第五話 『過去の恥ずかしい話の一つや二つ』
なんとか無事にバカ若たちを旅館に送り届け、布団に寝かせることができた。
やっと終わったわ。
どっと疲れがでた私は、鉛のような体を引きずりながら家に帰り着替えもせず布団に横になった。
こんなに布団が愛おしく恋しく思ったことはなく、掛け布団に抱きつき頬擦りをする。まさに至福の時である。
「竜子! いつまで寝ているか! さっさと青地様の警護に行ってこんかぁ!」
「……ついさっき帰ってきたところよ……休ませてよ~」
徹夜明けでこのオヤジの大声は体に悪すぎる。
「若い娘が朝帰りだと、一体何をやっとるか! また、昔の悪い癖でも出たのか!?」
「そんなんじゃなく、護衛で朝まで祇園にいたのよ」
「そうか! お前は護衛の役目があるんだ、早く起きろよ」
距離感の掴めない大声の残響だけを残して出仕していった。
これでゆっくり愛おしいお布団にくるまっていられる。深い眠りに落ちた。
――幽体離脱していた魂を体に引き戻し、名残惜しい最愛の恋人の布団と今生の別れをすませると、お父さんが用意してくれていたであろう朝のご飯とお味噌汁と漬物を食べる。
そして出仕する前に母の仏壇に手を合わせる。
――三年前、最愛の母を病気で亡くし、最近まで母の死に向き合うことが出来ず逃げ、阿国さんにやられ、母の死を受け入れれるようになってからは毎日手を合わせるようにしている。それでも、父との確執は完全には消えていない。母の臨終の間際まで仕事で家を空けていた父を怨み、そして母を失った寂しさを忘れるように私は紅夜叉と呼ばれる無頼漢になった。
更生した今でも父についてのシコリは残っているのが正直なところだけど、それでも母に心配掛けないようにしようと、感情を消す努力をしていた。
――出仕前の母への挨拶も済み、私はバカ若の泊まっている旅館へと向かった。
はあぁぁ~……。
二人の泊まっている部屋に行くと部屋は酒臭く、まだ深い眠りに落ちていた。
しかし、黙って寝ているとバカ若は女の子に見えるほど綺麗で、ほんと見惚れてしまう。
まぁ、特に何かするわけでもないので、起こすのもかわいそうだと思い、旅館の庭を借りて剣の稽古をしようと出た。
木刀を振りながら、こんなところでぐずぐずしている場合じゃないんだ私は、仕事に精を出し亡くなったお母さんを安心させるために、そして、嫌味な宗矩達や昔の私を蔑み白眼視する人たちを見返すためにも私は頑張るんだ! と木刀を一振り一振りするごとにそう強く念じる。
「精がでるねぇ帰蝶ちゃん。」
「あ、おはようございます阿国さん」
相変わらず、男物の着物を着崩し、セクシーに足をチラつかせて立っていた。
「そない怖い顔してると男が寄ってこないわよ」
「結構です。今は仕事に打ち込んでいるんです。男になんて興味ありません」
「ふーん。ところで、暇そうやし今から幽霊寺のほうに行かへん?」
「どこをどうみたら暇そうなんですか? だいたい私は青地様の警護の仕事がありますから無理ですよ」
まったく、どこまでマイペースな人なのかしら? ってか、どんだけ幽霊寺に行きたがってるのよ。
「でもさ、あそこ天神川三条辺りにある廃寺は、前々からそんな噂なかったのにここ最近になってからそない話が出だしたんよぉ。おかしいとおもわへん?」
「誰かが面白がって流した噂じゃないんですか?」
確かに阿国さんの言うとおりおかしなところもあるが、それだけで仕事をほっぽらかして行けるわけないじゃない。
「いや、芸能仲間やお座敷連中や浮浪民の人たちに聞いても知らへんっていってんや、おかしいやろ?」
なんで阿国さん、こんなに食い下がるんだろう?
