《横書き用》 火星大帝 悪食編
〔壱〕
―目が覚めたか、七ヶ宿逞真―
逞真が目覚めたとき、彼は全く状況を把握できなかった。
上下も左右もわからず赤く光る空間、短い手足…鋭刃が死んだ頃に等しい手足の長さだ。
「…いや、寝直すわ」
―待てッ! 二度寝するなッ! そこは質問しろ! 『ここはどこだ?』とか『俺は死んだのか?』とかッ!―
「下らねえ、質問したところで状況が変わるわけもねえ。
だったら今は寝たいから寝る」
―刹那主義者めッ! 空間がいきなり喋ったら驚け! まず驚け!―
「うるせぇなぁ…俺に命令するんじゃねぇよ、下らねえ」
―寝かせん! 説明を聞くまで寝かせん! まず聞け! 私はマルスニウムだ!―
「勝手に喋れ、俺は寝る」
―私たちマルスニウムは液状金属生命体だ! 疑問に思っていただろう!? なぜ金属がオルゴンを放つか、どうして断鉄の傷が癒えたかッ!―
「気にするだけ無駄だろーが」
無視するのも面倒くさい、そんな様子で逞真は上下左右も無い空間で寝返りひとつ。
この男、完全に順応している。
―気にしろォっ! マルスニウムは陰子ポテンシャルを持っていて、陽子である“魂”を引っ張る! その際に発生する―
「ああ、いい感じに意味分からねえ、眠くなってきたぜ」
―だあああっ! つまり! マルスニウムは魂を蓄積する天国であり地獄でもある! そしてお前は死んだ、OK!?―
「んー、多分」
自分が死んだと聞かされても、態度が動かない。
ウソだと思っているわけでも理解していないわけでもない、ただ気にしていないだけだ。
―生き返りたくはないかッ!? 話を聞け!―
「…いや、別に。 えーっと…名前を忘れたが、あの二刀流野郎にも勝ったしな。
敵を探して戦うのも面倒だしな」
逞真は、生まれながらに父である鋭刃を超えるべき敵として想定していた。
その父の死がそのまま断鉄という敵を形成することで連鎖していたが、自分が断鉄を殺したことで連鎖が切れた。
復讐の連鎖という言葉があるが、それこそが逞真の求めるものだったのかもしれない。
「ダメですよ、マルスニウム。
こいつに命令したいなら、率直にやって欲しいことを云った方がいい」
どこからともなく、本当にどこからともなく、赤い空間に出現していた男は、七ヶ宿鋭刃だった。
死んだはずの父を前にしても、逞真はさして興味を示していないが。
断鉄にさえ負けた男に、今更何を期待しようと云うのか。
「逞真、この陽子宇宙の“敵”が居る。
近所の陽子宇宙を破壊し続けている“敵”が来る。
マルスニウムの計算では人類の科学力が奇跡的進歩や発見をしても、到底勝てないらしい。
その敵を倒さなければ、地球も火星も、この銀河の生命は全滅だ」
唐突に大きくなった話だが、その辺りになってやっと逞真は完全に食いついていた。
「…父さん、俺が話を聞けばその“敵”と戦えるのか?」
「分からない。
生物は、巨視的にも微視的にも、生きているというだけで量子を放ち、宇宙を飛び回る。
それは陽子的特長を持ち、最終的に銀河内で唯一陰子的性質を持つマルスニウムの中に蓄積される。
ゆえに、このマルスニウムは生命が繁栄と絶滅を繰り返すたびに、多くの情報量子を集める」
―このマルスニウムは天国であり地獄だ。その“敵”が来るまでに大量の魂が来れば、その魂が含有するオルゴンを束ねて戦える。だが、結局は仮定の未知数、保証はない―
逞真に、断鉄と最終決戦をしたときのような笑顔が亀裂として走った。
「“保証がない”…俺の好きな言葉だ。
俺もその戦いに参加できるのか?」
「参加する所じゃない、お前が戦いの指揮を執るんだ。
お前は、この太陽系銀河最強の闘争心の持ち主である断鉄を斬り殺している。
あと数万年の間に、お前以上の攻撃性を持つ生物が発生しない限り、お前が全ての魂を率いて戦うんだ」
「もう一度聞いておく。 その“敵”ってのは…強いんだな?」
「強い。 果てしなく強い。
DNAという限界を付けられ、統一理論を完成できない人類では勝てない。
勝てる可能性があるのが、陰子と陽子を研究をするマルスニウムだけだ」
「…俺はなにをすればいい?」
「戦え、逞真。 断鉄がそうしたように。
