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Drahenstein(16)

 リリベッドの背後には彼女の薄緑の髪と同じ色の極光が煌めいている。巨大な光の塊だ。大きさはリリベッドの体躯とほぼ同程度。それが緩やかに回転しながら、宙に浮かんでいる。

 真昼の空の下で、なお燦然と存在を主張する絶対の輝きはリリベッドの得意とする魔術の一つである。

 名を【フィアンマアルコバレーノ】という。

 この魔術は『光る』という現象の再現である。

 無論、それは可視光線を再現するというような専門的事柄ではない。彼女が再現している『光』という現象は、厳密に言うなれば太陽光の再現である。

 魔術とはマナに対してアカシックレコードから読み取った情報を書き込む作業だとリリベッドは言った。だが、魔術に対して博学である彼女をしても理解していないことがある。

 それは、科学だ。現象に対する物理的な知識だ。この世界には、八雲が予想したとおり科学的知識が彼の居た世界ほどに発達していない。

 アカシック・レコードから情報を読み取るには理解が必要不可欠である。『光る』という現象が可視光線とよばれる電磁波によって発生する現象であるなどリリベッドには理解し得ないことである。

 であるならば、彼女は何を理解しているのか――それは、世界に降り注ぐ『太陽光』という現象である。それも、『科学的』ではなく『感覚』としての。

 故に、更に厳密を期するならば彼女の再現しているこの魔術は太陽光ですらない。そこにあるのは、肌に『太陽光』だと感じられる『光るという現象の塊』である。

 そしてそれを為し得ている知識とは、彼女の中にあるセンスで有り、同時、彼女の生家である魔術伯家マギーアグラーフが蓄えてきた実践と積み重ね記された経験則という知識に他ならない。

 酷く強引な知識である。脚を早く動かせば早く走れるという事実と何ら変わりないほどに。

 如何に脚を動かせばいいのか。手をどのように。体重は、腰は、視線は何処を見れば良いのか。そうした細やかな知識が数多く記されていたとして、それらを感覚的に学習できる素養が無ければ何となるというのか。

 この世界に於いて、魔術とは、そうした感覚的情報処理の速度を競うものである。誰もが出来る事柄だからこそ、呼吸するのと同程度の問題だからこそ、そこには生まれ持っての才能が有無を言う。

 この世界には、わかりやすい魔力という数値は存在しない。力の大きさを示すわかりやすい指針など存在しはしない。

 如何に、現象を深く理解し、感覚で処理し、再現できるか。

 魔術とは、魔法とは、この世界においてそういったモノである。

 彼女には生来の魔術に対する才能と、世界に対する感受性の高さがあった。故に、魔術に愛された彼女は、激しく魔術に通ずる存在に他ならない。

 リリベッドが操る【虹焔】はそれ故に尋常ならざる熱を伴う。彼女の太陽光に対するセンシティヴな理解が、大地を灼く光をともすれば、ただの発光現象を再現した場合以上に、原始的で、象徴的な、太陽の光を、彼女の【虹焔】は再現可能だ。

 周囲のマナを己の中に取り込み、【虹焔】を作り出すのに必要な情報を即座に書き込み、逐次補強していく圧倒的再現力と、マナの処理能力。

 一秒、二秒と時間を経るごとにリリベッドの背後にある光はその強度を増し、輝きをより一層強くしていく。

 時間にして十秒。リリベッドが指を鳴らしてからそれだけの時間を掛けて、光は収束しきった。


 ◆


「これは――なんともはや筆舌に尽くしがたいな」


 光景を前に、八雲が口に出来たのは益体も無いそんな言葉だ。リリベッドの背後、収束しきった光はまさしく小型の太陽と呼べる代物である。燦然とした光を放つそれをまえに、しかし不思議と瞳は灼きつかない。おそらくは、どういった技術によるものか想像すら出来ないがリリベッドがそれを制御しているのだろう。


(でなければ、これほどの熱量を持った光の球が現れた時点でここいら一帯は燃え尽きている、か)


