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Drahenstein(11)

「相変わらず、ルスティの速度はなんといいますか、常軌を逸していますね」


 告げるノルンの視線の先、フィールド上を縦横無尽に奔るルスティの姿がある。


「私の目では完全に捉えきれません」


 それでもなお、どうにか彼女を追いかけることが出来ているのは、走り抜けたその軌跡に桃色の燐光が跡を残しているからだ。

 文字通り、フィールドを切り裂くようにして縦横に奔っているその軌跡は、その通過点に常に八雲を置いている。

 都合、八撃目のルスティによる斬撃が八雲に加えられた。

 彼は――辛うじてその場に立って耐えている。


(八撃の全てを凌ぎきったわけではありませんけれど)


 身体には少なからず、斬撃の痕が残っている。

 一応、模擬戦という事で刃は落としてあるがルスティの速さの前に、余り意味のあることには思えない。

 何より、八雲は鎧を身に纏っていないのだから攻撃の全ては、衣服越しに、そのままの威力で通っているはずだ。


(まぁ、それは鎧を着たくないという本人の希望でしたから自己責任と言う事で)


 だから、彼の身体に刻まれたそれは切り傷と言うよりは寧ろ打撲だ。

 金属製の棒で超高速に叩き込まれた打撲が、彼の身体には幾箇所かあることだろう。

 想像するだに、痛そうだとノルンは思う。

 常日頃から引きこもり気味な自分は、絶対にそんな物には耐えられそうもないと。

 そうで無くともルスティの剣戟は見た目以上に重いのを知識としてノルンは知っている。

 彼女ともそれなりの付き合いで、一緒に暮らして早数年にもなる。

 その間に彼女が兵士達と模擬戦を行っている光景を何度か目にしたことがある。

 そのたびに、兵士達がなぎ払われ、一撃で吹き飛んでいくのをノルンは見ていた。

 訓練の後に兵士達が「あれはあかんわ」と方言交じりにぼやいていたのを聞いたりもした。「気が付いたら切られているのだからどうしようもない」とはその兵士の談。

 そして、気が付けばルスティの名前は国内全土にも強者としてそれなりに知れ渡っていた。

 ノルネア・アリフステッドには最速の剣士が居る、と。

 重装備の鎧に身を纏い、それなりの訓練を受けた兵士が言うのだから、きっとそういうものなのだろうと、漠然とした理解をノルンは持っていたのだが、今、八雲が攻撃されているのを見てその一端を初めて理解した気持でいた。


(なるほど、どうしてあれは、あかんですわと言いたくもなりますねぇ)


「ふむ。しかし、思っていた以上には耐えるな」


「ヤクモですか?」


「ああ」


 ノルンの隣で同じように、フィールドの戦闘を眺めていたアーデルハイトが感心するような声音で告げた。 

 腕を組み、若干身を乗り出す彼女の視線の先、先ほどからやられたい放題の八雲がいる。


「お世辞ではなく?」


「お世辞を言う理由がないさ」


 思わずといった調子で口をついた言葉に、アーデルハイトは首を振った。


「竜を殺すほどの強さは感じないが、ルスティの攻撃を八撃も防ぐのは対したものだよ」


 告げて、彼女はノルンの方を振り向きながら付け加えた。


素人にしては(・・・・・・)、な」


 フィールドでは相変わらず、八雲が一方的にルスティに攻撃を加えられていた。

 都合、九撃目の斬撃が八雲を襲うが、器用にもそれに剣を合わせて致命打だけは防いでいる。


(素人……)


 アーデルハイトが告げた八雲に対する評価を胸中で反芻する。

 彼は戦う技術を忘れ、刀を、武器を握ったことにすら最初は困惑気味の表情を浮かべていた。

 今は、さすがにそんな感慨を抱く余裕も無いのか、真剣そのものといった表情を浮かべているが、初めて出会ったあの時の、圧倒的な強さからはほど遠い。

 速さだって、あの時は竜に追随するほどの速度を見せていた。

 それこそ場所の違いこそあれ、ルスティに及ばないにしろ後一歩で追随できそうなくらい早かったような気がする。

 それに、竜のブレスにだって恐れず、立ち向かうだけの勇気が彼にはあった。

 それを素人と言われるのは、なんだか、どうにも……、


「イラッとしますね」


 その感情が、アーデルハイトと八雲のどちらへと向けられたものなのか、ノルンには自分自身で判断が付かない。

 ただ、無性にむかつくというか、苛つく。


「お、おお? 怒らせたか?」


 思わず口から漏れた言葉に、耳にしたアーデルハイトが珍しく焦っている。

 失言をしたかな、などと呟く彼女に見向きもせず、ノルンはフィールド上の八雲をじっと見つめた。

 彼は、肩で息をしながら、離れたルスティを睨み付けつつ、額を流れ落ちる汗を右腕で拭った。

 疲れは見られるが、瞳にはまだ力が見られる。


(せめて、一矢くらいは報いて欲しい物ですが)


 それが果たしてどれ程、難しいことなのかを理解せず、しかしノルンは期待の視線を送った。


 ◆


(硬い……)


 十撃目を終えて、距離を空けながらルスティカーナは思った。

 硬い。それも思っていた倍以上に。具体的には十倍ほど。


(一撃で終わると思ってた)


 模擬戦を始める前、剣を握りしめた彼は困惑の表情を浮かべていた。

 その様子を、ルスティカーナはよく知っている。


(模擬戦で、初めて剣を握った新米の兵士がよくあんな表情を浮かべる)


 自分が手にした武器の感触に違和感がぬぐえないという表情。訓練の時、素振りで手にしてきた武器と一切の違いは無い。だというのに、場の空気が違うだけで、どうしてこんなにも頼りなく思えてしまうのか。

