守護霊
紗雨の特異能力が覚醒します。割とアッサリです。
『万象定理への干渉を開始し、禁術を発動します』
二段構えの術式である禁術・不法譲渡の最初の魔方陣は禁術として定義するには実は今一歩足りない。
と言うのも本来、魔法及び魔術の禁術はエネルギーの理論上変換の方向性が大きく異なる。
魔力に含まれる魔力エネルギーを魔方陣ないしストゥラゴオキスによって――即ち万象定理によって――エネルギーの理論上変換が行われ、それによって物質を発生させたり燃焼などの化学反応を起こすことで魔法ないし魔術と呼称することのできる物理現象が発生するのだ。
しかし、禁術はその手順を大きく逸することとなる。
元来儀式と定義される禁術は“万象定理に干渉して、エネルギーの理論上変換を促す”魔法と違い“万象定理に干渉して、その定理そのものを術として行使する”のだ。
故に魔術より更に万象定理にそのまま無防備に干渉することになる。
「ぐ…うぐ……」
強烈な万象定理の毒に呻き声を上げる。
だが悲鳴を上げるわけにはいかない。禁術は体力勝負であり精神力勝負なのだ。
『万象定理のへの干渉を開始し、禁術を発動します』
禁術や超高等魔術は、“分散行使”という現象が起きる。
その規格外の万象定理への干渉力によって万象定理の行使中に万象定理が崩壊してしまうからだ。
だから少しでも万象定理への負担を軽減するため、干渉を数回に分けて行うのだ。
『万象定理のへの干渉を開始し、禁術を発動します』
「ぐ…がはっ!げほっ!」
肺が握りつぶされるような感覚に陥り、ずっと握っていた魔方陣を書いた紙を手放して咳き込む。
そしてその紙が床に着いた刹那――
ゴウ!
建物が炎上するかのような音を立てて魔方陣が床に焼きつく。紫の妖しい光を放ち、青白い炎のよな線が円周に一定間隔に点在し立ち上る。
魔方陣が地面に焼きつき、その中に術者や被行使者が入り術式を行う。
これは禁術の中でも特に“魔導儀式”と分類される、被戦闘性術式に多く見られる(というか専らだ)特徴で、魔術に於いても意味合いは変わってくるが同様の特徴(魔術なのに魔方陣が現れる。これはストゥラゴオキスが擬似的な魔方陣として描かれる現象だ)が見られる。
『万象定理のへの干渉を開始し、禁術を発動します』
『万象定理のへの干渉を開始し、禁術を発動します』
『万象定理のへの干渉を開始し、禁術を発動します』
『――――――――――――』
どのくらい時間が経ったろうか、最早ノイズようになった盈虚の声音が響く。
そして――
『スタートスキル【守護霊】』
後に全世界を揺るがす、史上稀に見ない唯一にして無二の、荒唐にして無稽の、威風にして堂々の能力。
そして何より堅甲利兵で堅忍不抜な能力。
秋龍寺 紗雨の新たな自我同一性となる能力。
“守護霊”の生まれた瞬間だった。
そして同時に、紗雨の運命が著しく崩壊した瞬間だった。
11月29日
正午
第8話 『守護霊』
11月29日。
午前、11時23分
「これが禁術・不法譲渡の魔方陣だ。ま、これは名実共に禁術の魔方陣だから、さっき俺が使った万象定理よりも何万倍も強力で、幾億倍も邪悪で、数兆倍も有害だ。覚悟しろよ」
数時間後、体力気力魔力共にある程度回復した紗雨は店主から魔方陣の紙を渡された。
禁術の魔方陣といっても不法譲渡一段目の魔方陣と違い他の魔方陣と差して変わらぬ大きさだった。
魔方陣の幾何学模様同士の距離の関係は比率ではなく値だ。
故に複写と貼付に於いて、サイズを変更することは出来ない。
サイズを変更すれば模様Aと模様Bの距離間の値が変わり、万象定理としての効果を失ってしまうからだ。
それが原因で一段目の魔方陣のような巨大な魔方陣を縮めて用いることが出来ないのだ。
「ああ、勿論だ。俺を誰だと思っているんだ、そのくらい承知しているさ」
「万象図書館か。魔術は知らなくても禁術は知っているもんな」
「いや、俺は皇女殺しさ」
学院時代、紗雨は2つの禁術を教わった。
戦闘を終結させ、離脱させるように命を奪う最も忌み嫌われた術と、既に失われた奇跡を齎す儀式。
この内一つが彼を皇女殺しへと貶める結果を作った術だったのだ。
そう、紗雨は以前禁術を用いたことがある。
