モーニングパニック
「いやぁぁあああ!」
誰かが叫んだ。僕はその時になって、自分が寝ていたことに気がつく。
「腕が…腕がない!私の腕が!」
僕はその叫び声を聞き、慌てて重たい瞼を上げた。脳が覚醒しきっていないせいで頭痛がするけれども…今はそれどころじゃない。
「クリアさん!落ち着いてください!クリアさん!」
クリアさんが立ち上がり、右手で頭を掻きむしりながら叫んでいた。僕の存在に気づいていないらしく、1人で恐怖に顔を歪めていた。
「いや!いや!放して!腕がないの!」
僕はクリアさんの右肩を掴み、耳元へ何度も呼びかけた。
「聞こえますか!僕はトシです!あなたに牢で助けられました!」
「放して!腕が…腕が!」
「クリアさん!こっちを見てください!」
呼びかけに一切応じてくれなかったので、僕は強引に彼女の顎を掴み、顔を僕の方に向ける。
「僕を見てください!トシです!忘れましたか?」
「トシ…………………さん?」
クリアさんが僕を認識した。すると今度は僕の胸に泣きついてきた。
「トシさん…うぅ…腕が…」
僕は彼女の背中をさすり、一緒に地面に座る。
アニメやドラマのイケメンはこういう場面でどんな行動をしただろうか?なんて声をかけるべきだろうか。僕に泣きついてきた彼女は左肩から何もない。牢に閉じ込められ、見捨てられた僕らを解放したのは彼女だというのに…その代償は計り知れない。この世界に神はいないのか。
「クリアさん…」
ふと空を見上げた。青い空だった。太陽もギラギラと輝いている。このサンドウッドの街はこんなにも暑かったのかと思い知った。昨日は寒かった。今は消えているが、焚火がないと寒くて死ぬとまで思ったほどに。クリアさんも凍死するのではないかと心配した。
「大丈夫…じゃないですよね?」
けど、もう日が昇っている。クリアさんは生きている。
「何があったんですか…?サンドウッドは?」
クリアさんは落ち着きを取り戻したらしい。僕から離れると周囲を見た。彼女は荒廃したこの街がサンドウッドであることを知らない様子だ。さて、何から話すべきかな。
「まずは食事にしましょう」
「食事?」
「ええ、パンしか手に入りませんでしたが」
僕は焚火跡の近くに山積みにしてあった荷物からフランスパンのような…パン?を1本、クリアさんに渡した。固くて長くて…やっぱり、フランスパンだ。
「ありがとうございます。それで…ここは?」
「サンドウッドです。僕らがいる場所は広場ですね…たぶん」
僕らがいる場所は以前、民兵組織が集会を行っていた場所だった。その地下にも空間があり、巨人が通ったことで広場も陥没被害を免れなかったようだ。広場の地下は無数の部屋があったため、僕はその中の小さな一室を借りていた。正確に言うのなら、その一室を押し潰した天井の上を拠点とした。地上から一段下がったところにあるため、夜風を防ぐのにちょうどよかったのだ。
「巨人の重みを地下が支えられなかったみたいです。だから、巨人が歩いた場所を中心に陥没していると思われます。クリアさんのその…………左腕も瓦礫に潰されていて…応急処置はしたんですが」
「…………………そうですか。トシさんは私の命の恩人なんですね」
「僕も牢にいたら、今頃、この部屋みたいに天井に押しつぶされてしまったでしょう。改めて、僕の方からお礼を言わせてください…開錠してくださり、ありがとうございました」
「私も…トシさんがいなければ、凍死していました。こちらこそ、ありがとうございます」
そうなのだ。彼女は「僕がいたから」左腕を失ってしまったのだ。僕がクートさんを助け出そうと彼女に声をかけたせいで、僕らは巨人と出くわしてしまった。僕が声をかけなければ、彼女は巨人を見て、もっと遠くに逃げるだけの時間があったはず………………でも、逃げ切れずに死んだかもしれない。つまり、結果論にすぎない…でも、考えずにはいられない。僕は強い人間じゃないのだから。
「トシさん?左腕のことは気になさらないでください。私も王国兵。覚悟の上です。それに腕1本でも引き金は引けますから」
「そう…ですか…」
クリアさんは強い人だ。
「ところで、そちらの荷物は?」
クリアさんは立ち上がり、僕の後ろにある荷物の山に近づいてくる。改めて向かい合うと…彼女は175㎝ある僕と同じほどの背丈だった。現代日本に連れて行ったら、きっとトップモデルも夢じゃない。
「あぁ、えっと…広場の奥に商店街があったので、使えそうなものを瓦礫から掘り起こしてみました。食料と衣類がほとんどですが」
「なるほど。だから着替えられていたのですね。その服、よくお似合いです」
「あ………………………どうも」
そういえば、僕は着替えていた。囚人服の恰好じゃ寒すぎたから、西部劇ガンマンよろしくな服装に着替えていたのだ。自分の短足具合に泣きそうになった記憶がある。
「では、私も食事より先に着替えましょうか…服は血まみれで、少し臭い気もしますから」
クリアさんは荷物の中にパンを戻し、代わりにいくつかの衣服を抱えた。
「えあっと…大丈夫ですか?」
あ、ダサいな。今の慌て方。
「はい?」
クリアさんは僕の言葉に首を傾げ、一旦左肩に目を落とすと、苦笑いを浮かべた。
「まだ傷口は痛いですが、片手でも着替えくらいはできますよ。それとも…」
彼女の頬が少し赤くなる。
「あ、すみません。ちょっと見回りしてきます。生存者がいるかも!」
僕はその数倍も顔を真っ赤にさせた自覚を持って、彼女に背を向けた。
「ふふっ…お気をつけて」
クリアさんの笑顔を拝むことができず…まことに残念なことをした。