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Birth(9)

 ◆



 ――竜殺しの神楽。


 その始動。

 肩幅に開いていた両足を、すり足で半円ずらす。平行だった足はほぼ垂直の縦並びになり、地面には上弦・下弦の月のようなすり足の軌道が描かれている。

 両の手は人差し指と中指を並べ剣指を作り、描かれていない円の部分を宙でなぞり上げる。

 地と宙で結ばれた真円の内を立花の神楽では神域とする。

 左手を鯉口へ。右の手を眼前へ。

 右の剣指をもって九字を切れば、瞬間、真円の内側に円筒状の光が立ち上がる。

 それは緑光とも蒼光とも清廉にして清澄なる光。

 それを研ぎ澄まされた立花の心、その現れと知るものはこの場所に誰も居ない。

 理解するのは言葉を持たぬ立花の肉体のみ。それを操る八雲の意識にこの光に対する記憶は無い。

 だが、肉体と意識の主従が逆転している立花八雲の口は、言葉を紡ぐ。

 光射す神域のただ中での納刀。

 竜を前に行われる神楽。


「――立花流神楽・雪立が居合型の一、天津風あまつかぜが派生のひとつ」


 ◆


 竜は見た。

 己の牙を躱した敵が自身の懐にて何かしらの神秘を行うのを。

 それに関する知識を竜は持ち得ていない。

 この世界に存在する如何なる不思議にも不可思議にもその神秘は存在し得ない。

 竜は知っている。

 この世界が全てではないことを。

 世界とは、この世界以外にも数多存在しうる広大なる宇宙の一片に過ぎないことを。

 竜は故に理解する。

 

 ――この者は、異邦人だ。


 世界を異とするもの。他世界からの来訪者。世界とはその存在そのものが常識や法則が一定であるという範囲を保証するものである。

 その埒外から来た彼が行う神秘は、この世界の生物が推し量れるモノか否か。

 竜は知らない。

 己を吹き飛ばす魔法でも魔力でもない何かを竜は知り得ない。

 故に竜は警戒する。

 今行われる神秘が己の常識を遙かに超えた神秘であるということを。

 すなわちそれは――この竜をすら打倒する技である。その可能性を竜は警戒する。

 竜はこの世界における最強種である。

 竜族とは半身を幻想とする。人々が幻と信じた、有り得ない力(・・・・・・)を、信仰をその半身とする。

 その身が打倒されるとあれば、それはすなわち――世界が信じた最強に対する打倒に他ならない。

 現実ではない、非現実の打倒。限界を超えた幻想を超える一撃。

 竜は知る。

 かつてを知る。

 遙かな昔、この世界には、竜を打倒した存在がいたことを竜は知る。

 そして、その者もまた――異邦人であったことを竜は知る。

 竜は伸ばした首を引き戻した。

 光射す円筒状の神域の中、こちらを真直に射貫く視線がある。

 竜は思った。

 ――面白いと。

 竜は思った。

 ――懐かしいと。

 竜は思った。

 ――ならば、と。

 竜は実行した。


 「ぉ――――――ォォォオッ!」


 渾身の咆吼。玉響たまゆらの間に、世界全てをどよもさんとばかりに竜は吼えた。

 ――来るが良い。

 竜は思う。

 ――来るが良い異邦人よ。

 竜は思う。

 ――我が存在を、世界の幻想を超えられるというのであれば。

 竜は思う。

 ――その威を通して見せよ、異邦人ッ!

 竜は思う。

 ――為せねばその矮躯の一片残らず燃やし尽くそう。

 竜は思う。

 ――為したるその時には。

 竜は……思う。

 ――貴様こそが、この世界に現れた新たなる解答者(英雄)だ!


