第二話 『その女、取扱注意』
「阿国さんに関わるとろくなことにならないからなぁ……」
――ほっと胸を撫で下ろし、思わず声が漏れる。
「誰に関わるとろくな目に合わないやて?」
「うきゃっ! お、阿国さん!?」――う、迂闊にも変な奇声を上げてしまった。
「天下の紅夜叉ともあろう者が、なんて声出してはるんや」
「もう、その呼び方止めて下さい」
「べ、紅夜叉だってええええ!」引ったくり犯が顎が外れんばかりに驚く。
まぁ、無理もないかぁ。紅夜叉の事を知らない京人はいないからね。
「紅夜叉といえば――」
――ほら始まった紅夜叉伝説……。
「一年前まで京の町を縦横無尽に暴れ周り、太閤秀吉でさえ手出しできなかったほどの天下の傾奇者と言われた女傑」
やっぱり、かなり話が大きくなってるし……。
「しかし一年前、忽然と姿を消したと聞いとったが、姉さんがあの紅夜叉やったとはねぇ……。そりゃ捕まるわ……」
引ったくり犯は、まるで希少動物を見る様な眼差しで私を見てくる。
「あんたもそう思うやろ? 人は見かけによらへんよねぇ……」
じとりとした目で、阿国さんと引ったくり犯が私を見る。
「……よくいいますね阿国さん。あなただって悪名高い通り名があるじゃないですか!『鬼を食らう鬼〈羅刹鬼〉』なんて大層なものが」
「な、なんやてえええええ!? そっちのねーさんは、あの羅刹鬼!!」
引ったくり犯は阿国さんから逃げるように退く。無理もない――
「羅刹鬼……。裏の世界に関わる者なら、誰もがいっぺんは名前を聞く殺し屋――羅刹鬼に狙われて、生き延びたものはいないとまでいわれる伝説の暗殺者……それがあんたなんて、ほんまでっか?」
私の背後に隠れながら、引ったくり犯がおそるおそる尋ねる。
「きゃきゃきゃ。凄い話になってるわねぇ、おもろいわぁ――そやけどね、生き延びた人はいないってウソやから。現にそこに生きとるさかいに」
阿国さんはそう言うとこっちを見る――二人してそんな目でみないでよね……。
「……まさか一年前、紅夜叉が忽然と消えたのは、羅刹鬼と戦って負けたからかいな」
やってやったって顔で私を見てくる阿国さん。
確かに一年前まで私は反抗期だった。抜き身の刀のように触るものすべて傷つけていたけど、阿国さんこと羅刹鬼に負けたことで、すっぱりその道から身を引き、こうして京の町を護る見廻り隊隊士として第二の人生を歩き出した。
その件に関しては、阿国さんに感謝しているけど……。
――阿国さんが、こんな奇天烈で騒動屋とは知らず、なんだか今は、この人に更生させられたかと思うと納得できない自分がいる……。
「とんでもないねーさん方に捕まったもんや……」
引ったくり犯は肩をすくめ歩き出した。
私も早く引ったくり犯を詰め所に連行して、この手柄で私を連続押し込み強盗事件のメンバーに入れてもらえるように東郷隊長に直談判するんだから――あれこれ考えながら歩いていると、背後に凄く恐ろしい気配を感じた……だが、あえて無視して歩く。
――歩く。歩く。歩く――
だが、背後の気配がいつまでも離れず、しかも無言でついてくるし……。
「ね、ねーさん、後ろ……」
「うるさい! 黙って歩きなさい」
引ったくり犯が言おうとしていることは重々承知していた。だけど、ここで重圧に屈して話しかけたら私の負けだ、負けなんだ……。
――けど……。
――やっぱり……。
――無理……。
「……もう、どこまでついてくるつもりなんですか? 阿国さん」
私が話しかけると、勝ち誇ったように阿国さんはニンマリと笑った。
なんだか負けた気分……。
「いやねぇ、最近聞いた話やけど、天神川三条辺りにある廃寺に出るらしいよ――これが……」――と、阿国さんは両手を前に出して、幽霊の格好をした。
「今までそんな噂話一つでなかった場所なんですよ、それが急に出るなんて不自然でしょ? ウソに決まってますよ」
「それを確かめたいんやないの。一体誰が流したウソかってね。帰蝶も気になりだしたやろー!」
