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 漢字の凸を連想させる、近辺の大学病院並みに大きい、彼の運送会社の横道を抜け、

穂花と千秋は両脇を民家に固められた、トラックが一台通れるか通れないかくらいの狭い私道を歩いていた。

 ここから十分ほど歩けば、今日二人が卒業した高校から二番目に近い春眠橋駅に着くことができる。

 学校から十分近く歩き、あと少しで駅に辿り着くという時に、穂花は千秋に怒ったような顔を向けていた。

 二人の後方二十メートルの地点からは、二人が喧嘩しているようにしか見えないし、実際岸辺悟はそのように状況を判断した。

 良いぞ。もっと喧嘩しろ。喧嘩して穂花ちゃんから嫌われろ。

 真実は見た目とは若干異なるのだが、そんなことも知らずに岸辺は二人の尾行を続ける。彼の信念は『しつこく攻め続けてヤれない女はいない』。ブレザーのボタンを全て開け、ワイシャツをだらしなく着こなし、上履きの踵を踏んで歩く彼の姿は傍から見れば滑稽で、見ている側が恥ずかしくなるような幼稚な格好だ。それをかっこいいと思っている本人の能はといえば、やはり服装から解るように、決して高くはない。しかし、能が無いという訳でもなかった。

 岸辺はある考えのもと、堂々と隠れることなく穂花の跡をつけていた。が、岸辺の能はどちらかと云えば低いようだ。千秋とは高校二年生の頃に、一年間クラスが同じで、彼が悪事の本質を見抜くことに長けているのは岸辺にも解っていた筈だ。

 自分の策に溺れ、千秋の鋭敏な頭脳を認めなかったが為に、この時点で既に千秋に計画を看破されていることに、岸辺はまだ気付いていなかった。



「で、どうする?岸辺が跡をつけて来てるけど」

 え、岸辺が……?穂花はぎょっとして、反射的に振り返った。しかし、視線の先を千秋が手に持った紙袋で遮った為、岸辺の姿を確認することはできなかった。

「後ろ向いたら岸辺に、気付いていることに気付かれるよ」

 千秋に指摘され、穂花は仕方なく前を向いた。

「……いつからつけてたの?」

「学校の近くで絡んできた後からずっとじゃないかな。八百屋の傍を歩いている時には既に後方にいたし……」

 穂花の記憶が正しければ、千秋は校門を出てから一度も後ろを向いていない。どのようにして岸辺が跡をつけていることを知ったのかは解らないが、千秋が嘘を吐いているようには思えないので、とりあえず穂花は問題の解決より先に、現在の気持をストレートに彼にぶつけることにした。

「気付いていたのならどうして私に言わなかったの?」

「たまたま帰り道が同じだったのかと思ってさ……。でも、違ったみたいだね」

「当たり前でしょ!これからどうするの!」

「どうして怒るの?何か変なこと言った?」

 穂花に大声を出され、千秋は本気で困惑しているようだ。

 千秋がどこか抜けた発言をするのも、惚けたふりをするのも、別段珍しいことではない。穂花は譲歩して抗議することを諦め、かつてサングラスの男を捕まえようとした時の単純な方法(跡をつけ始めてから十分、二十分後にストーカーを捕まえて通報する)で岸辺を警察に突き出せば良いのではないかと千秋に意見を求めた。が、千秋は穂花の(元々は千秋の)案をあっさり棄却し、小さく溜め息を吐いた。

「今日はそれでは駄目だよ。穂花」

「何がどう駄目なの?」

「岸辺は隠れることなく堂々と見つけて下さいと言わんばかりに道のど真ん中を歩いているんだ」

「それが何か問題あるの?」

「少し考えれば解るよ。僕も穂花も岸辺も、今は学校の制服を着ている。この状態で110番、もしくは駅前の交番で『岸辺という男が跡をつけて来るので助けて下さい』って言って警察が動いてくれると思う?」

 穂花は千秋の話を聞いて、自分の意見の誤りに気付き、黙って首を振った。

「警察に助けを求めても、学生同士の喧嘩だと思われるだけだろうね。岸辺が黒いコートに黒いサングラスでも身に着けていれば違ったかもしれないけど、僕が岸辺の服装や跡をつけていることに勘付いた時点で、僕達は何か条件を満たさないと助けてくれない大人達の信用を失った訳だ」

