とある少女の一日
2ヶ月ぶりか……。やっと更新できた……。
忙しいうわあああああああああああああ!
12月23日。昼。
皇女殺し、殺人鬼、東方最強の小さな魔法使い、絶対領域、万象図書館、捩れた天才と並ぶ蔑称に、新たに守護霊と言うのが晴れて加わった秋龍寺 紗雨は自宅の台所に立っていた。
チャイルド・ゲートが家に住み始めて以来、紗雨はご飯を食べるようになっていたのだ。
基礎代謝も含め酷くエネルギーを消費しない紗雨は数日間、食事を取らずとも空腹に苦しまされることはないのだが、チャイルド・ゲートは別だ。
連理の鎖の活動に、自分の魔力とカロリーを吸い取られている彼女は食事を取らずに何日、とは行かない。
去年まで護衛兵であった故に最早本能的に相手の都合に合わせる紗雨はチャイルド・ゲートが栄養失調で死なないように台所に立つようになったのだ。
しかし、チャイルド・ゲートは今家に居ない。追っ手に追われていたのを匿ってもらっている分際で何を勝手に外出しているのだ、けしからん。
先程血霞の館に見に行ったのだが店主も居なかった。
紗雨は独り寂しく野菜と魚を煮込む鍋をかき回していた。
第13話『とある少女の一日』
『スタートスキル【陰陽術】』
陰陽術。
史上最悪、空前絶後の極悪人、悪行を悪行で雪ぐ極悪人、陰陽術。
これらの通り名を持つ陰陽師、安部 清明の持つ特異能力の名だ。
大地から、大空から、大海から、樹木から、動物から、物品から、そして魔法魔術から。
“万象定理の操作を行なえる者”以外の全てから魔素及び魔力を吸収することの出来るこの特異能力を清明は、連理の鎖にその精神を侵され暴走しかけているチャイルド・ゲートに掛けた。
……いや、もう少し積極的に言えば連理の鎖そのものに掛けている。
チャイルド・ゲートは連理の鎖に魔力を吸収され魔法が使えないとは言え、人間である以上万象定理への干渉は可能だ。だから陰陽術の効果の対象ではない。
清明は今チャイルド・ゲートの魔力と連理の鎖の魔力とが合わさり今にも爆発しそうな連理の鎖に術を掛けているのだ。
――その未曾有の魔力を抜き取るために。
チャイルド・ゲート全体を包んでいた光の塊が少しずつ小さく収縮し収拾されていく。
収縮し収拾しその先。直径にして約10糎ほどになった光の塊が包むのは勿論連理の鎖。
既に連理の鎖から発せられていた、いっそ禍々しいほどの魔力は既に殆ど感知されない。
チャイルド・ゲートの回りにはサビのような砂のような金属のような肉のような粒子状のものがポロポロと落ちている。
これは陰陽術が魔素及び魔力と酸素を結びつけたときに発生する物質である。
やがて陰陽術の光の玉が限界まで収縮し目視できないほどに収縮しそして消滅したとき一層強く光を放ち粒子を当たりにぶちまけその特異能力を完全に終了した。
「……ふぅ。…やってみるもんだな。いけたじゃねえか」
緊張のためか薄っすらと額に浮かぶ汗を拭いながら地面に倒れこむチャイルド・ゲートを起こす。
「おい、何やってんだこの大馬鹿野郎」
いつもの気だるげに怪訝さと苛立ちを加えたような声音でそこに現れた秋龍寺 紗雨。
「おお、兄弟。丁度良かった。この嬢ちゃんを運んでくれないか」
「何してたんだ?」
「あぁ……。連理の鎖が魔力を吸収するキャパシティを超えててな。陰陽術で抜いてやっていた」
「そんなことができんのか?」
「どうやら出来たみたいだな」
店主の言葉を聞いて紗雨は返事とも取れない気のない答えを返しチャイルド・ゲートをおぶる。
「……少し、話もあるしな」
「……?」
呟く店主の様子に紗雨は、その小さな頭を少しばかり傾げた。
「こいつが…恩返し?」
「ああ。この間お嬢ちゃんが一人で家に来たときがあったろう。そのときに持ちかけられたんだ」
「なんだそりゃ。気持ち悪い」
「そんなこと言うなよ外道めが。彼女なりにお前に恩を感じてるんだ。特に嬢ちゃんは連理の鎖なんてこの上ない厄介ごとを抱えているんだしな」
「……返される恩なんて何もねーよ。俺は恩なんて返されるような身ではない」
紗雨の表情を盗み見た店主は同情のような慈愛のような或いは他の何かのような微妙な表情を浮かべやや冷めた珈琲を口に含んだ。
「もう2年経ったんだ。きっと彼女もお前を許しているさ。……中身のない口上だけの言葉と思うだろうが、俺の目から見た彼女はそういう子だったよ」
「お前にキャロルの何が分かる!!」
「………………」
突如、声を荒げた紗雨。店主に声を荒げた。
「……あいつが俺を許すかじゃないんだよ。俺が俺を許すかだ。俺は俺を許すことはないんだよ。そのための皇女殺しの名だ」
「自分に厳しすぎると、確実に身を滅ぼすぞ」
「自分に甘えて女を殺すよりは幾分もマシだ」
その紗雨の言葉に店主は少し微笑を浮かべ完全に冷め切った珈琲を全て喉に通す。
「ま、お嬢ちゃんの恩返しのことは温かい目で見守ってやれよ。それが男の甲斐性だ。今日は泊まってけ」
「……あぁ」
「じゃ、俺は少し買い物に」
「清明」
「なんだ?」
「すまんな」
「……気にすんな」
店主は静かに扉を閉めた。
12月24日 午前1時半
紗雨はチャイルド・ゲートの横でおとなしく寝息を立てていた。
「紗雨さん……」
その横で紗雨を見下ろしているのは他ならぬチャイルド・ゲート。彼女は先日の言葉を思い出していた。
『抱かせてやれば満足するんじゃねぇか?』
「抱かせ…抱く…抱かせ…抱…抱く…抱く……!」
夜更けのボーっとした頭でふらふらと紗雨に歩み寄る。
どうしてこうなった。
起きる→横に紗雨さん→恩返ししなきゃ→『抱かせてやれば満足するんじゃねぇか?』→抱く!
