Drahenstein(7) ― 謁見 ―
「話はまず着替えてからでもいいだろう」
という少女の言葉にアティが従い、ノルンも頷きを返したので自分としては否応も無し。
ただアティに案内されるがままに城の扉をくぐって城内へと入った。
くぐると現れたのは吹き抜けになっているロビーだ。
正面には階段が左右両方に広がっている。
階段の両翼の下部には双方、立派な扉がある。
「あのむこう側が謁見の間になります」
と、アティが補足した。
先ほどの少女とノルンはその扉をくぐり謁見の間へと入っていく。
「二階からは二階席と広間になりますね。ヤクモ様は私についてきてください」
頷き、ついていけば通されたのは玄関ロビーの左手側正面にある扉だ。
開け放てば長い廊下が続いていた。
右手側には六つの扉がある。
等間隔にあるこの向う側には部屋があるのだろう、ただし扉は過度に装飾されておらずどことなく仕事部屋という印象があった。
通路を歩いていると程なく、左手側に分かれ道が現れる。直進と、左。自分が通ってきた廊下と合わせれば丁度“ト”の字を逆にした形だろうか。
「そちら側には聖堂と、図書館があります」
なるほど、言われてみれば分かれ道の先には雰囲気のある扉が忽然と置かれている。
他とは明らかに異なる印象だ。
アティは分かれ道を素通りしてまっすぐに進んだ。
すると現れたのはどことなく無骨な印象の、頑丈な木で出来た扉だ。
扉を開いて一歩敷居をまたぐと、そこは城とはまた別の世界が広がっている。
「こちらが兵舎になります。ヤクモ様には、申し訳ありませんがこちらにお部屋をご用意させていただきました」
その場しのぎではありますが、と断りを入れた上でアティは足を進める。
「いや――」
構わない、と告げながらも、八雲は先導するアティの表情を想像するしかない。
こちらから見える彼女の姿は背中しかないが、言葉の奥には軽い逡巡が見え隠れしていた。
(こちらの立場を決めかねているのだろうな)
一応は命の恩人的な立場に当たるが、同時に身元不明を自称する不審人物でもある。
彼女の逡巡の根底にあるのは客室をあてがうべきか、一応の一室を宛がうにとどめるかだろう。
本当であれば城内に入れるのもある種の危険を伴う行為だ。
しかし、そこは命の恩人という前提が許す許容範囲であったが為に入城を許可された。
通路ごとに案内を入れてくれるのも、この城を利用することに関しては当面、許してくれるという理由からだろう事は察せられる。
だが、客人としての待遇にはまだ疑問が残っている。
どのような身元で、どのような人格の持ち主なのか、それがはっきりとしないうちは客人としてもてなせないし扱えない。
(待遇としては当然だと思うし、不満は全くないのだが)
助けられた身として、感情的には客人として扱いたいが使用人としての立場がそれを許さない。
その感情の摩擦こそが彼女の逡巡の正体だろう。
(何にしろ、細かい沙汰は城主らしいあの少女と話し合ってからになりそうだな)
ノルンは自分のことを城に住めるよう相談してみる、と口にしていたがさてそれも何処まで実現するものか。
「つきました、ヤクモ様。こちらの部屋をお使いください」
案内され、たどり着いた部屋は兵舎の一番奥にある部屋だった。
最も城門側に近く、城側には遠い。
部屋の扉を開ければ、二段ベットでぎゅうぎゅう詰めの部屋を想像していたが、個人用に設えられたそれなりの部屋だった。
窓際には机と椅子。それに簡易の薪ストーブ。
奥にある扉はきっと寝室への扉だろう。察するに、指揮官クラスに宛がわれる執務室兼寝室といったところか。
「ありがたい」
いいながら室内へ入った。
何にしろ、記憶喪失の身上に雨露を凌げる二間が宛がわれたのだ。
(それだけでも十二分すぎるという物だろう)
右も左もわらか無いまま、この世界に放り出されるのに比べたら恵まれた物だと八雲には思われた。
◆
諸々の準備が終わり、再び謁見の間に招かれたのは数時間が経った後だった。
その間に、風呂に入れられたり服を着替えさせたりだのと色々細々とした準備があったが割愛する。
「これで大丈夫ですね」
といったアティの満足げな表情の前で、ぴっしりと仕立ての行き届いた衣服に身を包まれながらも、げんなりとした表情が顔に浮かんでいるのを自覚する。
幸いと言うべきか、衣服は中世ファンタジー世界によくあるフランス貴族的な衣服ではなく、センスとしては寧ろ自分の居た世界に近しい物だったようで、さしあたってはぼろぼろになった自分の服と同じようなモノを見繕ってくれたようだった。
