Underground(2)
部屋へ戻る廊下を歩いていると、丁度自室の隣に二人分の人影を見つけた。向こうもこちらに気づいたのか、視線をこちらへと移す。
「ノルン様」
「アティ、とヤクモですか」
立っていたのはメイド服のアティと、簡単な部屋着に着替えたヤクモだ。
「なにかありましたか?」
「はい。ヤクモ様の部屋をこちらに移動させろとアーデルハイト様の仰せで」
答えに、ああ、とノルンは納得の頷きを返した。
謁見のまでのやりとりと、今日の模擬戦の結果から護衛としての能力に問題なしと判断されたのだろう、とノルンは察した。
今まで、自室の隣は完全な空き部屋で施錠が施されていた。昔は侍女が控えて居たりもしたが、本来は近衛のための部屋だ。そのため内部は扉で繋がっており、有事の際にはすぐさま隣室に駆けつけられるようになっている。それが八雲が自分の近侍として控えることが決まったため、使用される事になったのだろう。
「こちらの都合であちらこちら移動させて申し訳ないですね」
声を掛けると八雲は首を振った。
「いや、どのみち荷物らしい荷物もこれしかないからな」
いいながら、八雲が掲げたのは一振りの刀だ。竜を倒す際も、模擬戦の際もそういえばこれを使っていた。
(着の身着のままでこの世界に召喚されたのであれば、確かに所持品らしいものはそれだけですか)
そう考えると、今更ながらに八雲が心許ない状況であると感じられる。自分が実際、着の身着のままで異世界に放り出されたとして、果たして耐えられるのかどうか。
少し考え、自分が読むことの出来る本がないという時点で正気を保てる自信が無くなったのでやめた。読書中に放り出されたとしても、持ち込むことが出来る本は極僅か。とてもじゃないが耐えられそうにない。
「な、なにか入り用のものとかありますか」
「なぜ突然震え声で憐憫の眼差しを向けるのか」
後ろめたさからつぃーと滑るように目を逸らす。
「それではヤクモ様、お部屋にご案内しますね」
そんなやりとりを見て見ぬ振りをしながら、アティは鍵穴に鍵を差し込むと解錠した。がちりという鍵の回る音が廊下に響く。
(そういえば、何か忘れているような気がしますね)
こちらです、と扉を開け放ち、八雲を室内へと案内するアティ。二人が中へ入るのに釣られて、ノルンも入り込む。入り口の近くにつけられた感圧装置に指を触れさせ、室内の照明をつけると、真っ暗だった部屋が照らし出される。
ここ暫く誰にも使用されていなかった室内は、人の居ない沈んだ冷たさに覆われている。だが、八雲が使用することになると分かっていたからか、最低限の掃除を施された部屋に埃はなく、ベッドや調度品など、生活するのに必要なものは一通り揃っているように見受けられた。
ただ。
「ここが、ヤクモ様に使用して頂くお部屋……で……す?」
「…………そうか」
照らし出された室内を紹介する素振りのままに行動を停止したアティと、数瞬考え込んでから、とりあえずの頷きを返した八雲。
部屋には、所狭しと埃を打ち払われた本の山が築かれていた。それこそ、ベッドの上も、調度品も、何もかもが埋もれる程度に。
「あ、そういえば隣は書庫にしてましたっけ」
メイド達もノルンの本とあっては勝手に移動するわけにも行かず、困り果てた結果としてとりあえず埃だけは払っておいたのだろう。
(アティに対して細かな連絡が行ってない辺り、中々急遽この部屋の移動は決まったみたいですね)
惨状を前に、三人は三様の体勢でしばらく室内を見つめてから、最初に硬直から抜け出したのはノルンだった。
「とりあえず、本、かたしますね」
眺めてみれば、しばらくく読んでない、読み直したいと思っていた本が数冊見受けられたのでそれらをかき集めていく。
そんなノルンの背後、申し訳ありませんと叫びながら八雲に謝罪を繰り返すアティの姿があった。
◆
こんこん、と隣室へ通じる部屋のドアが音を立てた。ノックだ。
ノルンが本をかき集めて隣室を出入りすること数回、どうにか生活するスペースが確保された辺りで夜も遅いからと作業を切り上げた。アティは謝り倒し、明日中には完璧な居住空間を確保しますから、と意気揚々、宣言していたが、
(柔らかな寝床があり、暖かな部屋が荒ればさして文句はないのだがな)
一室は、前日に寝泊まりした部屋よりは本が無くとも、数段は手狭だ。だがその分、一人で過ごすには丁度いい広さにも八雲には感じられていた。