「……まぁ、確かにおかしいですけど、なんでそこまでして私を誘うんですか?」
「う~ん。なんや、あんたの目が昔に戻ってるような気がしてさ……」
「昔の目?」
珍しく阿国さんが言いにくそうにしながら私にそう言ってきた。
「お腹を空かせた獣のようなギラついた瞳の中に哀しみを宿したような、そないな目をしているのよあんた」
「いい加減にしてください! そんな訳の分からない例え話して、私はもう立ち直ったんですから」
――なぜだろう、私は阿国さんの言葉をムキになって否定しようとしていた。
でも、私はあの頃とは違う! 母の死を受け入れ、父を許し仕事を一生懸命こなそうと日々頑張っているのに、それなのに阿国さんは何も分かっていない。
「人ってもんは、意外と自分のこと分かってへん時もあるからね。特に何かから逃げようとする時ほど自分を見ようとしないもんさ」
阿国さんの目はいつものおチャラケた目ではなく、紅夜叉として出会ったときの羅刹鬼の目。
そう、一年前の出会いの時と同じだった。
――一年前の京都――
まだ寒さの残る京都の祇園を、紅で目の両端を切れ長く見せ、唇も上だけ紅く塗る化粧を施し、腰には二本の刀と背中が大きく開けて着物を着る。その着物の背中には夜叉の姿まるで燃え盛る炎のような紅い刺繍を施していて、眺めの真っ赤な帯を地面に引きずる程余らせ草履という出で立ちで、大勢の舎弟を引き連れ大見得を切って闊歩する紅夜叉。
この町で私に逆らうものはいなく、誰も彼も私と視線を合わせず穢れたものを見るような目で見てきた。それでも当時の私はそれが気持ちよかった。
「誰に銭払えって言ってんだおっさん!」
私の前に、食事処のオヤジが扉ごと転がり出てきた。
「もう、いい加減にしてくれ、これ以上ただで飲み食いされたら死活問題だ」
「そんなこと知るか! 他の客からぼったくればいいじゃねえか」
店の主人を恫喝している男は私の舎弟の一人であった。
「あっ、紅夜叉さん!」
こっちに気づいた舎弟が私に挨拶しようと、歩み寄ろうとすると、「もう、帰ってくれよ頼む!」店の主人が舎弟の足に捕まり懇願するように訴える。
「てめぇ、気持ち悪いんだ放しやがれ!」
そういうと店の主人を乱暴に蹴りつける。それでも店主がしがみついた腕を離さないので、何度も何度も蹴りつける。
「お勘定もらうまでは離さない」と頑なに離そうとしなかった。
そんな騒動が起きていても、周りの大人は誰一人店の主人を助けようとしなかった。
見たくないものは見ず、危険なことには係わり合いにならないようにする
――それが大人ってものなんだとしみじみ思い知る光景に私は反吐がでそうなほど気分が悪くなる。
どんなに愚で奇天烈な格好をしていても私達は仲間を見捨てたりしない。大切な人の傍にいない冷血な大人になんかなりたくない! なるものかと思った。
「紅夜叉さん?」
私は、店の主人を蹴り続ける舎弟の肩に手を置くと、蹴るのをやめ私に場所を譲る。
足元でボロボロになっても舎弟の足を離さない店主を見下ろし、そしておもむろに刀を抜く。
その姿を見て、男達が生唾を飲む音が私にまで聞こえた。
私の一挙手一挙足を見守る舎弟や町の住人達を横目で見ながら、右手に鈍く光る刀身を舐めるように見る。
そして一呼吸置いてから、私が刀を振り上げると、店主は怯えた顔で見上げる。その鼻先に刀を振り下ろし、地面に突き立てた。
「このままだと死活問題だっていったねあんた。だったら、今死ぬのもかわりないだろ? ちょっと踏み出すだけで楽になれるよ」
店主は私を見上げ、そして地面に突き刺さった刀を見る。
「さあどうした? 死んで見せなよ!」
瞬く間に血の気が失せ、大きく開いた唇は震え言葉にならない音をのどから鳴らす。
簡単に死を口にする奴は死を現実に想像できない愚か者か、頭のネジが壊れた馬鹿だけだほとんどは前者しかいない。
「死ぬ気もないのに簡単に死を口にするな!! それと~~、お前らぁ、ただ見ているだけか? 同じ町内の仲間を助けようとは思わないのかい?」
私の啖呵に、遠巻きに見ていた大人たちは視線を逸らして逃げるだけだった。
ほんと大人は腐っている! 見て見ぬふりをして危うきには近寄らずとか抜かしてきれいごとばかり並べて逃げやがる。
そして、大切な人の臨終でさえ、仕事だと言って看取らない!
