第十二話 『紅夜叉対羅刹鬼』
京の町にも夜の帳がおり、提灯や繁華街の店の明かりが灯りだすと、人々の喧騒が響きだし、もう一つの京の町が顔を出す。そんな喧騒が響く祇園の町を目の前にして、私は待っていた。封印していた紅夜叉の二振りの愛刀を持ち。
――ようやく待ち人来る。
祇園の町を抜け、七~八人の男女が真剣な表情で何かを話しながらまっすぐ私に向かって歩いてくる。その連中は私にはまだ、気づいていないようだ。
先頭を歩く一際目立つ格好の女性が、最初に私に気づいた。
――阿国さん。目が合うと陽気に手を振ってきた。
この人は、いつも飄々《ひょうひょう》としていながら私の人生の分岐点に関係してくる。私は阿国さんの目を睨みながら、刀を鞘から抜くと阿国さんに向ける。
他の人たちも気づき、私が刀を向けている事にざわめきだす。
「どういうつもりです帰蝶殿?」
斯波さん、いや、郷舎さんが狼狽えたように私を見る。
「ここはあたいに任せて、あんたたちは先にいきな」
「しかし……」
「あんたらには目的があるんだろ! 紅夜叉は、あたいに用があるみたいだから、ちょっと相手してから行くよ」
戸惑っていた郷舎さんたちだが、阿国さんの言葉に頷き先を急いだ。
阿国さんは、私の前で不敵な笑みを浮かべながら見下ろすように見てきた。
「……何を怒っているのか知らないけどさ、怒りをぶつける相手を間違っていやしない紅夜叉」
この人は自分勝手に生き、悩みもなさそうに飄々としながら、どうしてこうも他人の心が分かるのかしら……。
しかも、私がこれだけ殺気をみなぎらせているにもかかわらず、阿国さんは大太刀を背中に担ぎながら、構えることなく見下ろす。
「……ったく、じれったいねぇ。一度あたいに負けているからって怖気ずいてるんじゃないよ。それとも、おかあちゃんのお墓の前で泣いていい子になったのかしら? 竜子ちゃん」
一瞬で血液が沸騰し頭の芯まで怒りが湧き上がった。そのまま怒りに任せ、右手の刀で横一文字に斬りかかる。
私の攻撃をまるで舞を舞うようにかわした。
――この人に大太刀を抜かせる暇を与えない。
私は、本気で阿国さんを殺そうと切り込む。阿国さんは、私の斬撃を奇天烈な格好でかわしながらも、その顔には笑顔をずっと浮かべていた。
「分かった! あんた今、女の子の日だろ!」
おもわず力み過ぎて、かなりの大振りをしてしまった。慌てて態勢を立て直そうとした時、腹部に重い衝撃を受け、口の中に酸っぱいものが込み上げ吐き出した。それでもバランスと意識は失わず阿国さんの次の攻撃に備える。
阿国さんは素早く後ろに下がり、そして大太刀を抜く。
「あんたさ、いい加減男を知ったほうがええよ。そんな冗談で動揺して、いつか命落とすからね」
「……あなたはいつもそうだ。人のことを心配しているふりをして、人の心を弄んで楽しんでいるでしょ!」
刀を握り直し、おもいっきり地面を蹴り、阿国さんに向かっていく。
私の繰り出した渾身の一撃を阿国さんは真正面から受ける。
「このさいやから、言いたい事があるんやったらおもいっきり言いな!!」
「なにを偉そうに! フワフワした生き方して、気まぐれで自分勝手で人の迷惑も顧みない傲慢な女が! それなのに偉そうに人に説教したりして、自分を何様だと思っているのあんたああああ!」
構えや型なんて関係なく、子供のような喧嘩剣法でめったやたらと斬りつける。そんな私の剣を、阿国さんは正面から弾き返す。
「あんたの怒りってそんなものかい? もっとあるやろ吐き出しな生娘!」
「いちいちいちいち……うるさい!! 一つ年上だからってお姉さんぶってるんじゃないわよ! どうせ、利休様を助けに行くのもただの気まぐれ、興味本位で見に行くだけでしょ! それに踊らされ期待するあの人たちはまさに道化ね! いい迷惑よ!」