 その制御力たるや、フィールド脇の雪すら溶かさぬほどに完璧なモノだ。ただ、彼女の周囲に降りかかろうとした風花だけが音も無く溶けている。

 時間にして十秒ほどが過ぎて、準備が整ったのかリリベッドは八雲へ視線を送った。


「ふふふ、そろそろ行きますわよ。いいですの、ヤクモ。今からお見せするのはわたくしが得意とする魔術にして現象の再現。固有の魔術識別名称として【虹焔】の名を冠する光の魔術、その極の一つですわ」


 リリベッドは言いながら左手を突き出す。その腕の先、フィールドの脇に積まれる除雪された雪がある。


「わたくしの魔術は早々、戦闘では使えませんの。また、人に対して使用するのも正直なところ苦手ですわ。派手で豪奢で時間も掛かり、目立ちたがりな太陽の光は、万物に等しく手加減できませんの」


 だから、と言葉を繋いで、リリベッドは八雲へ告げる。


「だから、この魔術――この【虹焔】が、魔術でどれ程のことが出来るかということの理解に一番手っ取り早い魔術なのだとご理解になれまして、ヤクモ」


 その言葉に八雲は頷きを返す。リリベッドが言う言葉の意味、求められる理解とは単純に【虹焔】が魔術の限界値を明解に示す魔法であることに対する理解ではない。それよりもう一歩進んだ理解。つまり、たった一つ、立花八雲に与えられた役割タスクを示すもの。それは――


「それを理解すると言う事は、これから俺が相手にしていく魔術というものが【虹焔】程度のことをしてくるのだと、そういうことだろうリリィ。俺が、ノルンを護り、この世界で戦っていく相手はこれ程の、とんでもないことを平然と行ってくる相手だと」


「――素晴らしい理解ですわ、ヤクモ」


 リリベッドは八雲の返答に笑みを濃くして腕の示すその先へと視線を向ける。


「わたくしの姉が使った魔術は、体術の延長線上。それならば、例え驚きはすれどもヤクモには対処できるとノルンは言っていましたわ――ええ、それに関しては少々の疑いがあれど、実際、対処して見せていましたもの、納得は致しました。けれど、姉の魔術と、私の魔術には決定的な差異がある」


 一息。


「――一目見て、驚いている間に命を奪う圧倒的な破壊力。驚かずとも、対処を知らぬ盲目の対手を平然と焼き尽くす傲慢な熱量。ヤクモ、理解するとよいですわ。貴方がこれから戦っていく相手がどれ程の神秘を平然と行う存在で――この世界が、どのような場所なのかを」


 告げると、リリベッドはつきだしていた左腕を高く頭上へと掲げる。指は、親指と中指が擦りあわされた独特の形。

 高く、透き通った空気に彼女がならす指の音が響くと同時、振り下ろされた腕と共にリリベッドは叫んだ。


「――吼えなさいわたくしの【フィアンマアルコバレーノ】ッ!」


 ◆


 

 光の球はその球形をたわませると筒状となり、リリベッドの視線の方へと向き直る。砲身が発射口を目標へと向ける動作そのままに、位置を微調整した光筒は砲口内で幾筋かの光をぶつけ合う。

 収束点に集まった光はその輝きを暴力的なまでに増すや、次の瞬間、叫びと共に現象は奔った。

 まさしく光速。大気減衰の壁すら突き破った一条の光線は、瞬きすら許さぬ速度で雪山をなぎ払う。

 一拍にして刹那の沈黙。

 静寂を破り、火柱が立ち上る。

 その高さは軽く練兵場の母屋を越えて、城塞都市を取り巻く城壁よりもなお高い。まさしく天を衝く勢いで立ち上った火柱は、付随として爆発を伴う。

 圧倒的な熱量によって瞬間的に高められた雪だけではない、その下にあった地表すらも焼き尽くした光線は結果として水蒸気爆発を発生させた。

 それは周囲に同心円状の衝撃波を複数発生させた。押し倒そうとする猛威に、建造物はたわみ、揺れる。フィールド上に立っていた八雲達もその勢いを堪えるため姿勢を前傾させ、両腕で顔を庇う。

