Birth
【???】
集団が通路を歩いている。
暗い、外の光の一切が入らない通路だ。既にそれなりの距離を歩いてきているのか、集団の背後にも入り口らしき光は見えない。
二十人ほどの集団が歩くたび、彼らの装備が立てる音と堅い靴底が鳴らす音が重なった。音の全てが硬質な響きを持ち、通路全体に反響する。
闇の中を集団がうごめく。しばらくして、先頭の一人が立ち止まった。追随するよう、全体も動きを止める。
微かな物音のあと、まったくの暗闇だった通路にうっすらとした燐光が舞った。マナだ。光は薄い緑をまとう。ひらひらと宙を舞うそれは、立ち止まった一人を暗闇に浮かび上がらせた。
女だ。目深に白いフードを被った女が三十センチほどのロッドを持ち、暗闇に浮かび上がる。
黒髪に黒瞳。全体として鋭い輪郭の凜とした容姿。
燐光は女の持つロッドを中心に渦巻き緩やかな回転をはじめる。のち、収束すると――
「――Licht」
声に呼応し、炸裂する光。それは、爆発的速度で通路を奔り抜けると明るさを失うことなくとどまった。暗闇は払拭され、通路と集団が光の下に明らかとなる。
集団は男女が半々で入り交じった構成だ。全員が白いローブを身にまとい、目深にフードを被っている。吐き出す息は白い。それは寒さのためなのだろう、彼らは全員が防寒具としてローブ以外にもそれぞれがマフラーや手袋などを身につけている。
集団の内の半数はローブの下に鎧を身に纏っていた。そのためにごつごつとした輪郭がローブ表面に浮かび上がっている。もう半分は柔らかな女性らしい輪郭線だ。
彼らは背嚢を背負っている。蓋の隙間から長い金属筒が飛び出している者や、横に大きく膨れあがった背嚢を持つ者など、各々が役割を分担し荷物を運んでいた。
その中にひとり、背嚢を一切持たない人物がいた。集団の中でも特別に背が小さい、小柄な人物だ。ローブに浮かび上がる輪郭は、人物を女性だと告げている。
ロッドを二度、三度と振り纏わり付くマナを振り払いながら先頭の女は振り返り、その人物へ視線を向けた。眼差しは確認の意志を宿している。
その瞳に促されるようにして列の中央にいた小柄な女性は、先頭へ向けて歩きながら、被っていたフードを下ろした。白い布地の下から現れたのは一人の少女だ。
色素の薄い、微かに蒼い色彩をたたえた麗しい髪と大きな宝石を思わせる碧眼。
整った――整いすぎて無機物めいた肌とその輪郭は現実とは隔絶していて、一種の幻想めいている。年の頃に残るあどけなさ。その上に彩られたそれらが、少女の神秘的な雰囲気を醸し出していた。
少女は女に頷きを返しながら、集団の先頭を取って代わって通路を先へと歩く。
まっすぐに続く通路をしばらく歩くと、集団は開けた場所へと出た。おお、というどよめきが数人の口から漏れる。
玄室の趣を持った重厚な壁に覆われた部屋だ。暗色の壁には一面に幾何学的な図形が刻み込まれている。
同時にとてつもない広さを持った部屋だ。縦横に五百メートルはくだらないだろう幅を持ち合わせ、半球形の天井もそれ相応の高さを持つ。
床はすり鉢状だ。断面はなめらかにえぐり取られている。その一角に溝のように階段が伸びており、凹みの中央へと続いていた。
それら全てに対し、植物の蔦が巡っている。太い物は人を数人束ねたよりもなお大きく、太い。この部屋が一体いつから存在しているのかという時間の経過を思わせる。少なくともこの蔦が育つだけの時間がこの部屋で流れ、過ぎ去ったに違いない。
「ここでしょうか」
「――間違いないはずです」
短い応答が女と少女の間でかわされると、女は集団に対して準備の指示を飛ばした。それに応じて、彼らは部屋の各所へとちりぢりに散らばっていく。
各々が背嚢の中から荷物を取り出す。出て来たのは金属筒と背嚢を押し広げていた直方体の箱だ。
それらは全てが調査機材である。彼らはてきぱきとあらかじめ決められていたのだろう場所へと、機材を配置していく。
金属筒の役割は、この室内に存在するマナ量の観測だ。銀色の光を放つこの金属は大気中のマナと触れあうと一定量を安定して吸収するという性質を持つ。円筒状に加工されたそれを室内の一定位置に配置することでマナ量を観測することが出来る仕組みだ。
続いて観測用の金属筒に導線で接続されたのは、L字の針と紙筒を設置された記録器である。仕組みとしては単純な物で、金属筒の観測に応じて、針が揺れ、紙に波形が描かれるようになっている。それによってマナ量がどれ程あるか、測定・記録できる仕組みだ。機器は、設置されると同時に針を忙しなく動かし始めた。波の幅が大きい。それはこの部屋が豊潤なマナに満ちていることを意味していた。。
機器の設置へ向かった者たちとは別に、女と少女は部屋の中心へと移動した。
そこにあるのは柩のような長方形をした黒光りする鉱石でできた台座だ。表面には壁とは一線を画した複雑な幾何学模様が刻み込まれている。上面の中央には半球系のくぼみがあり、十字の溝がそれを貫いていた。
少女は台座の前に立ち、くぼみを右手で軽くなぞる。なめらかに磨かれた鉱石には埃一つ積もっていない。一体どれ程の年月、放置されていたか判らない台座に汚れひとつない。
