第20話 おにいちゃんに近づく人は許さない 中
日が完全に沈むと、ほとんどの非常灯も消えていた。
窓の近くでなければ街灯や月明かりも届かず、目の前の人影すらわかりにくい暗闇が大きく広がる。
バリケードに置かれたイスやテーブルをかきわけながら、不意打ちも警戒しなければならず、なかなか上の階へ進めない。
「いっそ片っぱしから全員、かっちり縛ったほうが確実じゃね?」
ろくに役立たない松小路は無駄な高身長を見込まれ、懐中電灯を両手に持たされた。
しつこく手にしていたウイスキー瓶は勝本栗沙があずかり、リュックへ入れるふりをして床へ置き去りにする。
「看護の人手が足りないってば。まったく動けないと火災とか犯罪が怖いし、この暑さで水分補給なしだと熱中症もあぶないし……ゾンビちゃんもお手洗いを使っていたでしょうが」
手首と足首を縛るだけなら、跳んで動ける。
何時間もの無力化は期待できないが、数分から数十分ほど追いかけられないことを目的とした拘束だった。
「治る可能性があるってのも考えもんだな? 定番のゾンビ対策がいろいろ使えない上、保護の手間がやたら増える……むしろ厳しくなってねえか?」
松小路は一行で唯一の大人でありながら最も非人道的にぼやき、栗沙はすでに慣れてしまった様子で意味のありそうな話題へ移る。
「それと感染者に残っている思考力や運動力がばらばらだから、どんな猛者がいるかもわからないし、いくら柔術部さまでも連戦はきつそーだし……とゆーかなぜか、だんだんゾンビが強くなってない?」
先頭の勝本栗也は足を止め、腰にぶらさげている点けっぱなしのアクセサリーライトをもう二本増やす。
「全体に少しずつ、動きがよくなっているかもな……悪化してんのか?」
真桑進は最後尾の補助についていた。
「薬が抜けてきたとも解釈できないかな? それで手ごわくなるのは皮肉だけど……春梅さん? なにか気になることでも?」
最後尾の主力である剣間春梅はしきりに周囲の影を気にしていた。
「いえ……おそらく、気のせいです」
春梅は自分が意外と暗闇を苦手としている気もしたが、弱音は体内で絞め落とすくせがついていた。
緊張と風通しの悪さで、補助役の栗沙でも汗ばみ、半そでシャツもはりつきがちになっている。
かみつき対策に装備していたタオルなども、すでに全員が腕以外の保護をあきらめていた。
栗也は大きく開けていたシャツの残り半分のボタンもすべてはずす。
それを見た栗沙も「うりゃあ」と棒読みしてボタンをみっつほど開放する。
モッサリ女子仕様の地味で楽そうなデザインは下着に見えにくいが、抑えられていたボリュームは真桑にも目測しやすくなった。
栗也はたびたび耳をすまし、周囲のうめき声を探る。
「降りて来た時より、感染者が減っているかも?」
栗沙もうなずいて原因を考察する。
「意識がぼやけていると、下の階へ流れる傾向があるとか? あるいは獲物が減ったとか……あんがい、おなかが減っただけとか、暑いだけとか?」
「妙にふだんどおりのことも多くて意表をつかれる」
「でも男子の感染者よりはマシかも。自分でいろいろやってくれるから……」
栗沙がにごした言葉に松小路がうなすく。
「さすがに男子も便所だけは根性を出して使おうとするらしいけどよう。済んだら気が抜けちまうらしくて、男子トイレの光景はだんだんとひどい有様に……いよいよ今夜中に脱出しねえとなあ?」
真桑もうなずきながらまゆをしかめる。
「そこはせめて『救出』とか『治療』と言ったほうが……いちおうでも教員なら」
六階まで上がれたが、その先の階段はバリケードの厚さが増していて、通過は困難だった。
階上をのぞきこむと、見張りらしき男子生徒と目が合う。