マルスニウムは火星で唯一の生命として発生したせいで、闘争するという機能を獲得できなかった。
愚かと呼ばれる人類が獲得した闘争本能、全ての生命を上回る圧倒的エゴと欲望を振りかざせ、逞真ッ!」
「今すぐ、俺を立たせろ。 マルスニウム」
―オオ! やってくれるか! 全ての命のために!―
「下らない質問をするな、俺のためだ。
俺は、お前たちマルスニウムも最終的には倒す。それが目的になっただけだ」
3秒後、全身を修復された逞真が、やはり修繕された蛮一文字を振るっていた。
もちろん、敵はナチスドイツ。
断鉄が死んで安心していたところを襲われ、彼らは蹂躙されるままだった。
弾丸は剣を盾に防ぎ、超科学兵器も断鉄同様に防がれ、近接戦闘では極超音速剣術に対する方法はない。
それから火星が公転するたびに、様々な手段を用いて、数多の勇者が戦いを挑んだ。
だが、逞真は神話的にエネルギーを爆発させ、全ての敵を蛮一文字で切り裂き、噛み千切り、食い殺していった。
その姿と力に、誰かが逞真をこう呼んだ。
ヨブの記した悪食の獣になぞらえ、戦う場所に合わせ、火星大帝ベヒーモス、と。
〔終〕
西暦という暦が忘れ去られて久しい遠未来。
キリストを越えると呼ばれる聖人(真贋を問わず)が数多に出現し、果てしない宗教戦争を繰り広げた地球圏。
その戦争は人類に様々な発展と破滅を生んでいた。
「来るぞ! ネオ合衆連邦!」
静かなる宇宙。
大気もない真空では音が発生するはずもないが、光を伝達するエーテルを震わせ、言葉が流れる。
火星と地球を中心に展開されるルナ級…すなわち、月と同等の大きさを持つ戦艦が集う大艦隊。
「ハッハッハァッ! 小さいなァ! ヒトラー帝国軍! 数ばかり揃えて!」
「多重救世主共和国…ふん、
ガリレオ衛星を資材にしておいて、量産も失敗したお前らと話す舌は持たん!」
「…こちら羅生門艦隊旗艦、護国大和。
ご両人、今はそんなことをやっている場合ではないだろう? 今は“敵”の相手が先でござろう?
あと17秒、決戦に備えるが道理」
国籍を越えて集結したその戦力を前に、科学によって予言された“それ”はやってきた。
真黒の光を全天に向けて放ち、全ての星座を隠すカーテンのようにに、その巨体は現れたのだ。
予期していたとはいえ、そのスペックに艦隊に激震が走る。
「全長8パーセク…総エネルギー、無限大を計測だぁっ!」
「無限大なのは分かってるわ、バカが!
四次元くりこみを開始しろ。 何無限か、正確に計算を急げ!」
数学的に無限以上の数字を計算するための手段、“くりこみ”。
元々は机上の計算でのみ使用されていたが、現実の無限大発生と同時に発展した数学。
それなりに複雑ではあるが、生身の人間でも計測できる程度である。
量子演算による多局的演算能力を持つ、最新鋭コンピューターならば計算は造作もない。
「計測終了、敵エネルギー…53不可思議インフィニットジュール!」
「不可思議ッ!? 10の64乗の単位じゃないかっ!」
つまるところ、10の後にゼロが64個連なる単位、ということだ。
参考までに、彼らの中で最も出力の高い戦艦、護国大和が3インフィニットジュール。
同じく無限大となる数字の戦いでありながら、その無限大のケタが途方もなく遠かった。
質量を持たず、電荷を持たず、量子ポテンシャルを持たず、虚無であるはずの“それ”は人類の科学の限界をはるかに超越していた。
―ヴォオ~ウ―
「…今の…音…? は…?」
“虚無”は呻いた。
空気の振動でも、エーテルの震動ででもない。
精神世界での震動、テレパシーとでも呼ぶべき呻き声。
この場に居る戦闘員はもちろん、地球や月などの各生活圏に残って勝利を祈る人々の心にも響いていた。
それは攻撃の合図でも降伏勧告でもなく、“いただきます”、というありきたりな独り言にすぎなかった。
続き、太陽系内の“全て”の生命体に、同時に攻撃が行われた。
軍人も民間人も、強いものも弱いものの、人種も国籍も問わず、同時に急激な疲労が全身を貫いた。
「なんだ、これは…オルゴン吸引現象ッッ!?」
「ありえない! この戦艦はナノスキンでいかなる電磁波も次元力も遮断する…はずなのに…ッ!」
「さっきの“声”の応用でござろう…っ!
