Drahenstein(2)
「さぶいですね……」
ずびびっ、と鼻をすすりながら列の後ろの方を歩くノルンがぼやくように言った。
肩を抱くようにして、もこもことしたケープ状の防寒具を抱きしめている姿は、確かに寒そうだ。
「ノルン様、もう少しだけ我慢してください」
列の先頭を歩くアティが振り返りながらノルンを気遣う。
彼女としては、ノルンの侍女という立場を優先したいのだろう。だが今は、列を先導する役割がある。
他に付いてきたメイドや護衛の兵士達はその様子を遠巻きに見てほほえんでいる辺り、よくある光景なのだろうと八雲は納得することにした。
ノルンも本気で何かして欲しいわけではないようで、文句らしい文句を言うこともなくそのまま歩いている。
(甘えられる関係なのだろうな)
あるいは弱音を見せられる関係と言うべきか。アティとノルンとの間にはそういう繋がりがあるようだ。
一行は、小屋から林を抜けた所にある道へ出ると街へ向かって歩いていた。
この道は、八雲がノルン達を見かけた際に竜との逃走劇を続けていたあの道だ。どうにも、ルート的には街へ向かうための最短ルートに当たるらしい。
ほとんど一本道となっている細かく、くねくねと蛇行した道を行く。
「道中を黙って歩くのも暇ですね……そういえば、なにか質問はありますか?」
一行が沈黙を保って歩いているのに我慢ならなくなったのかノルンが八雲に話しかけた。
ケープの中で自身の肩を抱いている辺り、黙っていることで寒さばかり意識してしまうのに耐えられなくなったのだろう。
「質問か――」
何かあっただろうかと八雲は思案した。
わからない事がありすぎて何を尋ねて良いのか分からない、と言うのが本音だがひとつずつ崩していかなければいつまで経っても改善しないことのようにも思う。
とりあえず、ということで思いついたことを尋ねてみることにした。
「これから行くのはどういった街なんだ」
「そういえば教えていませんでしたね」
こほん、という咳払いのあと、つかつかとこちらの隣に歩いてきたノルンが説明を始めた。
「これから向かうのは、ノルネア・アリフステッドという地方の街です」
「ノルネア・アリフステッド……?」
アリフステッドと言えば、夜にノルンが説明していたこの世界の名称のひとつだ。
何か繋がりがあるのかと思い、呟きを漏らすと、ノルンからの補足が入った。
「はい。アリフステッドというのはこの世界には、数カ所ある名称でして。確か、九箇所でしたっけアティ?」
「それで間違いはありません、ノルン様」
「それぞれがこの世界の仕組みや歴史に密接に関係しているのですが、説明が長くなるので今は省きます。世界にとって有名な土地であり要所であるという事さえ把握していてくれれば今は大丈夫です」
言われて、元の世界におけるアレクサンドリアと同じようなモノかと連想した。あちらは、アレクサンドロス大王が征服した植民都市につけられた名前だが、同じ由来の大都市が複数あるという意味では同じ事だろう。
「今から向かうノルネア・アリフステッドは九つあるアリフステッドの中でも最も北方に位置する一つです。雪に彩られた不凍の湖と、歴史の織りなす重厚な城塞都市が特徴でしょうか」
北方と言われて八雲は周囲を見回した。
この雪の量は、確かに高緯度の土地に間違いなさそうだ。もしかしたら、北極か南極にほど近い土地かも知れない。
(季節が真冬かとも思っていたが、これが一年の半分以上を占める光景なのだろうな)
元居た世界における北欧地方なども、季節は夏と冬しか存在しないという。
アリフステッドという土地が九つ、どのように配置されているかは地図を見たことのない八雲には想像の出来ないことだが、この土地が本当に北欧のような立地にあるとするならば、いよいよ以て、寒さに対する覚悟が必要になりそうだ。
しかし、アリフステッドは理解できたとして、
「“ノルネア”とはいったい?」
「ああ、それも説明していませんでしたっけ」
言われて、ノルンは左手で作った受け皿に右手の拳を叩き付ける仕草をとった。
「ノルネア、と言うのはこの場所……つまりは、この国を示す言葉ですね。正式名称を“帝政ノルネア幻想国”といいます。現在の世界における主要国家ではそれこそ、北限とも言われる国ですね。この国以北にも一応国はありますが、明確な国家としての格と歴史を有しているのはこの国だけです」
言いながらノルンは右手の指で宙に菱形を描いた。
「大体この辺りですかね」
菱形の丁度、上部の角を大ざっぱに区切りながらそう言った。
なるほど、どうして寒そうな位置関係である。
(北海道の中でも、北と南では寒さの桁が違うというしな)