 雪山は跡形も無くなり、ただでさえ乾燥していた大気は、今や肌を焼きその水分すら奪い取ろうとする貪欲な熱風となって衝撃波と共に周囲を駆け抜ける。

 それら一連の現象が終わり、八雲達が顔を覆っていた腕を降ろせば、目の前に広がるのはまさしく爆心地そのものといった光景である。

 光線がなぎ払った地面は一条の軌跡を深く刻み、その周囲は以前の光景を思い出せぬほどに破壊の限りを尽くされている。地面はえぐられ、めくれ、雪は跡形も無く、大気は砂漠のように熱を帯びて乾いている。

 言葉も無くその様子を眺めていた八雲達だったが、暫くの後、ぽつりと言った様子でリリベッドが呟いた。


「正直に言いますと――やりすぎましたわね」


 どうしましょうか、と言いながら、彼女は八雲の方へぎこちなく首をひねって顔を向ける。

 八雲は、リリベッドのそんな様子と、破壊の痕跡を冷静に見比べると言った。


「――どうしようか」


 練兵場の母屋から、そして騒ぎを聞きつけた周囲から野次馬が集まってくるざわつきがフィールドに響き始めた。


 ◆

 

 ノルネア・アリフステッド城の自室にノルンの姿はあった。練兵場での一件からアーデルハイトと連れだって戻った彼女は、昼食も取らず、そのまま自室へと直行したのだ。

 彼女の部屋は広い。城内でも個人に与えられた部屋の中では一、二を争う広さだ。窓を西側に持つことだけが欠点だが、その採光上の欠点は同時に彼女にとっては転じて一つの利点であった。

 広い室内には、その実最低限の調度品しか置かれてない。作業机に、お茶をたしなむようの窓際にある小さなテーブル。部屋の中央におかれた一対のソファーと背の低いテーブルは来客用で、その背後には煌々と薪を燃やす暖炉がある。その他には天蓋付きの巨大なベッド。室内にはそれ以外の過度な調度品は置かれておらず、むしろ彼女にしてみれば来客接待用のテーブルでさえ邪魔に思うことが暫しある。城内に住み、これだけの広い部屋を与えられる身分に有りながらしかし、過度の調度品を持ち合わせないこの室内。暖炉の上にお約束の絵画も、飾りの一切も無く、華の一つも飾られては居ない。

 その代わり、室内にあふれているモノが一つある。来客用のテーブルの上にも、作業用机の脇にも――巨大なベッドの周囲には最早、壁のように溢れかえり、ベッドの上にすら浸食するそれの名を本と呼ぶ。

 ノルンの室内にはおびただしい数の本がある。そのただ中で、ノルンは日々を本におぼれるように過ごしてきた。

 完全なる活字狂い(ビブリオマニア)。少女は本の大海で生きる魚に他ならない。

 彼女にとって文字とは水で、魚である限り、彼女は知識の海を泳がずには居られない(生きられない)

 どうしようもない読書家な彼女(ひきこもり)は、直帰したその足で、すぐさま窓際のテーブルに腰掛けて本を読んでいた。

 彼女が熱心に読んでいる本のタイトルは『異邦人』。テーブルの上にはその他、様々な異邦人に関する書籍が積み上げられている。

 タイトルにあるとおり、彼女が読んでいるのはこの世界に現れた歴代の異邦人についての情報が書かれた一種の歴史書だ。通時的に書かれたその本は、二千年前の異邦人を中心として、それ以上の昔にも現れていた異邦人の情報すら、その真偽を問わず、信憑性の有無にかかわらず載せられている。

 そんな、人類史に寄り添う存在としての異邦人を描いたこの本に、例外的に記された一つの項目がある。


 『存在と可能性の正四面体(レーギャルン)


 異邦人と共に存在するとされる、その詳細の明らかとなっていない一種の時代錯誤異物(オーパーツ)である。

 項目には、『存在と可能性の正四面体』に関する様々な憶測と伝説が雑多にまとめられ、それに対する様々な学者による論考が記されているが、決定的見解に至ったものは一つとしてない。それら、膨大な情報の中から確実に述べられることはたった一つだけにすぎない。