紗雨は今現在既に、魔女なのだ。
「さ、ちゃっちゃと始めるぞ。終わったら飯でも食いに行こう。何か奢れよ、兄弟」
「……ま、構わんが。たまにはな」
ふふっ、と清明は不敵に一笑し魔方陣を握る紗雨の手を強く握ってみせた。
秋龍寺 紗雨の運命が崩壊するまで残り34分。
皇立・ストゥレゴーネ帝宮学院。
東方地域・ジパング女子寮。
D202号室。
11月29日 日曜日、午前9時30分
そこで秋龍寺 雪消は眠っていた。
ベッドの際の椅子にはルームメイトの星空が雪消の寝顔を眺めていた。
ガチャっと部屋の扉が空いた。
「星空、居る?」
「ああ、お姉ちゃん」
現れたのは星空の姉、凍空だった。
「雪消寝てるの?」
「うん、泣き疲れたみたい」
「珍しいよね、雪消があんなに感情爆発させて泣き喚くなんて」
そっと雪消の傍に寄り、凍空は頭を撫でた。柔らかな髪を指先で梳き、涙の後が残る頬を擦る凍空は痛ましい程に痛々しいその少女を、全力で愛でた。
「お姉さんだもん、仕方ないよ。それに晴間ちゃんはその…魔女に、なっちゃったわけだし」
「魔女、か。まさか晴間が魔女になるなんてね」
飄々として、存外気丈そうに見える凍空の態度も、しかしその実やはり凍空も皆と一様に、いや人何倍も晴間を案じている。そう、星空には見えていた。
「でも晴間は本当に大丈夫よ。身体的には健康そのもの。精神的にも以上は見られないわ。勿論、精神汚染の面で言えばね。目を覚まして、現実を見てからは……どうだろう。私には分かんない」
「そうね…そうだね……」
凍空がベッドの端に小さく腰掛ける。
特異能力。
太古、初代皇帝時代にはもう深く世に根付いていたという最古の魔法。
そのあまりに異端な能力から、忌まれていたと言う。
特異能力行使者、即ち魔女を狩る、という行為が行われていた程に。
「特異能力、二重螺旋。どんな特異能力かわかんないけど危険なものじゃなければ良いのにね」
「害の少ないものなら気にされないけど、危険性の高いものは隔離されたり処分されたりするもんね」
去年も特異能力の覚醒が発覚し、北方出身の学生が処分された。
「そう言えばお姉ちゃん補習は?」
日曜日は補習が山ほどある。
「ん、サボる」
補習をサボって凍空は、雪消の頬を撫で続けた。
「ほら、飲め。お嬢ちゃん」
「あ、ありがとう」
温かくしたミルクをチャイルド・ゲートに渡す。チャイルド・ゲートはそれを受け取り少しだけ口に含んだ。
「紗雨、なんでお前のこと面倒見てるか分かるか?」
「え?」
「紗雨みたいな奴がなんでお前のことを匿っているか分かるかと訊いている」
「…………」
店主から訊かれた突然のその問いに、チャイルド・ゲートは勿論答えることはできない。
今二人を追っているレジェンディ=オードリエルの件で有耶無耶にはなっているものの、それはずっと気になっていた。
カップに口をつけながら隣で眠っている紗雨に目をやる。
禁術・不法譲渡が終了した途端ずっと気を失っている。もうすぐ日付が変わり晦日になる。
「紗雨はな、昔帝宮で護衛兵をやってたんだ。知ってるか?」
「……いえ、詳しくは」
なにやらそれっぽいことは聞くともなく聞いていたが。詳しくは分からない。
「もともと広く帝宮を護る警備兵という役職で重用されていたがそのあまりの天才的魔法技術から皇帝陛下から直々に辞令が下ってな。皇女様付の護衛兵に昇格したんだ。実質、執事的な役割を任されてな」
「はぁ」
生まれてこの方金字塔に監禁されていたチャイルド・ゲートは警備兵だとか護衛兵だとかの職業が実質どういうものなのか知らないが想像はつくので訊かずに相槌を打つ。
「紗雨はしかしこれまでに2度同じような辞令を渡されたんだ。最初は第一皇子アヴィリオス様の護衛兵。次はなんとアヴェ皇帝陛下の護衛兵。……もうこれは護衛兵ではないがな」
「ではどうして皇女さんの護衛兵になったんですか?」
「そこだよ、お嬢ちゃん」
ずい、と顔を寄せ左の人差し指を低い天井へと向ける。
「まず、紗雨は私利私欲に動く人間ではない」
「はぁ、そうですか」
店主の顔が近すぎるので無意識のうちに身体を退ける。
「じゃああいつは何のために動くと思う?」
「……合理性?」