 ◆


 立花八雲は竜の咆吼を耳にした。

 右手を柄に、左手を鯉口にやっている今、それを防ぐ手立てはない。

 自然、鼓膜を震わせ三半規管に衝撃し平衡感覚に対する大きな打撃を八雲は無防備に受けた。

 だが、それを一向に気にしない。気にする余裕はない。気にする必要も無い。

 この神楽に後はない。この神楽の後はない。

 故に全力。故に渾身。

 この一刀の後にどちらが残るか、ただのそれだけ。その結果が全て。

 故に、この体に今、どれ程のダメージが与えられようと。

 例えどれ程、失血が酷く、今この時に立っているのが辛く膝を折りそうな程だとしても。

 この一刀。この一振り。

 それさえ出来れば、あらゆる一切は必要ない。

 鯉口に沿わせた左手親指を鍔へ掛ける。

 右手は柄の鍔元を握り、視線はそれ自体を鋭く竜を射貫くほどに。

 光射す神域のただ中で竜を前に行う神楽を今――告げる。


「――雷切らいぎり


 ――抜刀。

 鞘を滑った刀身は残光を残し一閃の煌めきそのものとなって宙を駆ける。

 逆袈裟(裏切上)の軌道を以て放たれたそれは、しかし如何に大太刀の刀身を以てしても届かない。

 踏み込みのないその一撃は、両者の距離を埋めることは出来ず、然して一刀は宙をただ駆けるのみ――それが常の剣理に則っていたならば、だが。


 ――神楽・雷切


 それは立花家の英雄たる立花道雪の『刀を以て雷を切った』という逸話に由来する神楽。その養子である立花宗茂が考案した居合型である天津風から放たれるこれは、逸話を糧としてひとつの意味を帯びるに至る。

 それは、雷切。稲妻を切るという意。

 雷――カミナリとはすなわち神鳴(カミナリ)。イカヅチとはすなわち厳ツ霊(イカヅチ)

 雷切りとはすなわち、神意もろともに(カミ)を切るという意。


 ――神楽・雷切とはすなわち、神祓いの刃に他ならない。


 空中を駆けた一刃は、しかし、その"空を切る”。文字通り空間の断絶。

 神祓いとは"存在し得ぬ存在を切る”と言う事。

 幻想・現実に対する一切の区別無くもろともに切断する妙技。

 立花八雲は知らないが――立花家とは彼が居た世界の荒御魂(アラミタマ)を払う一族である。その一族が得た神祓いの一撃は、空間すらも切り裂き、存在しないものすらも叩き切る奥義である。

 空を切った一刀の切断力は万物を切り取る一撃に他ならない。

 一撃は空間を断ち切ると、切断を阻む一切を払い前へと進む。

 決して到達し得ぬ刀身はしかし、不可視の刃となってその切断力のみを前方へ射出する。

 その射程は立花八雲の視界全て。

 八雲の瞳が神域から望みうるその全てが切断領域に他ならない。

 故に、振るわれたその一撃は一閃が描いた弧のなぞりのそのままに。

 

 ――万物の全てを切り払うために駆け抜けた。


 切断は刹那すらも切り裂き空間を奔る。

 一撃は竜に達し、雷切は宿した意を存分に発現し結果を示した。


 ――竜首の切断である。

 

  竜の首が、舞った。


 ◆

 

 駆けつけた少女は、その瞬間を目撃した。

 竜が森に叩き込まれてから数分。

 少女が全力で走るよりも遙かに早い竜と青年の疾走に追いつくだけでも時間がかかった。

 道すがらにみる死闘の痕跡。

 なぎ倒され、焼き払われた木々の先に彼はいた。

 光射す中で抜き放たれた一刀は、どのような術理に寄るのかその切断力だけを宙に奔らせた。

 竜の首が、飛んだ。

 先ほどの咆吼からの一転。耳が痛いほどの静寂が周囲を包む。

 竜の首が大地に落ちる音。

 それと同時に、残された体躯から膨大な血しぶきが上がった。

 血は真っ赤な雨となって大地に降り注ぐ。

 その中心に血を受け止めるように青年は立っている。

 少女はその時に魂の声を聞いた。

 潰えた竜の魂のその声を。


『彼が解答者だ、オリウタの姫巫女』


「――え?」


『精々、仲良く納得のいく答えを見つけ出すと良い――さらばだ』



 そう告げると、竜の魂は少女の胸元へ留まると須臾しゅゆの間に消え去った。

 その残り香を感じながら、少女は忘我の境で青年を見つめた。

 血の雨の中に立つ彼を。


(――彼が解答者?)


 それは特別な意味を持つ言葉だ。

 この世界に於いて、英雄と同意語か、それ以上の存在に他ならない。

 

(――彼が、私の?)