テレパシーができるなら…そこからエネルギーを吸い取ることは…不可能ではないかもしれん…!」
この推測は正しい。
正にこの現象は、精神世界からの直接のオルゴンドレインである。
だが、その推測は、彼らにとって絶望的なものだった。
これを破る技術を確立する時間が無い。
あと数十分で全ての生命はオルゴンを吸い尽くされ、老衰するだろう。
―そんなもん、簡単だぜ―
人類は破る方法を知らなくとも、生命は知っていた。
虚無と同じく、テレパシーによる音声が響くと同時に、オルゴン吸収が止んだ。
―“敵”よぉ、そんな方法でくれてやる命は、この地球圏にはありはしねぇ―
光よりも速く、愛よりも熱く、少年の瞳よりも輝くマルスニウムは、火星の大地から溢れ出てきた。
大気あるところの大気を振るわせ、エーテル溢れるところのエーテルを震わせ、魂あるところの魂を振るわせる。
その挑戦的な音声は、紛れもなく逞真・シチガシュクのものだった。
「なんだ、アレは!?」
「分からん! 分からんぞぉ!」
―ダレダ オマエハ―
全人類が、全生命が、全能の虚無ですら火星から染み出したその戦士の名を知らない。
マルスニウムは闇の中で完成形へと流動的に変形していく。
モーフィング動画のように変わり続けるそれは、最終的に火星と同じ色をした二足・二本腕、人間を模したデザインになっていた。
―ならば、一度だけ名乗ってやろう! 俺の名を魂と歴史に掘り込め!―
古代を思わせる鎧を纏い、月と並べる程度の体長を持つ剣士は兜を脱いで顔を晒し、口を開く。
―俺の名はタクマ、敵を倒すという一能を修めた火星大帝だッ!―
決して全能ではなく、何物も生み出さない戦神の星の暴君。
名乗りに続き、火星のふたつの月、フォボスとダイモスが逞真の手元に揃った。
「なんだ…月が…変形する?」
元々は、火星が断鉄の為に雌雄一対の剣として引力で保持していたふたつの月。
だが、示現流の流れを汲む逞真は、その配慮は要らない。
ふたつの星の質量は爆発的に膨らみ合わさり、一本の大剣へと姿を変える。
―…蛮一文字ッ!―
「エネルギー量…やはり無限大! 四次元くりこみ計算では…8億インフィニットジュールッ!」
「ありえない、ありえない! それだけのエネルギーが…火星のどこに…ッ!?」
地球圏の全ての命の量子震動を記録しているマルスニウム。
それは栄えては滅び、喜んでは悲しみ、生まれては老い、倒れては立ち上がった生命たちの大長編。
終わりのない物語を終らせないために、全ての記憶と記録がその気になれば、無限大を越えられない訳もない。
―理由なんざどうだっていいッ! 行くぞオオオオッ!―
お互いに無限大を遥かに超越したエネルギー同士である。
だが、その差は甚大。
火星大帝、その数値は800000000。
対する虚無は、530000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000。
改行をどこですれば良いかすらわからない圧倒的な差だった。
―山至示現流奥義ッ! 開闢蜻蛉翔ッ!―
逞真が宇宙にひしめくエーテルを蹴り、そのまま突撃を掛ける。 その速度はもちろん超光速。
時空さえも揺るがすスピードだが、空間自体に干渉してあえて古典力学的に、つまり光速を越えても時間を越えず、『ただ早いだけの剣』を繰り出した。
ふたつの火星の月で作られ、長さが地球の半分ほどはある大剣、蛮一文字の切っ先は虚無へと突き刺さった。
「相手は3パーセクあるんだぞぉ! 太陽より巨大な相手に地球より小さな刀…。
ノミと人間なんて騒ぎじゃない、たったひとつの分子が鯨に当たったようなものだぞっ!?」
―シ・ネ―
刃が突き刺さっても意に介さない虚無は己自身を切り離し、光さえも遮る黒い矢を前面に構える。
それは虚無の武器であり、肉体であり、フォークとナイフだった。
―ガキじゃねえんだ! “死ね”なんて頼むみてぇな言い方するんじゃねぇ!―
誰の眼からも見えない、虚無の体内で変化が起きていた。
突き刺さった刀が、加速度的に伸びていたのだ。
まるで樹木が大地から養分を吸い上げるように、根がアスファルトを砕くように。
