魔法と魔術と
今回はかなり説明が入っています。正直僕自身も説明し辛いほど難しいです。
そんな今回ですが、お付き合いいただけたらとおもいます。
静止した空間で全ての感覚神経が彼を認識した。
目が彼を認識した。
耳が彼を認識した。
鼻が彼を認識した。
肌が彼を認識した。
舌が彼を認識した。
そして、そして紗雨は認識した。どうしようもない理解。認め、識別するしか他ない圧倒的で暴力的で絶望的な理解。
『ああ、こいつは、テキ、なんだな』
テキ、敵。
……気付けば紗雨はチャイルド・ゲートの下敷きになって寝転がっていた。
いや、寝転がっていたと言えば聊か聞こえは良いが要するに紗雨は吹っ飛ばされて倒れていたのだ。数秒間、気絶していたかもしれない。
『彼』を認識したまでは憶えている。だがしかし果たしては一体どういう経路経緯でこんな状態になっているのか全く分からない。
今は『彼』の存在は認められない。認識できない。
存在は認識できないし認められないが、それが果たして『彼』が存在しないということには、どうしたってならないので勿論のこと警戒は緩めない。
『彼』は遠距離から我が家を狙撃したと推測されるので、だから『彼』がここに居ずとも警戒を怠る気も怠ることもできないのだけれど。
起き上がって、再びチャイルド・ゲートを抱きかかえ走る。目的地などない。そして敵が何処に居るか定かでない今、この逃走行為が果たして逃走になっているのかすらも分からない状況だ。
『万象定理への干渉を開始し、魔術を発動します』
そんな盈虚の声音が聞こえると同時に凄まじい瀑布が紗雨の身体を掠めた。
飛沫を若干量浴びた右腕から血が噴出する。
「あっ…痛ぅ……!」
右腕に力が入らず、チャイルド・ゲートを抱えてバランスを取りきれなかった紗雨はおもいっきりすっ転んだ。
「秋龍寺、紗雨」
ゆっくりと、手負いの紗雨にも聞こえるように口を開いた『彼』。いつの間にか『彼』が目の前に立っている。
「元・帝宮兵護衛兵。内親王殿付近衛兵。現在超級大逆人として皇帝閣下直々に手配書が出されているが、その功績と実力を讃えられ、怖れられ、畏れられ、事実上検挙は考えられていない。魔法溢れるこの国史上初の特権謀反人……とまぁ、俺の知っている範囲のことを誰に向けるでもお前に向けるでもなく嫌みったらしく語ったのだが……」
ゆっくりと歩き、紗雨の経歴を語る『彼』。そして倒れこむ紗雨の頭上に銃口を向けた。
「さて、今から俺が無意味に語るべきは、果たしてお前の呼び名の一つ“皇女殺し”のことか、俺の母親を惨殺したことか」
銃の周りで万象定理で生成された水が躍動する。これで引き金を引けば紗雨の、母の仇の頭は吹き飛び、消し飛び消滅する。だが、『彼』には出来ない。出来なかった。
「俺の認識するところではな、秋龍寺 紗雨。俺の母親、つまるところこの俺、Legendy=Ordriurの母Richer=Ordriurを殺した経緯はお前がSazakuelの傭兵と道ずれに無意味に無理解に無感情に無支配に無計画に無秩序に無韜晦に無用心に無難に無粋にぶっ殺したというのが俺の確認するところの母の死と俺がサーザーキールから逃げ出した原因なのだが、一体全体絶対相対、事実はどうなっているんだろうな?」
紗雨は一切答えない。反応もしない。微動だにしない。紗雨が答えない限り『彼』、オードリエル=レジェンディは紗雨を殺すことは出来ない。
「あーあ、誰か答えてくれないかなぁ。なぁ、秋龍寺 紗雨よぉ」
それでもレジェンディは引き金を引いた。圧倒的な水圧が射出される。紗雨の頭1メートル右隣の地面が抉れた。
「なぁ、秋龍寺 紗雨」
今度は1メートル左隣の地面が消し飛ぶ。
「なぁ、皇女殺し。
なぁ、殺人鬼。
なぁ、絶対領域。
なぁ、捩れた天才。
なぁ、万象図書館。
なぁ、東方最強の小さな魔法使い。
答えてくれよ。俺は今に限ってはお前に言ってんだぜ秋龍寺 紗雨」
紗雨の通り名二つ名を全て知っている。あまり知られていない、紗雨の病に関した二つ名まで知っている。
