帝宮兵とはある種の負い目である
今回少し短めに書きました。妙にキリが良かったんです。
「紗雨」
リン、と軽やかで澄んだ鈴の音のような声が俺を呼んでいる。
ふと、気付いて顔を上げる。そこは各地方から献上された特産品や、帝宮お抱えの職人が造ったきらびやかな装飾品の数々があしらわれた豪華な部屋。
……そう、ここは俺の仕えている人の部屋、内親王殿。つまりは皇女の部屋だ。
「職務中になに居眠りしてんのよ」
「え…?あっ、すいません、俺寝てましたか?」
「それはそれは気持ちよさそうに」
「いや、面目ない」
宮中には尚宮や内人と呼ばれる女官がそれぞれの御殿や厨房などにいるのだが、内親王殿にはいない。というか俺がいるから必要がないのだ。
「ねぇ紗雨?」
「なんです?」
胡坐をかいて座って寝ていたらしく、身体が痛いと腰を回していると皇女・キャロル様が俺の胸の中に凭れ掛かって座ってきた。
俺はそんなキャロル様の頭を撫でてやる。猫のように目を細め少し笑みを浮かべてからそう言った。
若干取っつき難そうな冷めた顔つきと凛として鈴とした声音だがなかなかどうして愛らしいのだ。
「私…外に出てみたいのだが……」
「散歩ですか?珍しいですね」
「違うの!外って宮中、夢幻迷宮の外のこと!」
「………」
いきなり何を言い出すのだこの子は。宮中から出るなんて滅多なことだぞ。
「皇帝様の許可とかはあるんですか?」
「父上の許可があれば私は今頃市場にいるだろう」
「……じゃ、だめじゃん」
「えーー」
「『えーー』じゃない。皇女が勝手に宮廷を出ていいわけないじゃないですか」
俺の腕の中でいごいごと動く皇女。
なんと言うか、魔法溢れるこの国初の女性皇帝の資格を得た偉大なお方だというにも関わらず威厳の欠片の一片もない姿だ。
ほら、俺にこうして身体を揺すって、騒ぐ前に宥め賺される姿なんてガキか小動物ではないか。
「紗雨」
「なんです?」
「私は紗雨のこと大好きだぞ?」
「そりゃどうも」
「紗雨はどうだ?」
「大好きですよ?勿論大好きですよ」
「じゃあだーいすきな“主”であるこの私のために紗雨は一肌脱ごうとは思わないの?」
えらく“主”を強調したなとも思う。キャロル様は勘違いをしているようだから教えてやろう。
「俺たち帝宮兵をはじめ女官や高官や文官、全ての“主”は皇帝様だからな」
「また細かいこと言ってー。禿げるよ?」
「そのときは育毛の魔法でも探しますよ」
「そんな魔法ばかりに頼ってちゃだめだよ?」
「キャロル様はその“特異能力”が発現しただけで既に世界最強の魔法使いですよ?なのに魔法に頼るなとは」
「……そうね。――いや、違う違う!外よ外!……ってそこ!舌打ちしない!」
「いや、都合よくお目出度い頭をしていらしている皇女様がそんな滅相もないことを忘れてくれたらよかったなと」
「酷い!酷いよ!」
よよよ、と腕の中で泣き崩れる。はっはっは、その手段は配属3日目で慣れきってしまったわ。
「……それは申し訳ありませんね。お詫びとして皇女様が今何処に行きたいかお聞きしましょう」
「――!だから大好き!」
キャロル様が俺のほうに向き直りガバッとしがみつくように抱きついてきた。慎ましやかな胸が顔に当たっている。そう、非常に残念ながら慎ましやかだ。
しかし、まぁ、俺も何を言っているんだか。皇女を連れ出そうというのだ、遺書と辞世の句を考えておかなければ。
「えっとね。取り敢えず夢幻迷宮の近くの街にね、血霞の館っていう本屋があるの。それとね、ちょっと東方のほうになるけど温泉地があってね――」
「分かりました分かりました。行きながら聞きましょう。」
「……そうと決まれば、問題は抜け出す方法よ」
ふっふっふっとキャロル様の言葉に笑みを浮かべて懐から取り出すのは一枚の魔方陣を描いた紙。
「これはですね、光学系の魔法で不可視に分類される魔法の魔方陣です」
「わーお!大胆不敵!」
「もしとっ捕まったら俺のこと庇ってくださいよ?とくに不可視の魔法は魔法科学省が使用を制限しているんですから、宮中で、しかも皇女連れ出すために使ったら……というか、皇女連れ出したのがばれたら確実に殺されますから」
「分かってる、分かってるって皆まで言わなくても!」
テンションが上がって仕方がないのか俺の首に腕を回したままばたばたと跳ね回る。まるで海鮮魚だ。鮪か鰹の類だ。
「これで姿を見えなくして警備兵の目を欺きます」
「紗雨天才!宇宙一だよこれは!」
あっはっはっはっは、と高笑い。さっきから笑いっぱなしだ。
「よーし!褒美として温泉に行った暁には私と一緒にお風呂に入る義務と背中を流される権利を与えよう!」