どいつもこいつも腐りきってる!
「ケラケラケラ。小娘が知った口きくじゃないのよ」その人はまるで、春一番のように私の目の前に現れた。
腰まで届く髪をふぞろいに切り、男物の着物を着崩し背中が見えるほどあけ広げ、右の腰には脇差刀、左の腰には二尺ほどありそうな巨大な煙管ぶら下げ、なによりも目を引くのが左肩に担いだ五尺はありそうな巨大な大太刀で、それを無造作に持っているのが長身の女であったことだった。
その女は妖艶と表現するには物足りなく、禍々しさと清々としている、相反する両極端を同時に宿したような、そんな存在の女が私を見下ろすように眼前で立ち塞がっていた。
「……お、重いんですが――」
私の前に立つ女の足元から店主の声が聞こえると、どうやらその女は店主を踏みつけながら平然と立っているようだ。
「あら失礼――まさかこんな道端で寝てはるとは思わんかったさかいねぇ」
悪びれた様子もなく女は店主の背中から降りると一歩後ろに下がる。その背後には、三人の男か女か分かりにくい派手な着物や装飾品で飾り立て、決して強そうには見えない連中が、にやけた顔で私達を見ていた。
「なんだ、おんなぁ~~?」と店主に食って掛かっていた舎弟が、ドスの効いた声で私の目の前にいる長身の女に食って掛かる。
長身の女は素早く右腰にある脇差刀の鞘を持ち、柄の先を舎弟の喉につきたてる。
「これは女同士の語らいやさかい三下は下がっていな」
柄の先を喉につきたてたまま、真っ赤な紅のひかれた唇を三日月のように開き女は微笑みを浮かべるが、その全身に纏っている気迫は殺気に満ちていた。
その気迫に押され、舎弟はそのまま力なく尻餅をつく。
そこらへんの奴ならそうなっておかしくないだろう。が――
「うちの舎弟に何してくれてんのさ?」
情けない舎弟だが、このまま舐められっぱなしではこの先この町で大きな顔をして歩けなくなる。
けじめをつけるべく私は、長身の女に負けないぐらいの殺気を放ち睨み返す。
「弱い者が更に弱い者いじめとったから、笑い話になるかと思って声かけさしてもらったんよ」
長身の女は見下すように、嘲りの微笑を浮かべ私を見る。
「うちらが、弱いって?」
これだけバカにされたのは生まれて初めてで、私はこの女に怒りと興味を同時に持った。
「そりゃそないでしょ? おんなじようなこと天下の太閤さんにできおすか?」
「フン、大人の詭弁だね。それだったら、あんたは同じように大見得切れるのかい太閤に!」
どうせこの女も適当な理由をつけて、のらりくらりと誤魔化すに決まっていると――そう思い微笑を浮かべようとした時だった――まるで私の心を見透かしたかのような笑みを浮かべ、女が滔々《とうとう》としゃべりだした。
「ええかい小娘。あたいたち芸能者は人に見られることは意識するけども、人にどない思われるかは気にしてないんだよ。あたいたちはあたいたちの生き様を極め生きようとしているのさ。だから、あたいたちは好きな服を着て、好きなように歩く。世間がそれを見て白い眼を向けようが関係ない。せやけどなぁ、あたいたちのこの生き方を力でねじ伏せようとするなら、例えそれが太閤様やろうとあたいたちは戦うのさ」
声を荒げることもなく、説教する口調でもなく、ただただ淡々と語る言葉に力強く一本の芯を感じたことはなかった。
それほどこの女の語る言葉を本気なのだと感じた。
「そやからあたいたちのことを理解させようと、力でねじ伏せる事は決してしない。あんたたちみたいにね」
「好き勝手言ってくれるじゃないの……」
このままこの女の言葉を聞き入れるわけにはいかない。今まで自分がやっていたことが間違いだと認めることになるから、だから私は刀の柄を握る。
「もっと素直になりなさいな、お嬢ちゃん」
「お前達、この女を黙らせろ!」