 ノルンは本から視線を上げた。

 窓の外に広がる城下を、文字を追って疲労した瞳で眺めるとその穏やかな風景を流れる時間に、眉間の辺りに凝り固まっていた濁りが溶けていく。

 その心地よいとも、倦怠感とも取れる感覚に身を委ねながら、ノルンは部屋へと戻ってきてから――否、あの遺跡から戻って以降、調べ続けていた事項に関して呟きを漏らした。


「――『存在と可能性の正四面体』はある特別な異邦人と常に寄り添う相関関係にある」


 それは歴史上に数度、伝説・神話の類を含めると過去、二十数回にわたり観測されてきた事象から明らかである。

 その特別な異邦人のことを、『守護者』という。あるいは、護衛官。あるいは近衛。あるいは姫の騎士。おとぎ話の主人公。


「つまりは、ヤクモの置かれている状況にぴったりと当てはまりますよね」


 そこまで考えてから、ノルンは深くため息を吐き出した。


(この事実を否定する為に、確実な情報を探し求めていたというのに逆に補強されてしまうとは)


 遺跡で、あの明らかに異質な気配を放つ装置を見たときに薄々感づいていたとはいえ、いよいよ持ってノルンの心は深く沈みこむ。これは、全く望ましくない展開だ。


(ヤクモを護衛官に据えたのは、ハイディにも考えあっての判断だと思いますが)


 単におもしろがってヤクモをを護衛官に据えるなどというリスクを彼女が冒すはずがない、とノルンは信じている。リリィも同様の提案をしていたからには、相応の政治的配慮というものが思考の根底には働いている――はずだ。


(いまいち、信用なりませんが)


 例外としてルスティの提案についてはノルンにとって判断しかねる。素なのか、考えあってのことなのか。ルスティならば、どちらでもあり得るとノルンには思われた。


「まったく……」


 悪態を漏らしながら、ノルンは椅子から降りて窓へと歩み寄った。そのまま、取っ手に手を掛け開け放つ。

 風が流れ込んできた。暖炉によって熱されていた空気が、冷たい空気と混じり合う。中択もあり冷たくもある、この曖昧な空気がノルンには好ましかった。


「身分を偽り過ごしているこちらの身にもなって欲しい所です」


 やれやれという風体を装いながら呟いた言葉は、何処に運ばれることもなく風にかき消される。

 口元には微笑。こちらを慮ってくれる友人達に対する気持ちと、それとは別の心労が入り交じった複雑な心境は、少しだけ、肯定的な心が増さる。

 その前向きな心情に後押しされるように、ノルンは明日以降の予定を決めた。


「足りない情報を補いに行きましょうか」


 異邦人――ヤクモに関した、もう少しの情報が欲しい。なぜ、あの遺跡に『存在と可能性の正四面体』があったのかについて、ハイディですら全く知らなかった、その理由を。

 それは同時に、


「この国と、この世界の歴史に挑んでいくようなものですけどね」


 膨大な情報量が、自分の前に立ちふさがる。そこから、果たしてどれだけ選りすぐり、必要なものだけを手に入れられるか。真実にたどり着けるか。

 本の海を彷徨う魚の身としては、些か以上に楽しげな難問である。


「楽しみですね」


 楽しくないことも一つと言わず、あるけれど。それでもどうにか楽しんで行けたらいいと、ノルンは思う。

 暖かで冷たい空気に身を浸しながら、暫く、ノルンはそこで換気によって入り込む新鮮な空気を胸一杯に吸い込んでいた。

 そして、そろそろ窓を閉めようと思ったときだ。


 城塞都市全体を振るわせる爆発音と閃光。それに伴う振動が来た。

 視界の左、自分が小一時間ほど前に居た練兵場の方角に立ち上る巨大な火柱が見える。

 それが立ち消え、一瞬の喧噪から静まりかえる街の様子を身体を硬直させたままやり過ごしてから、ノルンは思わず呟いた。


「――ヤクモ、生きてますかね」


 眼下、ノルンが見下ろした城下町では練兵場の方に野次馬が集まりつつあった。

 

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