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Underground(1) ―夜の小話―

 『Underground』


 ◆


 ノルネア・アリフステッド城は古めかしいながらも、度重なる修繕と改築によって辛くも居住空間としての役割を維持してきた名城である。

 築城されてから約五百年余り。基本を石造りとする城には、通路にすらそれなりの風格が備えられている。

 謁見の間の後ろに備え付けられた左右二つの階段の内、右方の階段を上ること四階。魔術照明によって照らし出されたうっすらとした僅かながらの廊下のむこう側に、城主の部屋がある。

 室内には数多くの調度品と、大きな天蓋付きのベッド。執務用に高価な木材を使用した机が備え付けられている。ベッドと机は両壁に対照的に置かれ、調度品の数々は部屋の四隅を彩る配置。他に、幾つかの風景画と、城主であるアーデルハイト自身の肖像画が暖炉の上に掲げられていた。

 部屋の中央の壁に備え付けられた暖炉の前、接客用の横長なソファーが一脚と、テーブルを挟んで上座の位置に一人がけの椅子が一脚ある。

 その上に、今、二人の人物が居た。一人は部屋の主であるアーデルハイト。もう一人はノルンだ。

 二人とも、昼とは違い夜用の薄着に暖かな上着を着込んだ姿である。

 テーブルの上、お互いの前にはティーカップがある。琥珀色の液体がたたえるそれからは、まだ湯気が上がっていた。

 湯気越しに相対する二人。アーデルハイトは深く椅子に腰掛け、ノルンは膝の上に両の掌をおいている。

 静かで物音一つ無い雪の降る夜だった。ただ薪のはぜる音だけが二人の居る空間を彩る。

 その静けさを大事にするよう、薄い笑みを浮かべながら、アーデルハイトがゆっくりと口を開いた。

 

「して、まぁ大体の予想はついているが話というのはなんだ、ノルン」


「予想がついているなら、話が早くて助かりますが――あなたがを依頼していたアレの話です」


 アレ、とアーデルハイトはノルンが口にした言葉を口の中で反芻しながら、思考を巡らせた。

 ノルンに、自身が依頼したアレとはつまり――



存在と可能性の正四面(レーギャルン)体、その調査と整調の依頼、だったな」


「ええ、その通りです。そして結果も報告したとおりですよハイディ」


 ノルンの言葉にアーデルハイトは頷きを返す。


存在と可能性の正四面(レーギャルン)体の稼働と、竜族の出現。そして現れた異邦人、か」


「危うく私が命を落としかけたという事も忘れないでください」


「忘れちゃいないさ」


 眉根を険しく寄せるノルンを軽くいなしながら、アーデルハイトは思う。


(しかし、あの竜族は一体どこから現れたのか)


 少なくとも、アーデルハイトが把握している限りにおいて、この近辺にノルン達の報告にあるほどに巨大で強力な竜族の存在は確認できてない。

 竜族というのは体躯に見合っただけの食料や、周辺への影響力を持ち合わせる存在である。そのため、園市関係や、生息分布というのは国家規模で把握されるのが通例だ。

 にもかかわらず、その把握が為されていない竜族というのは、何らかの原因で分布調査から漏れた存在か、あるいはどこか別の場所から移動してきたという事に他ならない。

 だが、竜が移動するとなると必ずと言って良いほど目撃証言が出る。数十メートルをくだらない竜が空を飛ぶのだから、それが目立たないわけがない。飛翔体を感知する方法だって、一つや二つではない。それらは、要所要所にしかない代物ではあるにしろ、常時稼働しているのだ。

 そして感知された情報や、目撃証言というのは必ずこのノルネア・アリフステッドに届けられるよう厳重な組織がこの国には構築されている。


(アリフステッドとという土地の重要性を鑑みるならば、それこそ対空感知網を要する軍事拠点を周囲に数カ所作っておきたいものだが、まぁ、対外的にそれは難しい)


 アーデルハイトは脳裏にノルネア幻想国とそれを取り巻く周辺国の地図を描いた。

 巨大な菱形の大陸。その北端に位置するこのノルネア幻想国だが、その土地は基本として厳寒の雪に閉じ込められた領土である。それ故、過去幾度となく南下を繰り返し領土の拡大にいそしんできた背景があった。その過去は、周辺国からは帝国主義と認識され、領土拡大という野心に塗れた軍事国家という認識に繋がっている。