その言葉に阿国さんが僅かに反応した。私はその千載一遇のチャンスを逃さず、阿国さんの大太刀を絡めて地面に突き立てる。完全に地面にめり込んだ大太刀はそう簡単には抜けない。私は右手の刀を離し、我流二刀流抜刀斬りを繰り出す。
ガラ空きの阿国さんのわき腹をみて――殺った! と思った瞬間――色々酷い目に合わせられたり、振り回されたりしたけど、女同士の話をしたり、楽しく騒いだ事など、阿国さんとの思い出が走馬灯のように駆け巡った。それが私に刀を抜くことを一瞬躊躇わせた。
そして、その一瞬の迷いは、阿国さんにとっては十分すぎるチャンスであった。
刀を鞘から滑らせた途端、刀は一歩も動かなくなった。
一瞬理解できず刀を見ると、柄の先端を押さえ込むように阿国さんの美しい右足がスラリと伸びていた。
満面の笑みを浮かべ、阿国さんは私を見ていた。まるで私の躊躇いを見透かしたような笑顔に、腹立たしさと困惑が同時に混在した。
「くそ! くそ! くそ! くそおおお!」
私は刀を抜こうと渾身の力を込めるが、びくともしなかった。
それでも力任せに刀を抜こうとすると、突然身体がフワリと浮いた感覚になった。
見ると阿国さんが離れていく――が、それは錯覚で、私のほうが阿国さんから離れていた。どうやら阿国さんが私の刀の柄を突き飛ばしていていたようで、スラリとした足が太ももまで露わにして真っ直ぐに伸びていた。そして、阿国さんは地面に突き刺さった愛刀を両手で持つと引き抜いた。
阿国さんの一連の動作が終わる頃、私は地面を転がり前後不覚となっていた。
慌てて態勢を直し、阿国さんを探したが――すでに左側面で大きく大太刀を振りかぶっていた。
「あんたがあたいのことをどう思っているかなんて、どうでもいいことだけど――あたいがやることは、どれも悪ふざけだけでやってるんじゃないよ!!」
言葉と一緒に振り下ろされた大太刀を咄嗟に受ける――まるで馬の体当たりを食らったかのような、重厚な衝撃が全身を貫いた。
なんとか阿国さんの初太刀を防いで、態勢を立て直したが、阿国さんの攻撃は今までにないほどの苛烈さであった。
「例え異邦人を呼ぶ踊りだろうと、オッサンの飼っていた犬の捜索だろうと、夫婦喧嘩の仲裁だろうと、盗賊団捕り者だろうと、天下の太閤に逆らい利休の爺さんを助けるのだろうと、どれもこれもあたいは全身全霊でやっているんだよ! それだからこそ、人は輝ける。そして、それが相手に対する最大の敬意ってものなんだよ!」
阿国さんの一太刀一太刀、その言葉一つ一つが、どれも鋭く深く重い――それに、こんなにムキになった阿国さんを見たのは初めてだった。でも――
「阿国さんは昨日、利休様は助けられる事を望んでいないみたいなこと言ってたじゃないですか。それが分かっていながら何故助けにいくのです!?」
「確かに……あの爺さんとは付き合いが長いからなんとなくわかるのさ。でもね、それはあたいの勝手な思い込みかもしれない。もしかしたら爺さんは助かりたいのかもしれない……どんなに考えようが爺さんの気持ちは爺さん本人から聞いてみないとわからないやろ! だから、あたいは爺さんの選択肢を増やしに行くんだよ」
「選択肢?……」思いがけない言葉に意表をつかれた。
「人はいつでも選択しながら生きているんだ――この男と付き合うか、付き合わないかとか、明日の休みは何しようか? どの客からお金をぼったくろうとかね。そんな些細な選択肢が一杯あるのが人生なんだよ。でも、今の爺さんはその選択肢が一つしかない! それがあたいは気に入らないんだ!!」
一つ変なことを言っていたが、阿国さんの言おうとしていることはわかる。
利休様は、現在不当に扱われていらっしゃる。その利休様を助けようとする阿国さんの邪魔をする事は、私も利休様の選択肢を奪おうとしている。そう感じた瞬間、私の中に迷いが生じた。
