ガンやねん~いつかくるその日まで。~
それは、大学二回生の頃だった。
テレビの中の話、本の中の話、他人の話。それが、現実に起きた。
その日も、家から大学へ通うわたしは、家族といつものように晩御飯の時間を迎え、衝撃の発言を聞いた。
「父さん、入院すんねん」
と、明日の晩御飯はカレーよというくらいに、母さんの口調は軽かった。
我が家の定番、根野菜の煮物を口にしていたわたしは思わずむせた。むせるわたしの背を祖母が叩きながら、母はなおも軽い口調で爆弾を投下する。
「ガンやねん」
と、日本国内の病死原因トップの名前を口にした。
「ガンやねん」
と、いとも軽く、ガンの中でも、お酒とタバコと長い間ずっと仲良くしたら発症率が上がるガンの名をあげた。そのガンのせいで、ついに入院することになったらしい。まずは様子見で一ヶ月。
「…………」
医学部ではないけれど、カリキュラムに医学の初期の学問を必修に組み込まれた学科に通うわたしは、中途半端にガンの知識があった。その知識が、次から次へとわたしに現実を教える。
父の体を蝕むのは、進行性の早い、薬が治療に追い付いてもすぐにガンが追い越す、まさに薬とガンのいたちごっこのガン。いい薬が開発されても、すぐにガン細胞が耐性をつけてしまうのだ。講義で、そう現役医師の講師が語るのを聞いたことがある。
「エイプリルフールちゃうやん」
と、わたしはお馬鹿さんな発言をした。案の定、母の平手が額へ見回れた。
「あほ。んなわけあるかい。そんなんやったら父さん苦しんどらんわ」
という母さんの隣で父さんが頷く。あなたが発言しようよ、自分のことやねんからと私は心の中で突っ込んだ。
父さんは、いつものように菜っぱのお浸しを口にして、大相撲を見ていた。当事者なのに、我関せずの態度は、悟っているのかいないのかよくわからなかった。昔から、父さんは、バイクに乗ってた自分が正面衝突事故でトラックに跳ね飛ばされても、怪我したわと血だらけでむくりと起き上がり運転手を別の意味で戦慄させるような人だった。娘の卒業式も、母が感動から泣いた横で「あ、うん」ですまし、娘の大学入試が合格だと知らされたときも、歓喜する母の横で「あ、うん」だった。そんな父だった。そんな父は、自分のガンの告知も母の隣で「あ、うん」だった。
「父さん、あんたが生まれる前からガンの原因になった病気に苦しんどるんやで」
と、またしても母が重要なことを軽く爆弾発言。あんたら夫婦でなんでシリアスな内容を軽く流すねんと、わたしは突っ込んだ。もちろん、母の平手が飛んでくるから心の中で。
「せやからね、お酒とタバコちゃうからね」
父のガンの発症は、父が若い頃から、娘に隠して闘病していた病気の行き着く先、だった。だから、父はわかっていたという。いつか、いつか来ると。だから、涙もろく感動屋な母も覚悟はできていた。だから、夫婦は軽かった。
「お父ちゃん、そんでええの」
「なるようになるさ」
と、月に二回か三回しか発言しない父が返答した。
「だから、あんたも暗い顔をしたらあかん。普通でいろ、普通で」
と、父は大相撲を見ながらそういった。
とんでもない爆弾発言で開幕した父のガン宣告日から数年。父は仕事を続けながら、相変わらず「あ、うん」な調子で闘病生活を送る。薬もガン細胞といたちごっこだったけど、つい先日ガン細胞が勝利を得てしまった。この国でガン細胞に勝つ方法がなくなった。手術も、体内のガン細胞を焼くだけだから、完治とは程遠い。だから薬と平行して行っていたのに。
なのに、父は相変わらず、「あ、うん」な闘病生活。テレビの中で過酷な闘病生活を送る同病患者に申し訳がなくなる父の闘病生活。
そして。
ついに、宣告された。今までなされても延びきって逃げ切っていたなあなあの余命宣告が、ついに真面目に余命宣告された日が来た。
ガンと診断された日にもなされていた余命宣告。でもいたちごっこな現状維持が続いていたから、余命宣告が度々なされてもなんだかんだいって、なあなあですんでいた。
いたちごっこに負けたから、日本の最先端医療がガンに負けたその日。ついに、あと2年と言われた。
気丈に軽く振る舞っていた涙もろい母さんが、大泣きした。私は、急いで結婚した。
でも父は相変わらずで。
きっと、いつかくるその日まで、父はそうなんだろう。
次の入院が最後の入院。いつかくるその日まで。
いつか父さんが感情を、心境を話す日がくるのだろうか。
その日が来たら、慣れない会話で話す父を労おうと思う。
だから、お父ちゃん、死んでくれるなよ。孫の顔を見るまで。
実話です。現在も父は相変わらず、「あ、うん」です。全く暗くない闘病生活です。誤字脱字感想、おまちしてます。ガンに対する父の意見と姿勢は、あくまで父本人の個人の意見と感想と価値観ですので、その辺だけは避けてやってください。
※8月29日、骨に転移しました………。ついに、今度こそ………余命半年となりました。
がんばれ、父。最期までまけるな、父。