Birth(6)
◆
少し、不思議の話をしよう。
この世界に関する知識の話だ。
不思議の名前は舞踏。或いは神楽と呼ばれる。
ジャンルは戦闘技術。技巧なんて呼ばれ方もある。
この時点で普通のダンスとは違うってよく判るだろう?
そうとも、ここで言う舞踏や神楽は世界の不思議だ。
戦闘のために生み出された、人類の工夫だ。
舞踏や神楽でやることは単純明快、決められた動作の模倣。つまりはなぞりだ。
身振り手振りにステップ、スウィング。道具を交えての独特の歩方。そんなところだ。
それらの一つ一つには意味がある。踏み出した一歩、振り上げられた腕の一つ一つに細かく分けられた意味の積み重ねがある。
神楽とは、そうしたものの羅列の末に完成する一種の儀式だ。
儀式である以上それは神秘だ。宗教的な奇跡が求められる、そんな存在だ。
だから、誰もが一度は考えるだろう?
意味ある舞踏、神秘たる神楽の終わるその先にはきっと何かが起こるはずだって。
例えば雨乞い。巫女は踊って雨を呼ぶ。
竜神様に捧げる儀式。それが起こした妙なる奇跡。
だったら、それはこうも解釈できるはずだ。
――意、ある動作に奇跡は宿る。
この世界に関する不思議の話だ。
◆
竜を見下ろす位置にたどり着いた"俺”はひとつの動作を行う。
肉体の命令に従い、脳みそはそれに意味を与えていく。
与える意味は"神楽・雪立”その初動。
かつて、立花道雪が雷を切った所作に由来する意味を持つ立花家伝来の所作の始まり。
抜刀。直立。胸前で刀を掲げ、意識は瞳を閉じての研ぎすましを持つ。
両足は肩幅に。四股の代わりに軽く踵からの着地を一回。力強く大地を踏みしめ、自らの立ち位置を清く鎮める。
その所作の全てを以て、ひとつの儀式の始まりを告げる。ここからの動作は全てが舞踏。神に捧げる供物となる。
最後にひとつ、刀を左腰に佩く動作は立花八雲が独特の工夫。神に奉納者の名前を告げれば、これより、神楽舞は始動する。
眼下、少女が竜の前に進み出る。告げられた宣誓は挑戦の響き。竜種に相対するという覚悟は見事極まりないが、少女に生存の可能性はない。
俺の目的は竜種の打倒による少女の救済。その生存。
方法の模索。立花八雲の中にその記憶は存在しないと俺は良く知悉している。
肉体はその体内に宿った経験の蓄積から動作の模倣を開始――その動きを読み取り、脳は後付けながらに意味を与える。
動作は佩いた刀に対する"溜め”込み。左腰を後ろへ、右腰を前へ極端に突き出す半身の構え。右腕の押込みと、左手による鯉口の保持は力を込めつつ、その解放を許しはしない。
与えられた力の蓄積に対して、行動強化の意味を与える。掛けられた時間に比例し、次に行う動作に対して相応の強化を得られる。
目標――足下、地面。
「神楽・一刃―― !」
叫び、振るわれた動作は抜き打ちの居合い。
解き放たれた刃は、神楽の加護によって行動の強化を得る。
所作は一瞬。刀は大地に食い込み、一切の遅滞なく抜ける。
大地に刻み込まれた一線をまたぎ越せば、その流れで――
――切り裂かれた崖は大岩となって滑落する。
俺は、滑落する大岩の上に乗り、そのまま竜へと落ちていく。
◆
斯くして、崖の崩落による大岩の一撃は、竜へ対する巨大な打撃として直撃する。
竜に叩き付けられた大岩は、まず竜と接した部分からへし折れた。
その半ばから分裂した大岩は、次に質量としての圧迫を竜に行う。
数トン単位の土塊が竜の体躯を押し潰さんと重力にしたがった重さを加重する。
巨岩によるプレスはしかし、並みの生物ならば完全に圧殺されるだろうところを竜の鱗はその全てをはじき返す。
岩はその頑強を通り越した竜鱗に弾かれ、地面へ次々に転がり落ちる。
もうもうと立ちこめる雪煙。
滑落した質量の全てが落ちきったところで、大地から巻き上がったそれが晴れる。
◆
少女は己の前に立つ一人の青年を目撃した。
身の頃は少女よりも遙かに高い。小柄な身より四十センチは差があるだろう。
髪は黒く、男にしては若干の長髪か。野卑野蛮という汚さは感じない。伸ばしっぱなしと言うよりは品のある整った美しさのある髪だ。
服装は厚手のコートに似た膝丈ほどの長い外套。その下に裾広のスラックス。それらは全てが黒色に統一されている。――いや、そう見えるだけで実際は違うのだろうか。少女はそれを判断できない。数多く為された切れ込みや破断。そこを中心に見える、余りにも色濃いまだらの染色は、服全体の印象を大きく変える程の出血痕。
満身創痍の長身痩躯。黒に彩られた一人の青年。
見たこともない"剣”を持った青年は、この状況で、竜の前に現れて告げた。
◆
「立花八雲、竜族の相手に不遜ながらも、一手所望する――返答は如何に」
然して、竜よりの返答は返る。怒りを宿した身じろぎには周囲に散らばった岩石の吹き飛ばしが付随しこちらの側へと着弾を果たす。
いいだろう、と睨み付ける竜眼は立花八雲に告げていた。
少女に対して慈悲ある相対を認めた矢先の横槍だ。その怒りは当然のことだろう。竜はその体躯を染め上げる赤色に等しい激しい気性を持ち合わせているようだ。
ならば、苛烈極まりない炎じみた怒りを前に、自分は一切の恐れなく立ち向かおう。
竜はその爪をまず振り下ろした。人間の体よりも巨大なそれは、その鋭さ以上に当たるだけで粉みじんに砕け散る破壊力を持っている。
実際に放たれた。破壊力の放射は回避を入れた己の右に巨大な穴を刻み込む。地面を容易く陥没させる威力とは、やはり生物として規格外極まりない。
左方向への跳躍回避から着地モーションへ。接地と同時に、ステップを刻む。体に右回りの回転を行わせ、抜き放たれた刀は水平に、自身を一周する銀閃を描く。
(行けるのか?)
