Drahenstein(5)
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背後に水門の閉まる音を置きながら、ノルネア・アリフステッドの街中へと足を踏み入れる。
眼前に広がるのは、右手を流れていた大きな水流が、二手に分かれている光景だ。
水流は直線のものと、目の前を左手の奥へ流れていくものがある。
周囲に視線を巡らせれば、川の両側には舗装された道があり、その脇には建物が並んでいる。
右手、直線に流れる大きな川の向う側には小奇麗な商店が建ち並んでおり、その奥、大きな円形の建物や、館のようなものが幾つか建っている。
正面、川を越えた先の三角州に当たる部分には意匠の少ない質素倹約といった趣の大型の建物がいくつも建っている。道の整備も行き届いており、どことなくビジネス街と行った趣の場所だ。
左手、川に遮られることのない方向には大きな館と、競技用のフィールドが併設された建物がいくつも建てられており、その周辺には集合住宅なのだろう、館に比べればこぢんまりとした家屋が幾つかある。どことなく見覚えがあるその風景は、
「――あれは学校ですね」
と、こちらの視線から何を見ているか察したのだろう、隣に立つノルンが言った。
なるほど、道理で見覚えがある風景だ、と八雲は思う。
そこに通っていた光景は生憎と記憶の中にはないが、知識の中にある学校の風景と、言われてみれば大差が無い。
(学校教育のための施設というのはある程度似通ってくるものなのかも知れないな)
観察してみると、確かに競技用のフィールドは校庭といった趣で、十代前半と言ったところの女子・男子がランニングをしている。
楕円形のフィールドを延々と走っている姿はやる気のある生徒とない生徒が綺麗に別れていて、人間観察という点では割と面白い。
やる気のない生徒は目に見えて速度が遅く、歩いているのと大差ないジョグといった速度だ。対して、明らかに体格のいいやる気にあふれた生徒は、フォームも速度も雲泥の差だ。
表情も、今にも死にそうな表情をしているものから、学友と雑談に興じながら走る者、真剣な表情で黙々と取り組む者と様々で、それぞれに個性がある。
それらは八雲の知識の中にある学校の体育風景と何ら遜色のない光景だ。
だが――
(明らかに足の速い集団が居る)
それも、フォームの違いや、基礎体力の違いと言ったレベルを逸脱して特に早い集団だ。先ほど言ったやる気にあふれた生徒達より更に倍ほどの速度で走っている。
彼らに共通しているのは――
(犬の耳や猫の耳や……尻尾に翼か、あれは?)
身体の各部に、何かしら人間とは別の、動物的な特徴が見受けられる。
ファンタジー的には亜人種というべきか。わかりやすい混血が見て取れる。
彼らは、表に現れている動物的な特徴に沿った肉体能力を得ているのだろう、他の純粋な人間的外見の者たちに比べて圧倒的な身体能力を見せつけているようだ。
(なるほどな。あれ程まで外見的特徴が出てしまうのであれば二人のあの反応も推して知るべしと言ったところか)
自分が見ている先、運動をしている彼らはコスプレといえばそれでもしかすると通じてしまうかも知れない程度の外見的差異で済んでいるが、もしかしなくともあれ以上に表立った特徴がある者たちも居るのだろう。
だとすれば、それらが亜人や混血と言ったカテゴリーでひとくくりにされてしまえば――
(混血全体が差別の対象か)
それが区別で済んでいればばよいのだが、そうも行くまいな、と八雲は思う。
現に今目の前で広がっている光景に、その温床が既にある。
きっと、運動が苦手な人間であればそうも思うまいが――
(真面目にやっている人間からすればたまったものではあるまい)
なにせそこにあるのは種族的格差という、自分にはどうにも出来ない、ハード面での絶対的差だ。
努力や才能と言った曖昧な要素であれば、それらは時間と技術で埋められるかも知れない。
だが、根本的に運動能力に特化した種族が、同じ競技に参加しているとなると途端にハードルが跳ね上がる。ましてや、その人物達が同じだけの時間と技術を努力によって修得した場合、その差は絶対的だ。
そこには、ねたみやそねみといった要素が生まれるに違いない。
(実際問題、仕方の無いことなのかも知れないな)
誰もが聖人君子たり得るわけじゃない。そもそも聖人だけの世界など成り立ちはしない。
重要なのは、それをどの程度まで許すかと言う事だろう。
だれだって、どうしようもないことを羨む気持は持っている。多かれ少なかれ、それは生じる。
それを認めた上で、どうやって処理していくのか。それが重要なのだ。
八雲の見ている先、犬――というよりは狼の特徴を持った足の速い少年が居る。
体格もよく、180cmはあろうかという身長だ。彼もまた、圧倒的な速度で周囲を置き去りに走り回っていたのだが――途中、小柄な女性とを抜き去ろうとした時だ。
やる気のなさそうだった女生徒が、少年が走り去ろうとしたタイミングで彼の背中に飛びついた。
少年は体勢を一瞬崩すも、どうにか持ちこたえ少女に対して何か文句を投げつけている。対する少女は、聞く耳持たずといった様子で背中に抱き付き直すと、そのままに、右手を前方へ振って走れの合図。
やれやれといった様子の少年は、少女を背中に抱き付けたまま、フィールドを走り出す。
「さて、行きますよ」
傍らに立つノルンが促しの言葉を掛けてきたのに従い、八雲は視線を校庭から外した。
(なるほど、どうやらここはそういう国らしい)
異人に亜人に人間に。それら全てが混じり合う国、帝政ノルネア幻想国。
そのプリンセスにこれから会いに行くという。
(楽しみかも知れないな)
この国の、おおよそトップに近い位置に立つ人物が果たしてどのような人物なのか。
歩き出したノルン達に追随して、八雲も歩き出した。