「あ、どうしよ……ちょっと待ってもらえます? ……今、呼びにやりましたから。オレら部良座高校の七階と、紫州田高校の八階・九階は抑えていますけど、それだけでも手一杯で……十階から上の未女学園はばらばらに閉じこもって、協力してくれない部屋が多かったんで。でもようやく、屋上までの通路だけは確保できたところです。放送で呼びかけていた紫州田高校の人がなぎ倒して仕切ってくれて」
栗也が「あー」とすべて納得した顔になる。
「すれちがいだったか。まあ、春梅さんや栗沙と合流できたから無駄足ではなかったけど……でもこれ、どこから行き来できる? ほかの階段ならもう少し通りやすそう?」
「いや、ここが一番薄いけど、どかすのはちょっと時間かかりそうで……あ、なんか、そのまま南の端へ向かうといいみたいです」
言われたとおりに南端の階段へ向かうと、みっしりとベッドや冷蔵庫が詰まったバリケードが見えてきた。
とても上がれそうにないと思った時、月明かりがゆらりと陰る。
窓の外から少女が見下ろし、優雅にほほえんでいた。
カーテンをつないだと思われるロープを握り、もう片方の手にはシーツをぐるぐる巻きにしている。
皆桐杏理華が次になにをするか、おおよそで察した栗也と春梅は栗沙と真桑を大きくさがらせ、直後にガラスが飛び散る。
数度の拳撃で窓枠の端まで一掃し、くぐりぬける姿もなめらかに、豪勢に編み上げた長髪が足をそろえて降り立った。
「ゆったりとお楽しみだったようですね? ではそろそろ、犯人を捕まえて騒ぎを終わらせに向かいましょう」
言い終わる前に背を向け、スタスタと歩き出す。
「えっ、ちょっ、お嬢ちゃん!? オレらも安全地帯へ入れてくれるんじゃないの!? あのロープで登るのはいやだけど!」
「松小路先生? 上の階では閉じこもる以外、なにもできませんよ? もちろん襲われにくい防備はしておきましたが、確実でもありません。一部を危険にさらしても分散したほうが、可能性を広げられます」
杏理華は階段を下りながら白手袋をはめ、ふたりの感染者を壁と床へたたきつけながら、移動速度をほとんど落とさない。
掌底で壁にたたきつけられた女子も、払い腰で背中を打った男子も、拘束するまでもなく悶絶して動けなかった。
「いつどこで事故や犯罪が発生しているかもわかりません。長期戦の疲労で状況はさらに悪化しかねません。そしてなにより、私が腹立たしいので! この手ですみやかな制裁を加えに向かいます!」
高らかに宣言しながら突き進む杏理華に全員が見えない鎖で引きずられ、松小路はおろおろと顔を見比べる。
「なに? あの子、頭だいじょうぶ?」
栗沙と真桑は『お前だけはそれを言うな。言いたいことはわかるけど』という顔をするが、口には出せない。
「あれが素です。教室では少しまともそうでも、部活中はいつもあんなです」
栗也が気まずそうに答え、春梅は遠慮気味につけ足す。
「同じ部の女子にも感染者が多く出ていますから、責任を感じてしまうのだと思います」
「それもありますが! 手の込んだ一流の犯罪に巻きこまれるならともかく! こんっな理不尽でふざけた変態趣味の狂気で、私の修学旅行の思い出が汚されるなど、許せないのです!」
「まあ、オレも許せないのは同じだ」
栗也がぼそりと答え、栗沙もコクコクうなずいて小さく挙手する。
「杏理華ちゃんさま。犯人てどこの誰でしょうか?」
「元凶はパラソル社の第三室長、植坂有葉人にしぼられました。しかし村長もなにか知っているはず……捕縛に協力していただけますね?」
杏理華がふりかえると春梅は遠慮気味にうなずく。
真桑と松小路はこわばった愛想笑いをつくるばかりだったが、そもそも杏理華には見向きもされていない。