と言ってもやはり完全に同じ物というわけではなく、戦闘服じみていたあれに比べれば些か以上に正装な装いだ。
上はワイシャツに黒のジャケットと紺のベスト。
下は穿いていたのと同じようなシルエットをした黒のスラックスだが、自分の物よりも生地が柔らかく軽い。あちらが荒く使われる事を想定しているなら、こちらは見栄えと普段に着ることを重視した生地なのだろう。
ネクタイは締めなくて良いと言うことで、それだけは救いだったがこの着替えにたどり着くまでの紆余曲折を八雲はできうる限り思い出したくない。
(まさか世話を焼かれるのがこんなにも疲れることだったとは)
宛がわれた部屋の位置が何だの、扱いが、立場が何だのと勘ぐっていたのも今は昔。
アティがこちらに対して行ったのはそれこそ王侯貴族に対するそれかという程の、過保護なお世話だったのだ。
色々すったもんだあったあげく、唯一傷の手当てだけは妥協したが、それ以外は丁重に断った。
衣服の着替えから何から、手伝おうとされたのだからたまったものではない。
今は、自分で着た衣服が、しっかりと着れているかどうかをチェックされている所だ。
アティの審査をようやく通ったところで案内されて、謁見の間へと向かう。
そこであの少女と会うことになっている。
(確か名前はアーデルハイトといったか)
ノルンは城門前のやりとりの際に、ハイディと思わず呼んでいたがあれは略称か何かなのだろう。
城主だろう少女に対しそのような呼び方が出来る辺りは、ノルンの言う偉くて高貴という言葉に嘘はないようだった。
玄関ロビーを経由し、程なくして最初に案内されていた謁見の間へと通じる扉の前に到着する。
先導するアティが扉を開けばそこには、廊下が一本横に走っている。
その中央辺りに大きく荘厳な扉があり、廊下とその奥にあるだろう間を隔てていた。
「この奥になります。よろしいですね?」
無言で頷きを返す。
アティがゆっくりと、扉の意匠に見合った速度で扉を向う側へと開いていくと視界が開けた。
扉の横で深く礼をするアティに促される形で歩を進めれば、謁見の間だ。
正面、煌びやかなスタンドグラスから差し込む陽光が室内の全体を神々しく照らし出している。
左右と背後には二階席が。
右手は一面が壁だが、左手側はそのすべてが窓になっていて、中庭の様子がよく見える。
入り口からは深紅のカーペットが一直線に敷かれており、高級な石で作られているのだろう、磨き上げられた石材の明るい色彩とコントラストになっている。
(光を演出に使った見事な空間だな)
と言うのが踏み込んで最初に思ったこと。
そして次に思ったのが、
(――予想よりも少ないな)
というこの謁見の間にいる人数だ。
さすがにキョロキョロと見回すのもあれなので視界だけで確認したところ、ざっと二十名と少しと言ったところ。そして少し以外はメイドと兵士だったから、つまりは事件の当事者だろう。
そして大半は壁際に待機しているから、カーペット脇で謁見の間の奥に待機する人員はざっと四名。
ステンドグラスを背に置く二つの玉座に座るノルンと先ほどの少女。
そして外見的には瓜二つといった二人の少女が、玉座のある段差から一歩降りたところに控えている。
全員の顔がよく見える辺りまで進んだところで、玉座に座っていた少女が立ち上がり、制止を求めるように右手をこちらにむけた。
仕草に合わせて立ち止まる。
自分の右後ろで人が跪く気配があった。入り口からアティがついてきたのだなと察せられる。
周囲、壁際に控えたメイドや兵士達も深く身体を折り一礼している。
(自分も従った方が良いのだろうか)
様子を見て、どういった作法を取ればいいのか教わらなかった己の迂闊を呪う。
だが悩んでいるところに声が来た。正面からだ。
「よく来てくれたな、タチバナ・ヤクモ。
私が城主、アーデルハイト・フォン・ドラッヘンシュタインだ
――説明は必要か?」
一段高いところにある少女の問いかけに、少し考えたあと首を横に振る。
最低限の説明はノルンから受けている。
(必要なのは彼女がどういう人柄なのかと言う事だろう)
そういった情報は触れあっていく上で知ってくのが一番だ。
それに、
(……さすがにこの場で城主に説明させる気概はない)
皆がかしこまっている中、説明を受ける部外者というのは余りにも体裁が悪すぎる。
「そうか。割と説明するのを楽しみにしていたんだけどな」
(……やらかしたか?)
