Decline→Birth 第二稿版
こちらは第二稿版です。
どちらで読んでも現段階では齟齬が生まれないと思います。
また、両方読む必要もありませんので、基本的には片方だけで十分です。
今後の展開次第では片方、削除を行うかも知れませんがご了承ください。
夜天の下、大きな街がある。
巨大な城壁によって円形に囲まれた街だ。中央に大きな断崖を持っている。
崖によって二つに別けられた街は、上段の中央に城を持っている。
城壁都市だ。
周囲を雪原に囲まれた都市は上段のに大型の建築物が多く抱えている。城と教会を中心として施設と称するべき建築物が見受けられた。
対して、下段は居住区と商業区画といった趣のものが多い。
大通りを中心として、左方に居住区、右方に商業区画を置く街並みは人々の生活に即して住居の建て直しや、引っ越しが数多く行われているのだろう、上方に比べると雑多な印象の街並みが広がっている。
そんな街が、今は華やかな飾りに彩られている。
大通りには煌びやかな照明や夜店が建ち並び、商店の窓際にはイルミネーションの他にリースや紙細工によって飾られていた。
それらによって作り上げられる空気を祭りと呼ぶ。
城塞都市全体を覆うその雰囲気は楽しげで、今にも踊り出しそうな気配に満ちあふれているが、街には祭りを盛り上げるために最も大切なピースが欠けている。
住民だ。この街に住んでいる住民の姿が、街の中に一人も見当たらなかった。
どの住居も扉を閉め切り、窓には分厚いカーテンが降ろされている。
代わりに、閑散とした街を駆け回る無数の影があった。
兵士だ。
黒衣に身を包んだ兵士達が街中を忙しなく駆け回っている。
彼らは互いに連携し合い、何かを探しているのか、縦横に走る路地を網羅しようとしていた。
その中で、中央通りを駆ける兵士の一人が夜店の前に立ち止まった。
彼の前には腰丈の、深いワゴンがあり、中にはたくさんの袋が詰め込まれている。
どれもがかわいらしい赤いリボンや青いリボンでラッピングされており、大きな樹をあしらった絵が描かれていた。
兵士はワゴンの中身を見ると、手に担っていた剣を構え――突き入れた。
紙製の袋が破ける音が重なり、中身が砕ける硬質な音がそれを彩る。
剣は、ワゴンを突き抜け地面に突き当たった。
兵士はそれを無造作に引き抜く。
ばっと、ワゴンの中身が飛び散った。
振り返ること無く立ち去る兵士の背後、地面に落ちたそれは人形だ。
青年と少女、それと竜の木彫り人形が、雪の積もる地面に音も無く転がっている。
◆
足音がしなくなったのを確認してから、少女はゆっくりとワゴンの中から這いだした。
大通りの街並みに照らし出されるのは、毛皮をあしらったケープに身を包む小柄な姿だ。
緑色の燐光を纏う金色の長髪をなでつけると、髪に押さえつけられていた長い耳がピンと飛び出した。
同時に、自分の上に覆い被さっていた商品もワゴンの外へと転げ落ちる。
少女は、ごめんなさい、と口にしながらそれを元に戻すことなく駆け出す。
死ぬかとおもった、と少女は呟いた。続いて零れたのはどうして、と言う疑問だ。
隠れていた露店の裏に回り、平時は商店街として機能している建物の影から影へと飛びうるように移動していく。
店頭に出されている看板や、店の裏口に置かれたゴミ箱に隠れながら、そっと表通りを確認すれば時折、兵士が駆け抜けているのが目に入った。
その様子を見て、少女は再びどうしてと疑問に思う。
そっと右手の触れた先。ケープの下にある衣服のポケットには紙の袋に包まれた小さなストラップが収められている。
その形から大きさ、さらには素材やそれを作るのにかかった材料費まで少女には把握出来ていた。
当然だ、これを作るために入念なチェックを重ね、さらには学友に根掘り葉掘り尋ねまわって自身で作り上げた渾身の一作なのだから。
情報収集に一週間をかけ、製作に一月以上の時間を費やした。
そのための時間、一つ一つが少女にとっての人生に等しい重みを持ち、十年と少ししか経験していない記憶の中でも最大級の気合いも思いもこもってる。