 だが、その認識に反して、ここ十数年は、そのような領土拡大にいそしんだ過去もなければ動きもない。そもそも、ノルネア幻想国が恣意的に領土拡大をした戦争など一度もないのである。


(攻められ、護り、あるいは周辺の紛争に介入した結果いつの間にか領土が増えていた。その繰り返しが今のノルネア幻想国の版図だ)


 背景として、ノルネア幻想国が積み重ねてきた歴史の厚みと、国家基盤に対する信頼がある。軍事国家なれど、その歴史は、大陸中のどの国家にも勝らずとも劣らないもので、それだけ長大な歴史を生きながらえてきた盤石さというのは、恐ろしさと同時に憧れとして周辺国に流布しているのだ。

 だから、紛争に加入し、火中の栗を拾う真似をすると国として弱った政府や、王家がノルネア幻想国の一員となろうとする。自分一人で維持できなくなったものを、より強く、たくましく、強大で、歴史ある存在に全て預けてしまおうとする。


(そこには数多くの劇的な物語というものが存在するのだけど――詮無いことだな。他国の領土を手に入れ、版図を広げてきたという事に変わりはない)


 だからノルネア幻想国は侵略国であり、軍事国家である。実体はどうであれ、そういった認識を持たれている国である。

 そして、ノルネア・アリフステッドという土地は、その軍事国家ノルネア幻想国の中でも、西南の国境沿いに位置する非常にデリケートな土地だ。都市の南には大ルドベキア聖王国という大国家がある。


(その聖王国様が厄介なことこの上ない)


 この一世紀余りにおいて、国家関係の麗しくない隣国である。聖王国と名のつくとおり、彼の国は熱心な宗教国だ。国家主権は神権授受という考えに則っているし、中央教会に対する覚えも良い。


(もっとも、それだって二十五年前の事件以来は苦しい立場だがな)


 大ルドベキア聖王国がそもそも中央協会に対して覚えが良かったのは、聖女教会が擁する最重要存在である"聖女"の血統、その一族を国内に有していたからである。

 世界を巡る一大宗教である聖女教会。通称を【クレイドル・エリンジューヌ】という。二千年前に世界を救った聖女であるレン=エリンジューヌ・プラヌムを聖体として崇めるこの宗教は、その正統血統であるエリンジューヌの血統を篤く保護し続けてきた歴史がある。

 しかし、二千年という歴史の中、一時は数十にも及んだ聖女の家系は大ルドベキア聖王国内を除いて全て失われるか、あるいは行方が分からなくなってしまった。

 結果として、聖女教会は大ルドベキア聖王国を優遇し、その一族を厚遇し続けてきた。それが彼の国の繁栄を支えてきたと言っても過言ではないのだが――二十五年前にとある事件が起こる。

 首都ルドベキアで起こったなぞの大爆発と火災。巻き込まれたのは首都の家でも最も厳重な警備の施された館――聖女の館である。

 そこに住んでいた、あるいは勤めていた人員のほとんどを失わせたこの大爆発と火災は、世界にとって掛け替えのない存在をも代償として奪っていった。


(それがエリンジューヌの正統血統が失われた日)


 通称を"散花日スキャッタード・デイ"だ。

 それを境にして、大ルドベキア聖王国は背後にいた強力な後ろ盾を失ったと同時に、周辺国に対する影響力をすら大きく損じることとなる。


(当然だな。聖女を外交のカードとして切れなくなったのだから)


 基本として、大ルドベキア聖王国は、中央教会から聖女を自国利益の為に恣意的に利用することは固く禁じられていた。とはいえ、自国内にいるのだから、利用しない手はない。彼の国が、聖女のおかげで手に入れてきた無象の利益は計り知れないものがある。

 それが失われた事によって彼の国は二十五年前から疑心暗鬼に陥った。周辺国との外交に対して、酷く神経質になり、多少の違和感でさえ過剰に騒ぎ立てるようになったのである。