恐怖を払うように私は大声で叫ぶ。舎弟たちは一瞬躊躇いを見せたが私には逆らうことが出来ず一斉に刀を抜いた。
「阿国ちゃん、また楽しそうなことやってるのかい!?」
いつのまにか私達を取り囲むように人垣が出来ていた。
その人垣から次々と前に出てくる男達。ある男は魚売り、ある男は籠屋、またある男は浮浪民、更に役者の男達など、様々な身なりの男達が次々と前に出ると私達に詰め寄ってきた。
「な、なんだ、てめぇら!?」
舎弟の一人が怒鳴って相手を威嚇しようとしたが、さまざまな身なりの男達はまったく気にするそぶりも見せず、私達を囲む輪を平然と縮めてきた。
「次に前へ出た奴から殺す!!」
脅しじゃなく本気だった。それが分かったのか、男たちの歩みが止まる。
「あんたたち野暮な野郎はそこで見ていな。ここからは女同士の戦いさ」
阿国と呼ばれた女が担いでいた大太刀を抜くと、それを右手一本で楽々と操る。
私も刀を抜き阿国を正面に見据えて構えた途端、自分が高揚しているのを感じ取れた。
この女となら心を覆う黒い靄を払い、色々なわだかまりや嫌なことを忘れ、無我の境地に達する殺し合いが出来る喜びに――
「あんた、二刀流じゃないのかい?」
「そんなバケモノ刀に二刀は必要ないね、一刀で十分さ」
私の一言に、阿国は軽々と大太刀を振り回す。その一振りによる風圧だけでも私を圧倒していた。
「そやったら、あんたが本気になるまであたいも右腕一本だけで相手してあげるよ」
これは試合じゃない喧嘩だ。阿国がしゃべり終わる前に私は踏み込んだ。
あんなバケモノ大太刀だ、懐深くに入り込めれば楽に勝てると一気に間合いを詰め、斬りかかった。
私の上段切りを阿国は手首を返して刀で受け止める。そして、受け止めた私の刀を押し返そうと腕を上に上げようとするが、私は両手に力を加え押し返した。
すると阿国は大太刀の切っ先を地面に向け力を流す。私は姿勢を崩すが、すぐさま体勢を立て直すと阿国に十分な間合いをとらせまいと懐へ踏み込む。
今度は無理に力押しせず速度を活かした連続攻撃を繰り出す。しかし、阿国はすべてを右腕一本で巧に防いでいく。大太刀の長さの不利を補うため、切っ先を地面すれすれの位置に置くことで大太刀の根元を上手く扱っていた。
「二刀やったら結構あたいに深手を負わせれてたんやないの? ほら、今も切れてた」
私を嘲り、二刀を使わせようと挑発してくる阿国。
確かに、この女に言われなくても何度か二刀なら切り付けれるタイミングはあった。
だけど、そう思わせることも、この女の計算ではないだろうかと勘ぐってしまう。
そんな気持ちの揺れを見逃さず、私の大振りを阿国は回転してかわすとその回転を上手く使い大太刀を振り切りつけてくる。
慌てて、大きくかわした私を嘲笑うかのように、私がいた場所の手前で大太刀を止める。そしてしたり顔で舌を出しておどけてみせる。
「さすが、阿国さん楽しませるねぇ」
阿国の挑発に野次馬共が騒ぎ出す。
「あ、あの紅夜叉さんが、遊ばれてる……」
その歓声に私の舎弟たちは飲まれる。
あー、うっとおしい。
外野のざわめきに私は苛立つ。しかも、さっきの攻撃をかわす為に阿国から離れてしまった。阿国の有利な間合いに立ってしまった私は、打開策を講じようと思案を巡らす。
阿国はゆっくりと大太刀を正面に構える。
だが、自分に有利な間合いだというのに仕掛けてこない。そればかりか、見下した笑みを浮かべ大太刀の切っ先を上下に揺らし挑発してくる。
ほんといけすかない女だ。
この決闘を見ている野次馬共の阿国に対する応援が五月蠅くてしかたない。この外野の声を黙らせ、目の前に立ついけすかない女を切り伏せるには――左手を刀からゆっくり離し、左の腰に帯刀している刀を鞘ごと抜くと、後ろに隠し右手に持った刀を阿国に向け、体は左肩を後ろに下げて居合いの姿勢をとる。それが、私が編み出した我流の二刀剣技――二刀流抜刀斬りの構え――