『万象定理への干渉を開始し、魔術を発動します』
『酸化秘造魔力を還元し秘造魔力を生成。大気中の酸化秘造魔力を介し万象定理に干渉し、水素と酸素を強制収束し水を射出します』
魔方陣を持っていないのに恐らく先と同じ瀑布が放たれる。もう紗雨からの回答を諦めたのか思いっきり紗雨に向けて。
「――――!」
瀑布が爆発する。紗雨とチャイルド・ゲートの身体上五十糎程上で。
連理の鎖が光り輝いている。
さっきから正直気絶したふりをしていた紗雨は気が気ではなかった。今回は果たしてただ暴走していた『チャイルド・ゲート』なのか、若しくは『リミッター・チェーン』なのか。
「紗雨さんに手を出すなぁ!」
チャイルド・ゲートの方だった。
「…………」
レジェンディがその姿を見てやや思案する。この女の子は確か俺の魔術を喰らって気を失っていたはずだ。現に身体もボロボロだ、と。
『――――――――――――――――――――――』
雑音のような盈虚の声音らしきものが聞こえる。
刹那、莫大な量の水飛沫が辺りに散らされレジェンディの用いた大瀑布の術が発動された。
「――――なっ!」
予想だにしなかったことについ声を上げ、そして何の反応も取れなかった。
大量多量の魔力の水が、人影を飲み込んだ。
第5話『魔法と魔術と』
あの後、とりあえず差し当たっての宛が、知り合いの少ない紗雨には皆無なので血霞の館に向かうことにした。というか今到着した。
「清明」
館の扉を抉じ開け中に入る。チャイルド・ゲートは連理の鎖の魔力が切れたのかなんなのか分からないが、気を失っている。……と思う。
「どうした兄弟。可愛らしい女の子ぶら下げて」
「匿ってくれ」
「男女関係は怖いもんだな」
「いや、違う」
取り敢えずチャイルド・ゲートを床に降ろす。身体がズキズキと痛い。
「どうした兄弟。傷だらけじゃないか」
「ちょっとごたごたがあってな。何故こんなことになっているかは俺には全く分からん」
「ははっ、三角関係か。ざまぁみろ」
「いや、だから違う」
疲れた紗雨はチャイルド・ゲートの隣に座り込む。全身の切り傷が痛む。
昨日、リミッター・チェーンから喰らった突風刻みも完治していないし、さっきのレジェンディ…なんとかから受けた水流系で治療した分の傷も全部開いたし。
此処一週間の運の悪さに自分でヒいている。
「そうだ清明。一つ訊きたいことがある」
「そうか。俺はお前に訊かれたいことはないがな」
「“魔術”ってなんなんだ?」
「……………」
黙り込む店主。……訊いていけないことだったか?
「……お前、それ何処で聞いた?」
「俺を襲ったレジェンディなんとかって奴が使った術の盈虚の声音が魔術って言ってたんだ。魔法、じゃなくてな」
「……魔術はな、俺が前いた組織が専らとして使う術だ。お前を襲ったレジェンディ=オードリエルは俺のいた組織のメンバーの一人だ」
店主の前にいた組織、魔術の巣窟とだけ聞いているが、詳しいことを紗雨は知らない。紗雨が店主と出逢ったのはこの魔術の巣窟を抜けた後だし、そもそも店主は自分の話をあまりしたがらない。
「まぁ差し当たっては兄弟、取り敢えずお前とそこの可愛いお嬢ちゃんの傷を治さなきゃぁな」
『万象定理への干渉を開始し魔法を発動します』
店主がキャビネットから魔方陣を取り出し、魔法を発動する。魔術を使う組織にいた店主だが、普通に魔法を使う。というか足を洗ってからは戦闘や回復に使うような大きな魔術は魔術を使っていない。
チャイルド・ゲートの血管から皮膚、筋組織や内臓が治癒されていく。対象者の自然治癒力を増幅させる系統の魔法なのでチャイルド・ゲートは回復が速い。連理の鎖は、突き詰めれば防御や封印、そして回復などの万象定理の塊、魔方陣と同義ともいえる存在なので、その万象定理と魔力に常に触れているチャイルド・ゲートの自然治癒力はハンパではない。
紗雨の落雷を受けても回復魔法一つで完治したくらいだ。
一方紗雨は普通の回復を見せている。チャイルド・ゲートと違い前回の小さな戦闘の怪我もまだ引きずっているので彼女の倍の時間は掛かりそうだ。