今日は祭りだ。それも四年に一度の特別な。物をプレゼントするには絶好の機会で、特別な意味を込めたって、祭りだからとごまかしの利く素晴らしい一日だ。
少女には一人の親友が居た。もっとも、向こうが今もそう思ってくれているかどうかについては、少女にとって二ヶ月前から頭痛の種であったが、少女にとって唯一無二の親友である。
少女がポケットに仕舞い込んでいたそれは、仲直りのきっかけに用意したプレゼントだった。
待ち合わせの時、そっと彼女の机に忍ばせた手紙の文面だって一語一句全部覚えている。
場所はなじみの喫茶店前。時刻は祭りが一番盛り上がる時刻から二時間ほど前へとずらした。
「その待ち合わせの時間よりも更に一時間早く現場について露天を眺めてたら寒くなってきて、さすがに先走ったかなって喫茶店に入ったのが約束の三十分前。それで少しトイレに立って戻ってきたら……」
既に外では騒動が始まっていた。
少女の記憶の中、再生されるのは大通りを兵士達によって自宅に戻される人々の波だ。
喫茶店の中には既に店員は誰も居らず、がらんとした店舗の入り口を、がたいのいい兵士の背中が塞いでいた。
物言わぬその背中がどうしようもなく怖くて外に出られず。事態を把握する前に、気が付けば表通りから一般人は消え去っていた。
喫茶店内に隠れていた少女が外に出ると、兵士が市中を駆け回りながら何かを探しているようで。
「思わず、ワゴンの中に隠れて……」
死にそうな目に遭ってから、今に至る。
どうして、という疑問が胸中に渦巻き続けている。どうしてこんなことになってしまったのか、と。
しかし、少女は首を横に振った。
それより一刻も早くこの場から逃げ出さなければいけない。
影から影へ、普段はコンプレックスになっている小柄な身体を最大限に利用して大通りを縦断すれば、住み慣れた住居区へ残すところ橋が一つ。
だが、橋には手すり以外に自分の身体を隠す遮蔽物が一切無い。
河の全幅は優に五百メートルはある。
運動に自信は無い。
少女の思い出せる限りにおいて、百メートル走の記録は常にクラスの中でも後ろから数えた方が早かった。
小柄だから一歩一歩が短いと馬鹿にされた記憶が蘇りかけ、途端に頭を振ってそれを阻止する。
度胸と、火事場の馬鹿力。女にはそれがあると、かつての親友が自分に告げた。
あれは友人間での恋バナで言われたことだった気もするけれど、人生の一大事という意味で比重的には間違ってないはず。
少女は素早く周囲を確認し、兵士の姿が見当たらないと思うやいなや、えいやとばかりに橋へと駆けだした。
一歩、二歩は慎重に。三歩からは強く地面を蹴り、四歩目からは全力で。
姿勢は、自分の肩ほどの高さしかない手すりに隠れるように低く保つ。
自然と身体は傾いていき、走れ、急げと身体を前へ。
自分の呼吸も、身体の疲れも、先ほどまでの悩みだって気にならない。
今まで感じたことも無いような速さで、全力の疾走を行う。
だが橋の半ばまで来たところで、少女は背中に熱を感じた。
驚きに姿勢を崩し、転びかけた身体を慌てて立て直す。
折りたたまれていた身体を跳ね上げつつ、背後を見れば目が眩むほどの光がある。
巡回の兵士が照らす光源球だ。魔術によって作り出されたそれがこちらを捕捉している。
――見つかった、と思う前に身体は再び走り出していた。
だが、一歩目を踏み込んだ瞬間に、少女はカシャリという音を耳にした。
瞳だけで視線をやれば、雪の降り積もった橋の上、見慣れた包装紙が転がっている。
駄目だ、と咄嗟の言葉が脳裏を駆けた。
それがどちらを意味していたのか少女には分からない。
ただ、身体は勝手に反射の動きを見せていた。
踏み出した右足の足首を強引にスライドさせ、九十度曲げる。
身体は視線の先へ重心をズラし、姿勢を後傾させれば瞬間の一歩は雪面を滑るブレーキに切り替わる。
だが勢いは止まらない。殺しきれないそれに引きずられるように、右足だけが流れていく。