少し拍子抜け、と言った感じに首を傾ける城主である少女の言葉に先ほどは流さずに済んだ嫌な汗がだくだくと背中を伝う。
「ハイディの楽しみは私が奪っておきました――変なことを説明されては敵いませんから」
「なんだノルン。わかってるじゃないか」
まさしく友人といったにこやかな会話が、この城で最も高貴だろう場所で為されている。
ノルンの介入に救われた気持ちになる反面で、しかし、城主の冗談がまったく笑えない。
出鱈目を教える気だったのか、などという突っ込みを入れた瞬間に周囲の空気が凍り付く想像が頭をよぎってならない。
「まぁいい」
そう言ってアーデルハイトは話を区切った。こほんという一つの咳払いで体裁を整える。
「ここにお前を呼んだのは、詰問をするためでも、さらし者にするためでもない」
言いながら、笑うと彼女は一歩を踏み出す。
玉座のある場所はそう広いスペースになっているわけでもない。
一歩、二歩と歩けば三歩目には段差を降りてこちらと同じ高さに立つ。
「礼を言うためだ」
「礼……?」
「そうだ」
歩みを止めず、アーデルハイトがまっすぐに進めばそこに自分が居る。
近づいてきた城主に、先ほどからどのように対応すればいいのかまったく分からずにいる自分は、戸惑いを覚えていれば、気づいた頃にはお互いがふれあえるほどの距離にあった。
「――ノルンを救ってくれてありがとう。心の底からそのことに感謝を送りたい」
アーデルハイトはそう告げるや、こちらに抱き付いてきた。
それはもうがっしりと、背中で腕が交差するほどに。
「――なっ」
正面、ノルンの凍り付く表情が見え、
「ひ、姫様――ッ!」
背後からなにやら悲鳴じみた叫びが聞こえるのを耳にしつつ、
(ああ、まぁ――)
これで自分も終わったかもな、などと冷静に思う程度にはいい感触だった。
「――ありがとう」
耳元、アーデルハイトの甘やかな囁きが耳朶を振るわせる。
こちらの鼻をくすぐる彼女の髪や抱き付く全身からは、脳髄をとろかせるような香りがする。
抱きしめられた腕は、抱き返すわけにも、突き放すわけにも行かず硬直したままだ。
だが、身体を離したアーデルハイトの表情を間近で見てその戸惑いもどこかに消えた。
彼女の表情は、真面目そのものでまなじりには微かに涙も浮かんでいる。
「本当にありがとう。彼女は、私の親友なんだ。その命を救ってくれた礼を尽くしたい」
その表情を見て、ようやく自分がなにをしたのか、その一端が分かった気がした。
記憶が無いままに、身体の赴くままに、まさしく無我夢中で行ったことだったけれど、
(最期を看取るのではなく、あそこで彼らを救う決断をしてよかったようだな)
心よりそう思える。