私の構えを見るなり、今まで無駄にしゃべっていた阿国だが、口を閉じ表情を消すと大太刀を両手で握り構えをとった。
ようやく阿国を本気にさせたと、少し喜ぶ自分がいる事に驚いた。
命のやりとりなのにどこか清々しく、胸の鼓動が高鳴り、早く目の前の女と刃を重ねたいと逸る気持ちを抑えるのに苦労するぐらいだった。
無遠慮に覇気を放つ阿国に、外野の連中はみな黙り込む。
お互いの間合いを量り、気が合うまでじっくり睨み合う中、阿国の口元が僅かに緩む。
「あんたも、あたいと同じ穴のムジナって感じやね。本気を出せる喜びを知っている者の顔をしてはるわ」
阿国の言葉に、自分の口元も僅かに緩んでいることに気づく。
今まで暴れても暴れてもスッキリしなかったが、こうして阿国と間合いを量り合う時間は、モヤモヤとしていた気持ちを忘れられていた。
いつまでもこうしていたいけど――そうはいかない!
始めがあれば必ず終わりがくるもの。私はこの女に勝って、また霞のかかった日常を繰り返すだけだ。
そう、この女に勝って……。
ジリッジリッと、阿国との間合いを量っていると、意外にも阿国が先に攻め込んできた。
しかも「はやい!」
両手で大太刀を持ったことにより、その刀捌きの速度は格段にかわっていた。かわすことが無理だと判断し二刀を十字にして大太刀を受けた時――重い! まるで巨大な岩でも受け止めたような衝撃で、腕ごと刀が折れるのではないかと思うほどの一撃に、今まで貯めた気力が根こそぎ持っていかれたようであった。
たった一合でこの威力、まともに斬り合うと私の身がもたないと判断した私は、阿国の大太刀を受けるのではなく流すことにした。
それでも刃と刃がぶつかり合うたびに激しい消耗を強いられ、防戦一方となってしまっていた。
それでも私は二刀流抜刀斬りの構えで、虎視眈々と阿国の隙を窺う。
阿国が私の右横から水平切りをしてきた――ついに訪れたチャンスだった。
私は切っ先を下に向け、その水平切りを受ける――が、その威力は想像以上で、受け止めた刀と身体ごともっていかれそうになったが、両足を踏ん張り渾身の力と気合で阿国の大太刀の衝撃を耐えた。
大太刀を受けたまま刀を地面に向け振り下ろす。鍔が大太刀の刃ひっかけ一緒に降りると、そのまま自分の刀を地面に突き立てる。それに引っ張られた阿国が少し態勢を崩した。その隙を作り右手に握っていた刀を離し、左手の刀に手をかけ刀身が煌めく。
阿国の大太刀は、私の刀に絡められているので一瞬反応が遅れる。
そう私にとっては一瞬でよかった。
その一瞬ですべてが終わるのだから――
「勝った!」と私は思った。――瞬間、激しい金属がぶつかる音が町に轟いた。
私の必殺の一撃は、阿国の右の腰に差していた脇差で受け止められていた。
神速と謳われた私の居合抜きを――今まで破られたことのない必殺の剣技を、受け止められた。
呆然としていた私の腹部に重い衝撃と激痛が全身を駆け巡った。阿国の蹴りで大地がひっくり返ったように転がり倒れる。本能的に起き上ろうとした私の右腕を阿国が踏み、喉元にひんやりとした大太刀の切っ先が触っていた。
見上げると、阿国の瞳には人を殺すことに躊躇いも恐れもない光が宿り、私を見下ろしていた。
負けた。負けた。負けた……。いや、負けたことに悔いはないけど……いや、悔しい……そんな自分でもよくわからない感情が渦巻く。
「あんた強いね、名前はなんてゆーのさ?」
敗者の私を見下すように阿国が問う。この期に及んでまだ私をいたぶって楽しもうって魂胆なのだろうか? いけすかない、本当にいけすかない女だ!
