6.彼の動悸
どうしよう。
眠い眠い眠い不安と恐怖。
今すぐにでも駆け出してしまいたい衝動とこのまま何時迄も蹲って何もかも投げ出したいと思う気持ち。
天秤は傾かず立ち上がったまま動けないでいる。
寒さだけではない何かに震える身体を抱きしめ。今なお、瞼の裏を鮮やかに染め上げるのは赤い血飛沫。
本当にスローモーションみたいにゆっくりと倒れていった。サンタクロース。
笑みの形に歪んだ口元。
獲物を引きずり掛けて行く後ろ姿。
背後に聞こえた甲高い悲鳴を合図に走り出しーー
ハッと目を開く。
冬の朝の張り詰めた空気。まだ暗い。
固くて冷たいベンチの感触と夢の続きみたいに震える身体。
水の止まった中央広場の噴水には氷が張っている。ざわざわと僅かな風に揺らぐ枝葉。
薄明るい日差しの覗く前に。
まだ街が眠っている間に。
駆け出した。
白い息が幾つも空に溶け消えていく。脈打つ心臓の音がやけに煩い。
目指すのは街の北部、小高い丘の上。
石畳。静かな空間に足音だけが響く。
もっと静かに行動しなければいけないと思うのに不安と言いようのない焦りに身を焦がされて。気ばかりが急いて身体が重たく感じる。
煉瓦造りの茶色い家々の間を抜けて宿場の並ぶ『こいこい通り』を突っ切り、幾つかの裏路地を使って『出会いの街角』を曲がると目的地の目印とも言える巨大な大樹が正面に現われる。
葛折りの長い、長い階段を駈け上がり街を一望できる展望台へと辿り着いた。
ハァ……ハァ……
ガクガクと膝が震える。手をつかなければ立っていられない。息が整わない。
ハァ……ハァ……
額から汗が流れ落ちて地面を濡らす。
息をするのに喉で何かが絡まり嫌な濁音が混ざる。
ハァ……ハァ……ン、グッ……
ここまで走って来た意味があるのか正直解らない。身体全体が暑い。体内の熱が出口を探してグルグルと暴れ回っている。
……ハァ…………ッ
僕が顔を上げたのと太陽が顔を覗かせたのは同時だったのかもしれない。
何故このタイミングで顔を上げたのか。
何故このタイミングで昇ってしまったのか。
もっと太陽が昇るに相応しい瞬間があるんじゃなかろうか。
この嫌がらせじみたタイミング、誰に文句をつければいいのだろう。
浮かび上がるシルエット。
太い枝から真下へ伸びる一本の線とその先の塊。
風はない。
目があった。