第十六話 『また、いつの日かって、いい言葉ですよね』
――家に帰り着いたのは、明け方近かった。勝手口の塀を越え、父を起こさないように静かに家へ入ると、気づかれることなく自分の部屋に戻れた。ふすまを閉めた瞬間、安堵からか全身の力が抜け、その場に倒れ込んだ。精も根も尽きてクタクタのはずなのに、興奮が冷めず、眠れそうになかった。
今しがたまで、その声色や眼差し、その温かみのある言葉のやりとりをしていた利休様が、もうすぐ切腹を言い渡されて、この世からいなくなるなんて、現実味がなく、変な感覚であった。
今日あったことを色々思い出しているうちに、いつの間にかウトウトとしていた。
すずめの鳴き声で目が覚めた。
ほとんど寝ていないはずなのに、眠気はなく、布団を片付け居間に向かうと、父が私の分の朝食を作って待っていた。
「お、おはようございます……」
「……おはよう」
……気まずい――昨日あれだけの大喧嘩をした後なだけに……。
ふと、利休様の笑顔が浮かんだ。すると父も私も見廻り隊という仕事をしている以上、いつ今生の別れが来るか分からない。こんなわだかまりが残ったまま、どちらかが亡くしたりしたら、一生後悔しそうな気がした。
でも、なんて話せばいいのだろう……。
きっかけを探しながら食事をしていたら、父が先に食事を終わらせ、食器を片付けようとしていた。
――はぁ、ダメだ今日は諦めよう……。
「毎日遅くまでご苦労だな竜子」
ふいにというか、青天の霹靂というか、思いがけず父から声をかけてきてくれた。
「いえ……。あの、昨日はあんなこと言って、ごめんなさい……」
私の謝罪の言葉をきいて、父は目を丸くして驚いたような表情をしていた。
「……いや、わしもお前の言うとおり、逃げていたのかもしれない。これからは、お前ともっと向き合っていこうと思う」
今まで見たことがない、はにかんだような微笑を浮かべていた。
「……うん。私も、そうだね……」
そう言ったきり、私と父は次の言葉が出ずに、長い沈黙の帳が下りる。
「――じゃあ、先に行っているぞ」
「はい。いってらっしゃい」
父が食器を持って行くその後姿を見送って、私は胸が晴れるような、そんな気持ちになっていた。
食事を済ませると、今のことを早くお母さんに知らせようと仏壇に向かう。
「お母さん、ようやく父さんと仲直りできたよ。でも、まだぎこちないような感じだけど、徐々に昔みたいにもどるから安心してね。では、行ってきます」
私の足取りは軽く、清々しい気持ちで見廻り隊詰め所に着くと、詰め所内は大勢の隊士が、あちこちで話をしていて騒然としていた。
私は近くにいた隊士に事情を聞くと、どうやら利休様の切腹が今日に早まったとのことであった。原因は、昨夜、私たちが聚楽第に潜入して、利休様の奪還を図ったことが、切腹を早めてしまったのであろう。
まるで、切っ先を心に突き立てられたように痛む……利休様だったら、「気にするな」とおっしゃってくれるだろうが、気にならないわけがない! 山三郎さんたちは、どう思っているのだろう? まさか早まったことはしないだろうか? 一抹の不安を抱えながら旅館への道を急いだ。
旅館に辿り着き、山三郎さんたちの泊まっている部屋に行くと、そこにはもう阿国さんと定吉さんがいた。みんな沈痛な面持ちで座り込んでいた。
「来たかい帰蝶」
たった一人、阿国さんだけがいつもの声の調子で、私に語りかけてきた。
「その様子だと、みなさんもご存知なのですね」
私の言葉にみんなが小さく頷く。
「私たちのせいで、利休様の切腹が早まってしまって……」
黙っているのも辛くて、気持ちを吐露する。
「遅かれ早かれ爺さんは切腹を命じられていたさ。それはそんなに気にすることじゃないよ」
朝から、手酌でお酒を飲みながら、阿国さんは飄々と喋る