 それは穂花にとっては半ば絶望的な状況だったが、千秋は自分には直接関係ないからなのか、楽しそうに笑みさえ浮かべていた。

「仮に僕も穂花も警察に嘘を吐いて『誰かが跡をつけて来る』と曖昧な表現で助けを求めて、それで警察が動いて、推理小説に出てくる探偵のように見事に岸辺を捕まえてくれたとしても、岸辺は『女を奪われて復讐しようと思った』とか何とか言って警察を欺いて、その場で口で叱られ、刑罰を受けることなく野放しにされるのがオチだよ。岸辺にとっては、穂花の跡をつけていることを知られようと知られまいと不利益なんてないんだ。確実に穂花をつけるのに、隠れながら歩くのは見失う危険性があるからデメリットですらある。あいつ、ちゃんと考えてつけて来ているみたいだね」

 穂花は背後に岸辺の気配を感じ、ぞっとして震える左手で千秋の右腕を掴んだ。体が触れたことによって、抗議の声を浴びせられると思ったが、知り合ったばかりの頃の面影もなく、千秋は顔を顰めることなく平然としていた。

 この人なら何があっても私を助けてくれる……。

 家族でもないのに、自分に下心を見せない千秋に触れていると、穂花は次第に落ち着きを取り戻していった。

「でも、本当に警察は助けてくれないかな」

 穂花が申し訳なさそうにぼそっと呟くと、千秋は彼女を見て苦笑した

「例えば穂花が、期末テストがあるのにテストの五日前になるまで勉強をさぼっていたとする」

「失礼なこと言うね、千秋」

 穂花はむっとして千秋の腕から手を離した。つい先程まで千秋に抱いていた、光り輝く淡い恋心は、彼の悪意ある例えによって、一瞬にして霧散した。

「例えばの話。そんな状態で期末テストの三日前に世界史のテストの出題範囲が広くなったら、穂花はどう思う?」

「うげぇとか、最悪とか?」

「要するに『うげぇ』とか『最悪』ってどういうこと?」

 千秋は馬鹿にしたように穂花の口調を真似し、大袈裟な身振り手振りまで加えて彼女に尋ねた。

「つまり、面倒臭いってことではないでしょうか、千秋大先生!」

 どちらかと言えば、ぎりぎりになって勉強するのは千秋のほうなのに。穂花が怒りを込めて付けた『大先生』という皮肉は、千秋に明らかに届いた筈なのだが、彼にはダメージを受けた様子がまるでなかった。

 んぐぅ!千秋いぃぃ!この女の敵めえぇぇ。

「そうそう、それ。『面倒臭い』って気持」

 穂花が闘志を燃やし、暴言を吐く前に、千秋は幼子をあやすような優しい声で言葉を紡いだ。

「例えば、今の話に出てきた『テスト』が学年末のテストだったとして、それまでの中間、期末の世界史のテストで、穂花が必死に勉強して、努力が実り、全て百点満点取っていたら、追試の心配も無いし、わざわざ真面目に広範囲になったテストの勉強なんてするかなぁ?」

 百点満点?全てのテストで?名誉より食欲を優先するこの私が?そんなことできる訳がない。でも褒められて悪い気はしない。穂花は満面の笑みを浮かべて千秋の質問に答えた。

「しないだろうね」

 すると、千秋も笑顔で言葉を返した。

「そうだろうね。だらしないもんね」

「千秋、次馬鹿にしたら私本当に……」

 千秋は顔を紅潮させている穂花を無視して話を続けた。

「警察もさ、ガキ同士の喧嘩とか、止めても止めなくても不利益にならないことは面倒臭いからわざわざしないんだ。ただでさえ受験勉強で忙しいのに、テスト範囲が広くなって、成績を落とす訳にもいかないから勉強するけど、大好きな人とも遊びたいし、わざわざ弟の世話なんてやってられないよ、みたいな学生と、同じようなものだよ。警察だって、所詮人間なんだから、自分のことばかり考えていて、だらしないんだ。わざわざ助けてなんか、くれないよ」

 千秋の話はいつも奇妙でどことなく歪だった。しかし、単純に千秋に好意を抱いているからなのか、決まって彼の言葉には人を納得させる何か特殊な力が感じられた。だからこそ、穂花は意地悪されても千秋のことを憎めない。彼のすることには何か意味がある。そう思い、自然と彼の意見に同意してしまう。

 この時もまた、穂花は千秋の話に黙って頷いた。

 少し卑屈な気もするが、確かに千秋の言う通りだ。警察を過信してはいけない。警察は神様ではないのだ。過去に、千秋が無視されたように、助けを求めたからといって、大人に手を差し伸べても、必ず助けてもらえるとは限らない。みゆきがそうであったように……。

 穂花の中で、小学生だった頃の苦い記憶が蘇りつつあった。

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