必然として訪れるのは転倒だ。完全に重心と姿勢の崩れた身体は雪の上にうつむけに倒れる。
だが、少女が伸ばした右腕は地面に落ちた包装紙をしっかりと手にした。
触れた瞬間に、急いで胸元にかき寄せる。
急いで視線を巡らせれば、幸いなことに傷も破れも見当たらない。
ほっと一息ついた少女だったが、顔を上げて目の前に迫る兵士を視界に収めた。
振りかぶられ、煌めきを放つのは磨き上げられた剣に違いあるまい。
やられる、と少女は思った。
これを逃れるのは例え姿勢が満足な状態であっても敵うまい、と。
だから少女はできうる限りに庇った。
身を前に倒し、手を両肩に回し、腕を強く胸元に寄せる。
それによって庇われるのは、包装紙に包まれたプレゼントだ。
――これだけは、傷つけさせはしない。
だってこれは、仲直りのために絶対に、絶対に必要な物なのだ。
人生の中で、これほど大切な想いを抱えたのは初めてだったのだ。
そのための一月、そのための準備。親友と笑い会う日々を再び手にするために全てを費やしたのだ。
考えもしたし、悩みもした。積み重なったそれらがこのプレゼントには込められている。
だから、これだけは絶対に傷つけさせはしない、と少女は決意した。
もうダメかも知れない、死ぬかも知れない。剣が身体を貫き、血が噴き出すだろう。
それでも――。
剣が、風を切る音がした。
◆
「えっ……」
少女が顔を上げれば、眼前で火花が散った。
振るわれた剣が、高速で振り上げられる見たことも無い形をした刃によって退けられる。
なんだろうか、この光景は――少女は疑問する。
視界を覆う物が背後から、来た。
白の色彩が翻る。
追随するのは布のこすれる音。
扇状に展開したそれはコートの裾だ。
舞い上がったものが落ちると、少女は一つの背中を見た。
少し長めの黒髪をなびかせ、刃を振り上げた青年の背中。
見上げたところにある彼の横顔。
その鋭い眼光の先には、体勢を崩しながら後退する兵士の姿がある。
何が起こっているのだろうか――少女には分からない。
急転する状況に頭はまったく追いつかない。
ただ危機的状況を把握していた心だけが、正しく今を認識していた。
青年が、鋭い眼光を兵士から外し、一瞬だけ少女を向いた。
その横顔を見上げていたそれと、自然、視線がかち合う。
瞬間――その瞳がふっと和らいだのを少女は見た。
「まっ――」
待って、という言葉が口から零れる前に、青年は強く一歩を踏み込んでいた。
兵士へと斬りかかり、少女とは真逆の橋の向こうへと追いやっていく。
少女が呆然と流れている間に、その背中は小さくなった。
救われたという思いが、少女の心にはあった。
命だけでは無い、彼女の大切な想いも含めて。
遠く、離れていくその背中と戦いの喧噪を暫く見つめてから少女は立ち上がった。
身体にケガは無い。
青年に礼を言いたいという欲が少女の胸中をかき乱す。
だが、それを抑えて少女は彼とは逆の住宅街の方へと走り出した。
自分が青年の背中を追いかけて行ったところで何の役にも立たないのは、己が一番よく把握している。
――だから恩に報いる為にも、無事に帰らなくちゃ。
我が儘かも知れないし、誰かになじられるかも知れない。
現に、この行いを知る自分が自分を一番怒ってる。
それでも、少女は後を追いかけるわけにはいかないのだ。
だから少女は、それっきり背後を振り返ること無く一心不乱に走った。
橋を渡りきり、住宅街を駆け抜けた。
家まではすぐそこだ。走れば一分だってかからない――それ故に、少女は気が付かなかった。
彼女が先ほどまで蹲っていた地面の真横、青年が立っていた場所には赤い雫があったことに。
彼の羽織っていたコートが純白では無く、赤い染みをいくつも作っていたことに。
彼がまったく強くなく、弱さの中でもがき、戦っているその事実に。
少女は気づかず、ただ伝えられぬ感謝を抱えて走った。
――ああいう人を、ヒーローっていうのかな。