「そうかもしれないけど、気持ちが……」
「くそ! やはりあの時強引にでも連れ出しておくべきであった」
蒲生さんが畳をおもいっきり殴る。蒲生さんの思いは、ここにいるみんなの思いだと思う。やっぱり罪のない人が切腹を強要されるのは理不尽だ。全力で死への抗いを試みるべきではなかったのかと、そんなことを考えてしまう。
「――晴天も晴天、最高の天気じゃないかい。こんな日に死ねるって、もしかしたら人生で最高なのかもしれないねぇ」
ぼんやりと障子から蒼天の空を眺めていた阿国さんが、ぽつりと呟く。
その言葉を聞いて、みんなも蒼天の空を眺め黙り込む。
確かに、自分が死ぬ時に、こんな綺麗な青空の下で死ねれたらいいかもしれない。
何故だろう……自分の死について、いつの間にか考えていた。おそらく、ここにいるみんなが同じ事を考えたんじゃないかと思ってしまった。
「――私、もう一度お別れを言いたいです!」
いてもたってもいられなくなり、そんな衝動に駆られ口走っていた。
「行ったところで、絶対に会える事はないでしょうな……」
「そうだぜ、聚楽第は厳重な警備で近づくことさえできないだろう。それに、下手をすれば俺達も捕まる可能性だってあるぜ」
山三郎さんのいうとおり、あれだけ派手に暴れた私たちが、ノコノコと出かけていけば捕まえられるのは明らかであろう。
――けど、じっとしていられない!
「それでも……それでも、少しでも近くで利休様の最期を感じたいです」
上手く伝えれない自分にジレンマを感じる。
「定、ちょっと来な」
阿国さんが定吉さんを呼び寄せ耳元で何かを話すと、脱兎のごとく部屋を出て行った。
その後は、何もなかったように外を見る阿国さん。
「おい、阿国。何の指示出したんだ?」
「ん?……いやね、帰蝶の言うことも、もっともだと思ったんで、爺さんに最期の別れでも伝えに行こうと思ってね」
「本気か? 聚楽第の周辺すら近づくことができないぞ……それでも、危険を冒していくのか?」
「――かもしれないねぇ~」と、気のない返事をする阿国さん。
例え近づけなくても、例え捕まったとしても、行かないで後悔より、やったことの反省のほうが将来に繋がる。
「行きましょう。山三郎さんに蒲生さん」
私たち女性陣が危険を冒してまで行くと言うので、半ば諦めがはいった感じで男性陣二人は、苦笑いを浮かべながら頷く。
「ところで、阿国殿は何を企んでいるのだ?」
蒲生さんも、これだけ阿国さんと付き合っていれば、警戒するのは至極当然だろう。
「そりゃ、手ぶらで押しかけたら失礼ってものさね」
悪巧みを考えているような、嫌ぁ~~な笑顔を浮かべる阿国さんに、私たちは悪い予感を感じた。
――京の町は、何も知らない人達がいつ通りの日常を過ごしていた。そんな往来を、凶悪犯である私達は堂々と歩いていく。
まっすぐに聚楽第へと向かっていると、定吉さんが現われ、阿国さんに耳打ちしている。
「おい、生娘。付き合いが長いのだろ! 何かわからんのか?」
真面目な顔で、山三郎さんが私に小声で語りかけてきた。蒲生さんも気になって私の方に耳を傾けてくる。
「……分かるわけないでしょ。どれだけ阿国さんに迷惑かけられてきたか」
大きなため息を吐く私に、二人は同情した顔で頷いた。
阿国さんと定吉さんの話しが終わり、また、定吉さんがどこかに行く。
阿国さんは私たちに何も言わず先を歩き始めたので、私達も諦めて後をついて行った。
――しばらく歩くと聚楽第が遠くに見えてきた。案の定、周りは警備の侍で囲まれていて、とても近づくことができない。
昨日――あの場所で利休様にお目にかかり、声をかけてもらい、笑顔を見たんだと――なんだか遠い昔のように感じた。
そんな感慨に耽っていると、大地を揺るがすような程の激しい太鼓と鐘の音が響き、強引に私の感慨していた意識を現実に引き戻した。
