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 つい先程まで見せていた笑顔はどこに行ったのか。

 穂花達が乗った最後部の車両には、二人の先客がいた。一人は岸辺のように、ブレザーのボタンを全開にし、ネクタイをよれよれにさせてナルシスト臭を漂わせる男子高校生。そしてもう一人はその少年の彼女と思しき眼鏡をかけた長髪の女子高校生。

 どうやらこの二人と気が合わなかったらしい。電車内で、千秋は空いた席に附くと、つまらなさそうな顔をして、ほとんど喋ることはなかった。走行中、千秋が―露骨に怒りを顔に出して―言葉を発したのは、車内で乳繰り合っていた高校生カップルが、春眠橋駅から四駅進んだ山鳴駅で降りていき、穂花に『あの二人、仲良かったね』と同意を求められた時だけだった。

『発情期なんだろ。場所を選ばずまさぐり合うなんて、ある一点だけを比べれば、どっかの歩けなくなった馬鹿(間宮)より気持悪いよ』

 普段温厚な千秋は、滅多に怒ることはない。但し、性的な暴言を吐かれたと彼自身が判断した時は例外。

 穂花は前に千秋を女の子のように扱い、怒られたことがあるので、彼が高校生カップルに性別や容姿について、何らかの形でけなされたのではないかと推測した。

 千秋は目的の奏泉駅に着き、電車から降りると、鋭くなっていた目付きは和らぎ、多少怒りの炎を沈めたようだった。が、隣りの車両で穂花の出方を窺っていた岸辺と駅のホームで対峙するや否や『ついて来ても無駄だよ』と、穂花には心強い言葉をさも迷惑そうに、彼に言い放った。

 解ったらさっさと帰れ。穂花は心の中で千秋に便乗し、岸辺の前を通る時だけ目を瞑る。岸辺には、電車を降りた時に、明らかに千秋の声が届いていたが、彼は何食わぬ顔で、横を通り過ぎる二人を黙って見送った。

 ぱたぱたぱた……。

 階段を降りながら、穂花は背後から聞こえてくる足音にうんざりさせられる。

 折角千秋が忠告したのに、まだまだ懲りないらしい。どうしてこんなにも彼はしつこいのだろうか。あの愛美ですら、千秋に振られたら潔く彼への思いを断ち切ったというのに……。

 一昨年の十一月下旬、サングラスの男の正体が千秋だと知ってから、穂花は彼に無視されるようになり、当時同級生だった大橋愛美から陰湿ないじめを受けることはなくなった。異性に無関心で人嫌いだった千秋と、唯一親しかったことと、愛美が彼に好意を抱いているから暴力を振るわれるのは、穂花も苛められている時から気付いていた。それでも穂花は自分と似たような過去を持つ千秋の傍にいたかった。誰も解ってくれない間宮に与えられた苦しみも、彼なら理解してくれると確信していた。だからこそ、愛美に乱暴されても苦痛に耐えることができた。しかし、穂花がサングラスの男の正体を知り得た途端、千秋は彼女を邪険に扱い、不良グループのリーダーである愛美へと近付いていった。

 その後、二人がどのような道を辿り、別離したのか、穂花は詳しくは知らない。ただ、解っているのは、千秋が愛美と付き合い始めてすぐに、彼女に『穂花を苛めないでください』と懇願したらしいということだけだ。千秋に拒絶されたと思い込み、落ち込んでいた頃の穂花は、それを愛美本人の口から聞いた時、半信半疑であった。しかし、今は確信している。あの言葉は間違いなく千秋の口から出た言葉なのだと。

 長い階段を降りきり、前方に改札口が迫ってくると、千秋はずっと繋いだままの穂花の手から、そっと右手を離した。

 え……?何で……?

 ちょっと前まで夢のような思い出に浸っていたので、千秋は財布を取り出す為に手を離しただけなのだが、彼に酷く冷たく扱われた気がして、穂花は慌てて力一杯彼の右手を掴んだ。

「痛ぁ。急に何するんだよ」

 改札口の前で立ち止まり、千秋は目に涙を浮かべて抗議の声を上げた。

「千秋が手を離すからでしょ」

 穂花も少し遅れて千秋の横に立ち止まる。

「財布を取り出しただけだろ?改札口が見えないのかよ、穂花。あまり惚けてばかりいると、呆れられるよ、見てる人に」

「『見てる人』って誰のこと?」

 穂花は千秋に説明されて、自分の失態に気付いたが、素直に謝ることもできず、怒ったような顔をして尋ねた。

「見てる人は見てる人だよ」

 千秋は穂花の後方に冷たい視線を送る。その先に岸辺がいることに、千秋を凝視している穂花は気付かない。結果、馬鹿にされたと勘違いし、いきり立つ。

「何それ。時折千秋って訳解んないこと言うよね」

「穂花に言われたくないよ」

「私だって千秋にだけは言われたくない」

「あぁ、そう。解ったから早く手を離してくれないかな。穂花の馬鹿力で右手が骨折しそうだよ」

「……ばか千秋。どうせ冗談言うならもっと面白いこと言いなよ」

 穂花は千秋の発言に多少のショックを受けて、左手の力を抜いた。

 馬鹿力で右手が骨折?それは私の力が強いんじゃなくて、千秋の体が精神と同じくらい脆いからでしょ。

 思い浮かんだ言葉をそのまま口にしようとすると、心の中で罪悪感が湧き始めた。

 口喧嘩するつもりなんてなかったのに。私、何てこと考えているんだろ。穂花は感情の源泉を中々見つけられず、後ろめたい心地になり、千秋から目を逸らした。

 千秋は穂花の心境も知らず、一人で改札口を通り抜ける。少し歩いてから左右に目をやると、彼女が横にいないことに気付いたのか、足を止め、体を後ろに向けた。

 穂花は一瞬千秋と目が合った。

 千秋の双眸は、大きく開かれ、純粋に『どうしたの?』と訴えていた。

 どうしたの……か。鈍感な性格というのは羨ましいものだ。

 窓口の傍に立つ駅員に、心配そうに見守れる中、穂花は俯きがちに、先程の千秋が浮かべていた涙とは別の色のそれを目に浮かべ、一人寂しく改札口を通り抜けた。

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