―男ならッ! 云う言葉は“ブッ殺す”だけだぜァー~ッ!―
―ガ、ガゥアアアッッ―
先ほど、虚無はオルゴンを吸収していた。
ということは、虚無は生命をプラスからマイナスに変えて吸収している。
それは陽子と陰子の関係にも似ていた。
―クッテイルノカ クワレテイルノカ―
戦争とは領空・領地・領海といった空間の取り合い、陣取りゲームだ。
今、蛮一文字は相手の空間を喰っていた。
そのエネルギーを取り込み、質量に変換している。
―虚無のバイキングだぁ~!―
蛮一文字だけでなかった。
逞真も虚無を喰っている、いやむしろ蛮一文字以上に食べ漁っている。
途方もない虚無のエネルギーを生命たるオルゴンエネルギーに変換し、それで肥えている。
巨大化していく。 先ほどまで月ほどしかなかった逞真は天文単位で数える大きさになっている。
虚無もそれに対抗すべく、暗黒物質の攻撃を繰り出す。
―暗黒物質たあ、珍味だよなぁっ!―
暗黒物質のミサイルは、逞真の腕に触れると同時に霧散するように吸収された。
虚無は数学的に複雑な構造を持つが故に、一部分ごとに綿密のデータが記録されていた。
それは全体がプラスに転じない限り消滅しないメリットでもあるが、全ての部位が急所となりうる短所でもある。
既にマルスニウムは、虚無の一片を喰らっていた。
その瞬間から、虚無の全ての攻撃パターンをマルスニウムは記録し、逞真が喰えるように変換できるようになった。
例えるならば、マルスニウムが凄腕のコック、逞真はフードファイトチャンピオン。
―オラオラァ! そっちも噛みつけよ! 喰い合おうぜぇぁ!―
既に虚無も逞真に喰らい付き、相手をマイナスに転じて吸収していた。
だが、追いつけない。
虚無が逞真の腕一本分のエネルギーを吸収する間に、逞真は千手観音並に腕を生やせるだけのマイナスを喰っている。
―キエル キエル キエテシマウ―
―それギャグか? 虚無なんて最初から無いようなヤツの断末魔が消えちまう、ってことはねぇだろ―
―デハ ナントイウノダ―
―知らねぇよ、俺が分かってるのは俺のセリフだけだぜ―
人類の限界は、脳の限界であると誰かが言った。
マルスニウムと一体化した逞真は脳という限界を破壊し、その純粋で果てない飢餓に限界はなくなっていた。
精神力はオルゴンエネルギーに繋がり、オルゴンエネルギーは他の全てのエネルギーに転用できる。
これは奇跡ではない。
大自然を超越し、火星にまで手を伸ばした人類にとっては過去に何度も有った欲望の発現に過ぎない。
―俺の言葉はこれだ。 ごちそうさん、美味かったぜ―
「…なにが、起きたんだ…!?」
人知を超えた大食い大会は、人知を超えずに客観視すれば光が1センチ進むより小さな時間でおきていた。
気が付いてみれば、眼前に広がっていた虚無は消え去り、火星大帝を名乗る戦士が巨大化している。
そして、その手に握られた刀、蛮一文字は太さこそ変わっていないが、刃の長さが銀河を飛び出すほどに伸びていた。
途中から、逞真は食べた脂肪的な虚無を蛮一文字に押し付けていたらしい。
「何が起きたんだッ! 何が起きたんだ! 何が起きたんだ!」
世界中の生命たちが、同じくして問い詰める。
先ほどのテレパシーのような解答があると思っているのだろう。
―下らねぇ、自分で考えろよ、俺は行くぜ―
虚無を喰らい、様々な情報を得た逞真。
彼にとって既に太陽系は狭すぎて、惰弱すぎた。
虚無は一体だけではない。
マルスニウムに宿っていた自由意思すら統合して喰い尽し、逞真は全てのマイナスの存在を食い尽くすために飛んだ。
ドップラー効果で真紅に染まる銀河の果てを目差して。
〔続〕
「死んだ…みんな…殺されちゃった…」
彼女の星は、天球を埋め尽くすほどの広大な敵に襲われていた。
文明は再起不能な域まで破壊され、生命は根絶されつつある。
軍隊は壊滅し、生残っているのは自身が開発したシェルターに隠れた研究者の彼女だけだった。
彼女の名は…いや、無意味だ。
もうこの宇宙に彼女以外に『彼女』という言葉を適応できる事象は存在しない。
なぜ、こんなことになったのだろう?