菱形が一体、地図上でどれ程の大きさを占めているのか分からない手前、実際にどの程度の大きさを持った大陸、もしくは島なのかが判別できない。
ただ、仮定として身近だったろうもので例え、断片的になら理解は可能だろう。
(細かく正確な知識は、後々に埋めていくことになりそうだな)
思いつつ、今知った知識を自己解釈の中で置き換えていく。
菱形の略図で示されるものと言えば日本列島の中では北海道だ。その中でも、例えば稚内と函館では相当の気温差がある。
もし、地図が中国大陸ほどの大きさを有していたとするならば、その差は更に大きくなるだろう。
「ついでに言うと、今から行くのはこの辺りです」
わかりますかね、と呟きながら、今度は大ざっぱに区切った中でもその南西の端の辺りをノルンは指さした。
「大ざっぱには理解した」
どうにも、この国の中でも比較的暖かな大都市へと足を進めているようだと理解することにした。
そういえば、先ほどノルンも特徴は不凍湖だと言っていた。不凍と言う言葉を強調すると言う事は、それだけ凍らない湖が珍しいという事なのだろう。
(そもそも暖かな土地ならば、不凍湖などという言い方自体が使われないしな)
それも含めて、一つの文化や言語を形成していくのだ、と八雲の知識は告げている。
人々が形成していくあらゆるものは、住んでいる土地の気候や風土とは切っても切り離せない関係にあるのだと。
街に関しての細かいことは実際にこれから行くのだから、見て確かめた方が早い。
……それよりも、もっと大きな分類でのことが気になる。
「ノルネア、と言うこの国はどういう場所なんだ」
「国、ですか」
尋ねたところ、ノルンが曖昧な視線を先頭を歩くアティへと送った。
「私が答えるよりも、彼女が答えた方が詳しいのですが」
しかし、先導する役目をアティは固持している。
(昨日のことを気にしているのでしょうね)
ノルンは、アティが責任感の強い性格の持ち主であることをよく知っている。そんな人物が、近侍としての役割を全うしきれなかった。
その雪辱の場面は容易には与えられないだろう。だから、せめてこの帰路の先導くらいは己が引き受けたい。アティが思っているのはそんなところか。
(まぁ、彼が求めているのはどちらかというと概略的な基礎知識でしょうから)
自分が説明した方が良い部分もあるか、と自己解決した上でノルンは説明の続きを始めた。
「ノルネア――帝政ノルネア幻想国ですが、まず、そうですね。基礎的な部分から説明すると、帝政ですから、皇帝が最高位に位置する国です。選出方式は選帝伯と称される諸侯が継承権を有し、前皇帝がその座を降りる際に、選定伯同士の合議により選出する、という感じですね――するっと言いましたが、理解できましたか?」
問いかけに、八雲は頷く。
(たぶんだが、昔のドイツがそれに近い)
有力諸侯が継承権を持ち、選帝侯と呼ばれる諸侯がその継承を保証するという形式も一応はあった。
(神聖ローマ帝国やプロイセンと名前はややこしいが)
その内実に、若干の差異はあれど、この際、それは置いておく。そもそも、あの国はハプスブルク家という一族が継承権をほぼ独占状態に置いていた。その時点で、選帝というシステムが正常に機能していなかった。
(この国はどうなのだろうか)
気になりそのままに問いかけることにする。ただし、もう少し突っ込んだ形で。
「いくつの選帝伯家が皇帝を持ち回ったんだ?」
「……意外な質問ですね」
そう来るとは思ってなかった、と言う表情の後、指折り数えてからノルンは答えた。
「全七つの選帝伯家中、四つの選定伯家が現在、皇帝を排出したことのある選定伯家ですね。他の三家は少々理由があると言いますか……元々は外様だった二家があるのです」
残りの一家に関しては、頭首があんまりにも独特すぎると言いますか、と口を濁すノルン。
その様子に首をかしげながらも八雲は告げられた言葉を咀嚼する。
(なるほど、正常に機能はしているようだな――というよりも外様、か)
外様、という事は何らかの理由で選定伯家には加えられたものの、国家の成り立ちには深く関わることの出来なかった存在、と言うあたりだろうか。
日本で言うならば外様大名などと言う天下分け目の戦いである関ヶ原の合戦に由来する、東西どちら方だったかという分け方があるったが、たぶん近似のものだろう。
(つまりは、他勢力を糾合していった地力のある国と言う事だろうな)
そして糾合された国の中でも特に力のあった、あるいは無視することの出来なかった存在を選定伯家として国家の中枢に迎えることで国内のバランスを取った。そういうことなのだろう。
(ということは中々に軍事国家なのかも知れないな)