言い出したら引き下がらないんだからこの人は……。
「お一人で行ってきたらいいじゃありませんか。その後で報告聞きますよ」
これ以上与太話に付き合っていられない。
「あぁん。帰蝶ちゃん冷たいんやから、か弱い女性に何かあったらどないしはるつもりよ。それが京の町を警備してはる見廻り隊の言葉なん? ひどいわぁ……」
いやいやいや、お強いですから! ほら、引ったくり犯も呆れ顔で阿国さんをみてるからね。と心で毒ずく。
「見廻り隊も忙しいのです。まずは、この引ったくり犯を詰め所まで連行しなければならないのですからね」
なんとか心の声を抑え、大人な態度で阿国さんに接した。
「それならええ方法があるから、ちょっと着いてきてー」
阿国さんは私の手を掴むと、か弱い女性とは思えないほどの力でひっぱっていく。
「ちょっと、阿国さんどこいくんですか?」
「なーに、手っ取り早い方法さ」
抗うことが出来ず、引っ張られる私と引ったくり犯。
――しばらく行くと、とんでもないところに連れて来られた。
「阿国さん……ここって、聚楽第じゃないですか……」
聚楽第とは、関白になられた秀吉公が政庁兼邸宅として天正十四年に着工して翌天正十五年に完成した別荘のような建物のことである。そして、今は茶聖千利休様が謹慎させられている場所でもあった。
その為、千利休様の身柄を奪還しようとする大名がいるかもしれないと、聚楽第の警備は越後の雄上杉景勝様配下の武将が、その任に当たっている。今京の都でも一番警備が厳重な場所である。
しかし、なぜわたし達をここに連れて来たのか?
「こんなところに何の用事ですか?」
「ここに、その引ったくり犯を投げ入れたら瞬く間に切り殺されるさかい、そしたらわざわざ詰め所まで連れて行かなくて済むさかい。――で、幽霊寺に行こ」
『アホかいいいいいっ』
私と引ったくり犯は異口同音でツッコんでいた。
「そんな非人道的なことできますか!」
「で、ですよねぇ~紅夜叉さん。このねーさん無茶苦茶や……」
「その紅夜叉って呼び方止めてよね!」
「ええ考えやと思ったのになぁ~」
腰をくねらせ、ちょっとすねた感じで言う阿国さんの仕草は、女の私が見てもドキっとしてしまう。――などと、見惚れている場合ではなかった。
おもわず大声で騒いでしまったせいで、聚楽第の警備兵さんが不審そうにこちらを見る。
――なんだか近づいてくるわ。
ここは先手必勝――
「失礼しましたーーーー」警備兵が声をかける前に、脱兎の如くその場を逃げ去る。
「おい! ちょっと待て!!」背中で警備兵の声を聞きながら無我夢中で走る。
何で私がこんな目に合わないといけないのよ!
――しばらく走り、さすがにここまでは追いかけてこないだろうと後ろを振り向く。
おっかない警備兵の姿はなかった。ようやく止まり息を整えた……。
「なんで、急に走り出すのさぁ帰蝶? あのまま警備の人にこの男突き出せば一件落着してたのに」
「できるかーー! いいですか、あそこには千利休様が謹慎させられていて、その奪還を目論む大名がいるかもしれないから、あれだけの人数で警備しているんですよ。怪しまれ、捕まったらそう簡単には釈放してもらえませんよ」
ここまで説明しても阿国さんは「あ、そう」って感じで、まるで他人事のような顔して聞いていた。
むしろ阿国さんの方を警備兵に引き渡したいと思った。
その後、阿国さんは見廻り隊詰め所の前まで「幽霊寺にいこう」と、言いながら着いてきたが、さすがに詰め所は苦手らしく直前で諦めてどこかに消えていった
ちょっと、冷たく接しすぎたかな? と、何故か反省してしまう私……。
ようやく詰め所の扉をくぐると、引ったくり犯が安心したように大きく息を吐き出す。 ――その気持ち分かるよ、引ったくり犯君。
無事に引ったくり犯を詰め所の独房に放り込み、手続きを終えた頃にはもうお昼を過ぎていた。
<つづく>
――次回 第三話 『新しい任務』――