少女は瞳を閉じ、集中する。しばらくすると、マナが独特の、薄緑色の燐光と共に霧のように立ち上がる。だが、立ち上がったマナの霧は次の瞬間には幻のように跡形も無く大気へとほどけ、文字通りに霧散していった。
ふぅ、と少女は白い息を吐き出す。
「マナの整調、お疲れ様です」
「祭りの前の大事とはいえ、ここに来るのは些か疲れました。二度は勘弁願いたいですね」
告げる口調には疲労の色があった。体の奥底にこびりつくと言うよりは、体を動かすことになれない人間が久々に運動をしたかのような色だ。集中をしたせいもあるのだろう。慣れない運動の上に精神集中によって摩耗した形のない疲労の方が、肉体の疲労よりも強い様子であった。
「準備が整うまでのしばらくは仕事もないはずです。どうかお休みください」
そう告げる女の顔には判っている、と言わんばかりの親しげな笑みが見え隠れしている。言葉の裏側にある苦虫を潰したかのような感情が、女には親しさから読み取れてしまったのだ。
女は、自分の右腰にさげてあったウェストポーチから水筒を取り出すと少女へと渡した。
「……ありがとうございます」
不承不承と言った表情で少女はそれを受け取る。
受け取った水筒の蓋を開けば、湯気と同時に芳潤な香りが立ち上る。中には暖かな紅茶が入っていた。
ハーブティーだろう。
幾つかの茶葉がブレンドされた、鼻の奥をすっと抜けるような爽やかな香りは、精神的な緊張を取り、リラックスさせるためのブレンドである。今日の作業が少女に対して、精神疲労を強いる物だと女が見越して用意していたのだ。
ありがたく、冷めてしまう前にいただこう、と、不作法を承知で階段の段差に少女は腰掛ける。
水筒は脇に置かれた。
そして、ウェストポーチからマグカップを用意したときである。
段差に置かれた水筒。その中で紅茶の水面が波打っているのに少女は気がついた。
階段に掌をつけ、目を閉じ注意深く感触を確かめると微細な振動が感じられる。
この振動は何か。少女が考えを巡らそうとする間に、それは徐々に強まって来た。
「これは……」
台座の辺りで引き続き作業をしていた女も異常に気がついたのだろう、周囲を見回している。
嫌な予感がする、と少女は思った。それも、とてつもなく大きな災厄の予感だ。
動かなければならないと少女が腰を上げたときには、既に水筒が倒れるほどに振動は強くなり、地震と呼ぶべき規模になっていた。
部屋の隅で設置作業にいそしんでいた者たちも、倒れそうになる金属筒を押さえながらいぶかしげにしている。
振動はしかし、それを頂点にして静かに収まっていった。揺れが止まる。からからと、水筒が階段の上を転がっていく音だけが不思議と沈黙した室内に響き渡る。誰もが安堵の息をついた。おさまった、という呟きがそこかしこで漏れた。
――と。次の瞬間。壁という壁、床という床の幾何学模様へ光が奔った。
「お下がりくださいっ!」
反射的に女が少女を庇うようにして駆け寄る。
光は台座を中心として、放射状に部屋の全面へと奔る。
薄緑色のそれは、幾何学模様を稲光のように駆け抜けていくと、今度は一斉に天球の頂点を目指して壁を駆け上がる。
巨大な蔦に隠れてうっそうとしていた天球の中心が、集約した光によって照らし出された。中央、浮かび上がったのは黒い鉱石で出来た立方体だ。
周辺を蔦がまるで鳥かごのように覆っているため、今まで誰も気がつかなかったのだ。光であらわになったそれは、鳥かごの中央で何に支えられることもなく宙に浮かび、緩やかな回転をしている。
「……あれはなんですか?!」
「そう、ですか――あれが」
女が半ば恐慌をきたした声音で悲鳴を上げる隣、少女は庇われながらもその様子をつぶさに、冷静に観察していた。
天球の中心で集約した光が、今度は光の柱となって緩やかに落下を始める。
質量を持っているかのように、ひたひたと降りる柱。粘性を帯びているかのような気味の悪い速度だ。
光はさほどの時間もかからずに立方体にたどり着いた。
緩やかだった回転が速まる。突如として暴れ狂う様は、機械的と言うよりは寧ろ何らかの意志を見るものに感じさせた。秩序だった回転からの一変は、豹変と受け止められ、暴力的という形容詞が加えられる。
つまりは、狂気。
立方体は光によって狂気を注がれ、突如とした狂奔を見せる。速すぎる回転は立方体の形を失わせ、最早、まっくろな珠のよう。猛り狂った珠は、愕然とする一同の前で、注ぎ込まれたのと同種の光を身に纏い始める。
「――あれこそが」
一同の中、少女だけがアレの正体を知悉していた。台座など見せかけでしかなかった。本体は宙にあったのだと少女だけが気が付いた。
アレこそがここを訪れ調査し不安定になりがちなマナを整調しなければならなかった理由。
アレこそがこの場所にこの遺跡がある理由。
アレこそが狂気の箱。
アレこそが悪を愛する者。
アレこそが狡猾なる運命の全て。
アレこそが唯一可能性を剪定する剣。
アレこそが回転する九つの鍵。
その名を――
「――可能性と存在の正四面体」
瞬間、光が炸裂した。