第十一話 『散り散りの心』
満天の星空は、今日もキラキラと輝いて美しかった――その星空と対照的に、私の心は曇天模様だった。一連の幽霊寺での出来事が引っかかったまま、阿国さんとバカ若――改め山三郎さんと斯波さんの四人で、寝静まった京の町を黙々と歩く。
私たちが辿り着いたのは、阿国さんが寝泊りしている御茶屋だった。
夜中なので、勝手口に回り扉を叩くと、しばらくして小姓さんが現れ、阿国さんと二言三言話した後、二階へと案内された。
その部屋は六畳ほどの間取りで、中央に四つの座布団が置かれていた。そこに、それぞれ座るとすぐに小姓さんが簡単な料理を運んできてくれた。私は、とても食べる気になれなかったが、他の三人は静かに食べ始めた。
よくこの状況で食べれるものだと感心する。
私は、しばらく場の雰囲気を読んで待っていた。
――食事が終わっても誰も話し出す気配がなく、痺れを切らせた私が口を開く。
「もういいでしょ阿国さん。何故盗賊団があの廃寺にいたことを知っていたのか!? それに、この方達は一体何者なんですか!?」
阿国さんに詰め寄るように、一気に捲し立てる。
「盗賊団のことをはあたいの口から説明してあげるけど、こいつらのことはこいつらから聞きなさいね」
「お、阿国殿!?」斯波さんが慌てた様子で阿国さんに抗議する。
「大丈夫さね、あたいが保証する」
阿国さんは、お猪口に酒を注ぎながら、安請け合いにしか聞こえないことを言う
「しかし、帰蝶殿に迷惑がかかるかもしれぬ……」
斯波さんは、どうやら私の心配もしてくれているようだ。
「帰蝶、こいつらの話しを聞くには覚悟決めて聞くんだよ! そして、聞いたからにはあんたは決断しないといけない、必ずどちらかね。その覚悟はあるのかい?」
阿国さんの瞳がいつもの冗談じゃなく、大太刀を握っている時の瞳をしていた。
「覚悟もなく、人を斬ったりしません」
私の答えに阿国さんは小さく微笑むと、お猪口のお酒を飲む。
「それじゃあ、まずは盗賊団の情報だけど、それはこの京の町を大好きな連中から、見慣れない奴らが、羽振りのいい生活をしているって話を聞き、みんなの協力で調べあげて突き止めたのさ」
阿国さんのいう京の町が大好きな連中とは、阿国さんの仲間の芸能者や浮浪民や京の裏の仕事をしている人たちのことであろう。確かに、この町で、その人達の目に触れることなく動けることはできない。まさに町全体が目や耳のようなものだ。
「それは分かりました。それで斯波さん、あなたたちは本当は何者なんですか?」
今度は、斯波さんたちのほうに向いて問いただす。すると、明らかに動揺の色を浮かべた表情で畳を見つめていた。バカ若――いや、山三郎さんのほうは呑気にお酒を飲んでいた。その行為は、ちょっと腹立たしかったが、そこは黙っておこう。
「……しかたない、すべてお話いたそう」と座りなおす斯波さん。
「私達は、蒲生家の遠縁の者ではござらぬ」
――やはりか……。
「我々は、主君蒲生氏郷様の家臣で、私は蒲生郷舎と申します。そして彼が名古屋山三郎でござる」
「えええええええ!? 名古屋山三郎といえば、神話や伝説とまで言われた美少年の事じゃないですか!!」
「もう、少年って年でもないが……それに槍でも日本一と言われてるんだぜ生娘」
――驚いた。どうりで美形な訳だ……。
名古屋山三郎といえば数々の逸話のある美少年……美青年。そんな人が目の前にいるなんてちょっと、いや、かなり感動だ。
「で、でも、蒲生氏郷様の家臣の方々が何故、身分を偽ってこの京へ……? それに盗賊団とはどんな関係があるのです?」
「そ、それは……」言い澱む斯波さん――いや、蒲生郷舎さんは阿国さんを盗み見る。しかし、阿国さんの方は我関せずとばかりにお酒を飲んでいた。
「……ある御仁を助けるために来たのだが……見廻り隊に昼夜を問わず巡回されては、我らの目的が達成できぬゆえに……」