「それで清明。魔術って何なんだよ。明らかに魔法が出す威力の比じゃなかったぞ。少ない魔力の量で、だ」
「お前、酸化秘造魔力が何か…知っているか?」
「……バカにしてんのか?」
「いいから答えろ」
「酸化秘造魔力って言ったら魔法使いが使った魔法が分解して空気中に発散された秘造魔力が二酸化したものだろう?」
「あぁそうだ。転じて、万象定理の残滓とも取れる。魔法は万象定理を魔方陣として捉え、使用し、術式を発動するもんだ。他方、魔術は万象定理を酸化秘造魔力として捉え、使用し、術式を発動する、つまりはそういうことだ」
「……。すまない、全く要領を得ないのだが」
「では兄弟。万象定理とは何だ?」
「……魔法発動に必要な物理現象を証明した定理」
「それをどう使って魔法を発動する?」
「魔方陣として暗号化された万象定理に、秘造魔力と酸化秘存魔力を練ったものを注ぎ、エネルギーの理論上変換で以って万象定理に記された事象を発動させる」
ストゥレゴーネ帝宮学院に居た頃に学んだことだ。確か卒業試験にも出ていたはずだ。
「それは、魔法使いの理論。物理現象を物理学的にではなく数学的に捉えた正に机上の空論。万象定理を御託で述べた場合の現象だ。だが魔術は全くの別物。魔術は魔法や魔術の残滓である、使われた万象定理である酸化秘造魔力を万象定理と捉えるんだ。万象定理を物質として捉えるんだ。分かったか?」
「……全然」
「ま、優秀な魔法使いに魔術のことを直ぐに理解しろっつーのも酷ではあるがな。レジェンディと戦う前に魔術のことを理解しようってんならお勧めはしねーよ。それより対策を考えた方が遥かに懸命だ」
優秀な魔法使いには店主の言うところの万象定理を数学的に捕らえた考え方が摺り込まれているのだ。真逆ではなく寧ろ斜め四十五度の考え方の転換は容易ではない。
「使う魔力が少ないのは魔力の素を介して万象定理に干渉しているからだし、威力が高いのも万象定理を直接、本来の意味で用いているからだ」
店主が言う。つまりレジェンディが魔方陣を、万象定理を持ち歩かないのはこの大気そのものが万象定理、つまり魔方陣であるからだろう。
「ま、デメリットとしては酸化秘造魔力の濃度の違いで術の発動の可か不可かまで左右されるというところだな」
「…………」
店主の言わんとしていることは何となく分かる。
「もう分かるよな?奴は水流系をよく使う。つまりあいつの周りに水流系の万象定理をぶちまけなければ奴の魔術は、水流系に限って弱体化する。……俺から言えるのはこれくらいだな」
チャイルド・ゲートを治療していた術式が終了する。僅かにあった苦痛の表情が、チャイルド・ゲートから完全になくなった。完治、らしい。
「俺はこのお嬢ちゃんを寝かしてくるからお前もしっかり休んでろ、兄弟」
「……あぁ」
独りになった紗雨は少し思考する。レジェンディ=オードリエル。金髪に三白眼、顔面凶器。彼の話によるとどうやら俺は奴の母親を殺したらしいが……。
手早く思考放棄。殺した人間のことなど一々憶えていない。というか憶えていられない、憶えられない、憶えない。あの顔面凶器にどことなーく見覚えがあるから恐らく彼の目の前で殺したのだろうが……。
紗雨の異名の一つに殺人鬼と言うものがある。あるいは殺人鬼、とだけ呼ぶこともあるが。
去年魔法溢れるこの国の皇女、キャロルを殺したことを切欠に発症した病の所為で矢鱈滅多に殺人を犯す様から付いた異名なのだが、そんな異名を持っていながら誰からも恨みを買わないわけがない。
実際、仇討ち意趣返しなど日常茶飯事とまではいかないが、たまに外食に行く頻度で遭遇していた時期もあった。……ほんの三ヶ月前だが。
だからオードリエル=デジェンディ、彼もその類なのだろうが……。正直これまでと格が違う。
強い魔法使い程度ならいくらでもいたが、強い魔術師は一人もいなかった。
魔法が功を奏し大分身体が楽になる。
「……魔術、か」
数学的視点から計算する魔法。物理学的視点から計算する魔術。