「……そんなことはまずは乳を育ててから言ってくださ――ッフ!!!」
近距離からの凶悪な顔パンに地に沈んだ。
第3話 『帝宮兵とはある種の負い目である』
「―――ん」
何だか既視感を感じさせる声を発して紗雨は目を覚ました。
……何だろう、途轍もなく嫌な夢を見た気がする。具体的に言えば顔面パンチ。いやいや、違う違う。
「……昔の夢なんざ見るとはな…」
妙に年寄りめいたことをしてしまった。…いや、確かに世捨て人の爺さんのような生活をしているがしかしこちとらまだピッチピチの16歳だ。
「おいおい、涙まで溜まってるじゃねぇか」
呟きながら目くじらを拭う。本当に一体どうしてしまったのだろうか。
何だか後味が悪くて独り言が無性に多い。……が、酔っているわけではない。
傍にあった時計を見る。もう夕方、いや、この冬場となるともう晩といっても差し支えない時間帯だ。どうやら4時間ほども眠っていたらしい。
――皇女・キャロル。皇族なので名字はないが敢えて付けるとすればキャロル=クロウリー。
彼女は魔法溢れるこの国の初代皇帝アレイスター=クロウリーの直系の末裔にしてこの国で初めて女性にして皇帝…いや、寧ろ帝王と成りうる資格を得た人間。
当時(と言っても一昨年か一昨々年)の皇室には4人の皇子がいた。いたのだが、その誰にも帝王になる資格がなかったのだ。
ふわり、と欠伸をする。既に普段の睡眠時間を超している為目が冴えている(瞼は重たそうだが。仕方ない、そういう顔つきなのだ)
微かな空腹感。今日の昼と一昨日の晩はちゃんとご飯を食べたはずなのに、だ。何だろうようやく成長期か?
キッチンに向かい何かないか、大根しかないなと冷蔵庫を物色しているとはた、と気付いた。
そういえば俺、来週は誕生日ではないか、と。
「だからあんな夢を……」
来週、12月1日は紗雨の誕生日である(と聞かされている)。
……そして、この国の唯一の皇女だったキャロルの命日だ。
墓参りなどには行けれない。皇族の墓は宮中にあるのだが、その皇女を殺した人間がそんなところに行けるはずなどない。というか今こうして都で暮らしているのも本当は危ないのだ。
「……寝よう」
冷蔵庫の詮索を止め、暖炉の前に戻る。別に眠たくない。寧ろ率先して眠くない。だが。だがしかし。
余計なこと、過去の、過ぎたことを考えない為にはもう、眠るしかなかった。
「分からない」
血霞の館で店主は一人呟いた。なにが?とは誰も聞き返さない。当然だ。ここには誰もいないのだから。
レジェンディは2時間ほど前に帰った。……いや、帰るところがあるのか非常に微妙だが。
分からないのはレジェンディに帰るところが有るのか否か、ではない。何故奴が魔導書を欲したのかがだ。
魔導書の意義は殆どが魔方陣だ。万象定理の知識は別に魔導書を使って得なくてもいいし、一度憶えたらもうそれきりだ。
魔方陣もコピーしてしまえばそれでいいのだが、これを誰かから教えてもらって描くのは難しい。
だが、魔方陣を用いないレジェンディや“やつら”…“あのグループ”が何故魔導書を欲するのか。
「……まぁいいか、別に」
すっかり冷めてしまったブランデー入りの紅茶を、魔方陣も使わずに火炎系の魔法で暖める。
火炎系というものの、発熱も可能な便利な魔法だ。
「邪魔するぜ」
「邪魔すんな」
突如、男が現れた。本当に突然、現れた。
身長はかなり高い。200糎はあろうかという程だ。
「安部清明だな?」
自分の名を知る男に驚愕し、その男の顔を見る。知らない顔だ。それなのに自分の名を知っているということは……。
「お前、何者だ…?」
「なに安心しろ。帝宮兵でも魔術の巣窟でもない。強いて言うなら皇女殺しを捜す者、か」
「皇女殺し…奴をどうする気だ」
「殺す」
「…………」
えらく正直に言ったものだ。殺人は犯罪だぞ。
「どうして殺すんだ?あいつ、強いぞ」
「はっ、おかしな質問だ。理由を問う時点で少しばかしおかしい上に『あいつ、強いぞ』と繋げるのもどうかと思うがな」
当然のように、まるで親友のように店主の隣の椅子に座る長身の男。
「それで、だ。奴は何処にいる。お前なら知っているだろう」
「知らねーよ。実は俺はあいつの家を知らないんだよ」
知らないわけがないだろう。先週遊びに行ったばかりだ。
「…………」
訝しげに店主を見る。見つめる。見定める。
「……そうか」
そして見誤った。
店主の杯の横に金貨を置く。帝都で製作された、公式の、そこそこ価値の高い金貨。つまりは3万クロウリー。
「情報料だ」
「……またのご利用を」
「ふざけんな。今回だけだ」