「抱く…?」
そもそも生まれた頃より金字塔に軟禁されていたチャイルド・ゲートがそういったことに精通しているわけは勿論なく、けれどもあくまで人間であることには変りはないのだから本能的にはそういった知識がないわけでもなく、しかし具体的にはどういう行為なのかは全く想像がつかず、そんなえらく中途半端な状況で今正に紗雨に襲いかかろうとしているのだ。
「失礼します……」
取り敢えず“抱く”と言うくらいなのだから抱きつかなければならないと紗雨の低い体温で肌寒く温まった布団の中に潜り込む。
そしてチャイルド・ゲートの貧相な身体を紗雨の貧相な身体に寄せ少ない体温を貪ってみた。
……以前、紗雨は自分は体温が低いから暖炉の前で寝るんだと取って付けたような言い訳をチャイルド・ゲートにしていたが、どうやら低い体温までも嘘であったとはどうやらないらしく、さも死んでいるのではないかというほどその身体はひんやりと冷たく、少しだけチャイルド・ゲートを得も知れぬ不安に陥れた。
「んぁあ?」
チャイルド・ゲートが寒さと不安に震えて紗雨にしがみついていると、きちんと生きていたのか紗雨が気の抜いた声を上げて目を覚ました。
「なにしてんだ?」
「紗雨さん。私、紗雨さんを抱きに来ました」
「……は?」
「ですから、恩返しです。私、紗雨さんを抱きます!」
「……そんなすごい力でしがみつかれても仕方がないんだが」
「これで抱けてますか!?」
「あー、抱けてる抱けてる」
「本当ですか!?」
えへへ、えへへと何やら達成感に頬を緩ませている。
「……今日は寒いから温かくして寝ろよ…」
「はい~。えへへっ」
それから紗雨は1つだけ溜息をついて静かに目を閉じた。
寝返りを打つと何かが思いっきり額にぶつかり一気に覚醒した。
額を擦りながら目を開くと全く同じ行動をしている紗雨と目が合った。
「起き抜けに何しやがるんだテメーは」
「……私の台詞ですよそれは……。どうして私のベッドで紗雨さんが寝てるんですか……」
「ベッドじゃねーよここは」
「……はっ!そうでした!私、昨日は紗雨さんと熱い夜を…!」
「…………」
「……男の人と女の人が抱き合ったら二人の体温でお布団は普通温いでしょうけど、紗雨さんが死んだような体温してるばっかりに然程熱くなかったですね」
「……そうだな」
「おーい、起きたかー?」
紗雨が目を擦っていると店主がオムレツとパンを2つづつ持って部屋にやってきた。
「なんだ、二人しておんなじ布団で。昨日は熱い夜だったのか?」
「ええ、それはそれは。生暖かい夜でした」
「……お前…」
店主が恐る恐る紗雨を見る。静かに首を横に振っていた。
「……だよな。飯だ。食ったら帰れ」
「あぁ」
「ありがとうございます」
「それとお嬢ちゃん」
「はい?」
人差し指を前後に振り、チャイルド・ゲートを呼ぶ。
「祭りは今日の3時からだ。紗雨は二つ返事でオッケーだろうよ」
「本当ですか!?」
「ああ、それとあるように誘ってみろ」
「了解です!」
「おい」
店主とチャイルド・ゲートとの密談に割って入る。
「いやいや、なんでもないんだ」
「ええ。それはそれはなんでもないですよ、なんでも」
「……分かったよ」
最後のパンの一切れを口に放り込んで紗雨は立ち上がる。
「食ったから帰るぞ。帰ったら昨日作ったスープ飲めよ」
「えー」
「えー、じゃねーよ。傷んでても食わすからな」
「虐待です」
「接待だよ」
「嘘だ!」
チャイルド・ゲートの手を引いて立ち上がる。
「紗雨」
「なんだ?」
「空気を読めよ」
「……あぁ」
「ということでお祭りにやってきました」
「非常に面倒だがな」
「いやぁ、まさか紗雨さんがあんなに快諾してくれるとは思いませんでしたよ」
「…………」
『さ…紗雨さん!』
『なんだ?』
『今日の3……』
『よし行こう』
空気を読むのは難しい。
聖夜祭。