 そして、少女にとってもまた大きな意味を持つ言葉だ。

 解答者。オリウタの姫巫女。血の雨の中に立つ青年。それを見つめる自分。

 何かが、起ころうとしていると少女は漠然と感じた。

 何かが起こり、そして始まろうとしているのだと。

 血の雨が止んだ。静寂の後、ゆっくりと青年の体が後ろに倒れる。

 少女は駆けだしていた。

 青年の元へ、焼き払われ、血にまみれた大地を駆けていく。

 もしかしたら、と少女は思う。


(もしかしたら、こういうのを運命というのかも知れない)


 ◆


 八雲は焼き払われた大地の上に倒れた。どちゃりという水気を帯びた音は辺り一帯が血まみれだからだろう。

 もしかしたら、それは自分の血かも知れないなとどこか他人事のように思った。

 失血が酷い。肉体と意識の主従は元に戻っている。経験豊富な体に率いられていた万能感は残響すら残さずどこかに消え去り、今、残されている感覚は記憶という寄る辺のない立花八雲という意識だけだ。

 肉体はどこもかしこもぼろぼろで、全身の傷という傷から熱が流れ出でている。

 見上げた空から雪が降っていた。

 深々と音も無く降る雪。

 大地に横たわる自分すらもただ静かに覆い隠そうとしている。

 寒い、と。その時に初めて八雲は思った。

 周囲の気温は低く、冷たく。空は一面が灰色で圧しかかるような鈍さを持っている。

 自分の中には、先ほど舞った神楽の知識が漠然と蘇っている。

 あれは記憶が失われる前の自分が日々の努力の末に獲得したものであると、その知識が教えてくれている。

 だが、それ以外の記憶は依然として胡乱なままで、振り来る雪のようにその断片を掴むことすら覚束ない。

 もはや自分に関する記憶はどうしようもないことのように思えた。

 そして、こんなにも自分に関して不明極まりないというのに、いったい自分は何をやっているのか。

 満身創痍のままに竜と戦い、倒し。

 体力を使い果たし、今はここで静かに時を待っている。

 一体何をやっているのか。

 自嘲していると人の走る音が八雲の耳に聞こえた。

 ぬかるんだ大地を踏みしめる音だ。走ることに不慣れなのか、何度かつまづきが音に混じった。

 足音はやがて、こちらの傍らに止まる。

 ひざまずく音。

 こちらの手を取る小さな手の感触。

 瞳を向ければ、崖の上から見た少女がそこに居る。

 そういえば、と。今更ながらに八雲は思い出した。

 

(そういえば、理由ならばあったな)


 この少女を見て、助けたいと思って竜に挑んだのだったと。

 改めて落ち着いたところで見れば、今まで――その今までという記憶がどうしようもなく当てにならないのだが――見たことのない美しさをたたえた少女だった。

 蒼の色彩を薄くまとった髪は、薄暗い雪雲越しの陽光を浴びてなお、蒼色の燐光をまとって見える。こちらをのぞき込んで影になっているその肌は、降り落ちる雪を溶かし込んだかのよう。瞳は空のように透き通り、そのまなじりは透き通った印象のままに切れ長で透き通っている。

 少女は、こちらの手を握ったまま何かを言いたげに何度か口を開いては閉じている。

 しかし、何を言っていいものかと、口にする言葉を悩んでいる体でいる。

 当然だろうと八雲は思った。

 その気持ちはよく判る。お互いの間に関係性は全くないのだから。

 そんな赤の他人である瀕死の青年が、命を投げ出し竜に挑んだなど。

 そのようなことをする理由は微塵もないのだから。

 狂人に見えても仕方が無い。控えめに言っても単なる馬鹿だ。

 馬鹿に一体どのような言葉を掛けろというのか。

 だから、と言うわけでもないが。

 八雲はそれならそれに相応しい馬鹿をひとつ演じることにした。

 体の感覚は薄れ、このままどうしようもなさそうに思え、後腐れ無く少女に過ごして貰うために馬鹿が馬鹿しただけなのだと、そう思わせることにした。

 太陽は、残念ながら出ていなかったけれど。

 まぶしかった(綺麗だった)のは本当だから。


(だから――いいだろう?)


 と記憶の向う側にいる思い出せない誰かに言い訳をしながら。

 言った。


「太陽がまぶしかったから――」


 ――だから君を助けてしまったんだ。

 

 キョトン、とした少女の表情。

 無防備なそれにひとつの満足を得ながら、八雲は己の意識が沈んでいくのを確かに感じた。

 最後に、かすかな「ありがとう」という声を聞きながら。


                                    ――――Op Phase end.


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