一瞬、頭にちょび髭で有名な国家元首の絵が浮かび上がったが、さすがにそこまでではないだろうと想像を振りはらった。
(……そこまでではないよな)
不安は残ったが。
しかし、二家に関してはそれで理解したとするにしても、口を濁した残りの一家が今度は気になる。
外様以外で継承権を行使されていない理由というのは一体どのような理由があるだろうか。
「残りの一家はどのような家なんだ?」
「……それは、ですね」
問われて、ノルンは何だか頭が痛そうな素振りで、眉間の辺りを押さえた。右の親指と人差し指でもみほぐすようにしていたが、やがて人差し指と中指で額を細かく叩きはじめた。
やがて、考えがまとまったのだろう、口を開くと、
「一応、選定伯家としては最古参の一家なのです。歴史や格という点において彼の家に勝る選定伯家は存在しません」
と前置き、
「ただ――相当な変人が頭首でして」
ため息交じりにノルンはそう告げた。
「変人?」
「本当は、二代目皇帝を名乗る予定だったのですが、本人が異常なまでに引きこもり気質でして。『自分の土地から出たくない』と突っぱねました」
「――――。」
聞いた話に思わず絶句する。なんと反応を返して良いのか分からなかったからだ。
「冗談……」
「……ではないんですよね。残念ながら」
一応、確認を取ったがやはり事実のようだ。なるほど、継承寸前まで言ってそれを自分の土地から出たくないと突っぱねたのであれば、それは紛うことなく変人だろう。
よほど、継承を断りたくなるような国内情勢や貴族間でのやりとりがあったのだとすれば別だが、ノルンの反応を鑑みるにそういったこともなさそうだ。
しかし――
「それは、大昔の話だろう?」
今が、はたして建国からどれ程の年月が流れているのか知らないが相当の時間が経過しているはずだ。
ならば、頭首は当然のことながら入れ替わっているはずである。
頭首が替われば、継承権に対する思いもまた人それぞれだ。血の繋がりや家の伝統などもあるが、それと個人とはまた別だろう。国家が過ごす悠久の時間の中は、そうした感覚が揺れ動くだけの遙かさを持つはずだ。
だというのに、継承されていないのには何かしらの理由があるはず。
例えば、今は相当没落していて継承するだけの力が無い、というのもありうる。
引きこもりの頭首というのであれば、外交も苦手だったのだろうし一代で没落し、家名だけが残っていると言うのも十分にあり得るだろう。
だが、ノルンから返ってきた答えは、
「はい、大昔の話です。今から二千年ほど昔の話なのですが……」
と、間を置いた上で、こちらを伺うような目線を送りつつ、告げた。
「――それから一度も頭首が替わっていないのです」
「……なに?」
二千年前から頭首が替わっていない。
それはつまり、
「……頭首は、ご存命なのか?」
「大変残念なように思いますが、ぴんしゃんしてます」
つまり――二千歳以上の頭首だと言う事か。
「なるほど、これは」
これは――ファンタジーな世界だ。
ドラゴンがいる程度ならば、実は見たことのない巨大生物が居る程度で話も片付けられそうなものだが、二千年をいきる人間が居るとなるとやはり実感として大きなものがある。
「それくらい生きるのが当然なのか?」
「まさか。普通の人間なら百年もいきれば上等です。混血の多い国柄ですから、長命な種族も中にはいますが、それでも千年が限度でしょう。二千年など、過去類を見ないほどです」
それでいて元気なんですから、困ったもんです、とノルンはため息。
(この様子だと、その二千年歳以上の頭首と彼女は割合近しい関係ないるのかも知れないな)
などと、その口調から察しつつ、
(しかし、千年を生きる種族が居る世界か)
この点に関して、まったく想像が付かない。
文字情報として、そうした存在が居るというのは想像が出来るにしろ、主観として千年をいきるという行為を想像出来ない。
自身が、千年を生きた場合一体どのような感覚を覚えるのか。
(日本で言うと平安末期から生きている、と言う感覚だろうか)
それから鎌倉、室町と経て激動の戦国時代。さらに近世・近代、そして現代。それら全てを一個人の記憶の中に体験として蓄える感覚はおおよそ人知を越えている。
(なるほど、ファンタジーだ)
それも思った以上に。
してみれば、だ。
まさかこれもあるんじゃなかろうかと冗談半分で尋ねてみれば、
「もしかして、魔法とかもこの世界にはあるのか?」
「はい、ありますよ?」
当然じゃないですか、という反応でノルンは返答した。
今度は八雲が、先ほどのノルンと同じような頭が痛いという仕草をしている。
「あ、大丈夫ですか? 傷が痛みます?」
「いや、そういうことじゃない」