そうして、諸々の騒動が終わり、ベッドの上に横になってあとは眠るだけという状態で居たところにノックが響いた。
扉へ向かい、それを開くと隣室の主であるノルンがそこにいる。
「どうした?」
「いえ、少し話をしておきたいことがありまして」
今、大丈夫ですか? というノルンの問いかけに頷きながら、しかし、室内を見直せばノルンを座らせるようなスペースはない。調度品の机も椅子も、本の山に埋もれていてそれをどけるのも一苦労かかりそうだ。
「構いませんよ」
その様子は、ノルンも重々承知だったのだろう、するりと八雲の脇を抜けるとベッドへと腰掛けた。
(普通なら、気にしなければならないような状況だが)
年ごろの少女と目下不審人物である記憶喪失の男が夜分にベッドの上で話をする。字面にすると何ともあれだが、少女の方から座られたのでは、男の自分に反論の権利はなさそうだ。
言葉にすれば、やましいことを考えていたと勘違いされかねない。
嘆息を一つ入れてから、八雲は諦めてノルンの隣に腰掛けると、重量の違いから、柔らかなベッドが一度たわんで、ノルンが軽く浮き上がる。
その様子にノルンは少し驚いた表情を浮かべ、八雲の方へと顔を向けた。咎めるでもない、ただ目を丸く見開いた表情だ。
「ふっ」
「ふふ」
お互いに見つめ合いながら失笑を漏らした。それで空気が幾分か柔らかくなる。
少ししてから、座り直すとノルンが話を切り出す。
「話というのは、明日の予定のことです」
「予定か」
「はい。明日は地下大図書館へ出かけることになります」
「地下大図書館?」
「このノルネア・アリフステッドの地下にある情報集積地のことですね」
言われ、少し考えこむ。地下大図書館。字面だけを考えるなら、そのまま、地下に設置された巨大な図書館というイメージしか湧かない。
そこにでかけると言うことを改まって話しに来る意味に少し引っかかりを覚えたのだが、それが表情に出ていたのだろう。ノルンが察して言葉を続けた。
「地下図書館と行っても、作られたのは一千年以上前で、廃棄されたのも五世紀以上昔のことです。実際には、遺跡というのが正しいですね」
合点がいった。
「つまり、ほぼ廃墟と化している場所に向かうから護衛が必要だと、そういうことか」
「その通りです。付け加えるなら、立ち入りに厳しい制限が設けられている土地なので、人員を極力最小限に厳選する必要があるんです――で、私には貴方という護衛が居るわけですから」
なるほど、それで自分に話を、と言うわけだ。
「了解した。明日はそれに付き合うつもりで入れば良いんだな」
「付け加えるなら、割と、何が起こっても不思議ではない土地ですから戦闘……はないと思いますが、それに近しいことは起こりうると心構えしていてくださると」
言葉に頷きを返す。
「だが、今後は気遣いは無用だ、ノルン」
「え?」
「俺は、護衛として雇われた。だから、ノルンが行きたいと言えばそこに行く。危険があれば、それに備える。それが仕事だ。その点については――」
そこで、少し考えて言葉を選んでから続けた。
「その点については、甘えて貰っても構わない」
「……甘えろ、ですか」
「ああ」
ノルンは、数瞬、迷ったように視線を巡らせると幾度か眼を細めた。その後、少し眉根を寄せると、拗ねたような口調で告げた。
「なんだか、何もかも見透かしているようなことを言うんですね」
そうだろうか、と疑問に思い首を傾げる。だが、言動を思い返すと確かに、そうかもしれないと思いなした。
言葉を選んで、甘えろと言ったのには仕事だからと全てを割り切ることに、ノルンが何かしら抵抗を覚えるかも知れないと思ったからだ。
そうでなくとも、一介の護衛に対して前もって予定を通す一面を持っている。これが本当に根っこからの帰属意識を持った人間だとすれば、こちらなど完全にただ一人の雇用者に過ぎないのだから、契約内容に即している限り、頼み事をするのに容赦をする必要は無い。
それが出来ない、あるいはしたくない。そういう人物なのだと、見透かしていたかもしれない。
「まぁ、いいんですけどね」
失礼をしたか、と悩んでいると沈黙に耐えられなくなったのかノルンから話を切り上げた。彼女にしてみても、それほどシリアスなつもりで話題にしたのではないのだろう。
「明日は、ついでに街も見て回ります。ヤクモはノルネア・アリフステッドの街並みをまともに歩いたことが無かったと思いますから。地下に行くついでです」
「そうか……ありがたい」
街に降りて出歩いた事は確かになかった。