「何の騒ぎ?」誰ともわからず口に出した言葉に、みんなが自然と阿国さんを見る。
阿国さんは、いやらしい忍び笑い声を立てながら、その爆音を聞いていた。
「これも、阿国さんの企みですかー!?」
阿国さんに問いただすと、閻魔様も逃げ出すような恐ろしい笑顔を向けてきたので、三人とも二、三歩ほど後ずさりした。
「質問はあとあと――帰蝶、さっさとこれに火を点けな!」と言って、懐から出したのは打ち上げ花火であった。
動転している私に構わず、火付け石を渡して、噛み付かんばかりに吠え立てるので、私は恐くなり急いで花火の導火線に火を点けた。
その火は、瞬く間に導火線を燃やすと、阿国さんの手から蒼天の空へ、まるで吸い込まれるように高く、高く、昇っていく――そして、破裂音と共に大きな大輪の花を咲かせた。
「爺さあああああああん、元気でなああああああ!」
阿国さんが、花火の爆発音に負けないぐらいの大声で叫ぶ。
そうか、この騒ぎは利休様に知らせるためにやっていたんだと分かり、私も届かないかもしれないけど大声で叫けんだ。もしかすると、きまぐれな神様が届けてくれるかもしれない。きっと、届けてくれるはずだと信して叫んだ
「利休様ぁーーーお元気でーーーーーー!」精一杯叫ぶ。
山三郎さんも、蒲生さんも、そして、この騒ぎに参加してくれた人たちみんながそれぞれの思いを込め叫んだ。
きっと、塀の向こうにいる利休様に届いて、今頃あの笑顔を浮かべてくれているはず。そう信じて、そして、そう願って、私達は声が枯れるまで叫んだ。
――さようなら、利休様――
千利休――天正十九年二月二十八日聚楽第屋敷内で切腹。享年七十歳。茶に生き茶聖とまで呼ばれ、織田信長、豊臣秀吉と天下人に仕えて茶をたて、わび茶と呼ばれるものを完成させる。時と時代を越え、その名を歴史に深々と刻む千利休。しかし最期は天下人、太閤秀吉に睨まれ切腹を賜り、なおかつその首は一条戻橋で晒された。多くの人たちがその死を悼み遠くから利休様の首を拝んだ。
次の日、約束はしていなかったが、気がつくと阿国さん、山三郎さん、蒲生さんが一条戻橋に集まり、利休様の首を見つめていた。
――どれほどの時間、そこにいたか分からないほどいた。
「帰蝶殿に阿国殿。今までありがとでござる。我々は殿の命を果たすことができなかったが、最期の言葉を聞け、事の顛末を報告せねばならぬので、これにて失礼する」
蒲生さんが、その沈黙を破るように静かに口を開いた。
「そうですか……なんだか少し淋しくなりますね」
「次に会う頃には、もう生娘じゃないかもな」
「ちょっ!」最後に山三郎さんが茶化すようにいった言葉に、おもわず赤面してしまった。久しぶりだな、この感じ……。
「じゃあな、帰蝶に阿国。またどこかで!」
最後は、爽やかに閉める山三郎さん。
「蒲生さんも山三郎さんも道中気をつけて、お元気で、また会いましょう」
またどこかで、素敵な言葉だな。生きていれば、どこかで会えることもあるしれない。そんな思いが込った言葉を噛みしめながら、二人が見えなくなるまで手を振った。
「………………いっちゃいましたね、阿国さん」
「……ああ」
珍しく物静かな阿国さんを訝しく思ったが、さすがの阿国さんもあんなことがあった後だと、感慨深くなるんだなぁって感心していると――突然踊りだした。
「お、阿国さん?」
話しかけてみるが反応はなく、ただゆっくり踊り続ける。
するとどこからか、太鼓の音や鐘や笛の音が聞こえた。
阿国さんの仲間の芸能者たちが、それぞれに楽器を鳴らしながら集まってきた。阿国さんの踊りに合わせるように楽器を奏でる。
その踊りや音楽は、利休様の鎮魂歌のように響く。
阿国さんは、利休様が名づけてくれた傾奇踊りを気持ちよさそうに踊っていた。
〈―終劇―〉




