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Drahenstein(9)

 聞こえなかったのか、と尋ねる八雲。

 軽くそれを否定しながら、アーデルハイトは戸惑いの表情を見せた。


「い、いや、聞こえていたがな――だが礼だぞ。こちらからする礼だぞ? 一応城主からの礼で、あと衣食住の面倒は見ると言ってるんだぞ?」


 それでも仕事が欲しいのか、と問いかけてくるアーデルハイトに八雲は頷きを返す。



「その、なんだ……希望は、あるか?」


「希望――」


 問われ、腕を組みながら八雲は首を傾げた。頭を傾けて、何かあっただろうかと考えるがとんと思いつかない。

 少なくとも記憶が無い自分に文官のような仕事は無理だろう。

 知識を頼りとする仕事もまず自身が無い。

 元居た世界の一般常識やそれと同じレベルの基礎教養はあるようだから、それを提供するというのも常套手段に思えるが、ここに来る途中で学校などの施設を見た。


(中世ファンタジー世界、のように一見見えるがあれらは、中世の文化レベルではあり得ない施設だ)


 八雲の知識では近世どころか近代に入るまで、まともな教育機関は貴族によって占有されていたと記憶されている。

 そうでなくとも富裕層が通える限度で、一般市民などは教育のほとんどを宗教組織に委ねていた。

 それは日本でも例外ではなく、寺子屋というのはその名の通り、元は寺を主要に行われていた学習システムだ。

 後に、有識人たちによる私塾などに派生はするものの、大別して宗教組織と言ってもたいした間違いではない。

 何しろそれ以外で、まともに受けられる教育機関というのは士農工商の内でも極々限られた身分社会にしか存在しなかったのだから。

 だが、ここに来る途中に見た学校はどうにも、明らかに貴族に限定された教育機関という風ではない。

 つまりは、それなりに文化的発展があると言うことだ。

 そして自分が着ている服の縫製技術も、また、自分が居た世界の物と変わらないレベルにある事を鑑みれば――科学水準ですらも、もしかすると、中世という枠から遙かに飛び越えている可能性がある。


(それを科学と呼んで良いのかは若干の疑問が残るがな)


 科学技術の発展は基本的に動力と大規模自動機械の発展に依拠している。

 この世界には、魔術・魔法の類があるのだからして、科学技術の代わりにそういったモノが使用されていても何らおかしくはないのだ。

 そういうわけで、文化系や事務職はどうにもよろしくなさそうである。

 斯くして自分に許される職業というのは一つに分類される。

 それは、自分が持つ唯一の資本である肉体を最大限に活用した職業で在り、つまるところ――。


「――戦闘職、かなにかあたりか」


「ほう。戦闘職と来たか」


 そういうことになる。


「ノルンから話は言っていると思うが、自分は竜を殺した技術の知識をほとんど覚えてない。だから、竜を殺すようなことを期待されても困るが、ご覧の通り四肢は確かで、それなりの運動は出来るようだ。だとするなら、知識職よりは肉体労働の方が身の丈に合っていそうだ」


「なるほどな」


 アーデルハイトが二度三度と頷く。そしてアゴに手を添えるとなにやら嗜虐的な笑みを浮かべた。


「――面白そうだ」


「あ、なんか嫌な予感がしてきましたよこれ」


 その様子に、席上で露骨に引きつった顔を浮かべるノルン。


「なぁに、ノルン。別に嫌なことなど考えていないさ。面白いことだと言っただろう」


「あなたが面白いと言ってまともだったためしがないという経験に基づいているんですけど」


 心外だ、と言わんばかりに両手を天に向けて首を振るポージングを取るアーデルハイト。


(なんだか欧米人のオーバーリアクションみたいだな)


 吹き出しの外に、やれやれ、と文字をあがってやれば丁度よさげだと八雲は思う。


(あながち、世界が変わってもこういう仕草というのは万国共通なのかも知れないな)


「くすくす。私も、良いことを思いつきましたわハイディ」


 関係のないもの思いをしていると、横合いからリリベッドが声を上げた。


「ほぉう。なにやら良い笑顔じゃないかリリィ。――お前も、同じ事を考えたみたいだな」


「くすくす。そうですわね、そうかも知れませんわね」


 二人の笑顔に擬音をつけるなら、にたぁ、っと言ったところだなと思う。

 その隣にいるノルンの表情はさしずめ、どよぉん、とかそんなところだ。

 そんな憂鬱な表情のままに、おずおずといった様子でノルンが手を上げる。


「あの二人とも、その、まさかと思いますが……」


「びしっ」


「お、ルスティもなにかあるのか?」


 だが、そんなノルンの弱々しい声を遮るように、擬音のような物を口にしつつ今まで一言だって発していなかったこちらを見つめ続ける無表情娘――名前をルスティカーナといったか――がまっすぐに、それは気持ちいいくらい高く手を上げた。