少女の脳裏には、刹那に見た光景が焼き付いて、離れない。
◆
「救えただろうか――」
青年は刀を袈裟に振るいつつ、胸中に呟いた。
斬撃は兵士の剣に軽々と受け止められ、その姿勢を崩すことすら出来ない。
ただ、突進の勢いによって兵士は後退を重ねている。それだけだ。
その勢いも橋を渡りきったところで止められる。
青年と兵士はそこで向かい合い、剣と刀を互いに構え直した。
「貴様が、異邦人タチバナヤクモか」
黒衣の兵士の問いかけに青年――八雲は頷きを返す。
「そうだな。自分が八雲だ」
「貴様、何をのうのうと……ッ!」
兵士が荒立たしく叫びを上げた。
「世界を滅ぼす諸悪の根源が!」
しかし、罵りをぶつけられた八雲は方を軽く竦めた。
「そう言われてもな」
刀を握り、ゆっくりと構えを変える。
切っ先は背後へ、低く地面に擦る寸前まで下げられたそれは地摺り八双の型。
脇構えの変形とも言えるそれは、正面から見たら刀身の長さを把握しづらい。
また、視界を著しく遮る兜の中、兵士からすれば下段は死角の位置にある。
警戒し、一歩退く兵士に対して八雲は告げる。
「俺は自分のことすらよく判らない」
言葉を紡ぎながら、八雲は兵士の動きに追随した。
左足に力を込め、右足を一歩前へ。
「この世界のことだって知りもしない」
引き寄せた左足でもう一度、今度は強く締めを蹴り出せば、それは高速の踏み込みとなる。
「だが――ッ!」
肉迫は一瞬の間に。振り上げられた刀は弧を逆さまに描き駆け上る。
兵士は反射の動きを見せた。背の筋肉で頭を反らせば、強引なヘッドスリップとなる。
剣先は兵士の兜だけを切り裂き、しかしそれ以外には届かない。
八雲は姿勢を半ば崩した相手が、腕の動きだけで剣を構えなおしたのを見た。
剣身を真横に。崩れた身体を相手が左へ回転させれば、がら空きの胴を狙ったなぎ払いが来る。
対して八雲は一つの判断を行った。
一つは更に踏み込みを一個重ねること。
もう一つは衝撃に備える心構えだ。
剣速よりも早く為されたそれは一つの結果を生んだ。
相手との衝突と、なぎ払われた腕による脇腹への打撃がそれだ。
衝撃が、腹部に刻まれた刺し傷の真上に走る。
「ッ――――だがッ!」
走った激痛に上がりかけた悲鳴を、八雲は叫びで強引にかき消した。
肩からぶち当たり、兵士を吹き飛ばす。
今度こそ、体勢を崩した兵士を目の前に、八雲は再度の踏み込みを入れた。
刀は上段。剣身は背後へと向けられた振りかぶりの体勢だ。
「護りたいものならばある――ッ!」
刀を振り下ろす――だが、それは兵士の身に纏う鎧を前に火花を上げるだけだ。
倒すにはほど遠く、その表面に傷をつけたに過ぎない一撃。
哀しいほどに弱く、貧弱で、無力な一撃。
しかし、八雲は再度、返す刀で切り上げた。
「護りたい人がいる――ッ!」
刀は鎧の表面をなぞり上げ、火花を上げながら奔った。
切っ先は兵士の頭部へ迫り、しかしそこで不可視の障壁に阻まれる。
――魔術だ。姿勢を崩した兵士の指先、うっすらと輝く光がある。
砕けた兜から覗ける兵士の口元がニヤリと笑みを作った。
倒れようとしていた兵士が堪え、剣を握り直した。
しかし、八雲はそれを無視して、
「そのためならば俺は――」
頭上高く掲げた剣を、背中深くに溜め込んだ。
刀身が刹那、強い輝きを放つ。
「あらゆる可能性だって、否定してみせる!」
刀が奔った。握り直された兵士の剣はそれを受け止めるために、真横に掲げられ、しかし、
「――それが世界を滅ぼすことになろうともだ!」
半ばから鎧もろともに砕かれた。
兵士の身体を突き抜けるのは斬撃では無く強烈な打撃。
黒衣ごと宙を舞った兵士は暫くの滞空の後、水しぶきと共に川へと叩き込まれた。
その様子を暫く眺め、気を失った兵士が浮かび上がってきたのを見てから八雲は、街の中央にある教会を見た。
視線の先、教会を隔てたその先に城があり、そこに戦う理由がある。
腹部で熱を持つ傷を抑えて、八雲は走り出した。
◆
事の始まりは、半月前に遡る――