんな騒ぎで冷静になれってほうが無茶だよな? いくら杏理華さんでも……試合前みたいに、怖いからテンション上がる時だってあるだろうし……くそっ、オレがもっとしっかりしなくちゃ」
栗也が自分の顔をバシバシたたくと、杏理華がふり返り、ぱっと笑顔になる。
「頼りにしています。ですから『さん』づけなんて、やめていただけませんか?」
「え? それはさすがに呼びにくいよ」
栗也は両手をにぎられるが、どうしていいのかわからない。
「もうっ。私が誰のためにがんばっていると思っているのです? これまでの成果も、ちゃんとほめてくださいね?」
「そ、それより早く行こ……」
不意に杏理華が不機嫌になって顔をつきつけ、栗也は思いなおしを強制される。
「いやごめん。杏理華……さんと合流できてうれしかったから、無事でいてくれたことには感謝している。放送にも助けられたし」
杏理華はまた急に笑顔になって目元をゆるませ、栗也の肩へ頭をあずけてくる。
「そうですか……でも『さん』づけは減点です。ふふ」
首をはいあがったくちびるは頬で止まり、長く吸いついて味を確かめた。
栗也の全身がガチガチにこわばり、身動きもできなくなる。
「あ……あの?」
「おじいさまのように『アンジェリカ』と呼んでくださってもよいのですよ?」
「それはさらに呼びにくいから……お母さんがハーフだっけ? じゃあ今のは海外のあいさつみたいな……」
杏理華の笑みに不穏が混じる。
「ええ。これもほんのあいさつがわり」
頬に両手をそえられ、甘い吐息がくちびるへ近づく。
「靴に入った小石、このへんで捨てた?」
栗也は手を割りこませて自分の口をふさいだ。
通路に転がっていた歯と、付着していた血の量が気になりはじめている。
「それがなにか?」
「足に傷が残っていないか、確認していい?」
「こんなところで? いえ……どうしてもと言うのでしたら……」
保育施設へ引っぱりこみ、通路からは見えないように壁際でしゃがみ、ペンライトにタオルをかぶせて光をしぼった。
杏理華は栗也の視線を気にしながら靴を脱ぎ、ニーソックスをゆっくりとずり下げる。
「別になんともないのに……もしかして、こんなところへふたりきりで連れ出したのは……」
もじもじと赤くした顔をそらせて、そろそろと素足をさしだした。
そんな態度を見せられては、栗也もあせって首をふる。
「傷の確認だけ。それにこの組分けは杏理華さんの指示だろ……?」
のぞきこんだ小指の先に、小さな傷を見つけて汗がどっと増えた。
「もう。お兄様はいつもそうやってはぐらかしてばかり」