踵を返し、店主に背を向ける。まるで友人の帰り際のような親友の帰り際のような兄弟の帰り際のような、家族の帰り際のような。
また来るぜ。
そんな言葉を残して。
「取り逃がしただと!?」
とある塔。
そこの主が部下の卯乃城の報告を受けるなり叫んだ。
「はい、笹木部他3名が死亡しました」
「―――!チャイルド・ゲートか?」
「いえ、後を追って到着したウィリアムの報告によると小さな男の子だそうです。その男の子が魔法一撃で3人を殺したとか」
「男の子……」
「はい。身長140糎ほどで、灰色の甚平と黒いローブを着ていて無造作に伸びた黒髪というのが特徴だそうです」
甚平?ローブ?不思議な組み合わせだなとも思ったが卯乃城が述べた特徴にやや心当たりがあった。
「もしかして、それ、秋龍寺 紗雨か?」
「……おそらく」
「奴は…都にいるのか……」
ダン!と、苛立ちに任せグラスをテーブルに叩きつける。
「忌まわしい大逆人が……」
「チャイルド・ゲートはどういたしますか?追っ手の者の知らせでは秋龍寺 紗雨とおもわれる人物の下を離れ単独で行動しているそうです」
「……よい判断だな。奴の下にいたら殺されかねん。あの子は絶対に殺してはならない。いいな」
「承知しております」
「……私は金字塔の方に行っている。何かあったら知らせてくれ」
「畏まりました」
部下の男が部屋を出る。チャイルド・ゲート収容施設及び魔法魔術研究施設である金字塔の研究職員が暮らす施設、多宝塔。
その頂上に位置する部屋から主は下を眺める。
予知夢という万象定理を記した魔方陣が施設の敷地に大きく記されている。
法外の魔法研究施設というものは、どうしたって敵が多い。帝宮兵然り、闇の世界の住人然り、だ。これはそんな魔法使い連中対策だ。
「……あの子を…捕まえなければ……」
呟く。それは、まるで世界崩壊の危機に立ち向かう英雄のような声音だった。
「はぁ…はぁ…はぁ……」
息を荒れげ、ひた走る女の子。走りにくそうにも大事そうに腕に抱えるのは大根数本。チャイルド・ゲートである。
「待て!」
常套句を叫びながら追いかけるのは紗雨が殺したはずの如何にもさん。
……いや、同じ格好をしているが別人物だ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、っく!あっ!」
体力を消耗し、足が縺れかけたところに運悪く小石出現。チャイルド・ゲートは頭からおもいっきり転んだ。
「う…くっ……」
身体のあちこちに痛みが走る。擦り剥いただけでなくかなりの打撲を負ったようだ。痛みのあまりに動けない。研究員が追いついてきた。
『万象定理への干渉を開始し魔法を発動します』
盈虚の声音が響く。誰か何か魔法を発動したようだ。
『土砂に運動エネルギーを与え運動可能状態にします』
『土砂を磁場で拘束し、生体電気の正負変換によって操作可能な状態にするとともに万象定理への干渉を終了します』
盈虚の声音が終了すると同時に地面が躍動しチャイルド・ゲートを取り囲む。
土砂が凝固し、岩のようになり、チャイルド・ゲートを封印した。
「……よし、拘束しました」
「――馬鹿野郎!」
折角目標を捕獲したのに馬鹿野郎呼ばわりの新米研究員。一体何をしたと言うのだ。
「連理の鎖は万象定理を吸収する!あの子に対して魔法を使うということはそれがそのままこちらに返ってくるということだ!」
言い終わるが早いか大地が捲れ上がり追っ手の研究員全員を捕らえた。
ある者は土石流に飲まれ流され、ある者は宙高く舞い上がり、ある者は傍にあった樹木に身体を打ちつけられた。皆殆ど死んだ。それほどの威力の土石流だった。
「ウガァァァァァァァァァァァァア!!!!!」
叫ぶ。研究員の魔法を破壊し、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ!
彼女の胸元の連理の鎖は燦然と光を放ち、抱えていた大根は跡形もなく木っ端微塵になった。
禍々しいほどの魔力。
定理を無視しようかと言うほどの力。
まるで彼女の意思もなく、まるで彼女だけが動いているような、他律駆動の、自律駆動。
自律駆動のような。そんな力。
「――おいおいおいおい。心配になって探しに来てみたら」
「―---!」
「寧ろ追っ手のほうを心配すべきだったじゃぁねーか」
ザリッ。ブーツが砂利を踏む。土砂ではない、砂利。
「チャイルド・ゲート。やっぱり連理の鎖、貰いに来たぜ」
東方最強の小さな魔法使い。皇女殺し、元・護衛兵。
秋龍寺、紗雨。
なんか、紗雨のキャラを保ちつつ話を進めれる気がしないな……。