「すごい単語が出てきたな。しかし、違う。それに、紗雨が合理性で動くんなら皇帝陛下の御付になったはずだ。だから、奴は合理性でも動くような奴ではない」
何故か更に顔を近づけるので無意識下で椅子ごと後ろに退く。
「じゃ…じゃぁ気分……?」
そんな胡散臭い男の接近を防ぐように口を開くチャイルド・ゲート。紗雨さんが起きたら言いつけてやる。
「ん~それもあるだろうが、違う。昔の紗雨ならいざ知らず、今の紗雨には有り得ないだろうな。あんな怠惰と怠慢と惰性の権化みたいな人間がそもそもそんな気すら起こさないだろう。では何かと言うと、だ」
ようやく店主が顔を離したのでチャイルドゲートも体勢を直す。椅子は直さない。
「情だよ。お嬢ちゃん。私情だ」
「情…?」
あの、それこそ怠惰と怠慢と惰性の権化みたいな紗雨さんが情で…?と、チャイルド・ゲートは勿論訝しんだ。
「まず、紗雨が皇女様の護衛兵になった理由だが、奴は彼女に一目惚れをしたんだよ」
「ひ…ひと……?」
「あぁ、馬鹿だろう?富と名声を蹴って惚れた女に仕えたんだ。男としては最高だが、同時に男として最低の判断だな」
惚れた女の傍にいることは男として鑑になるような行為だが、皇帝の護衛兵となれば帝宮に仕える全ての役人や兵や女官達の上司になれる。立身出世を目指す男としては最低の判断だ。
「そして最初の問いに返ろう。紗雨がなぜお嬢ちゃんのことを面倒を見ているかという問いだが、その答えはずばり、情だ。何の情かは分からない。愛情かも知れないし慕情かも知れないし哀情かも知れないし恋情かも知れないし友情かも知れないし鬱情かも知れないし艶情かも知れないし温情かも知れないし恩情かも知れないし気情かも知れないし旧情かも知れないし人情かも知れないし激情かも知れないし厚情かも知れないし好情かも知れないし堪え情かも知れなし色情かも知れないし純情かも知れないし真情かも知れないし親情かも知れない」
店主が、紗雨が感じているかも知れない感情を挙げていく度、チャイルド・ゲートの表情はどんどん陰鬱なものになっていく。
「紗雨さんは…どれを感じているんでしょうか……」
俯いて、俯いたまま彼女は口を開いた。紗雨が抱いている感情。
何度も自分が原因で傷ついて、或いは直接自分に傷つけられて、それでも庇って傷ついて、その結果紗雨が抱いている感情。
鬱陶しがっているのかも知れない。怒っているのかも知れない。そんな感情を抱いてほしくない――勝手なことだとは分かっているが――抱いてほしくないチャイルド・ゲートは店主に、或いはもしかしたら紗雨に訊いた。
答えは、期待していない。
「知らねーよ。さっきも言ったろ」
「――全部、さ」
「わっ!起きた!」
「なにが『起きた!』だ。五月蝿くて目が覚めたんだよ」
隣で紗雨の声がし、チャイルド・ゲートは肩を跳ね上がらせた。
「人が寝てるのに何を隣で喋っているかと思ったら勝手に人の話しやがって、清明」
「気にすんな☆」
「……殺すぞ…」
殺人鬼にそれを言われては冗談ではなく冗談ではないのだが。
紗雨はため息をついてチャイルド・ゲートを見据えた。そういえば改めて見据えるのは初めてかもしれない。
度々ここで風呂に入らせてもらっているのでそこそこ綺麗に保たれた肩くらいまでの黒い髪。肉付きの薄いその身体を包む貧相な服。睫が長いのが愛らしいが。
そんなチャイルド・ゲートを見据えて紗雨は口を開いた。
「全部だよ。俺がお前に抱いている感情は、清明が言った感情全部だ。愛情だし慕情だし哀情だし恋情だし友情だし鬱情だし艶情だし温情だし恩情だし気情だし旧情だし人情だし激情だし厚情だし好情だし堪え情だし色情だし純情だし真情だし親情だ」
「紗雨さん……」
「ま、嘘だけどな」
「…………」
紗雨の、信じられない言葉を聞いて固まってしまったチャイルド・ゲート。
「どうした?」
「紗雨さん」
「なんだ?」
「紗雨さんの……」
「どうした、身体を震わせて。寒いか?」
「紗雨さんの――!ばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!」
同じく信じられない肺活量と怒気で紗雨の胸を思いっきり肘で撃ち抜いた――