 思考と認識の乖離が生み出す違和感は、新兵の心を容易く蝕み、本来の実力を発揮できないままに食い散らかす。あれは、そういう類の表情であり感情だ。


(だから、一撃……)


 それで終わらせようと思った。

 ルスティカーナの心の中、異邦人は特別な位置を占めている。

 タチバナ・ヤクモがでは無い。異邦人という単語、もしくはそれに付随する意味が、だ。


(異邦人は、英雄)


 それはこの国に住む人間ならば誰だって知っている厳然たる事実。

 今から2000年ほど前にこの世界は滅びかけている。圧倒的暴威と脅威の前に、なすすべも無く全ての生命は失われようとしていた。

 それは、伝承では無く考古学的な検証や、数多くの文献が事実であったと告げるれっきとしたこの世界に訪れた過去だ。

 それを救ったのが異邦人という存在であることを、この世界の誰もが知っている。


(だから、特別)


 異世界から来た、この世界への(マレビト)はどうしようもなく特別な意味を持つ。

 それが男で、戦う力を持っているならなおのこと。それも竜を倒したという。

 当然のように、英雄の再来をルスティカーナは期待した。初め、ノルンが竜に襲われたという報告を聞いたときは、胸が強く締め付けられ、頭がくらくらするほどの強い感情が無作為に襲いかかってきたけれど。

 現れた、謎の青年がそれを救ったと聞いてひとまずの安心を得たところに、彼が異邦人であるという情報が飛び込んできたのだ。

 俄然、興味が湧いた。

 どんな人柄で、どんな外見なのだろう。

 どんな強さを持っていて、どんな術理を使うのだろうか。

 興味は、好奇心に突き動かされ、止めどなくルスティカーナの心を後押しし――そして、謁見のまで彼に会った。


(全てを失い、戦う術も記憶していない)


 ノルンに伝えられたときは、それを正しく理解できていなかったけれど、彼と実際に会ってみてそれを実感として把握した。

 どことなく、朴訥とした印象の青年は、物事に対して余り感情を表に出さないようだった。事実、アーデルハイトの問いかけなどにも、言葉の上では戸惑ったりしていたけれど、表情は一貫して平坦かそれに近いものだった。だが、唯一、瞳の奥には微かに揺れる光があった。

 それを戸惑いとみるか、自分が確かで無いことに対する不安とみるか。自分だったらどうだろうと、ルスティカーナは思い、気が付いたら彼を守護者にすることを提案していた。

 今に残る伝承は少ないけれど、2000年前にこの世界を訪れた英雄も、きっとこんな表情をしていたのでは無かろうか。

 守護者というのは、実のところただの護衛官では無い。誰もが分かっていて、それに気が付いていない振りをしているけれど、この世界にとっては、重要で、重大で、この国にとってはある種、致命的な判断だ。

 アーデルハイトはそれを分かっていて了承した。妹のリリベッドも、彼女の場合は単純に面白そうだと思ったからだろうが、否定はしなかった。

 ノルンは非常に形容しがたい表情をしていたが、あれは仕方ない。

 そんな、英雄じみた状況を外堀から知らず知らず埋められている青年が今、目の前に居る。

 それに少なからず荷担した自分が、後悔するほどの戸惑いを彼は模擬戦の前に見せていた。


(だけど、それも間違えだったかも知れない)


 彼は、間違いなく弱い。今の彼に竜を倒し、ノルンを救い出すだけの力は存在しない。

 彼ほどの腕前を持った兵士ならば、この城にはそれこそたくさん居るだろうし、ノルンの護衛に付いていた兵士に至っては、勝負にすらならないだろう。

 だから彼は弱い。素人よりはまし程度だ。

 ――でもこちらの予想を、既に十度も超えている。


(面白いね……)


 素直にそう思う。彼は面白い素人だと。剣の振り方だって、体の使い方だって、足捌きだってなっちゃいない。振り回されているのが見え見えだ。

 なにより、魔術に関する知識が全くないから、常に怯えた構えを見せてる。当然のことながら、彼自身が魔術や魔法を使う素振りもありはしない。

 だというのに、こちらに対処してくるのだ。

 鮗の兵士の誰もが対応できない速さに、既に十度も対処して見せたのだ。

 それを面白いと思わずどうしろというのか。英雄かもしれないと期待していた心がわき上がるのをどうして止められるだろうか。

 だから、と言うわけでも無いけれど、ルスティカーナは一度リリベッドの方へと視線を送った。

 良くできた妹はこちらの思惑を理解して、一切の攻撃を加えずただ見守ってくれている。

 視線を送れば彼女は静かに頷いて、親指の突き出た拳をこちらに突き出してきた。

 脳内で彼女の言葉が再生される。


(ふふふ。行くといいですわ)


(……了解)


 その様子に、ニヤリと口元に笑みを浮かべてから彼女は強く魔術を練り上げるための集中に入った。


(これから、もっと面白くしよう)


 彼はこれからの一撃に耐えられるだろうか、と自問し、耐えてくれたら面白いなと期待する。


「行くよ……」


 こちらの呟きに、肩で息をしながら彼は剣を構えた。

 その様子を見ながら、ふと、思う。

 そういえば、自分が笑みを浮かべるなんて何時以来だろうか、と。

 無表情だとよく言われる自分が、感情をあらわにするなんて何時以来のことだろうかと。

 ならば――


(彼が、期待に応えたら……)


 はたして、自分はどのような表情を浮かべているのか。

 瞬間、自身の周囲に感応したマナの光を散らしながら、ルスティカーナは十一度目の疾走を開始した――。

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