歯に何かが挟まったようなものの言い様をする蒲生さんに、私は少し苛立ちを覚えた。
「要するに、見廻り隊が邪魔やから、私達で強盗団を捕まえようってことになったのさ」
阿国さんもじれったく感じたのだろう、口を挟んできた。
「え? じゃ、三人は、始めっからグルだったんですか!?」
「いや、それは違う。廃寺を覗いていた後から、阿国殿には……仲間になって……もらった。」
顔を押さえて、悔しそうにする蒲生さん。それを見て思い出した。
「ああああ! 暴漢に襲われ顔を腫らしていたのって、やっぱり阿国さんの仕業だったんだ!?」
すべてが繋がり、やっと納得できた。私の指摘にケタケタと悪戯が上手くいった時のような笑い声をあげる阿国さん。
「そういうことだ」
山三郎さんも、含み笑いを浮かべながら肯定する。
「それで分かりましたが、最後に……誰を助けようとしているのですか?」
見廻り隊に、市中を巡回されると困る御仁の救出となると穏やかな話ではない。この人たちの本当の目的とは?
私の質問に、さっきまで笑っていた二人も笑いを収め、蒲生さんは、拳を強く握り言いにくそうにしていた。
「……じ、実は……主君、氏郷様の命により、千利休様の救出と保護を目的として、この京に参った」
「ええええええ!? そ、それは、太閤に逆らい罪人を脱獄させる企てを行っていたって事ですか! しかも、私たち見廻り隊を謀って!!」
裏切られた気分に、声を荒げて問い詰める。
「それは違う! 千利休様は、無実の罪を着せられ殺されそうとなっているんだ」
「だったら、それを太閤様に言上し、て千利休様の潔白を証明されればいいのではありませんか!」
「それはやったのだ……わが主君以外にも千利休様の高弟、細川忠興様、古田重然様、高山長房様、前田利家様など、数多くのお弟子様で助命を願ったが聞き入れられなかった。そこで、止むを得ずこのような手段にでたのだ」
郷舎さんは嘘偽りなく語っていることは理解できたが、罪人を逃がす犯罪行為を見逃すことはできなかった。
「それに……」今までお酒を飲んでいた山三郎さんが口を開いた。
「千利休様が、何の罪で咎められているのか分からないのだ」
「どういうことです?」
「こちらが知りたい! 一体何の咎で蟄居させられているのか!」
「太閤様を怒らせることをしたのでは?」
噂では、大徳寺三門の改修に当たって自分を過信して思い上がっていたため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた。ほかには、安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした疑いを持たれた事や、天皇陵の石を勝手に持ち出して手水鉢や庭石などに使った事や、太閤秀吉様と茶道に対する考え方で激しく対立したなどである。
「どれもこれも事実無根の作り話でしかない! ちゃんと精査すれば分かることをなさらず、何故秀吉様が利休様を捕らえ死罪にしようとしているのか誰にも分からないんだ」
「そ、そんなぁ……」始めて知った。
それでは何のために千利休様が殺されるのか……。私も突然突きつけられた事実に混乱してしまった。郷舎さんは、悔しげに畳に拳をぶつけた。
「それが、あたいが利休の爺さんを救出する手伝いをすることにした理由さ。でも、あの爺さんはどうだろうね……」
阿国さんが意味深なことを言う。
「とにかく、我々は何の罪もない利休様を助け出したいのだ! 帰蝶殿、仲間になってくれとは言わぬが、せめて目をつぶっていて欲しい」
そういうと、郷舎さんは土下座をして、頭を畳にこすりつけるように私に頭を下げて頼んできた。
「や、止めてください郷舎さん。そんなことされても困ります」
