Drahenstein(14) ―リリベッドの魔術講義―
「ふふふ、講義をしますわ」
言いながら、リリベッドは胸元で組んでいた腕を開くと、左手を空に向けて広げた。すると、そこから光の線が宙へと舞う。線は生き物のように宙を這うと、一つの図形を形作った。長方形だ。形作られた面は薄い膜のようなもので覆われていく。
できあがったのは即席のホワイトボードだ。
その前に立つと、リリベッドは左手で文字を書き始めた。
文字数にして二文字。書き上げてから、リリベッドはこちらへと振り返りると告げた。
「今日の講義はこれをやりますわ」
その様子を前に、八雲はおずおずと右腕を挙手。
「ふふふ。質問を許可しますわ。なんですの?」
「――すまん、読めん」
発言に、数瞬固まってから八雲と、ホワイトボードに描かれた文字を交互に見比べるリリベッドは首をかしげながら呟いた。
「――ですの?」
こうして、リリベッドによる魔術講義が幕を開けた。
◆
「まず、基礎の基礎的な事から教えますわね」
言いながら、リリベッドの立てられた左手の人差し指先端に光が集まっていく。彼女の髪の色と同じ薄い緑色の輝きを放つ燐光。
「この光、輝くものを我々はマナと呼びますわ」
マナは、リリベッドの指の周りを渦巻いている。それは、指に絡みついているようでもあり、また彼女の体内に吸い込まれているようでもあった。
「マナは、この世界に於いて、世界を構成する元素、として考えられていますの。物質的にではなく、もっと根源的な――魔術的な言い方をするなら、それは"情報"と言われますわね。もっと別の言い方をするなら、魔力素子、世界構成元素とも言われていますけれど、本質的な言い方をするなら"情報素子"というのが最も正しいと思いますわ」
一息。
「この世界における、魔法というのは大分類の一つですけれど、それに属する技術は得てしてこのマナを使用しますの」
「それは、消費という意味でか?」
問いに、リリベッドは首を横に振る。否定してから、よい質問ですのよ、と告げると言葉を続けた。
「マナは消費するものではなく上書きするものですの。世界の情報を司るマナを体内へ取り込み、別の情報を上書きして、再び世界へと還元することによって――」
一息。
「――現象を再現する」
リリベッドの指先を渦巻いていたマナが一瞬、その輝きを失うと、次の瞬間、その指の先には揺らめく青色の炎が浮かび上がった。
「理解できまして?」
◆
「――ふむ」
腕を組んで、リリベッドに聞いた話を解釈していく。
マナ、と言うものは情報素子であるという。
(RPGやファンタジー系の物語でよく使われたり、出て来たりする単語だが)
元は、太平洋諸島の民族間に見られる超自然的な力の観念を言うのだったか。記憶を探っても、それ以上出てこないことから、この単語に関してはそれほど詳しかったわけではなさそうだ。
(何にしろ、そうしたものとはまた捉え方が随分と違うようだ)
例えばRPGやファンタジー世界でのマナというのは、世界に満ちる力であったり、或いは魔法を放つために消費されるエネルギーのことを言う。それらは全て有限であり、消費されるものであるために、回復薬による補給や、自然バランスの崩壊による世界の危機などに繋がっていった。
だが、この世界のマナは消費されるものではなく、情報素子である、と言い方をリリベッドはした、
その違いは、なにか。
(マナを体内に取り込み、情報を書き込み、世界に還元することで現象を再現する……)
その言葉を解釈するなら、マナというのは情報を書き込めるものであると言うことだ。言い換えるなら、それはブランク情報とも言える。
何も特別な記載が為されていない情報の素子。それに対して、体内で情報を書き込み、再び世界へ戻せば、そこにあるのは以前とは異なる情報が記載された、
(世界を構成する要素、か)
世界には、何も書かれていない情報の素子が漂っている。それに、情報を書き加えれば、自然、書き込まれたそれに従った現象が再現する。
(感覚としては、PCのデータ領域などがそれに近いかも知れないな)
八雲の想像の中で何も書かれていないマナがHDDの空き領域、情報がデータ、そして、情報を書き込まれたHDDの領域をソフトと置き換えられた。
マナを世界に還元するというのは、つまり、そのソフトを起動させることに等しいのだろう。
だが、マナは消費されないという。それを解決するには、一つだけ教えて貰うべき情報が足りない。
「一つ、質問があるのだが」
「ふふふ、なんですの?」
「還元され、現象を再現したマナはそのまま、元通りの形に戻るのか?」
問いに、リリベッドは笑みを浮かべると応えた。
「――その通りですわ」
「なるほど」
リリベッドの返答によって、大体の理解は完了した。
(マナというのは基本的にHDDの記憶領域と同じ、と言うわけだ)
魔術の発生する、しないは容量部分がブランクか、そうでないかの違いに過ぎない。そして、魔術というのはマナに書き込んだ情報を起動させると、そのまま元のブランクデータに戻ってしまうという性質を持っているのだろう。
(そういう意味では、キャッシュなどの一時データ媒体に近いか……?)