 その辺りに、このノルネア・アリフステッドという要地の周辺に軍事施設を集合できない事情があった。


(まぁ、そのために少なくない額の外交努力を支払って安全を買って居るんだけど)


 だが、もしもという事もある。それを考えた場合、やはりこのノルネア・アリフステッドというのは戦力に乏しい不安な立地だった。そして、今回の出来事は国外のみならず、国内に対しても不安が残っているのだと示す結果となってしまった。


(アリフステッドという名前が持つ魔力を過信しすぎた、か。宗教上の聖地だからな、ここは。攻め込んだら国際批判は免れ得ない)


 ノルネア・アリフステッドという土地が持つ宗教的価値がもたらしてきた、戦力が無くとも攻められないという前提は、しかし、絶対ではないのだと。


(あの竜族が、こちらの手落ちで把握し損ねていた竜族ならば良いのだが、どこかの国から派遣されたものだとすると、いよいよ持ってまずい)


 ノルンの報告に寄れば、現れた竜族は執拗にノルン達を襲ったという。そこにどのような意志が介入していたのか。


(竜族も馬鹿ではない。齢を重ねれば重ねるだけ、知識を蓄え、より世界その物に迫るのが古来よりの竜のあり方だ。伝え聞いた話では竜もそれなりの齢だったと言う。だというのに、ノルン達を襲ったとなれば)


 そこには、明確な意志が存在する。竜の意志。あるいは第三者の意志が。


存在と可能性の正四面(レーギャルン)体についても、わからない事が多すぎます」


 アーデルハイトの思考を遮る形で、ノルンから声が掛かった。考え込み、ただ凪いだ紅茶の水面を眺めていた視線を上げ、ノルンを視界の中央に捉える。


「あれがどのような原理で起動し、稼働し、そしてどのような結果をもたらすのか。そもそも、あの場の魔力の整調に行っておきながら、私はアレの現物がどのような姿をしているのかすら知りませんでした――それだけ、確定化された情報がないという事です」


「ノルンが言うからには、そうだろうな」


 実際の所、報告を受けたこの土地の統治者であるアーデルハイトですら、存在と可能性の正四面(レーギャルン)体について知り得ることは少ない。

 二十数年前にこの城を譲り受けた時に周辺に存在する重要拠点や遺跡、史跡のあらかたは教わっている。だが、ことそれはつい最近までの統治には問題なかったのだが、今、この状況に立ってみれば十全とはとても言いがたいものだった事に、疑う余地はない。

 その限られた知識の内で存在と可能性の正四面(レーギャルン)体について知りうること。


「気まぐれに異邦人を召喚するだけの機巧、だと思っていたのだがな私は」


「それは、私もですよ」


 つまるところ、認識はそれに尽きる。よく判らないが異邦人――この世界とは事なる世界から客人(まれびと)を招くための装置である。ただし、定期的に魔力の整調を行はなければいけないデリケートさは持ち合わせていて、特に、このアリフステッドでは重要な祭りの前後には必ずそれを行う必要がある。