(よくよく考えると、この世界について知っている地理と言えば本当に極僅かだな)
雪原と、この街へ続く道。それと城と、模擬戦を行ったグラウンドくらいのものだ。街の様子のことは確かに何も知っていない。ついでとはいえ、それらを見て回れるとなれば少しばかりの好奇心が満たされるようで嬉しい気持になる。
「ただ、その、護衛の件を頼み込んでおいてアレですが、傷の方は大丈夫ですか?」
「傷、か」
言われ、自身の状況を改めて確認する。竜と戦ったときの傷は概ねが、打撲や擦過傷。それ以前の傷は、切り傷に火傷など多岐にわたっていたが、致命傷は無かったと治療を担当したアティには言われた。
後遺症やあとに残るような傷もないから、数日の内に綺麗に治りますよ、と言われこの世界由来と思われる、魔法を使われたのは覚えている。
実際の所、小屋での一件からこちらに戻ってきてから、一度包帯を外したときに傷を確認したものの、身体を動かせなくなるような傷は見受けられなかった。
ただ、深い傷がなかったわけではなく、身体の動かし方によっては再び傷口が開きそうなものは幾つかあった。それも、アティによってこちらの常識からは考えられないほどの効果を持った治療を施されたので、実際の所――
「よくわからんな」
と言うほか無かった。
「よくわからないって、自分の身体のことですよ?」
「そうなんだが、こちらの常識と、この世界の治療方法は根本的に違う概念だからな。一般的に、どれくらいの速度で傷が癒えるか、というような基盤になる知識が欠けている」
「ああ、だから判断のしようがないと」
「模擬戦をやる分には問題なかったから、そういうことだと思うがな」
ただ、アティには模擬戦をやる前に、無茶するな、だとか、そもそも刀を振るうのが馬鹿げて居るだとか、アーデルハイト様は何を考えていらっしゃるのか、こっちは怪我人なんですよ、とか色々聞いた記憶はある。がきっと気のせいだろう。
「な、なんだかいまいち信用なりませんね――まぁいいでしょう」
半眼でジト目を向けるノルンへ不信を感じて視線を向けると、どこから取り出したのか両手に一つづつ小瓶を持っている。中身は、なにやらドロリとしたペースト状のものが詰め込まれているのだが、眺めていると、時々氣泡が弾けているのが見て取れた。色は蛍光色の緑とピンクで中々眼に痛い発色をしている。
「……それは」
「治療薬です」
それを膝の上に置いてから、ノルンはベッドの上をぺしぺしとたたく。どうやら寝ろという事らしい。
「今から、貴方にこれを塗り込みますから、ちゃっちゃか上着を脱いで傷口を見せてください」
「塗るのか、それを」
「なんですか、その疑いの目は。大丈夫です。そう本に書いてありました」
実際に使用した際の効能と結果についてを知りたかったが、間違いなくこの少女はそれを知らない。
(諦めるように諭したい気持もあるが、これも一応は雇用者の命令、か)
無理矢理自分を納得させ、ボタンを外し上着のシャツを脱ぐ。
「……うわぁ」
上半身をさらけ出すと、隣に座っていたノルンが動作を止めて、なにやらこちらを見つめている。
まじまじとした視線が、遠慮無しに向けられるのにさすがに気恥ずかしさを覚える。
「恥ずかしい身体はしてないつもりだが……」
傷だけは多いようなので、それは難点かも知れないが。
言葉を掛けると、ノルンははっと我に返り、首を横に激しく振る。
そして先ほど以上に激しくベッドを叩いてこちらに横になるように催促してきた。その様子に、諦め、身体をベッドにうつぶせの姿勢で横たえる。
「これでいいのか」
「ええ、十分です」
言いながら、ノルンはこちらの腰の上辺りをまたぐとそのまま腰掛けてきた。一人分の重量がのしかかる。幸い、気になるほどの重さではなかったがそれを口にする前に、きゅぽ、っという瓶の蓋が開く音に意識を取られた。
室内に、なんとも言えない薬草の臭いが充満する。漢方臭いとも、ハーブ臭いとも言えない、それが混じり合った強烈な匂いだ。
おそるおそると言った体で、背後を振り向くと、両手を小瓶に突っ込み、それを抜き去ったノルンが妙にニュートラルな視線をこちらの背中に向けていた。有り体に言って目が据わっている。
ぺとり、と両手からしたたり落ちる薬の冷たい感触に身を震わせる。傷口とは別の場所に付着したそれは、何だか湿布のような感触を伝えてきたと思ったら、次の瞬間には唐辛子を塗った喰ったような激感が襲ってきた。
(これを――傷口に塗り込むのか?)