元西方五賢人の一人にして現西方四賢人の永久欠番と謂われるキリストの誕生を祝う為の祝祭というのが通説ではあるが、キリストの誕生日はこんな真冬ではないという説やそもそも現在のこの魔法溢れるこの国では彼の誕生を祝う習慣があるはずもなく、今となってはただ騒いで飲むだけの、全くの形だけの祭りとなっていた。
「紗雨さん!あれはなんですか?」
「あー?綿飴だ」
「なっ何であんなふわふわしてるんですか?」
「砂糖を火炎系の魔法で溶かして疾風系の魔法で旋回させながら絡めとるとああなるんだよ」
「へぇー、おいしそー……」
「食べるか?」
「え?……はい……」
「遠慮すんな。これで買って来い」
「紗雨さんは来ないんですか?」
「…………」
「そうですね、行ってきます」
珍しく然程並んでいないのですぐにありつけそうな綿飴の列に並ぶ。皇女殺しと罵られ、殺人鬼と恐れられる紗雨を誘ったことを少しだけ後悔しながら。
「……俺はいらねえよ」
「そう言わないで一緒に食べましょうよ。紗雨さん甘いの好きでしょ?」
「……そうだな」
少しだけ並んで手に入れた2つの綿飴の1つを紗雨に渡して楽しそうな笑顔の紗雨。
「もうすぐ花火ですね」
「ああ」
「花火ってどうやって作るんですか?」
「玉の中に金属を入れて燃やすんだよ。それで打ち上げたら炎色反応で色が出る」
「へぇー、紗雨さんって何でも知ってるんですね」
「……まぁな」
花火なども魔法を用いる。魔法を使うことは全て、万象図書館は理解しているのだ。
「じゃあ始まるまでにご飯買って場所取りましょうよ!」
「お前まだ食べるのか?死ぬほどスープ飲んでもう殺してくださいって言ってたじゃないか」
「ご飯は別腹です!」
「じゃあ本腹に何入れんだよ……」
「さ、買いに行きましょう!」
酒と魚と肉。
それとジャガイモの薄切りを油で揚げたもの。
それを持って少し高い丘の上の木の下に並んで座る。
ヒューッ
ドン
城下で行なわれていた祭りの、帝宮の奥から赤い花火が上がる。
聖夜祭恒例の真冬の花火。
チャイルド・ゲートは目を輝かせてその夜空に浮かぶ火と光の芸術に心酔していた。
しかし紗雨の見据える先は帝宮、夢幻迷宮。
紗雨の元職場であり、仕えた場所であり、仕えた人が生きていた場所。
そして自分を憎む皇帝の住む場所。
「皇帝陛下……」
気付けば紗雨はそんなことを口にしていた。
二年ぶりに口した言葉だ。
「紗雨さん……?」
「……ん?なんだ?」
「花火…嫌いですか?」
「……いや…」
『紗雨は花火が嫌い…?』
『いえ、そんなことはありませんが』
「紗雨さん…どうしたんですか?」
『じゃあどうしたの?』
「なんでもない。少し考え事だ」
『なんでもないですよ。少し考え事をしていただけです』
同じ場所だ。
紗雨は、同じ場所で同じ会話をキャロルとしていた。
「紗雨さん……」
『紗雨……』
静かに目を閉じるチャイルド・ゲート。
そして、2年前、全く同じ行動をした人がいる。
紗雨は2年前にそうしたように今回も、チャイルド・ゲートの唇に自分の唇を重ねる。
「えへへ、“抱く”ことは分からなくても、キスぐらい分かるんですよ。こういうときにするんでしょ?」
「……ああ」
『えへ、初めて空気を読めたね、紗雨』
『恐縮の至りです』
「…………」
「…………」
「…………」
「……わっ私、トイレ行ってきますね!」
照れ臭さに居た堪れなかったのか、急いで城下の喧騒に駆け出すチャイルド・ゲート。
そんな様子を見ながら、紗雨は更に思考に耽る。
何故自分は彼女とキスをしたのか。
西方のスキンシップのキスではない、慕い合う者同士の交わす、慈愛の接吻。
何故それを、自分は2年前この場所で、十分の主人と交わしたことをチャイルド・ゲートとしたのか。
そんな複雑な思考を振り払うように葡萄酒を飲み干す。
あと数分後にはそんな思考に耽る余裕もなくなるとも知らずに。
チャイルド・ゲートルートで異論は認めん。
何の論もないでしょうが……