「竜が出てくることも知らなければ、稼働の条件も、実際に稼働したらどうなるのかも我々は知りませんでした」


「と、なるとだ」


「……はい」


「知っている人間に、尋ねるしかないだろうなぁ」


「ですよねー……」


 はぁ、と二人で深いため息を吐き出す。お互いの脳裏には共通の人物が一人浮かび上がっていた。

 存在と可能性の正四面(レーギャルン)体のみならず、この国にあるあらゆる史跡や遺跡に通じ、異邦人に関する造詣も深い人物。


ツヴァイラヴィーネクルフルストですか」


「あまり関わりたくない御仁だがな……」


 齢二千歳を越えると言われる怪物中の怪物。多種族が暮らすノルネアの中でも、極めつけの例外存在。

 この国において、頭の上がらない人物であり変人というのが第弐選定伯に対する二人の認識である。


「背に腹は代えられない、か」


 知り得ぬ事を知るには、知り得る人に尋ねるのが一番確実にして、簡単である。


「なにより、第弐選定伯はハイディの前任者ですし」


 アーデルハイトがノルネア・アリフステッドを委譲されるまで、この土地は暫定的にだが第弐選定伯が管理していた過去がある。尋ねるに当たって、これ以上無い人物だった。


「だな。その方針で行くか――話というのはそれだけか?」


「いえ、それ以外にももう一つ話、というかお願いがあるのですが」


「お前が頼み事とは珍し――いや、タチバナ・ヤクモについてしてきたばかりか」


「なんですか、その含んだ言い方は」


「いやぁ、他意はないとも」


 にやにや、といった視線を向けるアーデルハイトにごほん、と咳払いを一つ入れてノルンは空気を引き締め直した。


「地下大図書館『コーデックス・レギウス』への立ち入り許可を頂きたいんです」


「ふむ」


 アーデルハイトはその言葉を聞きながら静かに、テーブルの上のティーカップへと手を伸ばした。若干冷えてしまったそれを、ゆっくりと口へと含めば芳潤な香りが口の中へと広がる。薫り高い葉からお湯で抽出した茶は、その心地よさで思考を僅かながらクリアにする。

 舌の上に残った、僅かながらの苦みを楽しみながらティーカップを元に戻すとアーデルハイトは眼前のノルンを見つめた。


存在と可能性の正四面(レーギャルン)体の調査に向かいたいか」


「もちろん、それもあります」


 言外に、それ以外にも目的があると告げるノルンの見つめ返す視線はまっすぐで曇りがない。


(地下大図書館『コーデックス・レギウス』、か)


 それもまた、このノルネア・アリフステッドに残る謎の一つだな、とアーデルハイトは思った。

 古くは一千年以上前に使用されていた場所で、現在は半ば以上が荒廃し遺跡か、あるいは廃墟といった方が良いくらいの場所である。

 だが、そこには古代の知識が今もなお残されている。それを調べさせろ、とノルンは言っているのだ。


(まぁ、アレを図書館と命名した奴の感性を疑うような場所ではあるが――ダメ元でも行って調べてみるのが今すぐできる唯一のことか)


 少しの思考の後、アーデルハイトは決断をした。


「いいだろう、許可する。ただし護衛は最小限で頼むよノルン。あの場所に大勢を立ち入らせるわけにはいかない」


「それは了解してます。人選はこちらが勝手に選んでもいいですよね」


「ああ、それはお前を信頼しているからな。――だがまぁ、選ぶ気もないんだろう、ノルン」


 言われ、ノルンは視線をつぅーっと横にそらした。


「別に、彼をあの場所に連れて行くことで何が起こるかを実験しようなどとは、露も思ってはいませんよ」


「それも含めて許可しよう。ただ、彼の怪我の方は大丈夫なのか」


「ああ、それは――」


 言われて、そういえばその点について確認を取ってなかったとノルンは思い至り言葉につまる。

 そもそも、模擬戦の時点でも竜との戦いで負った傷は癒えきってなかっただろうに。

 ただ、まぁ。


「――大丈夫でしょう」


 と、そう判断することにノルンはした。遺跡とは言え、さほどの危険があるとは思えない。存在と可能性の正四面(レーギャルン)体の一件があったから、今は神経質になっているが、あのような竜に襲われるというとびっきりの例外要素が早々起こって貰っては困る。


「そうか。一応、こちらもアティにすぐに動けるよう手配はしておこう。何かあったら、どのような方法でもいいから、すぐに知らせろ。その場合は、禁を犯してでも救出に向かう」


「無茶はしないようにしますよ」


 話は以上です、と言いながらノルンはアーデルハイトの部屋をあとにした。部屋の扉へと歩くノルンの背中を、アーデルハイトはじっとみつめる。


(自分から、ああいった場所に出向こうと言い始めるとは、な)


 親友の意識に訪れつつある変化を、どう思うべきか。それをもたらした異邦人タチバナ・ヤクモという人物をどのように扱うべきか。


(これが平時なら脱ひきこもりと遅かり親友の春を喜ぶばかりなのだけど)


 扉を閉める前、こちらへと視線を送ったノルンに手を振りながら、そうも行かない状況が迫りつつあるのを、アーデルハイトは感じ取り始めていた。

 音もなく静かに扉が閉じられたのを確認してから、アーデルハイトは窓の外、雪の降る真っ白な夜を見つめた。


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