事情は大体分かったけど、だからって急に手助けできる話ではない。なんといっても、あの、時の権力者太閤秀吉様に逆らうんだから……仮にも私は京都見廻り隊隊士、そんな犯罪の計画を聞いたからには止めるのが筋なんだけど、郷舎さんの言い分を聞くと千利休様は無実の罪を着せられ殺されそうになっている。
私は一体どうすればいいのだろう……。
「そんな簡単に決めれることじゃないさ。一晩ゆっくり考えな帰蝶」
阿国さんが私の心を見透かしたように言ってくれたが、一晩で決めれるだろうか……。
「俺達は、明日の深夜に事を起こす」
今まで見たことのない鋭い目付きで山三郎さんが言い放つ。
――明日の深夜……。私は山三郎さんの言葉をそう何度も心で呟く。
その場の話し合いは終わり、山三郎さんたちは宿屋に戻った。私も家へと向かいながら、色んなことを考え歩いた。
家に帰り着くと、父の部屋の明かりが灯っていた。
そうだった! 廃寺に何故いたか説明するように言われていたんだった。
私は父の部屋に辿り着くまでに、すべてを話すべきか迷う。
決めあぐねているうちに父の部屋の前まで来ていた。
「……竜子か、入ってきなさい」
その名前で呼ばないで欲しかったが、今はそんなことが言える雰囲気ではないので黙り部屋に入ると、父は姿勢を正し読書をしていた。その威厳ある姿に多少気圧されながら傍に座る。
何から話していいかわからず沈黙していると、行灯の火がゆったりと燃える音や微かな虫の鳴き声がやけによく聞こえた――重苦しい雰囲気の中、固唾を呑む。
「何故黙っている竜子、あの時の約束忘れたのではあるまいな」
「いえ、覚えています……」
「では、さっさと説明してもらおうか。嘘は通じぬぞ竜子よ」
今まで感じたことがないほどの重圧に、口の中がカラカラになっていた。
「……その前に、私からも質問です。何故父上は母様の死の間際まで仕事をなさっておられたのですか、何故母様の死に水をとってあげなかったのですか! それに何故私が傾いていたのを知っていて放っておかれたのですか!」
気がつくと、私は自分の気持ちや今までわだかまっていた事を父にぶつけていた。
「今はそんなことより、何故あの廃寺で盗賊団とやり合っていたのか聞いておるのだ!」
「それほどまで父上は家庭より仕事のほうが大事なのですか! 私の気持ちや母様の気持ちなど一度も考えたことがありませんでしょ!」
千利休様の件も整理できていない状態で、父の無骨な態度がゆるせなくなり、感情が爆発して、今までわだかまっていたことをぶちまけた。
「父上は私達よりも仕事を愛していた! だから母様や私を気に留めることなかったのでしょ!!」
こんなことを言うつもりがなかったのだが、気持ちが、感情が、怒涛の如く溢れだし、自分でも止めることができなかった。
ぐちゃぐちゃな私の頭と気持ちは、破られた紙のようにバラバラに千切れていた。
私は席を立つと自分の部屋へ向かった。父の答えも聞かずに……。
多分、答えを聞くのが怖かったのだと思う。父が私の言ったことすべてを肯定してしまうことが……。
部屋に入ると、着替えもせず押入れから布団を出して頭から被る。
私もズルい! 千利休様の件からも父との確執からも、すべてから逃げようとしている。
――ズルいよね……私……。
「母様……」布団の中で自責の念が込み上げ、目頭が熱くなっていた。
部屋の前に父が立つ気配を感じた――しばらく無言で立っていたが、結局何も告げずに部屋の前から消えていった。
父もズルい……いつも肝心なことは話してくれない。そして、それを甘んじて受け入れる私もズルい……。
そんな堂々巡りの思いの中、いつの間にか私は眠りに落ちていた……。
目覚めた時には、もうお天道様は頭上まで昇っていた。
気怠い身体を起こして居間に行き着くと、ちゃぶ台には私の分の朝食が置かれていた。焼き魚もご飯もお味噌汁もすべてが冷め切っていた――まるで私の心のように……。
京の町の人々の活気ある声や喧騒が今の私には虚しく響く。ふらふらと歩いていると、気がつけば母様の墓前にいた。