自分たちは平和に暮していたはずだった。 そのはずだった。
逆の次元ベクトルに住まう、プラス生命をエネルギーソースにし、山積していた問題をやっと解決できた。
マイナス五十億人ほどの人民は喜び、歓喜した矢先、ヤツが現れた。
―こォんなところに隠れてたのかよ、もう一匹―
彼女の心に破壊者のテレパシーが響く。
火星大帝を名乗り、全てのマイナス宇宙とマイナス生命体を喰らう破壊者、七ヶ宿逞真。
「なぜ、なぜなの! どうして…どうしてあなたは…私たちの幸せを壊せるのよっ!?」
―てめぇらは、どうして答えるわけもねぇ質問すんのが好きなんだ?―
彼女は覚悟を決めた、いや決めようとした。
そんな覚悟が成立するはずがないのだ。 理不尽な力への怒りと悲しみが止め処などありはしない。
―待てぇえええ! 破壊者ァッ!―
彼女は、そして火星大帝は、その第三のテレパシーが飛んできたマイナス方角を振り向いた。
そこでは、マイナス銀河系の第四惑星である銀星の上に戦士が立っていた。
―俺の名は銀星元帥のシルバリオン! 火星大帝、キサマを打ち倒し、マイナス宇宙を救う者!―
「シルバリオン、あなた…シルバリオンなのっ!?」
―掛ける言葉はない。 キミを捨てて銀星へと旅立ったのが俺だ。言葉で許してもらえはしない―
新手の出現に、退屈そうだった火星大帝の顔に笑みが戻っていた。
そのことに気付いてか気付かずか、銀星元帥は圧倒的な体格差に怯まず、火星大帝に噛み付いた。
―そうだっ! 掛ける言葉などありはしない、ただ懸ける命があるのみッ!―
―こういうのを待ってたのよッ! 俺は! 50億銀河ぶりぐらいの喰い合いだ!―
感情が交錯し、互いが互いを食べあう。 マイナスとプラスの標準的な戦い方。
火星大帝は幾度も経験し、銀星元帥にも本能によって刻まれた生命の原初の戦法のひとつ。
体格と容積は戦力の絶対的決定要因ではないのだ。
通常の人間では知覚できない速さの攻防――それを制したのは銀星元帥だった。
―…勝った…! 勝ったぞ!―
「やったの!? シルバリオンっ!」
―ああ、そうだ。 ヤツは…火星大帝は一片残らず吸収し、俺の一部になった―
「じゃあ…!」
―ヤツから取り込んだエネルギーで宇宙をぶっ壊して…? なんだ、思考に…ノイズが…―
銀星元帥は、間違いなく火星大帝を喰い尽くした。
素粒子のひとつも残さず、エネルギーや技を…そして、心と記憶を。
―やるじゃねぇか、銀星元帥ッ! 喰われちまったぜぁああ!――
銀星元帥が歪み、水鏡に映る影のように揺らぎ、そしてその姿は火星大帝の様相となっていた。
飲まれた火星大帝の底なしの貪欲さは毒だった。
ポロニウムなどは非ではない、吸収した方が汚染される猛烈な疫病だった。
「そん…な…!」
希望を引き裂いた絶望は、黒いオーロラを宇宙に解き放ち、このマイナス宇宙を完食してみせた。
その身をマイナスベクトルに変貌させたことにも気が付かず、火星大帝は次の宇宙を目指す。
今後、数学的に表せない数の宇宙と命を逞真は食い荒らすだろう。
その間、数多の戦士が立ち上がり、火星大帝を食い尽くそうとも、その者は逞真の記憶に汚染され、新たなる火星大帝となる。
陰陽のベクトルを問わず、ただ貪欲に食い荒すその姿は、正にヨブによって記された獣の如く。
胃に餌食が募れば、食べた分だけ胃袋も伸び、それだけ多くの餌食を求む。
喰えば喰った分だけ胃が膨らみ、胃の余白が増え、飢餓が膨らむ…火星大帝ベヒーモスは今日も往く。
その頃、こことは似て非なる兄弟宇宙では…!
「お父さん、どこに行くの…?」
「…ゴメンね、静虎。
お父さん、また遠くに行って来るよ…プラスだろうとマイナスだろうと、みんなをイジめてるヤツが居るんだ」
「…いってらっしゃい、お土産待ってるね…生きて、戻ってきてね」
「ああ、絶対に買ってくる。兄弟宇宙でも、きっとペナントくらいは売ってると思うしね。
…行くよ、ノポラシュバルツ、百兵衛、イーストウッドッ!」
その英雄は、仲間とともに静かに立ち上がった。
もうひとりの自分、殺戮と食欲だけを撒き散らす獣を討つべく、火星のヘラクレスは行く。
〔火星大帝 完〕