どちらが強力か、といえば無論後者だろう。店主も言っていた通り魔法は机上の空論。それを無理矢理現象として体現しているのだからある程度不安定なものではある。
だが対して魔術は元々の現象を現象として捉え現象を現象のままに現象として体現しているのだから、それは強力に決まっている。
「兄弟、どうだ?酒でも」
「馬鹿野郎。酔ったら戦えらんねーだろ」
部屋から店主が出てくる。何故か片手に大きな酒杯が提げられていた。
「んだ、つまらんな」
いつものテーブルのいつもの席に座り杯を傾かせる。なみなみと葡萄酒が注がれる。
そして店主がそれを嚥下したその時――血霞の館の扉が弾け飛んだ。
「―――――!」
その轟音に紗雨は瞬時に身構える。
「おい清明」
水煙の向こう側から現れたのは当然と言うか残念ながらと言うかやはりレジェンディ=オードリエルだった。
「秋龍寺 紗雨がここにいるんだったらちゃんと連絡しろよ。探し回っちまった」
「ふざけんな。後でそこ直しとけよ」
「……こいつを殺してからな」
低姿勢で構えたまま魔方陣を握る小さな魔法使いに視線を向ける。
「……残念だな清明。この壁と扉は自分で直さなきゃなんねーみたいだぜ」
「そのようだな、兄弟」
無関心そうに葡萄酒を煽る店主。昔の仲間に対しても、今の友人に対しても存外そっけない態度を取っているのを見るとこの勝負の行方は見えてはいるようだ。されど昔の仲間にも、今の友人にも加勢はしないようだ。
「それから、やるなら外でやれよ。店が滅茶苦茶になる」
店主のその言葉は、もう店の外に出ていた彼らには恐らく聞こえてはいなかった。
とある塔。
そこの最上階で男は思考していた。
先ほど報告を受けた。魔術を用いる無目的集団。魔術の巣窟の一員、レジェンディ=オードリエルが秋龍寺 紗雨に対してアクションを仕掛けているとか。
秋龍寺 紗雨の傍にはチャイルド・ゲートがいる。チャイルド・ゲートの捕縛を急ぎたいところだが、無理に焦って彼女のことがレジェンディ=オードリエルに、ひいては魔術の巣窟に知れ渡りでもすれば大事だ。世界の終末といっても過言ではない。
それに既にチャイルド・ゲートの中では秋龍寺 紗雨に対して何の情も抱いていないというわけがないから、彼が死ねば感情が暴走しリミッター・チェーンが現れ連理の鎖が暴走するかもしれない。
「冬秋斎の野望が果たされる前に何とかあの子を確保しなければ……」
またも彼の台詞は、いかにも英雄的な語意を含んでいた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
紗雨は逃げていた。
やはりレジェンディの水流系魔術は圧倒的過ぎる。正直強すぎだ。
店主の話だと魔術は同じ場所で使いすぎるとストゥラゴオキスの濃度が薄くなり術を発動できないらしい。
ということで紗雨は近くの森の狭範囲をぐるぐると逃げていた。
爆音を立てて樹木が爆ぜる。大分術の威力が落ちてきたのか少々の飛沫を被っても然程の怪我をしなくなった。
『万象定理への干渉を開始し、魔法を発動します』
土中から岩の槍が辺りに乱立する。また新たな津波の魔術がそれら全てを根こそぎ薙ぎ払った。
……それにしてもおかしいことが一つだけある。単純なことだ。
何故飛沫を掛かっても大した怪我をしなくなった程威力が下がったのにレジェンディは余裕の表情で高威力の魔術を出しまくっているのだろうか。
『万象定理への干渉を開始し魔法を発動します』
今度は電磁系の電磁波で防御する魔法。莫大な水圧により崩壊。
『万象定理への干渉を開始し、魔法を発動します』
今度は温度系の吸熱空間。魔術を凍らそうと試みるもその凍った氷ごと水圧が押し流し、崩壊。
『万象定理への干渉を開始し、魔術を発動します』
そして、今度はレジェンディの魔術が牙を剥く。
『H₂O分子を凝縮し、超高密度水塊を形成します』
『水塊を槍の形で固定し下向きの運動エネルギーを掛け魔術を発動します』
超巨大な水の槍。それが真っ直ぐ、寸分の違いもなく、一刹那の迷いもなく落下してきた。