「……ねぇ、母様、私どうすればいいかな?」
返事をしない母様のお墓に話しかける。それでも誰かに聞いて欲しかった。
頭では、見廻り隊士としての役目を果たさなくっちゃって考えるけど、無実の人を殺してもいいはずがないと心が叫ぶ。でもそれは、仕事一辺倒で母様の死に際まで仕事をしていた父に対する私の反抗心からきているのか……。
いつまでたっても心は堂々巡りである。
「……母様は父上を怨んでいませんか?」
私の呟きを、春風がそっとあの蒼穹の空に運んでいった。あの世の母様に届けてくれるだろうか、届いたなら春風よ――母様の声も私に届けて欲しい……。
……風が言葉を届けてくれるはずもなく、母様の墓前を後にしようとした時――遠くから、大柄の人が近づいてくるのに気づき、私は母の墓石の裏に隠れる。
こっそり様子を窺っていると、近づいてきた大柄の人が父で驚いた。
珍しい……父でも母様のお墓参りをするのだと少し感心してしまった。私は無性に父が母様のお墓に何を話すのか興味を持ち、そのまま隠れて様子を見ることにした。
父は右手に花とお線香、左手に手桶を持ち、いつもとは雰囲気が違っていて――なんだか小さく見えた。
そして、母様の墓前に立ち、私が置いたお線香とお花に気が付いた……。
「竜子のやつも来ていたようだな」
小さく微笑むと、母様のお墓にお水をかけ、お線香に火を点け、お花を添え座る。
「お澄よ、ようやく盗賊団のアジトが分かり昨日踏み込んだが、幹部二人は逃がしてしまったよ。わしももう年かな……。しかし、これでまた、お前の大好きな平和な京の町が戻ってくるわい」
そういうと手桶の水をひしゃくで飲む。
「……なぁ、お澄。竜子のやつ、最近ますますわしに似てきて困るよ」
――誰があんたに似ているもんですか!
「竜子が生まれた時、お前が病気がちの自分に似ず、すくすくと元気に育って欲しいと願を懸け『竜のように強く天へと昇る子になって欲しい』といって竜子と命名したのはいいが、本当にあいつはお前の願いを一身に受けたように元気に育ったぞ。しかし、多少はお前に似ておしとやかになって欲しかったがな……」
私の名前にそんな思いが込められていたなんて、知らなかった……。
「その竜子に昨日怒られたよ。なんでお前の死に水をとってやらなかったのか! ってな…………いつか、あいつにも分かって貰えるかなぁ……お前の気持ちが……なぁ、お澄……」
――その後沈黙が続き、父は母のお墓を後にした。
父が去った後も、私はその場から動くことが出来なかった。親の心子知らずとはまさに私のことだ――竜子という名前に、そんな想いが込められていたなんて考えもしなかった。自分のやりきれない気持ちだけを父にぶつけていた。
――あああああああああああああああああああああ!
そんな自分が情けなく、そして恥ずかしくなり走り出した! 走って走って走りまくった。
――どれぐらい走っただろう……もう足が上がらず、呼吸も荒く、心臓も激し脈打ち、頭も心も真っ白になっていた。
気がつくと、私は千利休様が蟄居を命じられている聚楽第に来ていた。
何故ここに来たのか、自分でも分からなかった。しかし、ここに理由も分からず囚われている人がいて、いつ処されるかもしれない理不尽な状態でいるのかと思うと、怒りが込みあがってきた。
それでも……私は御上に仕える役人なんだと、自ら選んだ道なんだと、必死に言い聞かせようとしていた。
私は本当に半端者だ。少し前に阿国さんが言っていた通り、今の私は昔の甘ったれた紅夜叉の頃に戻っている……いや、少しも変わっていないのかもしれない。
ふと見上げたると、蒼穹の空が何処までも深く広く続いていた。
きっと千利休様も同じ空を見ているんだろう。そして、この澄みきった蒼穹の空を、どんな気持ちで見ているのだろうか……。
<つづく>
――次回 第十二話 『紅夜叉対羅刹鬼』――