 反応し、アーデルハイトが尋ねれば、ルスティカーナはこくりと頷き、こちらをあの瞳で眺めつつ告げた。


「――異邦人なら守護者に決まってる」


 ――その言葉が告げられた瞬間、場が静まりかえった。


 誰もが動きを止め、物音一つ立てずにいる。――もっとも、アーデルハイトとリリベッドを除いてだが。

 周囲に控える護衛の兵士や、侍女たちの反応は更に顕著だ。皆、一様に身体を強ばらせ緊張の趣でこちらを見ている。

 アティはその中でも比較的落ち着いた態度を見せているが、緊張した顔つきという点では変わりない。

 ノルンはと言うと、なんだかあきれかえったような表情を浮かべてため息をついている。

 倦怠感がしみじみと伝わってくる音に、沈黙が解き放たれ、そこかしこで音が蘇った。

 そのタイミングで、ゆっくりと手を上げる。


「お、どうした?」


「質問をひとつ、いいだろうか」


「ああ、構わないぞ」


 そうか、と呟いてから何と無く、ルスティカーナと呼ばれた少女の方を見る。

 彼女は無表情ながらに何だか、鼻高々と言ったポージングでその場に立っている。

 してやったり感が身体のかしこから漂ってくるのは、彼女もドヤ顔の眷属だからだろうか。

 そんな様子の彼女には悪いが、自分にはどうにも解せないことが一つだけある。

 彼女がドヤ顔を浮かべる理由もそれに繋がるのだろうし、その疑問を解消しようとアーデルハイトにそれを投げかけた。


「――異邦人って、なんなんだ?」


「――――おお」


 ぽん、っと拳を掌に打ち付ける動作。青天の霹靂といった表情だ。


「そういえば、誰も説明していなかったのか」


 周囲を見回すアーデルハイトに、


「そう、ですね。異世界人の事だと言う事以外は、私もアティも説明し損ねていました」


 とノルンが返事を返した。

 彼女の言うとおり、自分は異世界人=異邦人だという説明しか受けていない。

 だが、周囲の反応や様子を見るにどうにも説明が足りていないような気がしてならなかったのだ。

 具体的にはアティが八雲という名前を聞いたときの反応だ。

 彼女はこちらを見ながら呆然といった表情で「異邦人……?」という疑問系で呟いた。

 また、今のルスティカーナも「異邦人ならば」という言い方を使った。

 つまり、異邦人という立場には異世界人以上の明確な存在意義がある。


「異世界人か、もしくは異邦人という存在に特別な価値があるのか?」


 それを聞いておかないと、どうやら自分の立ち位置を正確に把握出来ないようだ。

 問いに、玉座とその両翼に控える四人は互いの顔を見合わせている。

 視線だけで行われた何かしらのやりとりのあと、アーデルハイトがこちらを向いた。

 どうやら彼女が代表して言う事になったらしい。少し考える素振りの後、彼女は口を開いた。


「――ある。それも、この世界にとっては割と重要な存在だ」


「重要、か」


 広い意味を持った言葉だと思う。重要と一言に言っても様々な意味合いがある。

 だが、彼女の表情と直前のやりとりを思うに、その言葉は選ばれて使われたものだ。

 彼女は重要という言葉を選んで、今述べた。

 それはつまり、


大事(・・)では無く、重要(・・)、か」


「ほう。思った以上に聡いな」


 ――そういうことだ。

 普通なら、人物の重要性を語るときは大事な人物という言葉を使う。

 相手を尊重し、匿わなければならない存在であるならば、それは大事に守らなければならないからだ。

 重要という言葉も当然、広義には、大事という言葉を含む場合もある。

 だが、ここで敢えて重要という言葉を口にしたからには、大事という言葉を含まない――つまり、広義の意味に於いて、大事だという意味合い以外の、重要という言葉に含まれる意味を伝えた。