インターネットブラウザを使用する際に、一時的に保存しておき、一定時間の経過後や、動画の視聴後には消えてしまうそれが、魔術の現象再現には近いかも知れない。
(何にしろ、マナが消費されないというのはそういうことだ)
HDDの記憶領域にしろ、あれは空き容量が圧迫されていっているのであって、記憶領域自体がすり減っている訳ではない。そこに情報を書き込まれた領域は、また、別の情報に上書きされることで何度でも使用される事になる。
その視点から見た場合、HDDの容量は消費されない。マナもまた、一時的に情報を書き込まれることはあっても、再びブランクな状態に戻るのであれば使用前と使用後の絶対数に変わりは無いのだ。
(しかし……マナがそのような性質を持った物であるとして、体内で情報を書き込むことで現象を再現できる、と言うのはどういったことなのか)
この点に関しては、考えても答えが出そうにない。
「どうしてマナに情報を書き込むと魔術が発動するんだ?」
「それに関しては、もう少し魔術に関する深い説明が必要ですわね」
告げて、リリベッドはぴんっと左手の人差し指を立てると言葉を続けた。
「いいですの? これは、この世界における魔術原理の基本思想ですけれど」
リリベッドはその人差し指でこめかみを叩き、
「我々の意識は、深い部分で世界の情報の中心とも言われる部分と繋がっている、と考えられていますの。それはこの世界の情報を司り、世界を世界の形に留めるための領域とされていますわ。魔術というのは、我々の意識の最下層で繋がっているこの領域から、この世界の情報を直接取り出し、上書きすることを言うんですの」
いいですの、と再び前置きするとリリベッドは胸元で空を指さした。薄緑色のマナがそこに収束すると、指先から吸い込まれ、次の瞬間に青白い光球となって再現される。
「そこには、世界で起こりうる情報がそのままの形で保存されているんですの。それをマナに書き込むことによって、我々は世界で起こりうる現象を多少の工夫を加えながら再現できる。未だしているこれは、単純な光の再現に対して青白いという情報を付加した物ですわ」
「つまり、マナに書き込まれる情報は想像ではなく、世界で起こっている現象そのものだから、マナを世界に戻してやると魔術が発現する、と言うこと……か?」
「原理としてはそのとおりですわ。その書き込み動作をどのように行っているか、と言うのは――こればっかりは、実際にやって貰わないと分かって頂けそうにない部分ですわね」
言うなれば、体の動かし方や、歩き方、走り方、声の出し方というようなある程度の部分を無意識に行っている動作、ということなのだろう。
「質問に対する答えは、これでよろしいですの?」
「ああ、大体の部分は理解できた」
細かい部分については、納得のいかない部分や実際に自分が魔術という物を使わない限り理解できそうにない部分はある。だが、それらは元居た世界の一般常識が物事を判断する基準になっているからだ。
(そもそも、それを基準に考えれば魔法の類がある時点で大概はファンタジーだ)
つまりは偽物で、夢物語。だが、ここはファンタジーそのものの世界で、記憶の中に残された一般常識では夢幻のような出来事が現実に起こりうる世界だ。
だから、何処までが嘘で、何処までが現実なのか。それを慎重に見極め、或いは変換していく必要がある。
(その点で、この魔法というのは一つの試金石のような物だろうな。体に取り込んだ謎の物質に情報を書き込むだけで、火をおこしたり、光を放ったり出来るなどというのは)
かなりアバウトな認識が必要なのは間違いのない。どうして出来る、ではなく、出来ているから出来るというような結果が先だった認識を許容していくしかないのだ。
(そうした理解をしていく上で必要な情報は得られた、か)
思ったところで、リリベッドが光球を指で弾いた。青白い光の塊はそれ自体に重さがないのか、ふわふわと浮かび上がる。
それを視線で追いかけたところで、光球を挟んでリリベッドと視線が重なったところで、彼女は告げた。
「一つ、先ほどの話に補足しますけれど、我々が意識化で繋がっている領域には一つ、名前がありますの」
浮かび上がった光球は、二人の間で解けるように粒子に解け、燐光となって世界へ還る。
「その名称は二千年前に現れた異邦人が名付けたものであると言われていますから、タチバナ・ヤクモ、貴方にも聞き覚えのある言葉かも知れませんわね」
「二千年前の異邦人がつけた名称……?」
頷きを一つ入れてから、リリベッドは言葉を続けた。
「――幻想機巧。彼のものは、そう名付けましたわ」