第3話:誘拐されました
今日は貴族学校のお休みの日です。
普段でしたら休日わたしは、公園や図書館にお出かけすることが多いのですよ。
家にいますと家族や使用人が嫌な顔をしますのでね。
特にお父様はすぐに怒鳴りますし。
わたしも迷惑をかけたいとは思わないので、なるべく顔を合わせないようにこっそり家を出ることにしているのですが……。
「おい、ミレーナ。ここ全然意味が通じないだろうが。何だこの『幼い大きさ』って。年齢のことか? サッパリわからん」
貴族学校の定期考査が近いからですかね?
アランお兄様やクリスティが勉強を見てくれというのです。
わたし知識だけはあるもので。
「直訳で『幼い大きさ』なのですけれども、『小規模』という意味になるのですよ」
「『小規模』……なるほど、それならわかるな」
「古代語のイディオムは洒落ていますよね」
「何が洒落てるだ。大体古代語なんて不必要だろうが!」
古代語は魔道言語と共通点が多いので、近頃再評価されているのですけれども。
今後は間違いなく魔道具の進歩が社会を牽引するでしょうから。
でもくだらないことを言うと、お兄様を怒らせてしまうかもしれません。
「まったく古代語なんてミレーナみたいなものだ。どうでもいい存在なのにデカい面をしている!」
お父様に似た怒声に思わず閉口します。
わたし自身は古代語のようだって言われるのは嬉しいですけれどもね。
だって役に立ちそうではないですか。
褒められたと思っておきましょう。
「もう、お兄様はいいでしょう? お姉様、私に教えてくださいませ」
「はい、どの科目でしょうか?」
「化学ですよ。燃焼の燃素説と助燃素説の違いがチンプンカンプンなの」
「燃素説というのは、燃えるものは燃素を含んでいるという説ですよ。燃素を使い切ってしまうとそれ以上は燃えない。だから灰は燃えないのだという考え方です」
「ふうん? もっともでわかりやすいわ。助燃素説は?」
「ものは空気のないところでは燃えないので、空気の中に助燃素というものがあるのではないか、という考え方です。ものが燃えると空気の中の助燃素がくっつく現象を指すという説です」
「……ピンと来ない説だけど」
「金属が燃えると、残った金属灰は元の金属より質量が増えることが知られているのですよ。空気のない時のものは燃えないとうことだけでなく、助燃素の分だけ重くなるという現象をうまく説明できるでしょう?」
「じゃあ助燃素説のほうが正しいの?」
「燃える前のものより、燃え残った灰が軽いケースも多いですよ。だからまだ決着がついていないのです」
「ええ? これから考え方が変わることもあるってこと?」
「多いにありますね」
「やってられないわ!」
クリスティがペンを投げ出しました。
うんざりしたような顔をしています。
ブスッとした顔をしているのはアランお兄様も同じですね。
「……大体前から不思議に思っていたんだ。ミレーナは勉強が好きだろう?」
「勉強が好きというか、知識を蓄えることが好きですね」
誰にも迷惑をかけず、一人で行えることですから。
「お姉様はおかしいのですわ!」
「勉強が取り柄なんてなあ」
「変人ですわ。変人」
変なのですかね?
でも試験前くらいですが、お兄様やクリスティに頼りにされることは嬉しいです。
こんなわたしでも、少しは役に立っているという気持ちになりますから。
「まあいい。今日の苦行は終いだ」
「すごく疲れたわ」
「御苦労様です。わたしは出かけてまいります」
「どこへ行くんだ?」
「図書館です」
お兄様とクリスティに付き合っていましたので、自分の勉強が進んでおりませんからね。
「ええ? これ以上勉強しようというの? 変よ、変」
「ミレーナが変なんてのは今更じゃないか」
「行ってまいります」
お兄様とクリスティは気が合うのですね。
少し羨ましいです。
◇
我が家から図書館までは、さほど人通りが多くない道を辿って着くことができます。
わたしも行き交う通行人に嫌な思いをさせたいわけではないので、図書館に行くことは都合がいいのです。
今日はいい天気。
風もそよそよと吹いていて、やや暑いですけれども気持ちのいい日ですね。
街中で立派な身なりをした殿方に問われました。
「ミレーナ・ランドル男爵令嬢だな?」
「はい、さようでございます」
その殿方がパキッと指を鳴らすとワラワラと人が集まってまいりまして囲まれ、声を出せないようにして麻袋に詰め込まれてしまいました。
えっ? 何これ?
呆然としてしまいましたが、ひょっとして誘拐というものなのでは?
わあ、ではわたしって誘拐するだけの価値があると思われているのですね?
とも限りませんか。
切り刻んでお肉にしようという考えかもしれません。
でも立派な身なりをした方でしたねえ。
あ、ペットのエサとかですかね?
いずれにせよ人に囲まれてからのあっという間の早業でした。
騒ぐこともできませんでしたので、誰も気付いてないのではないですかね?
いえ、誰か気付いていたとしても、わたしのために何かしてくれるはずがないではありませんか。
つまらないことになりましたよ。
最初に話しかけてくださった立派な身なりの方でしょうか?
声が聞こえます。
「手荒なことをしようというのは本意ではないんだ。ミレーナ嬢、申し訳ないが三〇分ほど大人しくしていてくれ」
頑張ってもうう、くらいの声しか出せませんが、わかっていただけましたかね?
ガタゴトとどうやら馬車で運ばれていますね。
三〇分というのが本当だと、王都の外に出るということではなさそうです。
ではどこへ行くのでしょうね?
あっ、止まりましたか。
ぎいっと馬車の戸が開く音がしますので、どうやら到着したようですね。
麻袋のまま、えっほえっほと運ばれます。
「ミレーナ嬢、無礼なマネをしてすまなかった」
麻袋から出され、口を覆っていた厚手の布も外されます。
「いえいえ、お気になさらず」
誘拐犯なのにわたしに丁寧な口調で接してくれますしね。
好感が持てます。
それにしても立派なお屋敷ですね。
思わずキョロキョロしてしまいます。
気後れしますね。
「ええと、わたしは売り飛ばされるのでしょうか?」
恐る恐るですが聞いてみました。
いえ、どうされるのかがわかりませんので。
「は? 売り飛ばす?」
「……わたしは売り飛ばされるためにさらわれたのではないのですか?」
「何をバカな!」
ですよね。
いかにわたしに従者がいなくて誘拐しやすいとはいえ、どうせならもっと見栄えのいい子を選びますよね。
はあ、わたしには売り飛ばす価値さえないのですか。
何だかガッカリです。
「君には神に授かった役割があるんだ」
「えっ? はあ……」
知っております。
他人より下のポジションであることですよね。
わたしが底辺でありさえすれば、精神的に救われる方が大勢いるということは重々理解しております。
慎ましく細々と生きておりますれば……。
あれ?
目の前の立派な身なりの凛々しい令息に見覚えがあるような気がします。
確か……。
「……失礼を承知で伺います。もしかしてヴィンセント第三王子殿下でいらっしゃる?」
「いかにも」
「し、知らぬこととは申せ、御無礼を……」
慌てて平伏します。
ということは、ここは王宮?
立派な建物のはずです。
えっ? ということはわたしはヴィンセント殿下に誘拐されたということですか?
一体どうして?
王族の方とは今まで関わりがありませんので、まさか失礼があったなんてことはないと思うのですけれど……。
這いつくばったまま殿下の言葉を待ちます。