「そうだ、重要だが大事ではない。無視は出来ないが大切にも出来ない」


 一息。アーデルハイトは告げた。


「異邦人というのは古代の英雄がそう称され、今もなお受け継がれる尊称のようなものだ。この世界一般に広く伝播している宗教の中では特に影響力を持っていてな。我がノルネア幻想国は正直なところ、その宗教とはお世辞にも仲が良いと言えない、異端派の部類なのだよ」


「なるほど、そういうことか」


 異邦人というのは特定の宗教に於いて大きな意味を持つ存在――例えば、自分の知る知識で例えるなら聖人とか、聖女といった存在が近いのかも知れない。

 彼らの大半は、その死後に業績を認められてなるものだけれど、生きている間に認定されれば、その宗教的には最重要人物だ。

 しかし、他宗教からすればそれは異端・異教の最重要人物である。

 宗教上、その異教が敵対しているのであれば確かに 重要(・・)な意味を持つが大事(・・)にする必要の無い人物だ。

 影響力だけは持ちあわせるが、玉扱いをする必要は全くない。


「勘違いしないで欲しいのは、我らがノルネアは別に異邦人を敵対視しているわけではないぞ?」


「違うのか?」


「ああ。我々が困るのは、我々の領内に異邦人が居ると他国にばれることだ。それだけはできうる限り避けたいところでな――だから重要だが、大切に、大事に扱ってお前の身辺調査をされるわけにはいかないのだよ」


「ふむ」


 理解できたような、理解できないような。とりあえずのところ骨肉の争いを繰り広げる宗教対立の関係にあるわけではなさそうだ。

 

「ノルネアでも異邦人は同様に崇められる存在だ。たぶん、一般人には異邦人だと告げるだけでモテモテだぞ、お前」


「そうなのか」


「そうとも。たぶん、頼み事なら何でも聞いてくれるさ。それこそ、若い娘から幼子までよりどりみどりだな」


「よりどりか」


「そうとも」


「なに頭の痛くなるようなことを言ってくれてるんですか、ハイディ」


 話が怪しい方向に行き始めた辺りでノルンが止めに入った。


「くすくす。なかなか剛毅な方のようですわね」


「リリィも、やめてください……」


 はぁ、とノルンは頭を抱える。

 そんな中、ルスティは相変わらずこっちをまっすぐに見ていた。

 あの瞳のままに、無表情で首をかしげながら口を開く。


「――守護者はやらないの?」


 問いはどうにもこちらに向かって発されているようだ。

 しかし、守護者とは――。


(察するに、異邦人と呼ばれた英雄が付いていた役職と言ったところなのだろうが)


 ちらりと、アーデルハイト達に視線を送れば、ドヤ顔族は二人ともニヤニヤと意地の悪い顔をしている。ノルンはと言うと苦虫を噛み潰したような表情でこちらを見つめていた。


(二人は分かるが、ノルンの反応はなんなんだ一体)


 彼女にも何かしらの事情はありそうだが、とりあえずはこの問いかけに答えなければならない。

 アーデルハイトとリズベッドが笑顔を浮かべているという事は、こちらに答えを委ねても構わないと言う意思の表れだろう。彼女らは明らかにこちらが何を選ぶのか楽しんでいる節がある。


(守護者か――)


 言葉からすれば、誰かしらを守る職業だろう。護衛官や近衛、ボディーガードというのが近いかも知れない。もしかしたら執事や近侍的なそれかも知れないが――考慮すべきはそれが自分につとまるかと言う事だ。


(やれるだろうか)


 あるいは、やれないだろうか。

 考えようとして、ふと一つの約束が頭をよぎった。


(答えはもう出ているようなものだったな)