ごくりと生唾を飲み込み、ノルンを制止しようとしたタイミングで声が来た。
「――では、行きますよ」
「まっ――」
◆
「はーっ、やっぱ夜は冷え込みますね」
言いながら城の通路を歩くのはアティだ。通路には最低限の明かりしかともされておらず、石造りという関係上、窓が少なく採光も悪い。所々に設置された窓からはしかし、月明かりが漏れることはなく、覗き込んでみれば周囲一面が真っ白だ。
「吹雪なら仕方ないですかぁ」
なら、早く部屋に戻って暖かな飲み物でも口にしてから眠ろうと、歩く速度をアティは早めた。
自室は城内の離れにある。中央の城とは別に作られた使用人用の居住区を目指す。
「ヤクモ様には申し訳ないことをしてしまいました」
歩きながら、思考をしめるのは先ほどのこと。連絡不行き届きから、室内の清掃を完全にこなす前に引き渡すという失態を犯してしまった。
「明日には改善しなければなりません」
このままでも構わない、と言った青年の表情をアティは思い浮かべる。男にしては、それなりに整った顔立ちだと思う。黒瞳に黒髪。決して短くない髪は、野放図ではなく整えられた印象だが、それでいて少し荒々しい印象もある、青年の静かな佇まいと正確、口調にその外見が合わさると、孤高を保つ獣のような佇まいだ。
すっと伸びた目鼻立ちや眉も決して嫌みじゃない、中性的な印象がある。
(有り体に言ってしまえば、かっこいい部類ですよね)
というのが客観して述べた彼の外見。男慣れしてないノルンが、それをどう感じているかは分からないが少なくとも、醜美から嫌う、と言う事はなさそうだった。
(私はどうなんでしょうかね)
ふと思い立ち、自己分析を行う。城への帰り道、予想外の言葉をかけられたのが昨日だ。
この街にあっては実感することはあまりないが、異種族の血を毛嫌いする風潮があるこの世界、初対面の、しかも、種族的には完全にまっさらな人間に褒められるというのはいまいち、慣れない感覚だ。
心に、少し浮き立つものがなかったわけでは、決して無い。
「単純すぎますよねぇ」
褒められて、いい気になる。褒めてくれたから、好きになる。感情というのは、そんなに単純に二律化出来るものでもないけれど、初対面の印象なんてものは、もしかしたら、好きか嫌いかの二択しかないのかも知れない。
(それなら、間違いなく嫌いではない印象ですよね、これは)
むむむ、と思わぬ自己評価に眉根を寄せる。客人扱いから、これからは城で使える同僚の一人になる。ただ、立場の関係から、やはり向こうに奉仕するという機会が多い以上、良きにしろ悪きにしろ強い感情を持ちすぎるのは避けるべきだ。
奉仕する相手に、べったりと感情を塗りたくるというのは、メイドとしては少しまずい。
「まーさすがにそこまで強い感情ではないですけれど」
嫌いな人に奉仕するくらいなら、好ましい相手に世話をした方が気分もいいにきまっている。程度としてはそれくらいの事柄だと、自身を納得させて、いつの間にか立ち止まっていた歩みを再開し。
「アッ――――――――――ぁあああ!」
「ふぁぁぁ――――っ?!」
と聞こえた悲鳴に、思わず飛び上がった。
声のしたのは、自身の背後。あとにしてきた、ノルンとヤクモの部屋の方角だ。
「い、一体何が……?」
ばくばくと脈打つ心臓を押さえながら、アティは今来た道を訝しげに見つめた。
◆
その夜、ノルネア・アリフステッド城内では、居住区全体に響き渡った悲鳴によって一騒動があったが、可及的速やかに状況は収集された。
また、この日以来、医務室に緊急時以外使用禁止と書かれた小瓶が二つ、増えた。