「何を迷っているのさ! あんたはあたいを斬りたいんじゃないのかい? さぁ、きなよ紅夜叉!」
阿国さんは大太刀に殺気を宿し、私を一刀のもと斬り伏せようと近づいてくる。
私の二刀流抜刀切りも破られ、戦う目的も失い、この上私に剣を取って戦えなんて……無理に決まっている。
私は目をつぶり死を受け入れた――が、何時までたっても大太刀の冷たく硬い感触が皮膚を貫かない。ゆっくり目を開けると、切っ先が喉の前で静止していた。
「……なんで、なんで、いつもそうなんですあなたは……。真剣なのか、ふざけているのか、全然分かんないじゃないですか……」
とめどなく涙が溢れだしていた。
「そんなに私をからかって楽しいですか?」
「あたいはいつも真剣やよ紅夜叉」
「ウソよ! 今も殺気みなぎらせていながら直前で止めるし、いつも冗談ばかり言ってくるし、滅茶苦茶なことばっかりやっているし」
「あんただって、滅茶苦茶じゃない」
「私のどこが滅茶苦茶だって言うのよ! 適当なこと言わないでよ」
「父親への反抗心から傾いて、京都で暴れていただろう。それに、今度は仕事人間になって周りを見ようとしないわ。そうかと思うと、あたしにからんでくるわ、あんたは何がしたいのよ」
「そりゃ、傾いていた時もあったけど、仕事人間の何が悪いのよ。あんたみたいに自由気ままに生きていかれないのよ人生は」
仕事人間――私今、仕事人間って言ったの? あれだけ父を否定していた私が――
自分の言葉に驚き、衝撃を受けた。
「そんなの、あんたらが勝手にいろんな荷物を背負い込んでいるだけだろうが、何も持たずに生きている人間を蔑むのはやめな!」
私は一体何をしていたのだろう……母親の死。父との確執。見廻り隊での自分の立場など、確かに私は、いろんなものを背負い込んで、気がつけばがんじがらめになって、それに息苦しくなり、八つ当たりして……でも、どうしたらいいのか分からないもの――誰もが阿国さんのようには生きられない。
「もう、放っておいてよ。さっさと利休様でもなんでも助けに行けばいいでしょ!」
また苦しくなり、思いっきり涙声で叫んでいた。
「……放っていけるわけないでしょ、泣いているあんたを……これでもあたいは、あんたのこと妹のように思っているんだから……」
――――え? …………今、私のことを妹だって言ったの?
阿国さんの意外な言葉に口を開けたり閉じたりと……何を言ったらいいのか分からなくなった。
そんな私に阿国さんは、大太刀を収め笑顔で手を差し伸べてくれた。
「……な、何よ、急に、い、いも…………って、散々言い合っておきながらそんなこと言われても……」
本当にこの人は、意味が分からない! 非常識! 自分勝手なんだから!!
「いいもんでしょ、思いっきり文句を言い合える相手がいるって――人生で一人でも、遠慮なく気持ちをぶつけれる相手がいるって、最高の人生だと思うわよ」
そう言う阿国さんの笑顔は、今までに見たことがない――まるで、少女のように無邪気な笑顔をだった。
阿国さんの言う通り、思いの丈をぶつけた事で、心に掛かっていた霧のようなものがはれ、清清しい気持ちになれたように思えた。
「……まだ、言い足りないですけどね……」
私は、阿国さんから差し伸べられた手を取り立ち上がる。
「もう、大丈夫そうやね……本当に手のかかる妹だこと」
「迷惑ばかりかける……姉、よりマシです」
私の言葉に、阿国さんはまるで真夏の太陽のように眩しい笑顔を浮かべる。
「……さてと、あたいは、今から爺さんを助けに向かうけど、あんたはどうする?」
――しばらく考え「私も行く」そう答えると、阿国さんも頷いてくれた。
阿国さんの言うとおり、利休様にも選択肢を増やしてあげたい。例えお上に逆らおうとも。
<つづく>
――次回 第十三話 『茶聖、千利休』――