 それで決心が付いた。

 瞳をまっすぐに上げ、ルスティカーナを見つめ、頷くと今度は正面を向いた。


「条件付きで、やれるものなら受けたいと思う」


「ほう。聞くだけ聞こうじゃないか」


「自分は守護者という役職がどういうものかまったく知らないが、誰かを守る役職だと考えている――それで間違いないか?」


「ああ、間違いは無いな」


 それだけ確認が取れれば十分だ。もしかしたら、場所や物を守る存在かもしれないという可能性がこれで潰えた。


「なら自分はその役職を受ける――条件として、彼女を守る守護者として」


 告げて、まっすぐに――ノルンを見つめた。


「――――え゛っ」


 彼女が形容しがたい悲鳴とも唸りとも言える声を思わず漏らす。

 瞬間――


「――ふはははははははははははっ」


「くすくすくすくすくすくす」


「――――ふっ」


 三者が三様に吹き出した。ルスティカーナは俯いて肩を揺らして静かに笑っているだけだが、他の二人に至っては破顔爆笑といった様子だ。


「あははははははははっ! それが、それが条件か!」


 爆笑しながらアーデルハイトが尋ねてくるので、肯定の頷きを返す。


「そうか――そうかっ! よりにもよって、まっすぐに、ふは、ふははははは!」


「くすくすくすくす。こうなれば良いとは思ってましたけれど、ええ、私、こうなれば良いとは思っていましたけれどまさか直接にお選びになるなんて」


 どこかに笑いどころはあっただろうかと首を傾げるも、まったく見当が付かない。

 対してノルンはと言うと、


「――――ぶすぅ」


 といった様子で頬を膨らませてこちらを睨み付けてきている。何だか、気のせいか涙目のようにも思える。

 困って、アティに視線を送ればあちらはあちらで思いっきり頭を抱えている。

 暫く笑い転げて後、アーデルハイトはどうにか堪えられる程度に落ち着くと、にこやかな笑顔で告げた。


「いいだろう、その願いを叶える。タチバナ・ヤクモ。お前を、ノルン専属の護衛官として雇おう!」


 詳しいことは追って説明する、と結んで彼女は席を立った。


「今日の話はここまでとする。お昼も過ぎてしばらく経ってしまったからな、遅めの昼食と行こう」


 また後で会おう、と告げて彼女は玉座の裏側へと下がっていった。

 メイドたちや兵士達もぞろぞろと出入り口から出て行く。

 ルスティカーナとリズベッドと名乗った少女も、同様に退出していく中、残ったのは自分とノルンだけだ。

 彼女が何か言いたげな視線でこちらを睨み付けているので、蛙のように身動きがとれなかった。

 皆が退出しきってからも、暫くそのまま時間が過ぎた。

 そして奇妙な静けさが室内を覆いきったとき、ようやく彼女は口を開いた。


「――苦労しますよ」


「そう、なのか?」


「ええ、私などに関わったことを、必ず後悔する程度には」


「そうなのか」


 ノルンの表情はこわばりも、先ほどまでのむくれた様子も無く、まっすぐで、澄んだ瞳で、彼女の髪の色である蒼の色彩を印象として纏った、透明なものだった。


(彼女は何か大切なことを隠しながら、しかし伝えようとしている)

 

 その人にしか出せない表情を浮かべながら口にした言葉は、それだけの意味と力があるのだと――そんな直感が不意に、頭の片隅に閃いた。

 これが、どこから訪れた閃きなのかは分からない。知識からなのか、それとも、思い出せない自分の過去がどこか遠いところからふとした拍子に、水面へとその僅かばかりの浮力をもって持ち上がってきたのか……それすらも分からない。

 だが、どちらにしろ、この直感は信じてよいもののように思えた。

 だから、信じる。信じた上で、ノルンの言葉に返事をする。


「構わない」


 後悔も、苦労も、背負ったところで構いはしない。

 それが自分の責任の上に生じるのであれば、なおのこと。

 それが彼女の今まで背負っていたものだとすれば、望むところ。


「――絶対、ですよ?」


 その絶対が何を示すのか。

 絶対に後悔する。絶対に苦労する。

 ――絶対に、守ってくれる。


「ああ」


 そう、短く告げて頷いた。

 ノルンは、こちらをじぃっと見てから、やがてため息を吐き出しす。


「まったく、やれやれですね」


 面倒ごとを背負い込んでしまいました、と彼女は嘯き、席を立った。


「そろそろ移動しないと食事に間に合いませんから」


 言って、玉座のある段から降りてくると、こちらの横を通り過ぎて出入り口へ。


「どうしたんですか。食堂の位置、分からないでしょう。私が案内して上げますよ、ええ。一応は、どうにも、私の近衛になったみたいですからね」


 護衛の上で、必要な城の案内くらいはして上げますと、彼女は言いながら扉から出て行った。

 追いかけようと思い、一歩を踏み出す前にふと、玉座の背後、陽光を透かして輝くステンドグラスがある。

 そこには三つのモチーフが描かれていた。


 一つは竜。

 一つは少女。

 そしてもう一つは――英雄。


 その三つ。それらが互いに絡み合うように、一枚の芸術としてそこに掲げられている。

 それを眺め、瞳を強く閉じ、目蓋の裏に焼き付けるようにしてから謁見の間を後にした。

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