気遣うノルンに大丈夫だと伝えながら、八雲は思考する。
「魔法がある……?」
「はい……って、もしかしてですが、貴方の居た世界にはなかったんですか?」
問われ、首肯するとノルンは驚いた表情を見せる。
「え、じゃあどうやってあのドラゴンをぶっ飛ばしたりたたき切ったりしてたんです」
割と素に近い口調で驚かれた。
「どうやって……」
あれは、果たして何だったのか未だに自分の中でも未消化な部分だ。身体はその随までその技巧を修得しているのだけど、それらに関する知識が無い。
やれるか、と問われると感覚としては出来るという感覚があるのだが、それを明文化できない。
ただ、その感覚を語弊を覚悟で伝えるならば、
「……あれは、魔法じゃなく技術だ」
そういうことになる。人間に出来る動作を極限まで高め、工夫した末にあるのが神楽だと。
「じゃあ、本当に魔法については何も知らないと」
もう一度の首肯を返すと、ノルンに珍しい生き物を見たという目で見られた。
「この世界では、魔法は相当に一般的なものです」
言いながら、ノルンは右手の人差し指をピンと立てた。
そのままに、暫く空中をぐるぐるさせていると、やがて人差し指の先端に淡い光が宿る。
蛍のような緑色の燐光だ。朝方で明るいというのに、その光がはっきりと見える。
「この光をマナと言います」
告げて、その人差し指でノルンは空中に簡単な図形を描いた。
早すぎて何が何やら八雲には見て取れなかったが、それが文字のようなものだったのはかろうじてわかった。
動作の最後に、描かれた図形にスタンプするようにしてノルンは人差し指を置いた。
すると、
「これが基礎的な魔法ですね」
ぽんっ、と。人差し指の先端に音を立てて、立ち上がったものがある。
火だ。
蝋燭の炎のような、こじんまりとしたものがノルンの人差し指に乗っている。
「色々と細かい、学術的な説明も出来ますがそれは落ち着いたところで後日行いましょう。つまりは、こういうことが平然と為される世界だと認識しておいてください」
そうすれば必要以上に驚かなくて済むでしょう、と告げるノルンに八雲は頷く。
その様子に、結構です、とノルンは告げながら人差し指の火を吹き消した。
八雲は、右手で前髪を書き上げながら空を見あげる。
相変わらず、星が見え、幾何学の線が空を走っている。
「なるほどどうして――楽しそうな世界だ」
わからない事が一杯ある。知らない出来事もたくさんあるだろう。
あの空の光や、なぜ星が見えるのかという事実ですら、この世界はかつて居た場所とはまったく異なるようだ。
自分に、かつての記憶があれば、と八雲は思った。
元居た世界で過ごしたという記憶があれば、もっと新鮮な驚きを得られただろうに。
それが惜しくも在り、しかし、まっさらな状態でこの世界を受け入れられたことを嬉しくも思う。
なんにしろ楽しみだ、と八雲は思う。
そのままに暫く歩いていると、
「ヤクモ様、見えてきましたよ」
先頭を歩いていたアティが声を上げた。ノルンと会話をしていた視線を、先頭へ向ければアティの先に街の姿が望める。
「あれが……」
「ええ、あれがノルネア・アリフステッドです」
それは円形の城壁に包まれた街だ。
街には所々に塔が立ち並び、円形の中央に象徴的な高い建物がある。
(教会か?)
そのように見て取れる、不思議な意匠の施された建物だ。
街の全体を望みうるこの位置から、衣装すらも見て取れるほどに大きなそれに隠れがちだが、手前の方にもまた大きな建造物がある。
幾つかの尖塔で構成される横長のそれは西洋によく見る城だ。
ノルンが入っていた城住まいというのはあれのことを言うのだろう。
(しかし……)
建造物より何より、この街を象徴するその異容は、
「――滝か」
街を平行に二分割する絶壁。それを降る、膨大な量の瀑布がある。
丁度、見下ろしている角度が瀑布の水源側に当たるためそのしたが度のような形になっているのかまでは見て取れないのだが、しかし、流れ落ちる水の量から推測するにかなりのものだろう。
なにより、街の中心部に滝があるというのが純粋な驚きだ。
「美しい街だ」
そう純粋に思う。
街の様子に、軽く胸が高鳴りを覚えるのはこれからを期待してのことだろう。
八雲は、思う。
自身が敢えて尋ねなかった一つを。
それは、
(異邦人とはなにか)
ノルンとアティが驚きを以てこちらを認識した、異邦人、と言う者たちに対する認識と扱い。なによりノルンはこの世界には異世界人は存在するのだという認識があると言った。
果たしてそれがどのような意味を持つのか。
(全ては、あの街から始まるのだろう)
一行はノルネア・アリフステッドを目指して歩を進めた。