「名前なんてどうだっていいだろ、さっさと殺しなよ!」
最期まで自分らしくあろうと、見下す阿国を睨み返す。
「べ、紅夜叉が、ま、負けたぁーーーーーー」
そういい残し、舎弟たちは私を置いてさっさと逃げていった。
走り去っていく舎弟たちの足音を聴き、虚しさと、もうどうでもいい、といった感情が一気にこみ上げ、すべての緊張が解けたように、私は路上で大の字になって寝転んだ。
そんな虚無な私の額に小石が当たる。
「その女殺してしまえ!」と一人の町人が叫ぶと、一斉に私に向け石を投げだした。それと共に罵声も飛び交う。
その声と石の多さは私への恨みの多さなのだろう――などと考えたが、もうそんなことすらどうでもいいと思った。元々投げやりに生きてきた人生、もうどうだっていいと目を閉じた。
「うるさいよ町人共! 相手が弱ると急に息巻いて、みっともありゃしないね! この女はあたいの獲物や黙ってな」
阿国が啖呵を切ると、一瞬で投擲や罵声が止んだ。
そして、動きを封じていた大太刀を外すと右腕から足をどけ私を自由にした。
「……お情けなんていらないよ!! さっさとやりなよ」
死を望む私は大地に寝そべったまま動こうとしなかった。
「あんたの目が腐っとったら遠慮なくやってたけどね。あんたの目はギラついとったけど、哀しみに満ちとった」
阿国は私の目を覗き込むように見つめてきた。
出会ったばっかりの女に私の何が解るというの! 口からでまかせに決まっている。私は阿国の視線から顔をそむけた。
「人ってのは辛い事から逃げる時、人や物を傷つけたり壊したりする人種と、自分自身を傷つける自傷行為をする人間と分かれるんよ」
何をいいだすんだこの女……?
「でも、人や物を傷つけている者でさえ、結局は自分を傷つけてるのと一緒なのさ」
「なにがいいたいんだよ!」
「そやさかい、心の痛みから逃れようと自分を傷つけて、心の痛みより強い痛みでごまかしとるんやけど、そんなんじゃぁ心の傷は治らんよ」
したり顔で説教する阿国に、「あたしはそんなんじゃない! あたしはただ、あたしはただ……」なぜか、その先の言葉がでなかった。
「心の傷も身体についた傷と同じで、必ず傷跡が残り、それは決してなくなることはないもの――だからさ、痛みが治まるまでのたうちまわればええのよ」
「……のたうちまわる?」こんなことを言う人とはじめて出会った。
「泣いたり、叫んだり、走ったり、痛みから逃れるんじゃなく全身で痛いといっちゃえばええのよ。痛みを堪えようとするさかいにしんどいのよ。気持ちのまんま叫べば、徐々に痛みも和らいでいくさ」
頬を熱いものが伝うのを感じた。
母が亡くなった時でも出なかったのに……。いや、出なかったのではなく、母の臨終の時でさえ仕事に没頭していて看とらなかった父を怨み、憎むことで悲しみを忘れようとしていたから、母の死を受け入れようとしなかったから出なかったんだ。
母の死から逃げようとしていただけだった私は――。
でも、阿国さんの言葉で、頬を伝うものがどんどん溢れ出してくる。今まで抑え込んでいた悲しみが一気に溢れだし、いつしか声を出して泣いていた。
「かあさん……かあさん……かあさん」
<つづく>
――次回 第六話 『宴会だけじゃないんだからね!』――




