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 それにしても遠山千秋という人間は霧のように掴みどころのない人間だ。

 ある時はストーカーで、ある時は意地悪で、嫌な人だと思えば天使のように優しくしてくれる。技術や美術が好きかと思えばそんなことはないし、一体彼は何を考え、何に生きがいを感じているのだろうか。

 スーラの絵から目を背け、穂花は千秋に遠まわしに尋ねてみることにした。

「ねぇ、千秋の趣味って何なの?」

 聞いた直後に『高校生の制服を集めること』と返答されたらどうしようかと持ったが、杞憂に終わった。

「僕の趣味?やっぱり護身に関する勉強かな。僕は筋肉が付きにくい体質みたいだから、合気柔術の本を読んで真似してみたりとか、たまにしてるよ」

 なるほど。確かに千秋は護身について並並ならぬ知識を有している。いつの日か、スタンガンを所持していると話していたこともあるので、もしかしたら机の中は護身用具で溢れているのかもしれない。

 穂花が俯き、安堵していると、千秋は彼女の横に座り、中空を見つめ、付け加えるようにぼそっと呟いた。

「中学の頃は、女装願望があったけどね」

 岸辺が聞いたら喜びそうな発言を、穂花は毅然として受け止めた。

 今から約八年前、千秋は間宮×流に犯された。穂花の知る限り、この界隈で間宮の性癖に巻き込まれた少年は彼一人。

 穂花が間宮にレイプされたばかりの頃、彼女は暑い日でも肌が露出することに抵抗感があり、丈の短い服を着ることができなくなり、中学の頃、制服でスカートを着用するのに異常な嫌悪感があったように、千秋も性に対する感覚が狂っていた時期があるようだ。

「ふぅん……。そうなんだ」

 穂花が曖昧に頷くと、千秋は『そんな話どうでも良いか』と言って、机の上に置かれた紙袋から『祝』と書かれた白い箱を取り出した。

「穂花、これ食べよっか」

「あ、それお菓子って言ってたよね。どんなお菓子なのかな」

「何だろうね」

 再度、穂花の横に座り、千秋が白い箱を開ける。真っ暗闇の中に閉じ込められていたのは丸い、白と淡いピンクの塊。

「あ、これ紅白まんじゅうだよ」

 小学校の卒業式があった日に一度食べたことがあるので、塊の正体が穂花にはすぐにぴんときた。

「まんじゅう?何だ、つまんないな。穂花、全部食べて良いよ」

「え?」

 紅白まんじゅうは箱の中に白とピンクがそれぞれ三個、合計六個収められている。千秋の気持は嬉しいが、彼が頂いた物を、彼の両親を差し置いて、自分が全て食べてしまう訳にはいかない。穂花は丁重に断った。

「私じゃなくて、ご両親に渡すべきじゃないの?」

「ううん、そうだね。全部食べたら穂花が太っちゃうからね」そう言って、千秋は天使のような笑みを穂花に向けた。

「一言余計だよ」

「それで、穂花も家族と食べるの?」

「食べないよ。お菓子は全部直樹の分だから」

 あれ……?

 弟の名前をつかえることなく口にできたことが穂花は不思議だった。

 これもお酒の力なのだろうか。もしそうだとしたら、お酒はとんでもなく便利なものではないか。

「でも、昼食は二人で半分ずつにしたから、足りないんじゃないの?」

 千秋に問われ、慌ててまんじゅうに意識を集中したのが悪かったのか、

『そんなことないよ』

とは口にしたものの、喋りながら腹の虫が鳴いてしまった。

「お腹は正直だね」

「ち、違うよ。お酒が流れていっただけだよ」

 苦しい言い訳だったが、それで千秋は信じたようだ。小さく頷いている。

「そっか。でも、僕の貰ったまんじゅうを一個二個食べたところで、怒られはしないだろうから、二個食べて良いよ」

「本当!じゃあ頂こうかな」

 穂花はピンクのまんじゅうが入った袋を一つ手に取り、端を切り取ると、笑顔でまんじゅうにかぶりついた。

「ンー!おいしい。幸せ」

 無意識の内に足をぱたぱたさせていたが、千秋に『ふふ』と笑われて動きを止める。

「何が可笑しいの?」

「ん?何か女の子みたいだなぁって思って」

「失礼なこと言うね。私は女だよ。女みたいじゃなくて」

 穂花は目を細くして、一口で半分になったまんじゅうを丸ごと口の中に入れた。

「うん。それで、穂花がすごく可愛く見えて、それが何だか可笑しくて笑っちゃったんだ」

 え、えぇ?今可愛いって言ったの?

 穂花は嵌められているのか、けなされているのか、よく解らなかったが、千秋に『可愛く見えて』と言われ、天にも昇る気分になった。

「僕はさ、食べ物を美味しそうに食べる人が好きなんだ」

「また千秋の思わせぶりの発言が始まった」

「思わせぶりなんかじゃないよ。僕は穂花の前では一度も嘘吐いたことないよ」

 千秋は目をうるうるさせて、きょとんとする。

「それが嘘でしょうが。ばか千秋」

 穂花が虚構を見破ると、途端にあどけない表情を崩し『へへ』と笑った。

「わかる?」

「そのあどけない表情に何回も騙されてきたからね」

「人聞きの悪いこと言うなよ」

「千秋ぃ……」

「何?」

「あまりからかうと、私怒るよ、こんにゃろう」

 こんにゃろうと、穂花は人差指で千秋の頬を小突く。すると、千秋は紅葉を散らしてベッドの端まで移動した。

「何するんだよ穂花!」

 あらかわいい。

 千秋が顔を真っ赤にさせるのも、焦った姿を見るのも、穂花には初めてのことだった。

 酒に力を借りて、強気になった穂花かは、もっと千秋を困らせてやりたかったが、彼のほうは完全に警戒態勢に入り、近寄ることすら許さない空気を流しているので、諦めることにした。

「穂花は酒を飲むと暴力的になるんだね。覚えておかないと」

「何それ。私が何したって言うの?」

「ったく、だから酒なんか飲まないほうが良いんだよ」

 だらしない笑みを浮かべる穂花に、千秋は軽く睨むような視線を送った。

 その後も二人は互いに衝突しながらも、会話を楽しみ、幸福な時間を共有した。

 穂花は酔ったふりをすれば、千秋が優しくしてくれることを利用し、わざと苦しむ演技をしては『冗談』と言って何度も彼を困らせた。が、千秋はそんな我が儘な穂花を叱ることもなければ、怒ることもなかった。

 また、千秋の家の傍で、穂花が姿を現す時をじっと待っている岸辺も、穂花が家から出てくるまで激することなく、じっと耐え忍んでいた。

 三人の心境が徐々に慌ただしくなり始めたのは、午後五時になり、近場の小学校のスピーカーからチャイムの音が鳴った時のことだった。

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