己の思考はこの時でもまだ、疑問を抱き続けている。この動きにどのような意味を持つのか、理解が追いつかない。全てが初見にして、経験豊富。体が習熟した一連の動作は、しかしまったく見たことのない新しい動作に他ならない。
(行けるのか?)
という疑問に対し肉体から言葉無き応答が来る。
重ねての右回転。刻み込まれるもう一度のステップ。
意志を寄越せと言う要求。
肉体は、その行動を以て"やれる”と告げている。
無言の雄弁さを以て伝えられたその返答に、そうかと思い、
(ならば行こう――)
意志を与えた。
回転からの踏み込み。竜に対する接近と、刃を立てた刀による水平方向の"殴打”。
「神楽・回迅―― !」
動作の意味は力の加速。回転は巡りの象徴。万物に等しく作用するという、意味の強化。
すなわち、次に行われる行為は万物に等しく、その防御・重量を無視して作用する!
◆
瞬間――五十メートルの竜の巨体が吹き飛んだ。
右手側、森の方向に対して走った衝撃は竜を大木の乱立する森林に放り込み、しかし、その質量故に止まらない。
もうもうと立ち上がる雪煙。大地と森を激しく削りながら、竜は一直線に弾け飛ぶ。
◆
――なんだこれは。
少女は目の前で起きた光景にただ呆然と立ち尽くす。
起こったことは単純明快だ。
崖が崩れ、その崩れた大岩が竜に当たった。
それと共に崖上から降り立った青年が、竜に対して挑戦を高らかに叫び、怒った竜は爪による一撃を放った。
しかし、それを躱した青年は二度の回転の後に――
「竜を……吹き飛ばした?」
――なんだそれは、冗談にしても笑えない。
笑えない冗談は嫌いです、と聞いた話ならばそう返答する。
話のネタにしても余りにも寒々過ぎる。
竜を"剣”で吹き飛ばすなど、そんな光景を誰が信じるものか。
冗談にしては面白みが無く、現実にそれを視たというなら酒の飲み過ぎか過労を心配する。
ありえない。
絶対にあり得ない。
(その絶対が――崩れ去った?)
瞬間にぞくりとした感触が背筋に走った。
感覚は、背中の中心を境に上下双方に駆け巡り、全身へとくまなく伝播する。
ぞくぞくっとした、甘やかな刺激は痙攣にも似た反応を全身に要求する。
すなわち――興奮。
――なんだこれは。なんだろうこれは。
ありえない。
絶対にあり得ない。
その絶対が崩れ去るなど――あったとしたらそれは、
「――英雄」
そう。物語の中に語り継がれる数多の英雄。その所行に他ならない。
彼らが伝説たり得るのは現実ではあり得ない空想性に由来する。
その行いは、余りに奇跡じみていて現実の出来事だとは認められない。
誰かが考えて、創作したもの。空想。
それが現実に起こりえたのなら、何という奇跡だろうか。
目の前、青年は竜を吹き飛ばした姿勢のまま暫くとどまり、森を睨み付けている。
その姿を、己の視線は捉え続ける。
この青年は一体何者なのだろうかと、答えのないそれを己に問い続ける。
今起こっているこの出来事は、本当に現実なのだろうかと、余りに信じられなくて。
けれど、それらの不安の全てを、昂った期待が否定する!
暫時、のち。青年は"剣”をすっと振り払い、体の右方へと低く構える。
その姿勢のままに、青年は森へと走り出していった。
「ま――」
待ってくださいという言葉を掛ける前に、己の体は走り出していた。ふわふわと、頼りない地面を蹴り出し、青年の背中を追いかけて自分も森へと足を踏み出す。
追いかけなければ行けないと。昂ぶった感情が、はやくはやくと己を急かす。
――なんだろうか、これは。
なんだろうか、この感情は。なんだろうか、この状況は。
戦場は森へと移った――。